第40話 「あなたさえ」(2)

 十二月二十三日。


 くるみは案の定学校のいろんな人にイヴの予定を聞かれた。が、予定があるからと全てお断りした。もちろん碧の見送りのためである。


 妖精姫スノーホワイト様に意中の相手が……なんて全くもって的外れで詮なきうわさが跋扈ばっこしているが、くるみに言わせればそんなのありえないことだ。確かに碧のことは憧れの友人と思っているが、これは絶対に恋なんかじゃない。


 確かに最近は男の子として見てはいるけれど、それとこれとは別だ。今まで女の子としか……本当に数少ない何人かの友人としか話すことがなかったから、初めての関係や初めての男の子の友人に、ちょっと戸惑ってしまっているだけだ。


 そうして冬休み前日の全校集会や連絡事項が終わり、年の瀬で浮き足だった教室で解散をしたあとのこと。

 くるみは一人の男子生徒に伝えたいことがあるからと連れられて、人の気配のない第二校舎に連れ出されていた。


 ——寒いな、コート着てくればよかった。


 冷え切ったゆびさきを擦り合わせるが、緊張した様子で目の前を行く男子は気づいていそうにない。

 呼び出しの用件は分かりきっていた。クリスマスのお誘いおよび交際の申し出だ。


 仲良くない人とお付き合いする気はなくて、だからこそ決して思わせぶりはしないよう細心の注意を払って自らの振る舞いをとことん調律してきたのに、こうして未だに告白の嵐は止んでくれない。入学当初に比べればだいぶ収まった方だが、やはり週に一度くらいはこうして誰かに呼び出されてしまう。


 目の前を歩いている生徒だって、正直に言ってしまえば知らない人だ。

 ブレザーの校章の色からして同じ学年なのだろうが、記憶力のいい自負のあるくるみからしても、名前が分からないどころか会話した覚えが一切ない。


 けれど話も聞かずに断るような不義は働きたくないから、くるみはこうして律儀に呼び出しに応じていた。まっすぐに想いを伝えてくるような人であれば、たとえお断りする結果となってもきちんと面と向かって答えを返したい。

 男子生徒は廊下の突き当たりにあたると、今度は階段を半分だけ降り、踊り場でぎこちなくくるりと振り返った。どうやらここで話をしようということらしい。


「それで、お話というのは何でしょうか?」


 なかなか言い出しそうにないのでくるみの方から問いかけると、男子は緊張で汗をたらたらさせながら、しばらく口を開けたり閉じたりして、最後に思い切ったように叫んだ。


「楪さん! 好きです。付き合ってください」


 想定したとおりの告白に、くるみは心底残念そうに眉を下げた。


「……ごめんなさい。私は誰かとお付き合いするつもりはないんです」


「そんな……けど俺は楪さんのこと入学式で一目惚れして、明日のイブは一緒にいたいなって思うんです。楪さんすっごく可愛いし賢いし優しいし清楚だし——」


「そう思っていただけているのはありがたいです。ただ、私はあなたのお名前も存じ上げませんし、話したことだって……」


「じ、じゃあ! 今から互いのことを知っていけばいいんですね?」


 男子生徒はしつこく引き下がろうとしない。


「もしよければお試しで僕の彼女になって、それでもし本当に駄目だってなったなら、それから別れるのでも遅くはないし——」


 それは恋愛においてやや古風な観念を持つくるみとは、到底相容れない考え方だった。

 くるみにとって告白とは、互いに深く愛し合った人同士が確認のために踏まれるやりとりであって、決して嫌がる相手を説得しようとすることではない。ましてやお試しだなんて——

 出てきたのは自分でも驚くほどに冷えた声だった。


「申し訳ありませんが、私は交際するなら本当に好きになったお相手と、と考えています。その考え方にはどうしても、賛同しかねます」


「っ——」


 普段あまり見せない凛烈さに男子生徒が気圧され、仰け反るのをくるみは見た。

 続けて何か言い返そうとしたところで、


「きゃっ……」


 咄嗟に短い悲鳴を洩らしてしまう。

 男子生徒がいきなりくるみの左手を掴んできたからだ。


 手からすべり落ちたスマホが、床にぶつかって鈍い音を立て、階段の柵に当たって止まった。

 どうやら衝動で動いてしまったらしい。くるみが困惑しているのに気づきつつも、放そうとはしない。一瞬やってしまったという後悔が瞳の中に見えた気がしたが、きっと引くに引けなくなったのだろう。


 咄嗟のことで驚くあまり、振り払う腕の力も入らなかった。いくら文武両道と囃し立てられても、こういう時、自分が何だってできる才女なんかじゃなくてただの一人の女の子なんだと思い知らされる。


 一方動けない体に反して、時を置き去りにして思考は加速する。


 頼りたい、一人で全てを賄いたい、完璧でありたい。けれど等身大でありたい。

 あの人には見られたくない、あの人に助けてほしい——


 矛盾した願い、相反した望み、二律背反を体現したような人間。

 求められるがままの完璧な人間であるために、今まで勉強や運動や習い事をひたすら頑張ってきた。気づけば学校では妖精姫スノーホワイトなんて呼ばれる偶像が出来上がっていた。



 ——でもそうなら、本当の私は一体今どこにいるの?



 雪隠れして迷子になって、小さい頃の姿のままきっと泣いているのかも知れない。

 私を見てって、呼んでいるのかも知れない。

 刹那の間に数多もの想いが葛藤となって走馬灯のように駆け巡る。



『じゃあ僕になら助けを呼べるってことですよね』


 彼が言ってくれた、その原動力はなんだろう。

 大抵の人は、くるみに気に入られて視界に入れて欲しいからだった。妖精姫スノーホワイトと呼ばれる才女と一緒にいることが、少なからず自分の地位や評判になると思っているのだろう。

 だからくるみは、余計に誰にも隙を見せなくなった。

 十全十美の重々しい戦装束で、次第に身動きが取れなくなっていった。



『声を上げるのが恥ずかしいならほら、こうしたら助けての合図ってことにしておきましょうか』


 けどあの人はそうやって、いつもくるみを助けてくれようとしていた。

 いくら突っぱねてもまるで心のなかを鮮明にすくい上げられているみたいに、本当の気持ちが筒抜けになってしまっているみたいに。彼は諦めてくれなかった。

 誰にも頼ろうとしない可愛げのない自分を、見返りも求めずにそうやって——



『ああ……よかった。諦めないでいて』


 ウサギのぬいぐるみを貰った日の夜。

 廊下からしんしんと聞こえてきた、彼の独り言にはっとさせられた。

 彼が自分のために何かすることに、そこまで苦心しているとは思わなかった。

 そこまで自分を想ってくれているのは、どうして?

 答えがほしい。

 彼が人に親切する理由を知って、安堵したい。

 もし仮にそれが本当に自分を想ってのことなら。

 ——今呼んでも、来てくれるの?



 導かれるように、腕が勝手に動いていた。空いた右手が、横髪を耳にかける。

 ゆびさきが、そっと頬にふれる。

 こんなことをしても意味なんかないのはわかっているのに。

 彼はもうここにはいなくて、自分一人でなんとかしなければならないのに。



 ——けど彼が。

 あなたさえ来てくれれば。

 それだけで、私は——



「Das haben Sie gut gemacht.」



 聞きなれたはずの、低く柔らかな声が、くるみの耳朶を打った。

 聞き慣れない言葉を、連れ立って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る