現実(リアル)とゲームは混同する

 そのナースはクリッとした大き目な瞳に、クリーム色の少し緑のグラデーションが掛かったショートボブ。相好そうごうはかなり整っており、おそらく綺麗系ではなく可愛い系に分類される美人ナースだった。


 出会ってまだ数分しか経っていないが、もうすでにその快活さ溢れる元気・眩しさが彼女を『陽の者』だという事を物語っている。

 根っからの隠キャであり、今目な前にいるような地球外生命体陽キャが大の苦手である俺は、一刻も早くここから逃げ出しいとしのマイルームへ帰りたいのだが………、


 それは突然、ナースが何処からか顕現させた1メートル弱の注射器を急に手に携え、素早く俺の太腿へと突き立てて来た。


「ギャアアアアアアアァァァァーーーーーーッッッッ!!!!!」


 反射的に力の限り情けなく叫んでしまった俺は、しかしすぐに気づく。という事に。


「アハハハッ!これは今日の分の栄養剤だから安心して。この2年間、君の身体が腐らないように私が毎日欠かさず投与して来た薬」


 そう言って舌を出して、『テヘペロッ』とウインクするナース。


「……それにしても、今の慌てよう。ププッ、おもしろっ!」


 加えて、嘲笑うかのような不敵な笑み。横になった身体にあんなものを急にぶっ刺されたら、誰だってビビるだろう。

 「これだから陽キャは…」と何年かぶりに味わうその身勝手さにうんざりしムカつきそうになるがしかし、俺の中では悔しいかな苛立ちよりもその可愛さがまさってしまった。

 ナース服でのその仕草は、もはや反則的と言える。

 同時に、さっきからやたらと鬱陶しく動くたび鼻腔びこうくすぐってくるシャンプーのような芳香ほうこうも、まあやぶさかではなかった。


 しかしながら改めて今のこの現状を整理してみると、それはどこぞやの病院の一室という個室で、初対面の女子と至近距離での二人きり。

 これがゲームの世界ならばいざ知らず、こんな見知らぬ場で、注射器をブン回すような女に、無抵抗かつ無防備な姿を晒すというかなりヤバめな状況だ。


 だがさっきの『栄養剤』と銘打って投与された薬剤は、俺の脳や思考を麻痺させる成分でも入っているのか、先の謎持論を肯定するかのようにこの女ナースは怪しい者ではないと勝手に判断。無理矢理許容してしまった。


「あっ、そういえば自己紹介がまだだったね。

 私の名前は、注木射恋そそのきいこい。ピッチピチの17歳JK!身長は155センチ、体重はナイショ♡。

 気軽に射恋様でも、射恋姉さんでも、射恋大統領でも好きなように呼んで♪」


 聞いてもいない事までペラペラと公言していき、その動作はいちいち鬱陶しく…、良い匂いがする。


 ………それにしても、2年越しに蘇りこの注木射恋と出会ってまだ一時間も経っていないこの状況で、早くも一大イベントが来てしまった。

 初対面の女子の名前の呼び方。それは、今後の関係性を大きく分かつ大事なターニングポイントとなる。

 本人は『様』、『姉さん』などを希望しているが、初っ端からそれは俺には難易度が高すぎる。

 かと言って『名前+ちゃん』付けはちょっとキモいだろうし、キャラ的に『名前+さん』という柄でもない。『大統領』に至っては…、さては本当にそう呼ばれたいとも思っていないだろう。


 もし俺が言われたら、折角蘇ったこの命をもう一度捨てたくなるくらい恥ずかしい。

 さすがに場を和らげるためのジョークとして、俺ら隠キャの定石ならやはり馴れ馴れしくなく違和感の持たれずらい『苗字+さん付け』。が、ここは無難ではあるが……。


(ハッ!?)


