無職は現実を見ない

 空調が効いたモノレールに揺られながら、僕は独り帰路に向かっていた。


 なんとかババヤガ達から逃げ出して、捕まらないよう大金をはたいて、モノレールに乗り込んだ。


 なんだろう。僕の貯金が退職後予想してたよりも、急激に減り続けている。


 なのに僕は満たされない。


 なぜなのか?


 時刻は夕方の十七時を過ぎているのに、日照りはまだ厳しい。


 僕が吸血鬼の男子高校生だったら、間違いなく燃えていたのだろう。


 でも、僕は既にカッパという属性を付与されているから、女の子にモテモテになることはない。


 誰がカッパだ、この野郎。


 エキスポシティから二駅で阪大病院前に到着し、改札口に足を運ぶ。


 普段なら、この時間は帰宅ラッシュの阪大生でごった返すのだが、夏休みで彼らの姿はどこにもない。


 そう思えば、あのババヤガは阪大生だったよな。


 夏休みなんだから、友達と遊べば良いのに。


 あっ、毒舌だから友達いないのか。


 階段を降り、改札を出ると可愛い幼女の後ろ姿が目に入る。


 頭にアルミホイルのかぶとを被り、ぷっくら膨らんだ桃尻が誘っているかのように左右に揺れている。


 夏休みを満喫している証だろうか、半袖半パンから無防備にさらされた肌が小麦色に日焼けしていた。


 ふぅ……。


 まず一言、読者諸君に言っておくことがある。


 犯罪ですよ。犯罪ですからね!


 この僕が無防備な幼女に飛び掛かり、ハレンチな事をしでかすと思ってるだろう。


 残念だが、僕はロリコンから卒業したんだ。


 幼女とは愛でるモノであり、いかがわしい読者諸君の妄想に何人たりとも汚してはならないのだ。


 だから、幼女の誘いにも乗るし、誘われてなくても馬乗りにする。


 即断即決、それが僕のパトスだ!


「会いたかったぞ! 宇宙人ちゃんッ!!」


 僕は幼女の桃尻を顔面で挨拶し、第二成長期の胸と鷲掴みで握手した。


 これがアメリカの変態マナーだ。


「ぎィぁぁぁあやややややややややッッッッ!!!!」


 驚いた幼女の宇宙人ちゃんが反射的に繰り出した後ろ蹴りが、僕の顔面に直撃した。


 ここまでがブリティッシュの変態紳士マナーだ。


 鼻血を吹き出しながら意識が朦朧もうろうとし、僕は倒れた。



 ◇

 


 パチンと頬に衝撃が走った。


 親父にもぶたれた――――ぶたれたことある。


 目が覚めると知らない天井だった。


 オチ的には馴染みの独房だったら面白かったけど、あまりにも綺麗すぎる。


 整理整頓された机、清潔でふかふかな布団、男汁が染み込んだティッシュが一つもないゴミ箱。


 まるで女の子の部屋じゃないかッ!


 あっ、読者諸君。


 今、こう思ったろ。


 童貞のお前が女の子の部屋なんか見たこと無いだろうと。


 馬鹿野郎、女の部屋ぐらい押し入った事あるわい!


「あらら、眠り姫のお目覚めね。いや、ヒキニートが二度寝から覚めただけかしら」


 僕にビンタしただけでなく、辛辣な言葉も容赦なくぶつけてくる鬼婆ババヤガが視界に入ります。


 タオルをターバンのように頭に巻いて、寝間着姿の女子大生です。


 僕から二度もハーゲンダッツを奪った張本人です。


 自称女神と名乗る僕にとって厄病神です。


 僕の頬をビンタしたであろ手を何度もアルコール消毒していました。


 えっ、そんなに汚い手なら僕の頬に触れないでくれるかなぁ。


 キレイな顔が台無しじゃあないか!


