第22話 終着

 神の独白を聞いた瞬間は理解が出来ず、続く説明で村の医者が言っていた、症状が違うと言う話を思い出してインストーラの知識から言葉の意味を理解した。


その瞬間に村の象徴に短剣を叩きつけた怒りが蘇る。だが、それを語る神の顔を見るに怒りが冷めていった。何か悪い事をした時にちゃんと謝る子供のあの表情。教会にいた頃に何度か見ている。


みんないい子だった。それを何倍も悲痛にさせた顔をしているこの子は、どうすればあそこまで辛さを憶えるのか。


村から出た直ぐの俺なら怒りで斬りかかっていただろう。だが旅の日々が怒りを薄め、自分が戻りたいという居場所が出来た今、苦しむ少年の訳を聞かずにはいられなかった。


「神よ、私はここに来る前、神父として教会で子供たちに勉強を教えていました。そして今あなたのする表情は優しい子が、悪い事をしてしまって謝る時と同じ顔をしているんです。」


横を見るとハクウも悲しそうな顔をしている。あまり子供と接した事のないハクウでもわかるほどの表情だ。


逆恨みと思っていた神は正しく敵であり、あれほどまで憎んだ敵が目の前に居る。だが今それに刃を突き立てる事は出来なかった。許せるかどうか以上に訳が聞きたかった。


「私たちの家族を殺したにしても、そんな悲痛な表情と声で話すのなら、何か理由があったのではないですか。」


目の前に居る少年の顔は助けを求めているようにしか見えない。機械の町の戦争も人を守る為と言いかえれるほどだ。そして少年からは言動の節々に強い責任感を感じる。


ウイルスを用いた悪辣な殺人も、彼の性根から好んでやったとは思えない。何か理由があるはずだ。現に目の前の少年は泣き出してしまった。


ごまかそうと顔を俯いて見せないようにしているが肩は震えている。俺が恨んでいた神は同情に泣くような辛さと幼さを持っていたのだ。


顔を見ようと近づこうとすると、少年は無言で腕を上げてこちらにゆっくりと手の平を向けた。その所作を不思議に思うと横から突き飛ばされる。


「危ない!」


不意の衝撃にされるがままに吹き飛ぶと光が奔る。ハクウが俺を突き飛ばしたようだ。その後に奔った光はハクウの撃つ光弾のようで、それは少年から伸びていた。


「君達を危険分子として排除する。」


顔を上げた少年の目は少し赤くなっていたが、同時に決意を秘めた目に変わっていた。攻撃された事実に混乱して、なんとか彼を止めようと手を伸ばすと、ハクウが前に出た。


「来ます!構えて!」


ハクウはそう叫び光る盾を展開した。


「だが、まだ説得を。」


「大量のエネルギーが神に集まっています!私は貴方に死んでほしくない!」


ハクウは盾を発生させながら続けて叫ぶ。その盾の大きさはいつもよりもずっと小さく、それでいて見たことのない強さで輝いている。


神の光弾に耐えるために高密度に圧縮しているのだろう。その大きさはとても彼女が助かる大きさではない。文字通り身を盾にして俺を守ろうとしている。彼女は今が危機的状況である事を理解しているのだろう。


駄目だ。俺は彼女を失う訳にはいかない。ハクウの隣が今の俺の居場所なのだ。家族を、帰る場所を二度も、しかも同じ相手に奪われる訳にはいかない。俺も決意を固め立ち上がり、構える。


「ありがとう。」


小さな声だったが、耳を疑う言葉に一瞬ためらいが生じる。なぜならその言葉は目の前の少年が発した言葉なのだから。そしてわずかな振動を足元に感じ、何か来ると警戒し体勢を下げると少年の前に壁が隆起した。


「何!」


注視していた少年がいきなり視界から消え、不測の事態に反応が遅れた。床は次々に隆起し、それを避けるように右斜め後ろに下がりだすと、一拍遅れて床はこちらを追うように次々とせり上がっていく。


未だ盾を構え続けて遅れたハクウを見て、急いで手を取り二人で走り出す。ハクウは背を向ける事を警戒していたようだがすぐに一緒に走り出した。しかし壁がせり出す速度は少しづつ早くなり、遂には逃げる先も壁でふさがってしまった。


