第47話 冬休み明け(1)


 休み明けの登校初日。


 学校の方はと言うと、全校集会の後も特に何かあるわけでもなくクラスはいつもどおりだった。


 二週間ぶりなのでちょっぴり懐かしいことには懐かしいのだが、大学と同じで前期後期制、つまり冬休み明けとはいえ業務連絡や課題提出のあとは十二月と地続きの授業が待っているだけなので、気持ちを新たにとはなりづらいのだ。


 とは言えさすがに初日からいつものように七時間授業を行わない情けくらいは学校にもあるみたいで、五時限目の後に下校となる予定のようだが。


「あーやっと見つけた! ずっと探してたんだよ」


 そんなわけでお昼をひとりで過ごしていると、後ろから大柄な何者かがぬっと姿を現した。今更、特に驚くでもない。


「僕隠れんぼなんか始めた覚えないんだけど」


「俺もないけど。なあ、碧ってお金に困ってはない?」


「残念だ……僕たちの友情もここまでだったんだね」


「いや待て早まるな! 別に友達売ろうとかそういう怪しい話じゃないから本当に!」


 碧がメロンパンの包装を畳みわざとらしく首を竦めると、湊斗は慌てて弁解する。とはいえ碧とて、彼が何の話を持ちかけようとしているか分かった上でのたわむれなのだが。


 湊斗は仕切り直しだと言いたげに咳払いして、真面目に切り出した。


「やっぱり碧、俺のとこでバイトする気ない?」


「またその話か。けどなんで? 湊斗が手伝ってるならバイトいらなくない?」


「最近は夕方から忙しくて人手足りてないんだよ。家族経営だし広くバイト集めるつもりはないから、碧がたまに手伝いに来てくれるのが一番都合いいんだ。あと旅行客の間で評判広まったらしくてよく外国人が来るから、英語が堪能な碧がいてくれると助かる」


 ううん、と考えるふりして腕を組む。


 湊斗からは秋あたりから声をかけられてきたが、その頃は別の期間限定バイトがあったので断っていた。そのうち考えとくと返事をしたのだが、今度はくるみと夕飯を共にする密契みっけいを交わしてしまった。


 一応他に予定がある時は事前に連絡すればいいことになっているのだが、正式にバイトをするとなると最低でも週二以上で家を空けることになるだろう。それは彼女に申し訳が立たない。


 なにより、あまり日本に根を張るようなことをしては……いつの日かまた海外に移ることになった時に、別れの寂寥せきりょうから苦しんでしまいそうな気がしたのだ。


「放課後いつも暇してるって言ってただろ? 外国人来てもOKとオフコースしか言えないんだようちの親父。このままじゃ知らぬ間に値切られまくったりしておまんまの食い上げちゃんだよ」


「そんなことする人なんか旅行客にいないって。言葉通じなくても意外と身振り手振りで何とかなるから頑張ってくださいってお父さんに伝えといて。暗記カードみたいなの見せるでも何とかなるし。それに僕、放課後は最近ちょっと事情が……」


「何、事情って。やっぱりまさかの彼女ができたとか?」


「……いやありえないって、絶対にない、ほんとにない」


 なんとも烏滸がましいことに、一瞬くるみのことを思い浮かべてしまった。彼女にとっても不名誉なことなので、三重で否定する。


「頼むよ、猫の手も借りたいんだよ。碧の手で事足りるかは不安だけど」


「嫌な言い方」


「とりあえず今からうちに寄ってゆっくり話そうぜ? な?」


「うーん……まあ寄るだけならいいけど……」


 今のところその気はないが、彼の店に時々遊びに行くのはいつものことだ。それくらいなら、と湊斗の強引さに押し負け、碧は頷いていた。


                *


「で、何にする?」


 翌日、湊斗の実家のカフェバーでカウンターに座った後、バックヤードで店の制服に着替えてきた湊斗が顔を出した。といってもパリッとした白シャツに黒い前掛けなのだが、すらっとした長身ゆえか恐ろしいほど様になっている。がたいの良さから、後ろ姿だけ見ればまるで外国人だ。