「誰がヒキニートだ。僕は無職だ! そんな連中と一緒にするな!」


「どっちもサイテーじゃないのよ」


「あのな。本当のサイテーてのはこういう事を言うんだ」


 僕は枕を掴むと、それをババヤガに投げるでもなく、全力で己の顔面に押し付けて吸込んだ。


 甘酸っぱいフローラルな香りが鼻腔を刺激する。


 ムゥハァーっと、深呼吸をして枕を何事もなかったかのように元の位置に戻した。


「キモチワリィ……」


 生理的嫌悪に満ちたババヤガの邪眼が僕を貫いた。


 てか、この街に邪眼使い多くね?


 コイツに俺の家族とご近所さん、同級生とその関係者。


 ちなみに僕のは邪眼ではなく、邪気眼だ。


 今でも片頭痛で左目が疼くことがあるぜ。


「でっ、どうして僕がお前のベッドで寝てるんだ?」


「私のベッド?」


 ババヤガがキョトンとする。


 ちょっと待て、じゃあ僕は誰の枕を吸引したというのだ……。


 恐る恐るこのベッドが誰のかを尋ねた。


「ああ、それ私の彼氏のベッドだけど」


「か、彼氏? お前、彼氏持ちだったのか!」


 何と言う裏切り、今世紀最大のミステリー体験が五臓六腑に染み渡る。


 こんな奴でも恋愛が出来るのか!


 まぁ、僕も彼女いたのかと読者に言われた事あるから、不思議ではないか。


「嘘よ、男なんて汚い生物なんて家にあげる訳ないじゃない」


「だろうと思った」


 当たり前だ。


 こんな性格の悪い女を好きになる男なんて、いるはずがない。


 そして。


 僕の事が好きな人間もいるはずもない。


「そんでここはお前の家?」


「だとしたら私は今すぐに不法侵入のあなたを警察に通報しているわ」


「じゃあどこだよ」


「残念、私の家よ」


「マジで通報してないよな?」


「どちらにしようかな天の神様の言う通り……」


 オイ、僕の人生をそんなんで決めんなよ。


 お前は痴漢冤罪される男たちの恐怖を知れ。


「そんで僕はどうして、お前の家で、お前のベッドにいて、お前の枕を吸っていたのだ?」


「最後のはあなたがどうしょうもない変態だからでしょう。それよりもあなたがモノレールの改札付近で倒れたかについて聞きたいのですけど」


「倒れていた? 何で?」


「それは私が聞いているの」


 ババヤガは僕の頬を再度ビンタした。


「二度もぶったね! 親にも二度目はぶたれなかったのに!」


 二度目は親に見限られ、邪眼で睨まれるだけだった。


「休みなのに呼ばれた私の身にもなってほしいわ」


「誰に呼ばれたんだよ?」


「あなたの友達と名乗る女性から」


 えっ、待って僕に友達いるの?


 異性どころか同性、家族、ご近所さんからも嫌われているのに、友達がいたなんて……。


 驚愕の真実だ。


 是非、こちらからもお友達になりたい。


「そいつの名前はなんて言う奴だ?」


「知らないわよ。別にあなたの友達なんて興味ないのだから」


「じゃあ、どんな容姿をしていた? 美人だったか? 彼氏はいるのか? ヒモ男を養ってくれますか? 僕と結婚しませんか?」


「あなたって本当欲望の塊よね」


「人間、欲望をなくしたら死の一直線。つまり、僕は人として正しい」


「人として最低の間違いでしょ」


 ババヤガは三度目のビンタをすることなく、邪眼で僕を殺しに来た。


「あくまでも私はスマホで連絡を受けて、助けに来ただけだから。あなたの友達と名乗る女性からね。現場に着いた頃には、宇宙人ちゃんが側にいただけ。だから容姿なんてわからないわよ」 


「そういうことか……」


「あっさり納得するのね」


「何となく誰が連絡したのか分かってきた」


 読者諸君も混乱してきてると思うので、まとめてみよう。


 僕は幼女の宇宙人ちゃんを襲っていた変質者と取っ組み合いをしていた。


 変質者を追っ払った後に宇宙人ちゃんと結婚して、ハッピーエンドを迎えた。


 確かそうだ。そうに違いない。


 だが、その理論はあっさりババヤガに否定された。


 なぜなのか?