左右を見ると壁に挟まれて道のようになっている。どうもあの少年を中心に輪のようにせり上がったようだ。咄嗟に右に走ると、少し前の壁の上に光が奔る。


あの光は少年から撃たれた光弾と同じ色だが、光る帯はちょうど壁の上を薄く奔っていた。板のような形になっていた所から、壁に遮られて摺り切りのようになっているのではないだろうか。


「シミュレーションルーム内の壁の展開を停止、僕か彼らが死んだ時に、この部屋の解放を。」


少年の声が聞こえる。声の方向から動いた様子はないが、壁がある為に通りが悪い。


だがここまで聞こえる声で言ったという事は、この部屋の操作は言葉で行うのかもしれない。まずは状況を確認しようとハクウを見ると、怪我はない様だがその表情は厳しい。


「大丈夫か?」


二人で壁際に移動しお互いしゃがむ。無言でうなずく彼女を見て無事を確認し一安心する。


壁に手をつくと、少し硬いゴムのような質感で床と同じような感触だった。床がそのまませりあがったという事なのだろうか。


ふとさっきの少年の声で位置を調べた事を思い出し、言葉を発してしまった事を理解して遅いながらも口をふさぐ。ハクウを見つめ、声を出さないために通信で会話をしようと手首を触るとハクウは首を振る。そして小声で話しかけてきた。


「通信の方が神に傍受される可能性が高いです。」


その言葉に目を見開き、唾を飲む。改めて彼女は言葉を続ける。


「神が扱う力は私たち天使と同じ物の用です。神故に扱う力は大きいですが。」


口をふさぐのをやめて小声で返事をする。


「根拠は?」


「エネルギーの流れ方です。扱う力があまりに大きいので調べずとも感じ取れるほどですが、その流れ自体は私が扱っているものと同じでした。」


「そうか。」


この状況で冷静に相手を分析している事以上に、ハクウの声で安心している事を自覚をする。そしてその安心から、今やれる事を考える余裕が出来る。


「ハクウ、撤退は可能だと思うか?」


「この部屋の状況と性質がわからない上、そもそもこの部屋の扉を開ける方法も扉の位置も不明な以上難しいです。壁を破壊するにしても神の一撃ですら破壊された箇所は見受けられません。そして先ほどの不自然な光からしても、周りの素材は奇跡の力で壊れない物質の可能性が高く、私の出力と手段ではこの部屋からの退却は不可能です。」


「わかった、後は刀か。」


薬液を絞りながら刀を抜き、刃を壁に押し付ける。奇跡を阻害するこの液で破壊できないかと思ったが、壁は少し切れて五ミリほど刃が入ると途端に進みが止まる。


中に芯があるようだ。解除液も特に反応はしない為、刀でもこの壁の破壊は不可能だ。そして青く光る刀を見つつハクウに聞く。


「神にもこの薬液は効くのか?」


「確証はありませんが、エネルギーの経路とその内容から察するに神は天使のマイナーチェンジ型です。奇跡の力を狂わせるその薬液は効く可能性が高いです。」


先ほどの少年の言葉からどちらかの死とあった。解放条件に自らの死を含める意味はなんなのかと疑うが、今はそれ以外に賭けるものが無い。


「やるしかないのか。」


その言葉にハクウは小さく頷く。とはいえそれも容易ではない。近づいて斬るにしてもあの光弾のサイズならば、撃たれた瞬間にこの通路全てを光で埋め尽くせるだろう。


何より神の居場所を探し出さねばならない。手段を考えながらハクウを見ると彼女は決意を持った目で口を開いた。


「私が空中に飛び、囮になります。」


反論をしようと口を開けるが、声は出なかった。現状ではそれが最適解だろう。ハクウが囮となり、その間に回り込んで薬液をつけた刀で神を斬る。有効武器とできる事からしてそれしかない。


