無職はあきらめない

『あきらめる』

 この言葉を何度呟いてきたであろうか。

 おそらく何かに挑戦しようとして、うまくいかなくて、自分にはできないと認めてしまったとき――――いや、僕の場合は親に禁止されて諦めることの方が多かった。

 ・・・・・・。

「はぁ・・・・・・」


 僕は結局、好きでもない仕事をすることになった。


 肉体的にも精神的にきつい仕事だ。

 でも、世界ではそんな仕事をする人はたくさんいる。

 だが、その人たちと違う点をあげるならば――――僕には自由がなかった。


           ◇


 阪大病院の馴染の場所である人工池のほとりに僕は独りで考え込んでいた。

 似合わないスーツを身にまとい、手元に握られた雇用契約書を見てため息がつく。

 出勤日数が多く、給料も最低賃金で、税金や乗らない車の維持費で手元には貯金すら残らない。

 母親のなかば強制ですることになった介護職。

 ちなみに言っておくが、ここから恋愛に結び付けるような展開はない。

 現実はそう都合のよくできてないのだ。

 別に僕は恋愛をあきらめているし、そのような願望はない。

 むしろ、一生孤独に生きて、あと十年もしないうちに自殺して人生に幕を閉じることだけを考えて生きている。

 だから、僕は健康に悪いジュースで渇いた喉を潤し、タバコでストレスをごまかした。

「あららスーツ姿とは珍しいですね。その様子だとまだ無職かしら?」

 どこからともなく阪大の女子大生であるババヤガが後ろから声を掛けてきた。

 まるで最初からそこにいたのが当たり前のようにババヤガは存在した。

 そういえば、僕は最後に冷たい態度をして以来、彼女に会っていなかったな。

 僕は無言で手に持っていた用紙を見えるように振った。

「えっ、もしかして働くの?」

「不本意ながらそういうことだ」

「――――そう、そうなんだ・・・・・・」

 ババヤガはどこか腑に落ちないような落胆する声音で反応する。

「なんだ。残念か?」

「だって、幸せそうにはみえないもの」

「・・・・・・」

 僕はなにも言えず、沈黙が続いた。

 どこかで鳥の鳴き声が響き渡り、草木が風で揺れる音が大げさに聞こえてくる。

「生きるって――――難しいよな」

 タバコをふかした。

「私はそうは思わないけど」

 ババヤガはあっさりと否定した。

 おそらく僕と彼女とは生き方や家庭環境、ものの考え、理解者、それらすべてが違うのだろう。

 運があった人生と運のない人生。

 皮肉だが、こう表現するのが適切であろうか。

 すべてに愛されてきたのだからババヤガは、そう断定できるのだ。

 それと同じように運もなく愛されない人生だったから、僕も自分の人生論を断定できる。

「難しくしているのは、あなた自身じゃないの?」

「それは違う。どれだけ努力しても最後には否定され、強制されてしまう。僕の人生に自由はなかったんだ」

「悲劇ずらしているのね」

「こればっかりは僕の人生を知らないお前に対して、何も言うまい」

 僕はババヤガの意見を否定しない。

 だって、理解してもらおうとも思っていないのだから。

「そうやって誰かのせいにして生きていくのね」

「誰かのせいにしないで生きていくのは、よほどの人格者とすべてにおいて器用な奴なんだろうな」

 ババヤガは冷たい視線を僕に向けてきた。

「それって私に対して、嫌みを言っているのかしら?」

「そう感じるのは、お前にそう思う節があるんじゃあないのか」

「・・・・・・」

 僕の指摘にババヤガは唇を噛み締め、小さくなにかを口にする。

 その言葉がなんであるのか分からないが、理解はできる。

「違うっていうんだろう?」

「私の何がわかるのよ。どれだけ辛い人生を送らされたと思っているのよ。どんな思いで勉強して現状を勝ち取って来たのか理解できる?」

 ババヤガは呪詛のように一言一言に過去を、今の苦しみを吐き捨てる。

 だが、僕はそれに同情するつもりはない。

 理由は明白だ。

「僕はお前じゃないから、その痛みを共感することはできない」