「少なくとも宇宙人ちゃんじゃない声だったわ。私よりも年上の若い女性だと思う」


「婆婆のお前よりも年上だったら若くないだろォゴッ‼」


 ババヤガは間髪入れず右ストレートを僕の顔面に炸裂した。


 なるほど、これが更年期か……。


「そろそろオチにいってほしいのだけど」


「オチとか言うなよ。まるで起承転結があるみたいじゃあないか!」


「何言ってるのよ。あなたの場合、転しかないじゃない」


「転しかない?」


「転職失敗、暗転の日々、転落人生、責任転嫁」


「全部悪口じゃねぇか!」


 僕は布団でふて寝する。


「そして私のベッドで転寝ごろねして、これが本当の寝落オチち」


 うまくもねぇこと言うな!


「わかった。落とし所を考えよう」


「三条河原で首を落としたら、けつに直行よ」


「なんで戦国の死様になってんだよ!」


「結構、人気の多い終活の仕方よ。それに一様は終活中なんでしょう?」


「終活じゃない就活だ! それと打首を本望でやってる奴少ないと思うぞ」


「なら私が介錯してあげましょうか?」


「絶対に僕はお前なんかに殺されるのは嫌だ」


 本当に我儘ね、とババヤガは不満を言う。


 そりゃ生きるか死ぬかになれば我儘にもなる。


 僕は重い腰をベッドから上げた。


「じゃあ、僕は家に帰るとするよ」


「沼に帰るのかしら?」


「…………」


 僕はこれ以上ババヤガと漫才をするのは、体力消耗が激しいので無言で彼女の家を出た。


 外に出ると既に太陽は沈み、夏の夜空に覆われていた。


 実家からそう離れていない。


 言っておくが、沼じゃないからな。


 僕は時刻を見るためにスマホを開いた。


 日付が変わっている。


 どんだけ寝ていたんだよ。


 スマホを閉じようとすると着信音が鳴り出した。


 帰宅しない僕の身を案じた両親からと思ったけど、そうではなかった。


 公衆電話からかけられていた。


 どうやら両親から見棄てられたように感じた。


 僕は着信音が止まるまで画面を睨んだ。


 見知らぬ番号からの電話なんて出るつもりはありません。


 子供の時に家の固定電話にかかってきたのを取ったら、父さんにこっ酷く叱られたからだ。


 知らない番号には出るな。


 池沼が電話に出るな。


 もうそれだけでトラウマですわ。


 だから、僕は基本両親からの電話以外でない。


 それ以外は居留守を使っている。


 まあ、両親以外の人から電話なんてかかることないですけど。


 だって、僕は友達がいないから。


 そんなことを思っていると、着信音は止まった。


 なぜだか、僕は安堵のため息をひとつついた。


 それを確認した僕はスマホをポケットにしまい、また帰路に向かって歩き出した。


 台風が来ているのか風が強く、木々の枝が大きく揺れる。


 ただし、ビックモーター前の木々は一本もなかった。


 なにこれ怖い。


 その恐怖心を掻き立てるようにポケットから着信音が鳴り響く。


 スマホを取り出し、画面を見るとまた公衆電話からだった。


 なにこれなにこれ怖い怖い。


 深夜に木が一本も生えてないビックモーター前で、鳴り響く着信画面を見ているカッパの僕。


 情報量が多すぎて、怖くない。


 着信音は一向に鳴りやむ気配はない。


 意を決して電話に出る事にした。


 開口一番に喋ったのは僕だった。


「ダスビダーニャ?」


『えッ、何? いきなりロシア語』


「ウォーシーリーベンレン!」


『今度は中国語?』


「コンギョ!」


『どうやら赤い思想の持主ですね』


「チョンパァ!」


 勝利の右こぶしを高らかに夜空へと掲げた。


『なに馬鹿なことしてるんですか』


「えッ、どこから見てんの!?」


『受話器越しでもバカ丸見えです』


 どうやら僕の阿保な行動は電波に乗っていくみたいだ。


 これをネットサーフィンという。


「で、お前誰なんだよ」