またも危険な役を押し付ける事に後悔を感じながら、開けた口を閉じハクウを見る。彼女の眼は真っすぐに俺を見ていた。


「頼む。」


絞るように声を出し立ち上がる。死なないでくれと、気を付けてくれと言おうとしたが、言い出したら止めどなく出てきそうなので一言しか言えなかった。


ハクウは頷き、腰の水筒を飲み干した。中身はたぶん光る水だろう。そしてゆっくりと、少年がいた方向を向いた後、俺に背を向ける。俺もハクウに背を向け鞘を手で押さえ、前を見る。


「力は使い過ぎないつもりですが左手の脱力には気を付けてください。」


「わかった。」


ハクウと背中越しに話す。


「では、行きます。」


「ああ。」


飛び出したのは恐らく同時だろう。足音すら吸収する床により、嫌に静かだった。






「ふう。」


計画を次段階へ移行させた。平面であればこちらが光弾で薙ぎ払い終わるので負けようが無くなってしまう為、プリセットの市街地戦モードを起動した。


また壁の材質は光弾に対して耐性のある素材である事を示す為に複数発撃った。これで向こうも状況を理解できるだろう。最初の光弾は撃つ事が解るようにゆっくりと溜めて撃った。


もとよりこれは当てる為ではなく、焚き付ける為だ。よく見れば狙いがずれているのだが光弾の大きさから射線はわからないだろう。


脱出方法もわざとらしいが大声で言って明示した上に、元天使には僕に敵対的になるプログラムをインストーラで流してある。状況的に僕を殺す以外の選択肢はないはずだ。


そして相手からの攻撃に対して僕自身が抵抗しなければ自殺と同様の判定となり、僕の体の強制保護機能による回復と反撃をしてしまう。その場合彼らに勝ち目は無い。なのである程度戦闘をした上で死ななければならない。


「しかし、さっきは思ったよりも大きな弾が出たな。」


奇跡が通らない材質で出来ている事を向こうに理解させる為に光弾を放ったが、思いの他大きな弾が出てしまった。


壁を破壊する事は無いと理解しながらも、もし壁を貫通して彼らに当たってしまったらと考えて緊張してしまった。薄くなった光弾を見損ねている場合を考えて追加で数発撃った後に、彼らを戦わせる事に無言で頭を下げて謝罪する。


頭を上げてしばらくすると、僕は彼らの逃げた方向に向かって無意識に歩き出していた。自分の行動に少し違和感があったが、具体的に何かはわからない。


前を見ると白一面の部屋に動くものが見える。天使が翼を輝かせて壁の上を飛んでいた。僕は壁に隠れて襲ってくると考えていたので、何故目立つように飛んでいるのだろうと純粋に疑問を感じていた。そしていきなり天使に向けて光が伸びる。


「あれ?」


完全に無意識で天使に向けて光弾を放っていた。狙っていなかったからか恐らく天使に当たっていない。


天使はその光に反応してすぐに下へ降りて行った。この無意識の射撃も神としての防御機能なのだろうか。


とはいえ健常な今はまだ保護機能は出ないはずだ。そんな疑問と同時に僕は今の状況を改めて考え始めていた。天使が一人で飛び、僕はそれを撃った。ならば人間の方は?


あれだけ目立つよう飛ぶならば恐らくあれは囮で、人間の方が攻めてくるのだろう。そもそも天使を単独で堕とした人間だ。有効打も持っているし、そもそも戦力差で諦めるような人間ならばここまで来れない。


となるとお互い位置が判らないから天使を飛ばして位置を確認させたと言う事か。足を止めて周囲を見る。壁があると若干起きる反射が邪魔なので、僕の周りの壁は引っ込ませた。なので今は円形の広場に一人立つ状態だ。


戦闘エリアの設定も連続で変える事は出来ない。そして現状を一つ一つ理解していくにつれて、急に胸を絞める焦りが生まれてきた。


僕が死ぬという目標に対して滞りなく進んでいる。問題は無いはずなのだが焦りは大きくなっていく。するとなんの前触れもなく違和感を感じ、見上げると天使がこちらに手を向けて飛んでいた。


