第46話 帰国の日(3)

 やがて都心の広々とした公園に辿り着き、広場に面した石造りの階段に碧は自分のマフラーを外して座布団代わりにし、そこにくるみを座らせた。


 寒さは相変わらず厳しいので彼女に風邪を引かさないためにも長居するつもりはないが、ほんのちょっとだけ話したくなったのだ。メッセージのやり取りだけでは事足りない、会えなかった二週間分の空白を埋めるような、取り止めのない世間話や土産話を。


 そのことをくるみに伝えると、彼女は早速「お土産といえば」と碧の持った紙袋を指差した。


「これ預かり物。つばめちゃんが冬休みにお母様のご実家に旅行してきたんですって。お友達にも一箱どうぞって」


 手渡されたのは、レトロな貿易船が描かれたブラウンの小箱だった。南蛮情緒のあるハイカラな包装紙を見るにつけて、すぐに中身の美しい正方形に切り立った洋菓子と、カスタードとカラメルのような魅惑の色の取り合わせがありありと目に浮かんでくる。


「本場のカステラ!! しかも良いやつじゃないですか。後でお礼言わなきゃな」


「あ……それはちょっと止めておいた方が……いいかも」


 なぜかくるみが言いづらそうに待ったをかけた。


「つばめちゃん、私と碧くんが知り合いってこと分からないから」


「あ……確かに言われてみれば、まだ話してなかったな……」


 くるみが教えてくれてよかった。うっかり連絡してしまえば、うわさは一瞬で広まりかねない。今まで学校の人全員に秘密の関係を隠し続けたのが水泡に帰してしまうところだった。


「私が最近お世話になってる人がいるって言ったら、その人にもって二人分お土産をくれたのよ。だからお礼は、碧くんの代わりに私が伝えておくから」


「分かった。……けどなんかつばめさんに悪いな。曲がりなりにも知り合いなのに」


 人の好意を受け取っておいてお礼も言わずだんまりというのは気が引ける碧に、くるみは心持ち眉を下げた。


「気持ちは分かるけど……じゃあ私たちのこと、ぜーんぶ打ち明ける?」


「いやぁ、あの人の拡散力を舐めてかかったら死にますよね」


 インスタにある数字の桁を思い出しただけで目眩がしそうだった。


 くるみも苦笑いしながら、静かに手を打つ。


「それなら私から頃合いを見て話すから。契約のことはあまり他言しない方がよさそうだけれど、友人だってことくらいはつばめちゃんになら話してもいいと思うし」


「絶対に他の人に洩らさないって覚書を準備した方がいいのでは?」


「碧くん大げさ。つばめちゃんはそんな言いふらす人じゃないもの。明日始業式でしょう? その放課後に会う予定があるし、話はその時してみるから。カステラのお礼はその後にお願いね」


 相槌を打ち、再び紙袋のなかの長崎銘菓を覗く。


 なんでも珍しい味のカステラの詰め合わせのようで、それぞれ栗やクルミや蜂蜜などが焼き込まれているらしい。

 帰りにお供の牛乳買っていかなきゃな、と頭の中の買い物メモに書き記していると、くるみが横目でじっと見てきた。


「碧くん、目が光ってる。私に負けじと甘いもの好きなんでしょ」


「シェフが家に来てくれるようになるまでは毎日購買のメロンパンで生活していた男を舐めないでいただきたいね」

「もう、不健康。私の目が黒いうちは自堕落なメロンパン祭りは許さないから」


 くるみさんの瞳は黒じゃなくて榛色でしょう、と内心で突っ込む。二週間ぶりに聞く彼女のお小言が、耳にくすぐったかった。


「本当は折角のクリスマスの時にもお料理したかったけど、出来なかったのは残念」


「それ半月早く言ってくれれば飛行機キャンセルしてたのに」


「楽しみに帰りを待つご家族に悪いわよ。けど、いつかは七面鳥焼けるといいな」


「え、フライドチキンじゃなくて七面鳥ですか。すげえ本格的じゃないですか」


 おとがいに指を当て、思い出すように律儀に手順を述べるくるみ。


「刻んだ玉ねぎとハーブと餅米を詰めて、中までしっかり火を通すためにたっぷりのバターを塗り込むの。三時間じっくりローストした時の焼き汁で、グレイビーソースもね」


「うわ罪深い。僕なんでドイツに行っちゃったんだろ」


 聞いているだけで涎が出そうな美味しい話に項垂れていると「そもそも二人じゃ食べきれないから」と丁寧な突っ込みが入った。


「来年つばめさんと僕の友達も呼ぶしかないか。ていうかつばめさんの出身って九州だったんだ。知らなかったな」

「お祖母様が長崎で、お母様が福岡なんですって。小学生の時にこっちに来て、がんばって標準語に直したって言ってたのよ」


「うわーあの人の博多弁聞いてみたいなあ……」


「私も聞いたことないかも。有名なのだと確か、何しよーと? とかよね」


「くるみさんが言うと可愛すぎるから駄目」


 碧が言うとお隣の彼女が、時計の針にいたずらされたように一瞬動きを止め、それからぎこちなく流し目でこっちを睨みながら不服げな声を落とす。


「そんな風にからかってくるなら碧くんのカステラは没収します」


「からかってないし本当のこといっただけなんだけど。くるみさんもカステラ貰ったんでしょ、もう食べちゃったの?」


「……私は昨日頂いたのだけど。蜂蜜のカステラ美味しかったわよ」


「蜂蜜かぁ。けど僕はたぶんクルミが好きかな。ミックスナッツもよく食べるし」


「っ——」


 隣の妖精姫スノーホワイトが、再び——今度は明確に動きを止めた。


「くるみさん。どうしたの」


 名前を呼べば、雪解けしたようにもぞもぞと動き出してマフラーの下に口許を埋める。


 様子がおかしいのはそれだけじゃなく、色素の薄い髪から覗く整った耳朶までもが、誰がどう見たって赤く染まっていた。


 今は何もからかったつもりはないのだが、気に障ったことを言ってしまったのだろうか。あるいはただ、寒さで悴んでしまっただけだろうか。


 なんて考えていると、くるみのか細い声が北風に乗って、狼狽えたようにそよそよと届いた。


「……今のも、本当なの?」


「だから何が?」


「……ばか。知らない」


 なぜか怒ったように、可愛らしい声で罵倒し、つんとそっぽを向く。


 妖精姫スノーホワイト様の原因不明のご機嫌ななめに碧は首を捻るしかなかったが、何よりその罵倒に拗ねたような甘い響きがあって、不覚にもどきりとしてしまう。寒空でもはっきりと分かるほどに生まれた頬の熱を気取られないためにも、彼女がそっぽを向いてくれたのは僥倖だった。



 そのあとはのんびりと電車に乗り、いつもの見慣れた街に到着。

 家に着いた後、年越し直後に交わした正月の挨拶ぶりに湊斗に無事帰国できたことを報告したら〈会えない間に愛は育めたか?〉と返信して来たので〈湊斗のこと?〉と冗談で返したら、ビンタをするゴールデンレトリバーのスタンプが送られてきた。


 学校は明日からだけど、おかげでいつもの日常が一足先に戻ってきた気がした。

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