第21話 望み
白い部屋の中で男と少女が寝ている。
男は少女よりも先に目覚め、頭を抱えた後に顔を手で覆う。そのまま椅子から転がるように降りると、ふらつきながらも少女の元へ向かい、その名を呼ぶ。
少女は呼びかけに反応し起きるが、彼女は悲しそうな顔をしながらゆっくりと椅子から降りて、背中の翼を少し伸ばした。
二人は無言でうつむいていると不意に壁の一部が開いた。二人が同時に振り向く様子を世界の眼は写し、その映像を少年は睨むように見つめていた。
「どうぞこちらに。」
ドアの向こうの天使が言う。余りに突飛な考えが頭を渦巻いているため、天使の前にいるというのに警戒や生存などの考えが完全に抜け落ちていた。
今思う事は彼女について行くのは間違っていないという事だ。無言で天使の元に歩き出す。すぐ横をみるとハクウが先ほどと変わらない位置でついて来ている。
部屋から出るとまた傷ひとつない白い壁と床が一面に続く。ここに居る事、そして頭に疼く知識はすべてが夢なのかと思っていたが、歩くにつれて意識は戻り、現実である事を示し始めていた。
天使の後を二人で歩きつつも、俺はこの知識が真実なのか早く確かめたくて、会話を聞かれないよう通信する事も忘れてハクウに語り掛ける。
「この知識は、本当の事なのか?」
「ここが日本という情報の事ですか。」
やはりハクウも同じ知識を頭に流されているらしい。流された知識では世界は一度戦争で滅びかけた事を理由に、大規模な戦争防止のシステムを作り上げた。
それは神と天使を用いて文明と人口を抑えるというもので、そしてここはかつて日本という国だったとの事だ。荒唐無稽だが妙な納得が頭に残る。
「一部の知識は私が元々持つものと同一でした。」
「そうか…。」
その中には太古の基礎知識や天使の情報もあり、天使はもともと労働力や愛玩用の商用人造人間をベースとし、それを戦闘用に強化した上で、象徴的かつ人ではないという証明の為に鳥の翼を合成したキメラであり、商用人造人間のコントローラを強化した天輪型通信機を頭に浮かばせて組織化させたものらしい。
耐用年数は運用状況次第だが、保管状態では最低でも商用と同じく三百年であり、天輪にて代謝が安定されている場合は二百年、天輪を人に接続した従属体の状態、今でいう堕天した場合は八十年との事だ。
そして登録者、つまるところ俺から距離が離れたり、登録者のバイタルが不安定になると同期がずれて動作異常を起こすというのも中央教会の説明書通りで、もともと通信機を個人に接続するシステム自体が商用人造人間、中央教会の説明書で見た従属体の機能の為に、天使に最適化されたもので無い。
その為高負荷運用によって動作が不安定になりやすいそうだ。だが一度キャリブレーションを行い安定できれば、以降は基本的に問題ない。つまる所、中央教会での操作で問題は解消されていたのだ。
教会の説明書には耐用年数が落ちるとあるも、二百年が八十年になるものなので、間違ってはいないが人として生きるのに十分な時間と思える。結果としてハクウを助け、生かすという点において中央教会以降の旅は徒労だったのだ。
不意に求めていた情報と答えが転がり込んだ事実と、ハクウが平気である安堵感と、無駄なリスクを取った後悔と、今の状況を理解する焦りを歩きながら頭の中で潰していく。
ふと横を見ると壁の一部が窓になっており、外はすり鉢状に下に深く、そして青い光を放っていた。青い光は粒のようで、よく見ると一つ一つに天使が入って眠っている。見る限り何百ものポッドが一面にある。神の持つ戦力に息を飲むが足は不思議と止まらなかった。そして通路の最奥にたどり着き、天使は足を止めてこちらを向いた。
「どうぞ、神がお待ちです。」
そう言って天使が壁に手を付くと壁が開く。真っ白で明らかに大きな部屋だがその中央に独り、少年が立っていた。結構な距離があるので天使と共に少年の元へと歩いて行く。
「やあ、目覚めはどうだい。」
少年から五メートルほど離れた場所で、彼は話しかけてきた。俺は解答として最悪だ、と言いたいが返答しなかった。すると神は少し笑顔になった後に天使に目を向ける。
「天使よ、神の名をもって命ずる。」
「はい!」
案内をしていた天使が急に大声で答え、力強く姿勢を正す。迫力すらある返答は今まで見た機械的な雰囲気とは違う。
「この二人、マビダとハクウをこの部屋から出た後に、生きて機械の町に戻す事を命ずる。」
「かしこまりました。」
