第90話 恋へ(2)
くるみは学校でのお昼、互いの時間が合う時は、校舎内にある持ち込み可能のカフェテリアでつばめと一緒するのが恒例だった。
新学期初日もそのルーティーンは引き継がれており、始業式や委員決めを終えた昼の十二時に、くるみは弁当の入ったトートを提げて慣れないルートで校舎を下りていく。
騒々しいテーブルの間を縫いながら親友の姿を探していると、こちらにぶんぶんと手を振っているつばめが見つかった。
「つばめちゃん」
「くるみーんやっとゆっくり話できる! 朝来た時、みんなに囲まれてたもんね」
「うん……けど一週間もすればきっとほとぼりも冷めるから、大丈夫だいじょうぶ」
クラス替えしたてだからか、朝の発言があったからか。どこかそわそわと堅苦しい様子の生徒たちから衆目を集めながら、お弁当の包みを持って窓辺にあるラウンドテーブルに隣り合わせで座る。
本人が居なかったとはいえお慕いしているだなんてさすがに大胆な言い方だったかな、なんて今さら恥ずかしく思いながら、ずっと報告したかったことを切り出した。
「あの、ね。春休み中お泊まりした時に話したことあるでしょ?」
「うんうん!」
「実は答えが……出たの」
学校だからつばめだけに伝わるように、彼女がにこにこと見守るすがら、スマホを取り出して、ゆっくりメッセージを打ち込む。
碧からはいろんなことを教えてもらってきた。けれど、そのなかでも一番大きいのは〈初めての恋〉という初めて知る感情。
こんな気持ちが自分にあるだなんて、前は想像もつかなかった。
それはもう——本人じゃなく親友相手にこれを打つだけでも頬が上気し、指が震えて上手く文字にならないくらいで。
〈私ね 碧くんのことが 好き〉
意思表明をそっと掲示する。
小さな箱庭にいた自分を、広い世界に連れ出してくれた。動じずに肯定してくれた、受け入れてくれた、温かな居場所をくれた——数え切れないくらい色んなものを貰った。
多分それはきっと、くるみのためだけに。
彼のことを知れば知るほど〈好き〉が深まっていることを自覚して恥ずかしくなって、戸惑っていたけれど。今はそれどこじゃなく、際限なく溢れるほどに……この気持ちを知ってほしいという想いでいっぱいで。
気恥ずかしさから赤くなりながら返事を待っていると、メッセージを読み終えたらしい目の前のつばめがまず初めに驚きを見せた。
次に瞳がうるうると潤み、そして最後には周りを考慮して言葉で伝えることを諦めたらしく、隣からぎゅーっと抱きしめてくる。
くるみのためにまるで自分事のように、苦しいくらいの喜びを伝えてくれた彼女は、ようやく抱擁を解くと優しい笑みを浮かべながら言った。
「今からさ、もっともっと仲よくなれたらいいね」
「うん。……もっと仲よくなりたい」
「いい意気込み! 私も湊斗とまだ後一歩ってかんじだし何か作戦考えようかな。また四人で一緒にお出かけとかしたいし。……あ、うわさをすれば」
つばめがカフェテラスの出入り口の方を指差す。
すると碧と湊斗が丼の乗ったプレートを持って、空いている席についたところだった。
放課後に会う時の碧は私服のシャツやパーカーばかりだから、こういう制服姿を見かけるのは珍しい。
私服で登校する生徒も多いなか、ただひとり着崩さずにきっちり一番上のボタンまで留めてるのも彼らしいし、それを気にせず堂々かつひょうひょうとしているのも、彼らしい。
片耳だけBluetoothのイヤホンを嵌めて何かを聴いているのも、帰国子女なのにお箸の持ち方はきちんとしているのも、袖を捲っているのも、全部琴線にきゅんとくる。
——格好いい……
自分の学校での立ち位置も忘れそうになりながら、つい目を奪われるように見詰めてしまっていると、左からつばめが視界にひょこっと入り込んだ。
「ね、ふたりのとこ行ってみようよ」
「いいのかな……?」
「私がきっかけになるし、あの人は他人の視線とかそういうの気にしないだろうし平気だよ! 行け行けゴーゴーだよくるみん」
親友に優しく促されるまま席を立ち、肩を押されるまま近寄る。
何人かの視線が追いかけてくるのが感覚で分かったけれど、振り向かない。
「やっほー湊斗」
まず、こちらに気づいた湊斗がうどんを箸で持ち上げながら二度見したのが、視界の片隅に映った。遅れてこちらを見た碧もまた一瞬驚きに目を丸くして、けれどいつも通りのポーカーフェイスを取り繕って首を傾げている……多分気を遣わせてしまったのだと思う。
——どうしよう、何を話せばいいかな? やっぱり学校じゃ迷惑じゃない?
