美味しい牛乳はいかがですか?

「実際ニハ、辛サヲ感ジルセンサー「TRPV1」ガ反応スル食前ナドニ、牛乳ニ含マレル『カゼイン』トイウ成分ヲ摂取スル事ニヨッテ、ソノ辛サヲブロック出来ルト言ワレテイル」


 『辛い時は牛乳が良い』と親切に哺乳瓶を渡してくれた謎の幼女に、そんな機械交じりのうんちくを垂れるのはもはや身も心も無機質な機械に侵食された冷淡な男:械動攻機かいどうこうき

 要するに、辛さを感じてしまった後ではもう何を摂取しても後の祭りだと、君の行為はすでに手遅れだよという風に、このデリカシーというか優しさというか大事な何かが欠如している機械は婉曲えんきょくに言っている。

 それを聞き「そんなぁ」とあからさまに悲しい顔をする幼女を尻目に、別に辛さ云々の話ではない。液体による喉の潤いと、何でもいいから別の味で舌の上を上書きしたかった俺は急いで哺乳瓶を受け取るとそのおしゃぶり部分を外し、まるで銭湯の風呂上がりかのような勢いで牛乳をがぶ飲みした。


「プハーァッ」


 と快哉かいさいに飲み干した俺の口元には、お約束の白髭がつく。

 そうして少し落ち着きを取り戻し二人より少し遅れて状況を飲み込んだ俺は、改めて何ともベストなタイミングで牛乳をくれた幼女を拝む。


 その年の頃5、6歳であろう女の子は、まるで新鮮な牛乳の擬人化のように白くっ透き通った長い髪・肌をしており、そのワンピースもストラップサンダルもすべてが一寸の穢れもない白。

 一瞬、《牛乳の精霊》かに思えるほどだ。


「お嬢ちゃん、お名前は?」


「みるくの名前は〈佐藤みるく〉!みんなに、美味しい牛乳を飲んでほしくて配ってるの。お姉ちゃんと、ロボットさんも美味しい牛乳はいかがですか?」


 注木そそのきが尋ねると、まさかの名前すらも〈みるく〉。まさに牛乳を愛し、牛乳に愛された幼女だ。


「お姉ちゃん!?お姉ちゃんも頂くっ!」


「俺ハ、喉ハ乾カナイノデ大丈夫ダ。機械ダカラナ」


 元気よく手を挙げた注木と、それはもはやお決まりとなった便利な常套句じょうとうく『機械ダカラナ』で断る械動。


「えぇ…、ロボットさんは低脂肪の方が良かった?」


 そんなアンドロイドにみるくは泣きそうな顔をし、上目遣いと甘い声で問いた。


「イヤ、ソコデハ無イ」


 【A・Vアナザー・ヴィスタ】が誇る優秀なAIは、アバター作成時の心理テストでその人間の性格・趣味嗜好しゅみしこう等々を正確に読み取り反映させるのだが。

 おそらく現実でのこの男か女かも分からない(一人称が『俺』だから多分男だろう)人間は、冷静沈着で頭が良く手先などは器用だが、その感情は希薄で人の心情が全く読めない無神経で無慈悲な為人ひととなりをしている。と、この出会って数時間で分かった。


 シュンッと項垂れる幼女を見てると人でなしの俺ですら思うところがあり、注木と揃って「ちょっとくらい飲んでやれよ」という目線を冷徹な機械に向かって送る。

 さすがのアンドロイドもその視線に耐えかね、


「ナラ、頂コウ。低脂肪ノ方ヲ」


 ついには重い腰を上げ、見事にその変な拘りをへし折ってやった。

 械動がそう口にするやいなや、みるくは子供特有のまるでアシュラかのように一瞬で表情が遷移せんいし満面の笑みとなる。

 そして一つ、

 そして流れるように、目の前のくうを操作する指使いは何となく見覚えがある。俺達にはその目の前にある『何か』が一切伺えない状態だがほぼ間違いなくそれは、全【A・V】プレイヤーが例外なく有しているであろう《ステータスウィンドウ》だ。

 一種の個人情報とも言えるステータスウィンドウは、設定で第三者にも閲覧できるように変更可能だが、デフォルメの設定としては非公開だ。よって、今俺達にはそのウィンドウが見えていない。