『オイオイ、今日一日散々会話パートに出てきた友達のことも忘れてしまったのかい? 私ですよ私!』


「・・・・・・ハンバーグだよ?」


『誰がハンバーグ師匠だ。おこのみよ』


 いや誰だよ。マジでわかんね――――あぁ、もしかして昼間のエレベーターでババヤガと一緒に罵倒してきた奴か。


「ゴメン。ハンバーグにはオタフクソースをかける派なんだよ」


『ソースの話じゃない! 私の名前! 尾子野美余おこのみよ。小学生の時のオコノミって呼んでたでしょ!』


 受話器越しに自己紹介と怒りをぶつけてくる。


 こいつも更年期かな。


「すまんが同級生の名前何ていちいち覚えていない」


『だから友達だって!』


「残念だが僕に友達はいない。人間強度が下がるからな」


『アンタは昔からメンタル弱いくせに何言ってんだが。六年生の冬にバイキンタッチでイジメられて卒業式出れなかった癖に』


「オイ待て、どうして僕の黒歴史を知っている!」


 どうやら彼女が僕の事を知っているのは本当のようだ。


 だとしたら、僕が不登校になった原因であるバイキンタッチを広めた主犯格も知っているのだろうか。


 そいつだけは絶対に許さん。


『だからウチはアンタの同級生で、六年間同じクラスで、唯一の友達だったでしょ!』


 おかしい。


 本当に小学生の時に遊んだ友達など一人もいないはずなのに。


 現に友達という認識であるならば、僕はその名前を後生大事に家の柱に刻み込んで、ご神木のようにたてまつっているはずだ。


 ソースは元カノの名前を自分の部屋の柱に刻んだことだ。


 おかげさまで部屋の四隅の二か所には、二名様の元カノのフルネームが彫刻刀で記されている。


 もし尾子野美余が友達であるならば、その名が刻まれていないのは道理がいかない。


 だとしたら、考えられるのはひとつだ。


 向こうが一方的に友達と思われているということだ。


 まったく迷惑千万だ。


 よくいるんだよ。勝手に友達と思ってなれなれしい態度をとっていると、ある日相手から友達じゃないからヤメテくれと言われるのを何度も見てきた。


 まあ、言われたのは僕なんですけど。


 そんなトラウマの幼少期を送って来た人生に友達がいるのならば、何かしら遊んだ記憶があるはずだ。


 僕は彼女が本当に友達かどうか見定めるべく質問をした。


「お前が友達というなら、僕とどんな事をした?」


『どんな事って言うと――――ずっとボッチな君にも良い思い出をとウチがバイキンタッチを広めて遊んであげた』


「それはではなく、もてあそんだというんだ! てか、お前かよ犯人は!」


「ウチは楽しかったよ。アンタが不登校になるまでは」


「こっちは全然楽しくねえよ」


 コイツは友達なんかじゃあねえ。


 ただの虐めっ子じゃあねえか!


「あっ、もうそろそろ時間だから、またこっちから連絡するわ! それと――――」


 クスっと笑いをこぼしながらオコノミは言葉を続けた。


「またあの可愛い彼女ババヤガさんによろしくね」


「二度と電話してくるなッ!!」


 僕は怒りで電話を切ると非通知からの着信拒否設定をしておいた。


 はやく家に帰って寝よう。


 またトボトボと歩み始めた。


 なんで僕の人生はこうロクでもないのだろうか。


 幼少期の数えきれないトラウマ、彼女に振られたことで二度の退職し、無職になっても変な連中に絡まれる日々。


 まったく、いつまで僕は現実を直視できないほどに残念な人生を送らねばならないのだろうか。


 いや、現実を見なかったから、こんな酷い人生を送っているのだろうか。


 その根幹にあるのはいつも夢があったからだ。


 ただ、夢が叶わないから、結果がついて来なかったから、今の現状なのだ。


 だから、僕は思ったのだ。


 僕は現実を見ないじゃない。


 僕はまだ現実を認めないのだと。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る