天使はそう答えると部屋の外へと向かった。少年の、神の意図が全く分からなかった。我々をインストーラーに座らせた事も今のこの台詞も、何を目的として行動しているのかがわからない。
だがその表情や会話の口調から迷いはなく、決意すら感じる。そういえば、様々な知識を流し込まれたが、神についての詳細はよくわかっていない。
形容し難いが、なんというかそこだけ情報を抜きとられているような感じだ。神はこちらに向き直ると天使に命令をした毅然とした表情を解き、目をつぶり頭を下げた。
「騙し討ちのようにインストーラに座らせてごめんなさい。」
先ほどのやり取りといい、行動が読めずにいちいち驚いてしまう。インストーラはあの椅子の事だ。正確にはもっと長い名前だが、あの手の情報を脳に入れ込むものは総じてインストーラと呼ばれている。
「何が目的なんですか。」
頭を下げる神に驚いているうちにハクウが声を上げた。それについてはこちらも同じ思いだ。先ほどのやり取りに機械の町と言っていたが、それはガンズ達の町ではないだろうか。
禁止されている機械を扱うが故に彼らは天使と戦ったという。他にも機械の町と呼ばれるものがはあるかもしれないが、神は少なくとも機械の町が滅ばずにいる事を知っている。となると。
「機械の町へもう一度攻め込む口実にするつもりか?」
思いついた言葉を言う。だがそもそも相手は神だ。攻め入るのに口実が必要なのか疑問だが、それぐらいしか考えられない。
だがその言葉を聞くと神は驚いた表情をして、少し考えた後、口を開いた。
「ええと、すいません。機械の町に攻め込むつもりはありません。本当は機械は禁止なのですが、あの、あなたたちが訪れた町は僕の方で黙認している形です。また前回攻め込んだのは彼らが新型核兵器の研究所を探し当ててしまった為、それを無力化するために中央教会に指示を出した上で天使を派遣しました。そのまま争わずに事が済めばよかったのですが、彼らも武力があったためにそのまま衝突し、被害が大きくなってしまいました。しかし世界が滅びた一端の兵器を黙認できなかったのです。研究所と兵器は既に天使たちが解体したため安全ですが、その件については個人的に謝罪させてください。」
その言葉を聞き驚く。インストーラから流された記憶からも新型核兵器の悪名は記されていた。世界が終りかけた原因の一つを渡すわけにはいかなかったのだろう。機械の町の人々も全て神の手の上に守られていたのだ。
だが開戦の線が無いと解ると目線だけを動かして手首の痣を見る。後の可能性は天使を堕ろした大罪人である俺を処分し、強制的にハクウを天使に戻すぐらいだ。だがそれならばインストーラで寝ている間に行えば済む話だ。
この場に案内された事が不自然な上に、先ほど天使に指示した内容では我々を機械の町へ帰すという話だった。その言葉が真実ならばそれもない。
「そうですね、マビダ。僕の用はあなたにあります。」
俺となると堕天の関係しかない。次の言葉に身構えるが神の口からは予想と全く違う言葉が飛び出した。
「あなたの家族を殺したのは僕です。」
うん?
「はあ?」
怒りよりも何よりも、理解が追いつかなかった。
少年は画面に映るインストーラの上のマビダ達を見つめる。よく眠っており微動だにしない。情報のインストールは問題なさそうだ。
しかしまさかここまで来るとは。確かに彼らには世界の眼に乗せた弱い洗脳により神の元へ来るよう誘導していたし、天使にも天輪が戻された時に思考を放棄しやすい高ストレス時をトリガーに、ここへの誘導プログラムを流したが、それでも単独で天使を堕天させなおすとは思わなかった。
彼らの様子から目を逸らすと別の画面に天啓の申請が次々と流れていく。これらは僕がいなくなったらどうなるのだろうか。改めて自身の決断を迷うが、決意を鈍らせない為に天啓申請画面を非表示にし、改めてインストーラに座る彼らを見る。
僕も、自分専用のインストーラ以外で事が済めばこんな事をしなくてよかったんだろうか。でもこの生き地獄を作った人達を僕は恨めない、恨む事すらできない。そう洗脳され続けているのだから。
マビダ達には悪い事をした。その上で自身の目的のために利用すると言うのだから、僕は悪人、いや悪神なのだろう。
しかし手段は選べない。策は十分に練った。僕の長年の努力は形となって彼らはここに来た。後はうまく事が運んでくれれば。僕はインストーラから起き上がるマビダ達を見ると息を飲み、出口に向かう。
既に待機している天使に模擬戦闘室に案内するよう伝えた。これで僕の悲願が達成できる。その為にすべてを準備してきた。歩いていても心音を感じる程に緊張する。
