第16話 荒野
草原と荒野の境目は切り取られたように明確だった。境は二メートルもないだろう。
その境を今、二人の男女が顔をしかめつつ超える。一人は決意を帯び、一人は迷いを帯びていた。
そこに言葉は無く、彼らと共に風が砂を巻き上げる様を世界の眼は熱を帯びながら映していた。
日が高くなり、暑さ目立ち始めた。日射しは文字通り刺すように照る。ガンズに道中は肌を隠した方が良いと言われ白い長袖の服をもらったが強烈な熱に汗が出る。
しかしその汗は発汗を自覚する前に蒸発し喉の渇きだけを残していく。俺は横にいるハクウに話かけた。
「大丈夫か。」
「はい、とはいえまだ正午にもなっていません。日陰を見つけ次第入りましょう。」
「わかった。」
暑さに耐えれるかは重要だが、それ以上に水が限られている為に日の下で積極的に動く事は危険だろう。歩き続けると少し風が出始め、涼しくなるかと期待したがその乾いた風は余計に水分を奪い、更にその風までも熱をはらんできた。
「暑い…。」
正午を回った頃だろうか。結局あれから一度も休んでいない。日陰がないからだ。荒野では木々が消えうせ、頭上に物があることはない。
渇きに我慢できず、少し多めに水を飲んだが腹に水が残っている感覚はあれど渇きが抜けない。水の吸収よりも早く乾いているのだろう。
「マビダ、口を布で覆ってください。少し渇きが抑えられます。」
ハクウのこもった声が足音しかない今に響き、言われた通りに口を覆う。呼吸で抜ける水分が抑えられるのだろうか。だが暑さは確実に増した。
そしてその効果を感じる前に体にこもる熱で長く続かなかった。ハクウが耐えられているのは偶に翼で日陰を作っているかかもしれない。
恐らく十五時頃か、暑さは頂点に達しているのだろう。体にこもった熱で口を覆い続ける事が出来ず、口をふさぐことは二人して諦めた。そうでもしないと体の芯を熱でやられてしまいそうだからだ。
水を抑えるには効果はあるようだが、呼吸によっても体温の調整がある事をこの状況下は気づかせて来る。ハクウを見ると少し目が虚ろだ。まずいと思い、顔を前に向けると少し先に白い小さな建物が見えた。
「ハクウ、あそこに建物はないか?」
ハクウは無言で指さした方を見て、焦り気味に行きましょうといった。少しらくだの足を速めさせて向かう。
「大丈夫か?」
「はい。」
回答は明瞭だったが目つきは変わらない。らくだを入り口で止めて扉も無い入り口から入る。中は思った以上に涼しい。半分砂に埋もれているが、滑らかな壁の質感からここも遺跡なのだろう。床には砂が薄く積もっている。
「貴重な日陰だ、今日はここまでとするか。」
「でも急がないと。水の残りも考えなくては。」
「悩みどころだがここで休もう。日陰が貴重な上、暑さに体を慣れさせるのも大切だ。」
ハクウは不服そうだったがそれ以上は言わなかった。やはりこの環境が辛いのだろう。
一時間ほど休んだ所、日が少し傾いてきた。すると気温が日の傾きと共に変化する次第を実感するほどに下がっていく。
熱に呆けていたが気分が戻った所で野営の準備を始める。とはいえ建物内故に簡便だ。俺は荷物を中へと運び、ハクウはらくだを建物の横に止めた。少し手首がかゆくなったことからまた洗脳をつかったのだろう。
建物の中なので天幕を張る必要もない為、床の砂が付かないよう敷物だけを敷いた。用意した食糧は米もあるが、今回はそのまま食べれる干し肉や木の実などにして敷物の上にいくつか出した。
米は栄養価が高いからと持たされたが、口でふやかすぐらいしかできない。煮炊きの道具も用意してくれたが水が貴重な今、使う機会はあるのだろうか。そう考えていると日が赤さを増す。そのあたりからか、急に風が強くなる。
「随分と風が強いな。」
窓があったであろう場所から手を出すと強めの風が手を打ち付けてくる。砂が痛い。
「これはここで止まってよかったな、この風じゃあ天幕が耐えれないかもしれない。」
ハクウは少ししゅんとしていた。あのまま出ていたらこの風の中で野営を張る事になっただろう。風はどんどん強くなり、強烈な風切り音が鳴る。空いた窓から砂が入るが軋まぬ建物がとても心強かった。
しかし、その風も辺りが暗くなって行くにつれ弱くなり、星が見える頃には静寂の夜となった。