 まあ別に住所や電話番号などバレたらまずいもんが書いてあるわけでも無いし、男の場合は有名人くらいしか非公開する意味はあんまりないのだが、女に至っては少し違った。

 その個人情報は身長・体重からスリーサイズまで記載されるので、女子からしたら隠したいのは必至だし。何よりそこには自身ユーザーIDも載っているため、もし見られようものなら女子プレイヤーとやりたいという出会い厨からのフレンド申請が鬼のように送られてくるだろう。さらにはこんなご時世であるし、何か他にもっと恐ろしい悪用方法があるかもしれないので、非公開設定は必要なのだ。


 しかしまあ、こんな子供ですら【A・V】をプレイしているのだから、やはりその知名度と人気は計り知れない。とそんな感心に浸るのも束の間、それはさらなる驚きが俺達を襲う。

 ウィンドウ画面を操作し終えたみるくは何もない空中から2つの哺乳瓶を顕現させ、さらに淡い光を宿したその手から純白の牛乳を放射?放乳?し始めた。


(おいおい嘘だろぉ)


 それはまるで炎や水、雷や土などの能力を掌から迸発ほうはつさせるのと同じ要領で繰り出される。

 まだ人畜無害、純粋無垢な幼女で助かったが、これが年期の入ったおっさんであろうものならその絵面は完全にアウトだった。

 そして同時に、俺は密かに思う。『何だ、この能力は?』と。

 その能力の全貌を見たわけでは無いので何とも言えないが、分かってる限りでは牛乳を生成するだけの能力。【A・V】にはこんな能力もあるのか。

 他人の、しかも子供のステータスや権能にあれこれ言うのはナンセンスかもしれないが、少なくとも俺からしたら、これはの部類に入る。


 【A・V】の最も長所と言え同時に短所とも言えるシステムは、やはりその唯一無二のAAアナザーアバターと権能だ。

 性別までは変える事は出来ないが、その現実世界の自分とは少し違った外見や服装、他の人が扱う事の出来ない能力がその存在意義や特別性を見出す。

 しかしそれは、リセマラ不可。AIによるランダムでの一発勝負。

 そこで気に入らないAAや権能を引いてしまう事は十分にあり、プレイヤーが一気に萎えてしまいもう二度とプレイしなくなってしまうというのはざらだ。

 当然、そのAAの一部のパーツを変えられるキャラメイクや、星の数ほど存在する《スキル》で他の好みの能力を新たに習得する事も可能だが、言ってしまえばソレは誰でも生成できる量産型アバター。やはりその『特別性』には適わない。


 そのシステムについては、まさにどのゲームでもあるように賛否両論だった。

 所謂ハズレアバター・能力を引いた際には公平性やモチベに関わる為、その仕様自体失くすべきだという一般層の意見に対し、それを差し引いてもやはり自分だけのアバター・能力は魅力的だし、やはり運試しの一発勝負にそそられる。理論上どの能力も使い方次第で優劣は無いと運営が公言してるのだから、弱いのはお前らのプレイスキルが無いと煽るゲーマー層。

 そんな風に、おそらく一生終る事のないであろう贅論ぜいろんがネット上にて永遠と繰り広げられているのが2年前の光景だった。現在では少しは緩和されたのだろうか。

 とまあ少し話は逸れたが、要するにどちらかと言えば俺の思想は一般層よりで、自分だけの特注の権能が『使えない能力』だった際には、直ちにログアウトしてそのソフト片手に『ゲームを売るならGAME‐OFF』に猛ダッシュするのは必至。


 しかしこれもまた、先程の械動同様に、高性能AIが適切に仕事をした結果なのだと言える。

 小さな子供がその為人を判別されたのなら、そのあまりの無害さに権能牛乳生成になってしまうのもまあ頷ける。

 加えてこの年頃の子供達のゲームに対するモチベーションやプレイングは、もはや一般的なゲーマー達には到底理解できない次元にあり、ストーリーや目標などはフル無視で自分達の好きな様にストレスなくプレイできればそれでいい。