「うわ!」


攻撃を理解して僕は盾を展開しようとした。しかし間に合わず光が奔り腕が肩から焼け落ちてしまう。だが傷は痛みを感じる前に痒みと共に再生し、焼け落ちた衣服以外は元に戻った。


もう一度天使がいた所を見るといない。すぐ降りて壁に隠れたようだ。汗が止まらない。ひどく緊張する。これはまさか。


「恐怖、なのか?」


自殺が出来ない為、殺してもらう事を選んだ。しかし攻撃され、敵意を理解する度に今までに無い感情が生まれていく。あれほど望んだ選択なのに今はそれがひどく怖い。呼吸が荒くなる。


「駄目だ。」


死ぬと決めたのだ。愛する人々を殺し続ける日々から逃れるために。感情を押さえろ、恐怖を抑えなきゃ。


そう念じているとまた違和感を感じ、思わずその方向を見る。案の定、天使がいた。また光る手がこちらに向けられている。






 途切れない壁の間を駆けていると、手首に違和感がある。後ろを見るとハクウは宙を飛んでいた。光る水を飲んだ為にエネルギーは十分のはずだが、それでも左腕に違和感を感じるのは力の消費を平行して行っているのだろうか。


そうか、通信ができない今に状況を知らせるにはこの副作用はある意味的確だ。少しするとハクウの姿は光の帯に消えた。一気に総毛立つが、光が消えた後に見えた健在な彼女を見て息を吐く。


急いで帯の根元から位置を予測すると、少年は恐らく最初にいた場所からあまり動いていないようだ。早速の攻撃に息を飲み、その光の根元へ行く為に、やっと見つけた壁の途切れ目を曲がるも袋小路だった。


走った限り壁は弧を描くようにせり出していたので、神を中心に波紋のような形で壁が建ったと思っていたが、全てがそうではないようだ。


舌打ちをしつつ道を戻りまた進む。先ほどの光を思い出しながら闇雲に道を曲がるが、光の根元がどこら辺だったのか既にわからない。


そして進む中、もし曲がった先に少年がこちらに正対している事態を想像した瞬間に、恐怖で進む一歩が重くなっていく。


その間にまた手首の違和感が出る。ハクウがまた飛んだようだ。少し足を止めるとハクウから光が伸びた。その光は思っていた方向よりも結構ずれていた。壁が弧になっている事と行きたい道の寸断により、少年の元へ向かい辛い。


焦りながらも光の先へ走り出すが、無意識に通信を使おうとしている事に気が付き腕を振る。次に奔った閃光が、息が切れて目線が下がっている事を気づかせる。位置を確認できなかった事に唸る暇もなく顔を上げた。


すると目線の先に少し低くなっている壁があった。この高さならば登れる。焦りといら立ちから迷いなくそれを登り、そこから高い方の壁に伝って辺りを見ると、ほとんどの壁はこの高さで統一されているようだ。また思いのほか壁に厚みがあるようで、これなら小走りで移動できる。


先の光を思い出し、壁の上を進み出す。小走り故に息が戻るが、少年は上を見てハクウを探している事を理解して、見つからぬように腰を低くする。そしてまた左手首がうずいた。


辺りを見るとハクウは飛び、今度は光弾が交差した。光と距離で見づらかったが、撃たれた光弾はハクウを掠めていた。神からの攻撃は帯から線となり小さくなっているようだ。出力を落として精度を上げたのか。


だが今回の射撃で正確な位置が解った。光の根元へ向かい壁上を跳びつつ進むと、目線の先に広場のような場所があり、その中心に少年は佇んでいた。


見つけた。


刀を背中にまわし、見つからないように四つん這いで進み近づく。どうやら俺は少年の真横に出たようだ。だがそれは不意に視線を動かされただけで見つかる状況であるために、びたりと息と体が止まる。


飛び込むには距離があり、少年の周りには遮蔽物が全くない。どうする。音に気を付け、死角まで後ろに後ずさり、片膝でしゃがみ込むと手首がちくりと痛む。


辺りを見回すとハクウがまた飛んでいた。彼女の頭の動きからこちらを見た瞬間、翼を横にたたきつけるように羽ばたいて、空中で横に跳ねてから光弾を放った。跳ねた方向は俺の正面、目線を外してくれた。