「これは厳しい環境だな。明日はどうなるか判らないぞ。」
「戻りませんか?」
ハクウがそう語り掛ける。俺は少し考えたが、すぐに答えを出した。
「いや、行こう。この風も今日だけかもしれないし、何より次行くにはいつになるかわからない。それまでにハクウが動けなくなったら行く事自体出来なくなる。」
「私は今のところ問題ありません。次の機会もあるかもしれません。」
「何よりもこの先に別の問題がある可能性もある。風の対策だけで済まないかもしれない。それを確認する必要はある。なるべく先に進もう。」
「わかりました…。」
ハクウの体調は中央教会での操作以降調子が良く、離れても体調が悪くなる事は無くなった。しかし教会の資料には寿命が減ると明記されていた。どれくらい減るかが書いていない事が気になるが、恐らく天輪がある状態が本来あるべき姿なのだろう。
今は問題なくとも急に前のような状態になってしまった場合、彼女を担ぎながらこの荒野を越える事は出来ないだろう。更に今は二人とも健康で砂漠用の乗り物を持ち遊牧民の村から進む事が出来ている。
これほどの好条件がそろう事はそうそう無い。ここで諦めてハクウが倒れた時に果たしてこれらが揃うだろうか。だがそれ以上に自分が原因で彼女が危険になっているという罪悪感が背中を押す。
「今日は寝よう。行くにしても戻るにしても、それが正解だろう。」
「…はい。」
そういって早めに床についた。しかし夜に一度、寒さで目が覚めてしまった。木々がないからか夜は急激に冷えて冬のように寒く、更に石畳の冷たさが辛くなってきた。
服を着こみ、寝ているハクウには天幕の生地をかけようとすると、ハクウは自分の翼でうまく体を覆い寝ていた。なるほどと感心し、俺は天幕を広げて二人がかかるようにして寝直した。
次の日の朝は風切り音で目が覚めた。敷物から起き靴を履いて遺跡の窓際に向かうと、また強い風が吹いていた。砂の舞う方向から何となく昨日と逆方向に風が吹いているように感じる。日は出ているが高くなく、朝六時といった所か。
「ハクウ、朝だ。準備をしよう。」
「…え、あ。はい、おはようございます。」
「ああ、おはよう。」
思いのほかハクウは寝ぼけているので、食事の準備と天幕の片づけを自分一人でやる。なんというか、普段と逆だなと思いながらも、それでもこの状況でよく眠れる強さに感心しつつ、無防備なハクウを見て日常を思い出し元気が出た。
「あの、すいません。」
「いや、いいんだ。俺がそうなった時は頼むよ。」
「はい。」
そういって全てを畳んだ時には風は止んでいた。らくだに乗り、方位磁針を北に合わせる。朝はあの暑さと寒さの狭間からか体が楽だったので、ハクウとあの強風について話ながら進んだ。
彼女が言うには朝と夜の温度変化によって風が吹くらしい。あまりよく理解が出来なかったが、村にいた頃の診療所の教会から支給された薬を作る道具が、水や薬を熱した管の間を通して送っていた事を思い出し、なんとなく理解した。
今思えばあれも機械なのだろう。それと同時に村の事や家族の事も考えてしまったが、昔ほどの焦燥感がわかなかった。
あれから村を離れて色々な事があった。沢山の記憶に流されて、家族を失った傷が洗い流されたのか。それが癒しとなったのだろう、ならばもう十分だ。ハクウの為ならば、俺は
「マビダ?」
「ん、ああすまない。」
話の途中で黙り込んだのを不審に思われたのか、俺は改めて彼女を見て決意を固める。飛ぶ砂を防ぐために口を覆った布で恐らく俺の表情はわからなかったのだろう、ハクウは少し首をかしげていた。
「今日は遺跡がなさそうだな。」
猛烈な暑さを乗り越えて、落日が迫る。今日も日陰はないが遺跡もなくひたすらに進んだ。昨日に比べて進める気力が残っているのは熱に慣れたのだろうが、いずれにせよ厳しいものがある。
落日により下がっていく気温はありがたいが、同時にあの風を思い出し焦燥感が増す。
「とりあえず今は進もう。そして物陰を見つけ次第入るしかない。」
「わかりました。」
そして幸運にも風の吹き始めたあたりで小さな起伏から窪地のようになっている場所を見つけ、そこにらくだを急がせる。
らくだも意図が判ったのか足早だった。窪地では予想通り風は弱くなったが、昨日の記憶からすると風はまだまだ強くなるだろう。