 そりゃそうだ。僕は彼女のことを何も知らない。

 彼女の人生を言葉だけでは、すべて知ることは不可能だ。

 その時の精神、状況、心境、をあますことなく同じ苦しみを味わえないのだから。


 だが、その呪いのような過去に対して、僕は否定しない。


 彼女も彼女なりで試練を乗り越えてきた。

 だが、違うのはその人それぞれで試練が異なるのだ。

 同じ悩みでも状況が違えば、乗り越えれる者とそうでない者と別れることだろう。

 たとえば、僕は作家になりたい夢がある。

 この夢は僕以外にもいるだろう。そして親に反対される人もいる。

 ここで反対されながらも自分で道具をそろえて書く人もいれば、徹底的に親が介入して書けない状況まで追い込まれる人もいる。

 僕の場合は後者であろう。

 パソコンを壊され、作業する場所を奪われ、本を捨てられ、夢を否定される。

 だが、そんな悩みをツェねずみのように誰かに惑うてくれとは思わない。

 でも、誰かを恨んで生きることは正しいと思う。

 この不幸は誰かのせいであると思うのは、弱者なりの生きる糧になる。

 そうやって生きていくしかないのだから。

 ババヤガとは悩みは違えど、根本的には一緒なような気がする。

 そんな彼女に出来ることと言えば、僕の価値観を伝えるぐらいしかないだろう。

 ただ、無駄に歳をくって花のない人生を歩んだ一個人の考え方。

「でも、お前がそれで納得してるんだったらいいんじゃない?」

「はあ?」

 ババヤガは呆れた風に睨んでくる。

「だから、お前が乗り越えた過程に納得しているなら、それでいいだろう」

「・・・・・・」

「僕はな――――納得してないからまだ乗り越えてない。でも、お前はと自分で認めた結果、乗り越えた風に思っているだけじゃないか」

「私は別にあきらめてなんか――――」

「本当にそうなのか?」

 ババヤガの言葉を遮るように訊いた。

 彼女は目線を合わせることなく、下の方を見つめる。

 僕は思い出したかのように軽く笑った。

「なんかいつもと逆だな。いつもならお前がこういう話をする側なのに」

「・・・・・・だから無性に腹がたつわけね」

 脇腹にグーパンが飛んでくる。マジで痛いんで止めてくれ。

「まあ、あくまでも今の話は僕個人の教訓だ。お前の人生の糧にするかしないかは好きにしろ」

「あなたから得れる教訓はただひとつ」

 ババヤガは殴るのを止め、握りこぶしを解いた。

「あなたのように生きるのは、人生破滅するってことだけね」

 至極真っ当に断定した。

 まあ、否定はしない。僕だってこんな人生嫌だよ。

 でも、僕からしたらこんな生き方しかできなかった。

 最善とは言えないが。

「なあ、就職祝いだ。ハーゲンダッツ食いに行かねえか?」

「私はそんな安い女じゃないわよ」

「じゃあバスキン・ロビンスのダブルコーンでどうだ? おごるぞ」

 ババヤガは首を横に振る。

「これから授業だから」

「そっか・・・・・・」

 僕は雇用契約書をかばんにしまった。

「それじゃあ、さようならだな」

 僕はババヤガに別れを告げると、その場を後にした。

 なんとなくだが、もう彼女とは会うことはないだろう。

 僕はこれから働くのだから、ここに来ることはもうない。

 タウンワークを取りに外に出る事もない。

 送迎車で仕事場に行くから、道中であいさつすることもない。

 名残惜しむために振り返るとそこには誰もいなかった。

「さて、ひとりで行きますか」

 止まった足が動き出す。

 僕はまだ納得していない。

 ここまでゴミみたいなレールの上を歩かされて、誰が満足するか。

 僕にはこんな人生を清算させるためにやり遂げたい夢がある。

 正直、夢が叶ったら死んでも良いと思っている。

 それが僕が恨んでいる人にとって、最大の仕返し――――いや因果応報ともいえるからだ。

 そう、だからこそ。

 僕はあきらめないのだ。

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