それもそうだ、これから比喩無き断頭台に向かうのだから。神と呼ばれ続けてきたが所詮はその立ち位置であるだけで、ただの生き物なのだと自覚して自嘲気味に笑う。
模擬戦闘室に入り、中央に立つ。もう最後にここに来たのはいつか忘れてしまったが相も変わらず何もない。ここでなら僕は致命傷を受ける事が出来、なおかつ天使が同室内に居なければ介入できない。
そしてここでは僕にかかる自殺防止のプロテクトが甘くなっている。ここでなら回復を拒否して死を選べる。
「よし。」
立ち位置を確認する。しかし、彼は天輪を戻した天使を再度堕天させたのだから、何か対抗策はあるのだろうと思っていたけど、それがまさか解除液を塗る刀だと言うのだから驚いた。
時代も技術も何もかもが違うものだが、確かにあれなら奇跡による再生を阻害させて死までもっていく事が可能だ。
大戦どころかそれよりも前からある刀という武器に、銃との併用を想定した事で片手でも納刀と抜刀が容易な特殊構造と、長期運用を目的とした砥石を取り付けた鞘、そして奇跡を阻害する解除液の軟膏を砥石で刷り込む改造。
まず行きつかない歪な武器であるが、それが正しく機能しているのは、あの武器は彼らの旅路をそのまま形にしたような武器だからだろう。
「さて。」
最初の一手が駄目だった時のため、設定を戦闘訓練にして戦闘エリアの条件を入力する。
だが最善は彼を煽り、戦闘前に一撃で殺される事だ。設定を入力し終えてしばらくすると眼前の扉が開く。
二人が部屋に入るのを見て、計画通り天使に事が終わったら彼らを無事に返すよう命じる。
「天使よ、神の名をもって命じる。」
「はい!」
堕天した天使と共に生きるのならば、教会のある場所では生き難いだろう。権力者とも良好な関係であるあの機械の町であれば、彼らも平穏に生きる事が出来るはずだ。
自分の我儘につき合わせるのだ、それも彼らの家族を殺しておいて、更にそれを口実にして。だから僕の用が済んだら彼らには幸せになってほしい。
「この二人、マビダとハクウをこの部屋から出た後に生きて機械の町に戻す事を命ずる。」
「かしこまりました。」
神の名を使い最重要命令のコマンドを使う。天使に対しこれを使うのは最初で最後だろう。
マビダ達を見ると困惑している顔だった。それもそうだろう、説明をしたい所だが秘密保持のプロテクトの為に僕は言う事が出来ない。だがまずは騙すようにインストーラに座らせた非礼を詫びなければ。
「だまし討ちのようにインストーラに座らせてごめんなさい。」
神の名の元に沢山人を殺している身からすれば小さな悪事だろう。それでも僕は自分の意志で行った悪事を謝らずにはいられなかった。
「何が目的なんですか。」
頭を上げると元天使、確かハクウが問いかけてきた。その表情は怒りと動揺が見える。
天使は天輪が取れるとこんなにも人間的になるのか。世界を守る立場の枷から解放された彼女がうらやましい。しかしそんな想いを無視しても、やらなければいけない事がある。
「機械の町へ攻め込む口実のためか?」
今度はマビダから突飛な質問が来て驚いた。何故そんな、ああ、機械の町と言ったからか。
彼らにも悪い事をした。大戦時の戦闘用機械技術を残しておけば、いずれその鉾が僕に届くかと見逃し続けたら、まさかデータにない新型核兵器の研究所を掘り当ててしまうとは。
もしも暴発でもしたら、何もなくなる上に生物が住めない土地となってしまう。しかも秘密裏にやるには機械の町の戦力が強くなり過ぎていた為に感知され、戦争になってしまった。
あの時は確かストレスで泣きながらおう吐した。機械の町の人たちに謝罪をしたいけれど、神の立場と機械を禁止している教会の教義上、伝える事すらできない事が辛かった。
「ええと、すいません。機械の町に攻め込むつもりはありません。本当は機械は禁止なのですが、あの町は僕の方で黙認している形です。また前回攻め込んだのは彼らが新型核兵器の研究所を探し当ててしまったため、それを抑えるために天使を派遣しました。彼らも武力があったために衝突し、被害が大きくなってしまいましたが、世界が滅びた一端の兵器は黙認できなかったのです。今は既に天使たちが解体したため安全です。ですがその件については個人的に謝罪させてください。」
罪悪感からか詳しく話してしまったが、少し気持ちが楽になった。さて、それでは本題に入らなければ。
「そうですね、マビダ。僕の用はあなたにあります。」