しかし跳ねた後に失速した為か少年の反撃が翼を貫いた。墜落するハクウを見て怒りと決意が体に溢れ、振り切った心故の無心で少年に向けて跳ぶ。


一瞬、自身の影が少年に重なる。だがその事実は無心故焦りにならず、状況の一つとして心に留める。着地の瞬間、想定以上に自身への衝撃と着地音が少ない。材質故かとそれも心に留め、前へ蹴り跳ぶ。


眼前の少年は影には気づかなかったが着地音に対して確実に反応していた。だが間に合う、鞘を握り絞め薬液を十分に出しつつ更に踏み込む。そして斬る瞬間に少年と目が合った。


「うあ。」


振った刀は彼の声と共にこちらに伸ばした腕を切り飛ばした。胴を斬るはずが視界と体躯の小さい相手故に距離感が狂ったか。


少年は腕の切り口を抑えながら尻もちをつく。彼の衣服が不自然に焼き切れているのはハクウの光弾によるものなのだろう。その体には傷一つないが、腕の切り口を押さえる指の間から流れ出る血は止まる様子が無い。薬液の効果は確実のようだ。


追撃で刀を突く姿勢をとる。納刀せずとも青さが残るこの刃なら、もう一刀は効果があるはずだ。体を引き、切っ先を向ける。


眼前には真っ白の中に強く映える赤い血にまみれて怯える少年がいる。


「ぐっ。」


びたりと体が止まる。一刀目に体を斬れなかった理由は距離感かと思ったが違う。目が合った時に躊躇ってしまったのだ。


眼前の敵である神は、痛みに震え俺に怯える少年にしか映らない。


「あああ。」


懇願のような嗚咽が耳に刺さる。一突きを入れるようと全力で力を入れるが、俺の根幹部分が全力で止めに来ている。


そして少年は腕の切り口からゆっくりと手を放し、震えながら赤い手の平をこちらに向けた。


俺はその意味を理解してもなお動けない、決断が遠い。手の平の赤さ故か輝く光が見えた瞬間、上からの閃光で赤い手は地面に縫い付けられた。


「マビダ!早く!」


翼の穴から血を流したハクウが上から叫んだ。そうだ、俺はやらなければいけない理由がある。


力が腕に張り、澄んだ決意が胸に宿る。突こうとする体に再度反力が覆うがそれを歯を食いしばり噛み潰す。反力は消え失せ、這わせた指に一つ一つに最適な力を入ていく。


肩と腰に重心を乗せ、胸を狙い腰を低く低く落とし、貫く。骨にかからず心臓を抜けたはずだ。だがそれと同時に咆哮が辺りに叩きつけられる。


「があああああ!」


一瞬少年の背中の景色が歪んだと思った瞬間に黒い帯が走る。体に浮遊感を感じて足元を見るとひざ下が黒い帯に飲み込まれていた。


消えるように帯が横にそれると、そこに足はなかった。体が落ちる前に黒い帯は俺の横から迫り左腕に当たると、波うつように跳ねて肩から下は一気に削り取られ無くなった。


脅威から逃げようとハクウの居た方に手を伸ばすと、ハクウも下腹部に黒が走り両断された。重力により落下し神と目線が同じ高さになった時、白かった視界が黒くなった。






「うわ!」


僕は天使からの光弾を防ぎ、こちらの光弾を放った。小さな声と天使が落下していく姿から、翼の一部を焼いたようだ。今度のは間違いなく、自分の意志で攻撃を行った。だからだろう、射撃の精度が上がったのは。撃った手を見ると震えている。


僕はいったいどうしたいのだろうか。理由なく落とした天使の方に歩きだすと、トンという音が背中から聞こえる。その音に思わず振り向くとこちらを睨みつけながら刀を握る男が、低い姿勢でこちらに向かってくる。