 一緒にいる時以外はかなり寡黙な男なので、きっと女の常連さんの中には彼を目当てにしている人も少なからずいるんだと思う。


「僕キャラメルラテがいい」


「そうか。そこにシロップあるから自分で作れ」


「まだ客の立場なんだけど?」


「まだってことはバイトしてくれるんだな?」


「百年後に店がまだ続いていれば、あるいは」


「お前がまだ生きていれば、あるいは」


 こういうくだらなくて気取らない詮なき会話を楽しめるのは日本じゃ湊斗だけなんだろうな、と思う。


「……はい、キャラメルラテ。味をしっかり覚えていけよ。バイト候補くん」


 湊斗の戯言ざれごとは華麗に無視をし、砂糖とミルクを焦がした香りの、熱々のそれで喉を湿らせる。すると、以前くるみに出した蜂蜜のホットミルクと、それをふぅふぅするくるみの横顔を不意に思い出した。


「なんか表情が穏やかだ。何考えていたんだ?」


「別になーんも。甘いものは人を優しくするよなって思っただけ」


「はは、言えてるな」


 珈琲コーヒーの香りが染みついたは、はっきりいって自分の家より居心地がいい、と前は思っていた。


 今はそうは思わない。


 それはこの店が悪いとかではなく、純粋に、碧が家で過ごす時間を悪くないと思えるようになってきていたからだ。


 くるみとの契約が始まってまだ二ヶ月足らずだけど、それでもその限られた時間を今では、日常とはっきりと言い切れる。そしてきっと、日常だのどうのと思いすらしなくなるまでも、そう時間はかからないだろう。


 ただそれが果たして良いことなのか悪いことなのかは、今の碧にはまだ分からない。


 火傷しそうなほど熱いラテを口に含みながら、碧は少し前から気になっていたことを湊斗に尋ねる。


「そういえばさ、隣のクラスの小っちゃい人って湊斗の幼なじみなんだよね」


「小っちゃいってそれお前が言う?」


「……店番中よくさぼってること湊斗のお父さんにちくってやろうかな」


「嘘ですすみませんでした。俺が大きいだけで別に碧は小さくないです」


「いやそれも鼻持ちならんけど。まあよろしい」


 まあ一年後には身長追いつく予定なんだけどな、と声には出さずに意味深に笑う。


「つばめは小学校からずっと一緒なんだよ。腐れ縁ってやつだ」


「けど学校で話してるのあんまり見たことないよね」


「だってあいつモデルなだけあって学校でも派手っていうか煌びやかな女友達多いし、こっちからいくのは気が引けるんだよ」


 湊斗の抱くつばめへの気持ちを確認しておきたい、というのが碧の質問の意図だ。協力すると言ってしまった以上これくらいのことはしてやってもいいだろう。


「じゃあ付き合ってるってわけじゃないんだ?」


 取り敢えず下手に鎌をかけたりはせずストレートに聞いてみると、湊斗は一瞬だけ閉口したあと、いつものように勝ち気な笑みを見せてきた。


「だから俺とあいつがそんな関係なわけないだろ。ありえない」


「ふーん。幼なじみって、てっきり仲がいいものかと思ってたけど」


 湊斗は遠くを見るように、虚空に視線を向ける。


「仲はいいよ。けど前も言ったとおりそういうのはありえないって。向こうが昔のまま接しようとしてくれるだけでありがたいんだよ」


 昔のまま接しようとしてくれる。


 それに深い意味が込められているのかどうか碧が尋ねようとしたその時、後ろから来店を告げる扉のベルがからんころんと響いた。やっと碧以外の客が現れたらしい。


「らっしゃっせー……」


 先ほどの愁いある恋話の気配など全く匂わせもせず、湊斗が気怠く声を上げる。


 彼は常々家を継ぐ気はないといっていたが、それは本当みたいだ。やる気のない挨拶を聞くと、美味いキリマンジャロを出す腕はあるのに勿体ないなと思う。


「湊斗。こないだ相談した件なんだけど——」


 客が来た以上別の話題にしようと思いふと湊斗を見上げると、彼は碧の肩越しで入り口を見つめながら、尋常ならざる様子で目を見開いていた。何事か、と思い湊斗と共に出入り口の方を振り向いて、そして思わず声が洩れそうになった。


 どうやら天運は碧に予想だにしない事件をもたらしたらしい。


 なぜなら分厚い扉を開いてそこにいたのは——くるみとつばめだったからだ。

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