なんて会話の糸口が見つからずにまごついていると、先制してつばめが先に何かを話し始めた。
「ねえ碧、今朝ちょうど教室に入った時に見たよ。格好よかったじゃん」
「……まあ。どうも」
「ひけらかさないのが碧らしいっていうか。ねえ湊斗?」
「何の話?」
碧は白々しくかぶりを振る。
「いや別に何もないよ」
「えー言えばいいのに」
「……ふうん? お前またなんかやったんだ?」
にやにやと湊斗に肘で突かれ、何故かそろーっと視線を外す碧。
何のことか当てがつかず訊ねようとしたが、生徒たちの視線がちらほらこちらに向けられていることを鑑みて、小さく手を振りながら出来る限りの幸せと愛情を込めた笑みを彼に投げかけるに留めた。
それだけでまたカフェテラスが些かばかり騒がしくなるが、一年間ここまで持ち上げられて自覚なしでいることの方が難しいので、くるみは分かった上で知らんぷりをする。
ちょっと申し訳ないと思いつつも、今は目の前の碧がちょっとでも狼狽えてくれたから、それでいい。
ポケットのスマホが抗議するようにぶるぶる震えて、通知を教えてくれる。
〈学校じゃ話さないんじゃなかったんですか。今日来てくれるならうちで話せるのに〉
〈でもそういう約束をしたわけじゃないでしょう?
私は何も言ってないから大丈夫だいじょうぶ それに……〉
〈それに?〉
〈久しぶりに碧くんの制服姿見れたのが嬉しいから それで全部いいの〉
長考の末に、しゅぽっとトーク画面が更新。
〈そういうのずるい〉
どんなに騒がしい場所でも、スマホひとつで、誰にも知られないふたりだけの世界になる。伝えられなかったもどかしさが少しだけ解けていく。
本当は直に声で伝え合うことが一番だけれど、それは放課後のお楽しみに取っておこう。
——今日はお家でどんな会話をするのかな。どんなことを、話そうかな?
上機嫌を隠さず画面をじーっと見つめていると、つばめが気を遣ったように訊いてきた。
「あ、くるみんもう戻る? ふたりともさ、今度一緒にランチでもしようねー!」
「あいあいさー」
ぺこりとお辞儀をしてからつばめを連れて自分の席に戻ると、つばめはサンドイッチのパックを開けながらにこにこと笑って小声で言った。
「今のくるみん、すごく可愛かった。私も一瞬見惚れちゃったもん」
「でも緊張してぜんぜん喋れなかったよ……」
「ふたりきりの時はちゃんと喋れるんでしょ? ならいいじゃん! ……折角気持ちに気づいたならさ、これからがんばんないとね」
首を傾けてくるつばめに、くるみは抵抗なく頷いた。
「うん……がんばるね、私」
心に秘めていた決意を初めて言葉に出すと、もう後戻りできないような気がしたけど、それでもよかった。
自分には彼しかいないって、一緒に星を見上げたときに気づいたから。
鞄の底のほうには、彼から託された合鍵が、出番を待ち侘びて眠っている。
くるみだけが持つことを許された、彼がくれた居場所へのパスポート。
——だから早く、早く。放課後がやってきますように。
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