 と、何を俺は真剣に考えているんだと愕然とする。

 いくらゲームと現実が混同したと言っても、そのジャンルは『恋愛シュミレーション』じゃない。

 ここでの関係はただの患者と、それを看病するナース。

 見たところ特に身体に異常は感じられないし、医師からのGOサインが出れば俺は即退院で、即帰宅。もう二度と会うこともないのだ。

 そう思った途端なんだか考えるのがバカらしくなり、


「じゃあよろしく、


 結局俺は苗字さん付けを選択する。……しかし、


「え〜。なんか私、シンプル苗字呼びにさん付けって距離感じてちょっと嫌いなんだよね」


 本人にはめさなかったようで、そんな不満を提言してくる。

 たまにいるんだよなあ。苗字だと距離感じるからと言って、友人ヅラでやたらと下の名前で呼び・呼ばせようとする輩が。特に陽キャに多いイメージだ。(偏見です)

 余計なお世話だってのに___まったく。

 と久しぶりに人と会話した事によって蘇ってきた卑屈さに浸っていると、「まあいいか」と呟いた注木さんが今度は急にコチラに視線を向けてくる。


「じゃあ私は、君の事『しらタカ』って呼ぶね」


(………は?)


 俺は、自分の耳を疑った。

 こちらは初対面かつそんな長い期間関わる事が無いため苗字さん付けで呼んだのに対して、まさかのあちらはいきなりのあだ名で呼び捨て。

 おそらく不知火しらぬいの『しら』と勇鳳の『たか』をとって『しらタカ』。

 だがそのイントネーションには、若干の違和感が感じられた。


「しらタカ⤴︎?」


 俺はいまだに凝視してくる瞳を正面から見返す事ができないまま、再確認するように尋ねる。


「そ、しらタカ⤴︎!

 他にも『しらしら』とか、『勇鳳丸はやたかまる』とか、シンプル勇鳳も捨て難かったんだけど、

 選ばれたのは、しらタカでした!」


「おい、確かにそのイントネーションだが、その言い方やめろ」


 前言撤回。こいつのネーミングセンスはかなり壊滅的な事が、今ハッキリと分かった。もしかしたら『大統領』も、結構本気で狙っていたのかもしれない。


 勢い余ってタメ口気味に突っ込んでしまったが、まあこちらの方が歳は一つ上なので問題はないだろう。加えて、そのふざけたネーミングもやめさせておく。


「あだ名とか別にいらないから、普通に不知火って呼んでくれ」


「え〜、しらたまみたいで可愛いのに〜」


「別に可愛さとか求めてないんで」


「じゃあカッコ良く勇鳳ま……」


「不知火で!」


 未だ食い下がろうとする注木を一蹴すると、「ちぇっ、何だよ。私の意見は聞かないくせに」とか何とか、頬を膨らませながらブツクサと呟く。


 実を言うと、俺は自分の名前があまり好きではない。

 『鳳凰のように勇敢であれ』。そんな願いが込められて付けられた名はしかし、実際は現実から逃げるように引き籠り勇敢の『ゆ』の字も見当たらない。

 見事に、名は体を表さなかったというわけだ。


「そんな事より、早くその話ってやつを聞かせてくれよ」


 いつの間にか脱線した話を戻すように俺が言うと、注木は思い出したかのように「ハッ!」とした表情をする。

 どうやら名前を考えるのに必死で、本題を忘れていたらしい。


「んじゃ、まずは君が死んでた2年間の事を説明するね。って言っても、何処からどう説明しようかな」


 何処からかご丁寧にホワイトボードを持ってきて、差し棒を構えメガネを装着する注木。

 実際に『死んでいた』のは事実だが、その言い方は何だか世界に置いて行かれたような、変な感じがした。

 そんな俺を尻目に、話す事がまとまったのか注木が話始める。


「勇鳳が死んだ日から、今日で約2年。あの日から、この世界では様々な動きが見られてる。

 まず現実であるこの世界と、ゲームである【アナザー・ヴィスタ】の世界が完全な混同。

 この現象を混同コンヒューズと、世界は呼んでる。

 コンヒューズに関してゲーム開発陣は知らぬ存ぜぬで責任の一切を取らないと放棄し、世界政府は今血眼になって原因の究明をしているものの、その一切が不明な状況。

 大体の予想はまあ、2年前の3周年を迎えた時の大型アップデートだと睨んでるけど。

 今分かっている事と言えば、そのコンヒューズにより【A・Vアナザー・ヴィスタ】で存在していたマップやモンスターが世界中に顕現し害を成しているのと、私達プレイヤーは『DIVE・IN』と唱える事で現実でAAアナザーアバターに変身し、その能力をゲーム内同様にこの|《《・》で扱えるという事だけ」