 おそらくこの牛乳が大好きな幼女はそのプレイスタイル:スローライフ型を選び、牧場や酪農スキルがなくとも一発で牛乳が生成、あるいは乳製品全般の特化型AAになった。

 どんなに変な見た目、弱い能力であっても自分がそれを気に入り、楽しくゲームがプレイできていたのであればそれに越したことはないだろう。


 今の戦闘が第一になってしまったこの世界ではまあ戦力にはなり得ないだろうが、逆に元々戦えない・戦わせちゃいけない子供達には安全で丁度良い能力とも言えた。


「いただきまーす!」「アリガトウ」


 出来上がった牛乳を注木と械動が受け取ると、俺はその機械がどうやって液体を飲むのか気になり横目で見つめる。

 すると械動は腕からチューブのようなものを取り出し、哺乳瓶へ取り付けるとそのまま牛乳を吸引。


「それで飲んでるの?」


 さすがのみるくも気になったのか、不思議なモノを見るような視線で尋ねる。


「ソウダナ。私ハ口ガ無イカラ、コレヲ通シテ体内ニ投与シテルンダ」


 やっぱそんな感じかと二人の会話を眺めつつ、初夏の清々しい空気に充てられていた俺はまさに超久しぶりとなる運動と昼飯を食べた事により、急激な睡魔に襲われる。

 

(まあちょっとくらい寝ても怒られないだろ)


 初回からそんな肩肘張ってかっ飛ばしても後でバテるのがオチだし、人間には睡眠は必要不可欠だ。昼食・昼寝までが『昼休み』と言える。

 そんな免罪符を自分に言い聞かせながら俺は心地よい風に吹かれ、風呂敷の上で贅沢に寝転ぶとまるで気絶するかの如く一瞬で意識が遠のいていくのを感じながら、深い眠りに着くのだった。


 *****


「……イ、…オイ、『フェニックス』。イイ加減起キロ」


 そんな今日何度目か、デジャブとも思える機械交じりの目覚ましで、俺の意識は覚醒していく。何だかすごく気持ちが悪い。


「ゲホッ、ウォエッ、此処、何処?___てか寒っ!」


 空き地で特訓をし昼休憩中にそのまま寝入ったところまでは覚えているが、それからの記憶がまったくない。もしや居眠りした罰で〈極寒の刑〉かと、肩を縮こませ両腕を擦りながら俺は械動に尋ねる。


「ドウヤラ、シテオクタメノ、バカデカイ冷凍保管庫ノヨウダナ」


 そう淡々と告げる械動の言う通り、辺りは一面の銀箔に包まれ所々に冷気が立ち昇り、加えて季節は暑さが滲み出て来た初夏の筈が、体感真冬の北海道くらい寒い。


(なんじゃ、こりゃあぁ?)


 さらにはがいくつも吊るされおり、棚には生肉がキレイに並べられていた。まさか人肉では無いだろうなと、不審な物を見る目つきで辺りを窺っているとそこには注木の姿があった。___佐藤みるくの姿は見当たらない。


「おい、俺らは空き地でロリとくっちゃべってた筈だぞ。何でこんな所にいんだ?」


 全くもって不明な経緯いきさつに、思わず苦言を挺する俺。


「ソレニツイテハ、此処ヲ脱出シテカラ話ソウ」


 そう言って、械動の視線は俺と同じ注木へと向けられる。

 それは出会ってから絶やすことなく元気溌剌はつらつだったナース少女が、初めて見せるかなり衰弱した姿。

 一瞬躊躇われたが「思春期を発動してる場合じゃない!」と触れた身体は、とても冷たい。


(……そうか)


 よくよく考えてみれば、人間を保冷しておくための保管庫がくらいの寒さで済むはずが無い。

 おそらく俺がそう感じたのは、このAAの特性によるもの。フェニックスと謳われるだけあり、この体内には充溢じゅういつなる炎が蓄積されてる。

 そのため基礎体温は人間の時より大分上がっており、人の倍は喉が渇いたりする。

 械動の方も空き地に行く前言っていた『寒さを感じない』という体質が功を奏し、俺と械動の場合はこの保管庫の中でも平常でいられるが、こんな薄着且つナースという寒さに耐性のないAAである注木射恋いこいは違う。


 完全に凍結し手遅れになった状態が、今吊るされている人間達。

 あれらを10と表すなら、今の注木の状態はおそらく3か4。息はあるし、全身は冷え切ってはいるが凍ってるところは見当たらない。どうやらまだこの保管庫に入れられてから、そんな時間は経っていないらしい。