目が合った瞬間に、男の姿がぶれる。あっと思った瞬間にバツっという音がして、嫌な引っかかりと共に喪失感が生まれる。思わず前に出した左腕が無かった。


「うあ。」


その事実に思わず断面を手で覆う。前を見るとマビダが切っ先をこちらに向けていた。


「あああ。」


手で押さえた事で断面が強烈な痛みを叫ぶ。腕の骨に刃が引っかかったのか体が反るように引っ張られてバランスを崩し尻もちをつく。


治らない腕と痛みに迷わず回復を施すも、再生する気配がまるでない。初めての状況と痛みが危機的な現状を叩きつけ、体が恐怖で支配される。


死が近いと、死が目の前に来ていると。マビダの顔を見ると恨みと叫びを合わせた鬼のような形相だった。


なぜ突く構えで止まっているのか意味が解らなかったが、僕の返り血が付いた彼の眼光は恐怖の対象でしかなかった。


急いで右手を前に出す。早く、早く撃たなければ。とにかく急いで撃つ。力の充填はそう長くないはずだが、手の平に力をうまく溜められない。


後少しで撃てるまでになった時、右腕に衝撃が走り地面に縫い付けられる。


「マビダ!早く!」


上から天使の声が聞こえる。撃たれた腕の傷はすぐに治る。それでも溜めた力は霧散し、目の前の男は更に顔を歪めた後に刀を持ち直した。


「判った。」


そう小さく返事をした瞬間、彼の顔から力みが抜け、気が付く間もなく胸を貫かれた。


それを自覚し、意味を理解し、恐怖し、痛みの先が来た時に、僕の中の感情が噴出した。


痛いのは嫌だ。死ぬのが怖い。こんな敵意に塗れて終わるのは、嫌だ!


「がああああああ!」


その咆哮と共に僕は体を滅茶苦茶に動かした。その時の記憶は断片的でまるでコマ取り映画のようにしか覚えていないが、僕は敵の体を削り取っていった。






「マビダ!」


少女は消えていく男を見て叫んだ。少年の背中から生えた黒い帯が男をかき消していく。


男の左腕が消えたと共に強烈な喪失感が彼女の体を縛ったが、関係なかった。かろうじて出した光の剣を持ち飛び込むが、少年から伸びたもう一つの帯に剣ごと体を削り取られ切断された。


黒い帯は暴れ続け、叫ぶ少年自身の胸を貫き、血を流す腕事削り取るとひときわ大きな叫びを上げながら体と腕を生やしていった。


腕が完全に置き換わった後、少年は叫ぶのをやめて辺りを見渡す。血肉が壁にこびり付き、前と後ろに二つの首が転がっていた。






「僕は…。」


二つの光る大きな管の前に少年はうつむいている。


「僕は。」


死ねなかった。あれほど死にたかったのに。迫る死の恐怖で生きる事を望んでしまった。自身のわがままで彼らを招き入れて、寸での心変わりで殺した。いや、殺しかけた。


「だけど、ここまで来ればもう。」


すぐに意識を取り戻したのが功を奏した。シミュレーションルーム内の緊急救命ポッドを呼び出し、転がっている彼らの首を急いで入れた。


偶然にも頭部は破壊されておらず、衝撃による血液の逆流も無かったのか脳は無傷だった為、救命ポッドで一命をとりとめる事ができた。


転がる残骸も後から入れ込み遺伝子情報の解析も促進させた為、今は胸像ぐらいまで回復し、正常に心臓が動く様を見て安心する。ここまで来れば死ぬ事はない。そして改めて後悔の念を思い出す。


「僕は。」


あれほど死を願っていたはずなのに、すぐ近くにまで来た死を迎い入れずに拒んでしまった。


神と呼ばれ続けていたが結局僕もただの生き物だった、生きようとしてしまった。刺された胸を手で押さえるがそこに異常は何もない。そしてそれだけで生きている実感から確かな安堵を感じる。


だが、問題は何も解決していない。また僕は人を殺すのだろう。そして進む道が一つ減ってしまった事実にうすら寒さを憶えるが、それから逃げる為に今は彼らを治す事だけを考える。問題が無ければ後六日で治るはずだ。