 コチラの意見ももはやガン無視で、ファーストネーム呼び捨てのタメ口でそう話す注木を大目に見て、俺は死ぬ間際の事を思い出す。

 今の話が事実なら、ディアベルク、AAへの変身、ホログラムウィンドウ、2年越しの蘇生などすべての異常現象の合点がいく。


「あの日、世界が混同してから現在まで、【A・V】の世界はすでにダイブできなくなってる。要はあのだった世界がまるごと現実世界に反映されたってイメージなのかな。

 さっき世界は大きく変わったみたいな事を言ったけど、敢えて言うならこの2年で変わった事はたった一つ。

 【A・V】の世界がコンヒューズしたってことくらい」


 『変わったのはたった一つ』。確かにそうだが、それがこと【A・V】となればその自由さによってやれる事は無限大。現実に及ぼす影響もまた甚大だった。


「現在は結構落ち着いてきた方だけど、混同当時は度重なる地形変動、異形の怪物達の出現にその他たくさん、突然起こったこの異常現象の所為せいでまあ当たり前だけど、世界は完全に大パニック状態。

 世界を動かす機関が揃ってその機能を低下させ、おそらく人類史上トップクラスの社会崩壊となった。

 ……その総死者数は、分かってるだけでも全世界500万人越え」


 注木はそこで初めて見せる哀愁あいしゅうの顔で、悲しそうにそう語った。


「元々【A・V】をプレイしてなくて【AAアナザーアバター】を持っていなかった人は勿論、持ってる人でもゲームみたいにその能力をうまく使って戦う事はできず、危険度最低ランクのあのスライムにすらボコられちゃうレベル。

 ……おそらく、アイポイちゃんもそうだったんじゃない?」


「………ッ」


 それは、思い出したくない事を敢えて尋ねるように、注木が申し訳なさそうに問う。

 仰る通り。ゲーム内で一度ディアベルクを下しているアイポイこと不知火愛凰あおは、現実の世界ではその魔神に手も足も出す事ができず、完敗し殺されてしまった。


 しかしそれは悔しいが、もはや初見殺もはなはだしい程に、抗いようのないだと言えた。

 世界の猛者達と戦って来たトップクラスの格闘家でも、普段山の奥地で獲物を狩っているハンターでも、明日を生きるのもままならず日々デスマッチを繰り広げている裏社会の人間達だろうとも、いきなりあんな異形で凶悪な怪物が目の前に現れ、身に宿った能力を駆使し撃退しろと言われても、生死を賭けたその戦闘に恐怖や緊張で足が竦み動きは鈍ってしまう。

 ゲームと違い生身への痛みもあれば、身体補正による超常的な動きもできない。初っ端から倒せるクリアできる人間など、おそらくいないに等しい。


 限りなく現実に近い体験ができると謳われていたあの【A・V】でも、やはり実際の現実との乖離はかなりデカかったようだ。


「けど人類も、このままやられっぱなしで黙っちゃいない。

 世界政府も本格的に動きだし、新たに対A/V攻略部隊、通称【Sensationセンセーション】を設立。

 その主要戦力となるメンバー達の活躍で、人類はこの2年間なんとか怪物達に滅ぼされず根強く存続してる。

 ちなみに、私もその【Sensation】第五小隊:《Sourサワー》に所属する一員!この姿もAAで、rollは《バトルナース》。戦えて回復も出来ちゃう、結構つよつよナースちゃんです!」


 と後半はやけにテンション高めで、説明してくるエセナース。

 薄々は勘づいてはいたが、やはり注木のこの姿は本物ナースではなくAAらしい。


 一度は崩壊寸前まで追いやられた人類だが、しかしそこでAA達が集う部隊を作りその最もの対抗手段とも言えるAAの能力を研鑽し起死回生。なんとか反撃の狼煙を掲げここまで繋いで来たという訳だ。

 だが話はそれだけでは終わらず、注木はさらに暗い顔を見せる。


「今じゃ人類一丸となって、モンスター全面駆逐に全力を尽くしてる。って、言いたいところだけど……、

 今世間でその怪物達と同等かそれ以上に重要視されているのが、AAの能力を悪用する害悪プレイヤー達。

 ほら、よくいたでしょ。現実世界で上手くいってないんだろうなあっていう、暴言厨とかトロールとかスナイプゴースティングとか。そういう類の連中がコンニューズで得た力で、どの街・国でも害悪プレイで暴れ回ってるってわけ」