彼がこちらを見る。身構える様子から動揺しているようだ。
「あなたの家族を殺したのは僕です。」
これで、焚き付ける。
「はあ?」
「あの村にウイルスを流して人口の削減を行ったんですよ。特定の人間を殺すウイルスを2種類流してね。」
常套手段故に何度もやった条件だ。内容を忘れる事は無い。
「最初に何人か死ねば当然天啓の申請が来ます。そしたら天啓にて特効薬を伝え一部は薬で治して神の忠誠度を確保しますが、同時に症状の似た感染力が弱い別のウイルスを流す事で、何人かは追加で死ぬという仕組みです。今まで起きた流行り病は大体この手法です。一応、この手のものは神職本人には効かないものを流しますが、それ以外の感染はランダムなので、今回偶然にもあなたの家族二人が同時に選ばれてしまった、という事です。」
彼は呆然と僕を見ている。僕は切り殺されるためにゆっくりと彼の元へ近づく。そして彼が僕を心底憎んでいる事を知っている。
最近はなりを潜めているが、教会で象徴を突き刺した時の叫びはそう出せるものではない。案の定、近づいて見上げた彼の表情に怒りが見える。
「死ぬ人間は男女比や社会貢献度合いを考慮して決定しますが、分かりやすいほどに傾向を持たせてしまうと社会のバランスが崩れてしまいます。なのでランダム性を強めに設定してあります。そしてその結果、あなたの家族が薬で治らない方のウイルスに掛かって死んだという訳です。その設定、手法にてウイルスを撒けと指示したのは僕です。僕があなたの家族を殺したのですよ。」
緊張故か彼を見る事が怖くなってしまい目を瞑った。さあ、今ここであの教会での怒りを見せてくれ。そして僕をその刀で切り殺してくれ。
目をつぶりながら天を仰ぐように手を広げる。だがいつまで待っても鞘を動かす音も、刀を抜く音も、斬られる事も起きない。不思議に思い恐る恐る目を開ける。そして彼の顔を見ると。
「何故、そんな顔をするのですか。」
彼は僕を憐れむような表情をしていた。横の元天使も悲しそうな顔をしている。彼はその顔のまま口を開いた。
「神よ、私はここに来るまで神職として子供達に勉強を教えていました。そして今あなたのする声は、表情は、優しい子が悪い事をしてしまって謝る時と同じ顔をしているんです。」
台詞はある程度考えておいた。罪悪感故か言い訳がましい所が出たとは感じたが、自分自身の表情や感情については考えていなかった。何より天使しかいないこの場では自分の表情なんて話に上がらない。
「私の家族を殺したにしても、そんな悲痛な顔と声で話すのなら、何か理由があったのではないですか。」
その言葉を聞いて目が熱くなる。僕は人を愛するように作られた。最初の頃、世界の眼が出した人口の削減案に抗った結果、戦争やコントロールできない疫病が起こり、計算より多くの人を死なせてしまった事を思い出す。
以降は世界の眼に従い少数ながら間引く事を続けていた。だが人への愛は常にあり続けながら、現実に対し非情な決断を続けなければいけない境遇を、愛しているものを殺す決断を求め続けられるこの苦しみを、たった数分で理解してくれた人が目の前にいるのだ。
こぼれる涙を追うようにうつむき、手で目を押さえる。いっそこの境遇を作り出した人間達を恨みながら人を殺せれば良いのに、僕は自分専用のインストーラで定期的に人を愛するように洗脳をし続けなければ禁断症状が出るよう組み込まれているので、この愛は焼き付いて取れない。
愛から逃れようと何度も禁断症状に抗って、のたうち回った挙句インストーラに駆け寄った日々を思い出す。
確かに僕は人を愛していたが、今はこの愛が植え付けられたものなのか、僕自身のものなのかわからない。
彼に泣きついてしまいたい、許されたい。だが、ここで彼に縋り付いても僕がこれからも人を殺し続ける日々は変わらないのだろう。
彼は斬らなかった。ならば次へ。うつむきながら無言で手の平を彼らに向け、手にエネルギーを込める。
「危ない!」
元天使が彼を押してよけてくれた。一拍遅れて光弾を撃つ。当てるつもりはない、これでいい。
「君達を危険分子として排除する。」
殺してくれと言う事は、洗脳に付随されている自殺防止機能から言う事が出来ない。なので最終手段の、戦闘シミュレーション時の自己保護機能が弱くなるシステムの穴をつき、彼らに殺されるしかない。
僕は涙を手で払い、決意をもって顔を上げた。
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