「ごめんなさい。そして、ありがとう。」


そういって僕は部屋を出た。






 二人の男女が世界の眼の下で眠っていた。一人は手首に痣のある男。もう一人は背中に二つの痣がある少女。遠くに見える灰色の町は彼らを手招くように白煙を伸ばす。男は頭上から浴びる日の煩わしさに顔を覆いながら目を開けた。


「ああ、ん。」


のそりと体を起こすと草の青臭さが鼻につく。日に照らされた顔が熱を持っていたので一度顔を手でこする。すると腕が削りとられた記憶がよみがえった。


「うあ!」


一つ一つ状況を思い出し、手で触り、目で体を確認する。一通り確認すると服装は今まで見たことのないものになっていたが、体に異常はなかった。


「どうしましたか…?」


横からの声に振り向くとハクウが目をこすりながら話しかけてきた。その外見に違和感を感じるがハクウの様子からは無事なようだ。


安心して一息ついて、改めて違和感の確認の為ハクウを見ると、なんか随分とすっきりしている。翼がなかった。


「ハクウ、翼は?」


「え、あれ!」


ハクウは背中を丸めて力んだ。たぶん羽ばたこうとしたのだろう。すると顔色が変わり、背中を反らして手で確認する。


今度は顔が青くなり、腕を前にして少し力むが、しばらくしてうなだれた。あの動作は翼を伸ばそうとしている時の動きだ。


俺は心配になり立ち上がると体が嫌に重い。まるで自分の体じゃないみたいだ。だがそれ以上に彼女が心配だったので駆け寄る。


「大丈夫か?」


「翼がない以外はたぶん平気です…。」


見た限り問題はなさそうだが、ハクウの落ち込みは見て取れるものだった。翼は狭い場所では引っかかり、町中では隠す必要もあるため枷になる事が多かったが、それでも本人は自慢の翼だったようだ。


思い出すと羽の手入れをしている時は上機嫌だったし、確かに綺麗だったのでその事を言うとしばらく機嫌が良かった。


しかし翼がないと言う事はハクウは人になったのだろうか。そう思い左手首を見ると天輪の痕はしっかり残っていた。


「ハクウ、奇跡は使えるか?」


「え、そうですね、それでは。」


彼女は手を組み、目を瞑った。何も起きないがしばらくして手首がうずく。


「使えますね、今光を生み出しました。明るいので見えませんが。力の入り具合も遜色ないです。」


「そうか…。」


ハクウは人になったわけではないようだ。残念だが、それでも人の中で生活しやすくはなっただろう。ある程度現状を理解した所で、ここがどこなのかと辺りを見る。


世界の眼以外は一面草原だが遠くに煙を上げる煙突が見える。見覚えのある形から機械の町のものだろう。なぜここに、すべては夢であったというのか。ゆっくりと立ち上がると懐から音がする。


「うん?」


服を叩いていくとカサっという音がする。まさぐってみると折りたたまれた紙が出てきた。




 あなた方を機械の町へ戻します。また、今後悪事を働かぬ限り、我々があなた方を攻撃する事は無いと誓います。天使の翼については人の中で生活がしやすいように取りました。彼女には天使が神を撃った罰とお伝えください。また、私のわがままに付き合わせてしまい、申し訳ありません。 神より




紙にはそう書かれていた。結局神はどうしたかったのか最後まで分からなかった。だが自分のしている事に負い目があり、それを知りつつもやらねばならない事なのだろう。


俺は一つ息をつき家族に黙禱を捧げた。家族の死の理由を知り、敵は討てなかったにしても、およそ人間ができる範囲を超えた事をしたであろう。


ここまでしたから許してくれというのも身勝手な話だが、かつての家族にこれ以上できる事はないだろう。


忘れるつもりは無いが、今後俺は前の家族に囚われない事を誓う。そして改めて、目の前の彼女を見る。


「行きましょう。」


いつの間にか前に立っていたハクウが手を伸ばしていた。


「ああ。」


紙を折りたたみ懐にいれて彼女と手をつなぐ。そして機械の町へ二人で歩き始めた。






 二人はその後、平穏な日々を過ごした。そして彼らの間に黒い翼を持つ子供が生まれ、それは神を殺した。

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神殺し 中立武〇 @tyuuritusya

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