 たしかに一刻も早く此処から出してやりたいが、___とそこで、凹凸おうとつ一つないフラットな保管庫の壁に、一部分だけ長方形に区切られた場所を見つけ、械動はその壁の前で足を止めた。


「オソラク此処ガ出入口ダ。本来ナラコチラ側カラハ開かない仕様ニナッテイルダロウガ、今回ハ相手ガ悪カッタナ」


 こういう冷凍庫などは通常、中から扉が開かないようになっているのが一般的。なら俺達は完全にここで詰んだと思われたが、何か械動が扉の前でガチャガチャやり始めると一分と経たずして冷凍庫の扉は開錠され、その重厚な金属をゆっくりと横にスライドさせていく。

 これが、殺戮アンドロイドとして失敗作のレッテルを貼られた、サポート型ロボットの真価。

 この主にサポートを専売特許とする械動攻機こうきは、こういったメインアタッカーが嫌いそうな、所謂地味な作業を得意とする。

 たしかに、殺戮マシーンとしては少々不良品ではあるが、これはこれで別のベクトルでかなり有能と言えた。


 外に出るとそこは、何とも恐ろしい引き籠りニートの部屋よりも陰鬱いんうつ禍々まがまがしく冷たい二畳ほどのスペースに、目の前にはボタンや高さからしてエレベーターと思わしきドア。


「此処ハ、トアル教会ノ地下ダ」


 そわそわと落ち着かない俺に、械動は断言するようにそう言った。


「協会?」


「アア。実際ニハト合併シタ教会ダ。我々ガ飲マサレタアノ牛乳、アレニハ睡眠薬ガ仕込マレテイテ、ソレヲ飲ンダ我々ハマンマト嵌メラレ此処へ運ビ込マレタトイウワケダ」


 そう淡々と説明されるが、到底理解できない事が多すぎて俺は顔をしかめる。


「あの牛乳に睡眠薬?あのみるくって幼女が俺達に盛ったって事か?何の為に?

 それに何で此処が教会だって分かるんだ?」


「私ハ機械ナノデナ、人間ガ効クヨウナ一般的ナ薬ハ通ジナイ。狸寝入リデアノ幼女ニコノ教会マデ運バレルノヲ、コノ眼デタシカニ確認シタ。

 因ミニ、流石ノ『ナース』モ牛乳ノ中ノ睡眠薬ニスグニ気ガ付キ特効薬ヲ自分ニ打チ込ンデイタ」


 つまり、本当に寝かされてたのは俺だけで、あの突然の睡魔も睡眠薬によるものってことか。


「俺ト『ナース』ガ寝タフリマデシテ此処ニ連レテコラレタ理由ハ、今『フェニックス』ガ言ッタヨウニアノ少女ガ我々に薬ヲ盛ッタ訳ヲ知ルタメダ。モシカシタラ入隊試験前ニ、トンデモナイ事件ニ巻キ込マレタカモシレナイナ」


 おいおい冗談じゃない。こちとらまだ技の一個すら習得できていないのに、事件何てまっぴら御免だ。___その相手が例え幼女だったとしても。


「何ニセヨ、地上ニ上ガラナケレバ何モ始マラレナイ」


 そこで視線を、エレベーターへと移す械動。まあ、こんな気分の悪いところ一刻も早く抜け出したいのは俺も同感だ。

 俺が辛うじて出せた仄かな灯で冷え切った注木を温めていると、そこでまたもや何かコソコソとやり始めた械動。

 本当にこういう細々とした作業が好きだなと見ていればそれは、エレベーターのドアをこじ開ける作業だった。


「え、何やってんの?まだ(エレベーター)来てないよ?」


「ン、ケージノ事カ?。アンナモノヲ使エバ音デバレル危険性ガアル、自力デ昇ッテイクゾ」


 と、そんな信じられない事を言い出すロボット。


「?、俺は此処で留守番ってこと?」


「背中ノ翼ガアルダロ」


「これは2年前に一度だけ使えたっきり。さっき何回か試したけど飛べないどころか羽が開きもしない、ただの御飾りだよ」


「……ナラ、私ニシガミ付ケ」


(……おいおい、嘘だろ)


 それから当然のように駄々を捏ねる俺にその安全性を証明し、納得させるまでおよそ20分。限りなく無駄な時間を消費する俺達だった…。

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