 ここまで聞かされれば、この2年の大体の世界情勢___、ゲームのあらすじが分かる。


「なるほど、ね」


 となれば、あと聞き出したい話は二つ。


「愛凰が〈アイポイニクス〉だって、何で知ってるんだ?」


 先ほど注木自身の口から『アイポイ』という名前が出され、いつ死体を見つけたのかは分からないが俺達がディアベルクに殺されたというのも知ってる様子だった事から、アイポイ=愛凰を指しているのは確かだ。

 じゃあ義兄である俺ですら知り得なかったその事実を知っているというのは義妹の身近の人間だからか、それとも特別なファンか何かだろうか。

 注木は少し迷った表情を作ったあと、意を決した言った。


「今言ったSourの仲間には、情報を集めるのに長けている能力を持ったAAがいてね。悪いとは思ったんだけど、勇鳳のこと調べさせてもらったんよ。

 その為人から生い立ち、家族構成まで全てね。

 でも、それだけじゃあ信憑性は50:50フィフティーフィフティー。んで、それが確信に変わるキッカケになったのが。今はもう大元は消されちゃったかもしれないけど、調べれば出てくると思う。コンヒューズが始まったあの日に投稿された、一本の動画。

 ………、見る事はおススメしないかな。

 なんせその動画内容は、玉座に鎮座した〈破壊の魔人:ディアベルク〉が、君の義妹アイポイニクスこと不知火愛凰の淡々と話すだけの動画だから」


 それを聞き、俺は目をかっ開いて瞠目する。

 もうすでに息を引き取った死者の情報を隅々まで調べ上げるのにも驚いたが、それよりももっと不快極まりない、魔人の名に恥じないようなディアベルクのその悪魔の所業にだ。


「3周年の大型アップデート直前にアイポイが完全攻略した【魔戒裂境】だけど、コンヒューズによってまた新しく生まれ変わった。

 その名も、【真・魔戒裂境】。

 簡単に言うと1週目をクリアした後の2週目の世界みたいに、モンスター達も強化されその難易度は数倍跳ね上がってる。

 ディアベルクは言ってた、『我を唯一下しタ生意気な小娘はたった今屠っタ。さあ、次の挑戦者を【真・魔戒裂境】第100層:《破壊への再頂戦さいちょうせん》にて待ツ』って。

 」


 ……言葉は、もはや出なかった。

 愛凰の悲惨な姿が全世界に曝され、ディアベルクに良いように弄ばれてるのを想像すらしたくない。

 だがおかげで、俺のやるべき事はより明確になる。


「そっか…、ありがとう」


 何故だか、不思議と礼を言っていた。

 そして最後に、俺はもう一つの質問を尋ねる。


「アンタこの2年間、俺のこと毎日看病してたんだろ。なんでこんな死体を?」


 注木は少し、はにかむような仕草をみせてから言った。


「なんでだろう………。どんなに辛い状況でも覆せる奇跡ってやつを、拝んでみたかったのかもね」


 笑顔ではあるが、どこか切なさが滲んだ表情。

 その顔の裏には、おそらく隠された思いがあるのかもしれないが、それをいちいち詮索する気はない。

 そうして俺は、徐にベットから立ち上がった。


「もういいの?」


「ああ」


 これがゲームの世界であるのなら、今の話でチュートリアルは終わりだ。

 あとの設定も、与えられた能力も、壮大なオープンワールドも、聞くより自分自身でプレイし体験するのが一番手っ取り早いだろう。


「これから、どうするの?」


 すると今度はこちらの番とばかりに、続けざまに質問してくる注木。

 『これからどうするか』。……そんな事は、もうとっくに決まってる。


「強くなる。そして、妹の仇を討ちに行く!」


 即ち、【真・魔戒裂境】の完全攻略。


 それはおそらく、果てしなく長い道のり。もしかしたら達成する事の出来ない目標かもしれない。

 しかし、いつか愛凰に言われた『やるなければならない時』。

 それが蘇った今さっき……、否。2年前ディアベルクが現れ妹が殺されたあの瞬間から、来てしまったのだ。


「まあまずは、家に帰って色々と情報の整理からかな」


 そんなを持ち、狭い部屋から勇気を出して広大な【A・V】の世界に飛び出そうとした俺は、


「あ、君の家もうとっくに無いよ」


「えぇぇ………」


 しかし何とも情けない嘆き声で、新たな人生ゲームのスタートを迎えるのだった。

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