窪地にたどり着いた所で、ふと風が強くなった時に回りが崩れないかと、らくだを下りて辺りを調べると、崖の一部から草が少しだけ生えていた。
少なくとも草が生える期間程度は崩れていないと判断できるが、それが安全の保障にはならない。しかし振り返った後ろに広がる起伏の無い荒野を見て、ここ以外の選択肢が無い事も事実だ。
「どれくらいで風が強くなるだろうか?」
「日が暮れてしばらくしてだと思います。とはいえこの場所、ないよりかはまし程度ですね。」
「方角的には起伏の方から風が来るはずだ。何かしらの落下物があるかもしれないが、飛ばされたり砂嵐を直に耐えるよりかは安全だろう。」
風が強くなる前に急いで天幕を広げる。らくだはきちんとハクウの指示に従い待機してくれた。
何となくだが、俺よりもハクウの方が指示の通りが良いと感じる。洗脳による問題なのだろうと思うが。
風が無くなった時に天幕を張ろうかとも考えたが、昨日の夜の暗さから今日、月は新月に近い。月のない夜の暗さは格別で、その中で久方ぶりの天幕を張る作業に自信は無い。
あの強風にこの天幕は耐えれるのだろうか。風が弱まった後から天幕を張る方が良いのだろうか。何か今までの経験から指針は無いかと思い出すも、旅に出てから解っている事をやる事など、まるでなかったなと理解し自嘲する。
今改めて全てが結果次第である。天幕を組み立て、天幕を地面に固定する紐を杭に結んで地面に打ち込む。
だが地面が砂である為に打ち込んでも引き上げると簡単に抜けてしまう。どこかしっかり刺さる場所は無いか、と杭だけを地面に刺して場所を調べてみる。
するといくつかしっかり刺さる場所があった。これならばと希望が見えたが、同時に吹き始めた風に焦りつつ打ち込み始める。しかし刺さる場所がまばらである為に風に対して強い方向に打ち込めなかった。そしてもう場所に拘る時間は無い。
「とりあえず張ったぞ。」
「風が強くなってきました、中へ入りましょう。」
日が赤くなる頃には固定できた。荷物も天幕に放り入れて急いで入る。砂にまみれると中も砂まみれになる上、食糧に砂が付くことは避けたい。
「ふう。ぎりぎりか。」
「気温は今ぐらいがちょうど良いのですが。難しいですね。」
「風が止むまで待つにしても夜は気温が冷えて体力を使うからな。水が減ってきた場合は夜の時間に進む方が良いかもしれないが。しかし服装もそこまで厚いものを持ってきていないのはまずかったな。」
砂漠と聞き、暑い場所であるという先入観で動いたが、夜がここまでしっかりと冷える事は知らなかった。
そんな憂いの中、天幕の床が嫌に熱いのが気になりつつも、風が吹いてきて骨組みを揺らし始めた。あまり変形させると骨が折れてしまうので二人して手で支える。
「なかなかに風が強いが、あの起伏の意味はあったのだろうか。」
「今は無事過ぎ去る事を祈りましょう。」
風で叩きつけられる砂の音で声が聴きとり辛くなっている。風に引かれ天幕が壊れる程の手ごたえから恐ろしさを感じ始めると、何もない場所に2人だけという状況を思い出し、それは人から追われるのとは違う恐ろしさを見出していく。
なまじ人とのふれあいがあったが故に、その会話が愛おしくなり砂の音が大きいので無意識に通信にて会話をしようとしてしまうが、体力の温存を考え思いとどまった。
一時間ほどすると昨日と同じように風がぴたりと止まる。引かれる事のない骨組みに安心すると緊張がほぐれ、天幕から手を放しハクウと同時にため息を吐く。
「さて、それでは何か食べようか。」
「そうですね。しかし、地面が妙に熱くないですか?」
それは自分も気が付いていた。恐らく昼の熱を砂が吸収して残っているのだろう。試しに手だけを天幕から外にだし地面を触る。どちらかといえば、冷えた温度だった。次に天幕の下に手を入れてみるとしっかりと温かい。
「周りの地面はすでに冷えているからここも時期に冷えるだろう。」
「うーん、わかりました。」
しばらくすれば熱も抜けるだろうとハクウに光を出してもらい、二人で食事を始める。食糧は後三日分、水より余裕がある。そんな事を考えていると汗がでてきた。地面の温度が目立ってきたのだ。
「やはり熱いな。」
「食事が終わったら移動しませんか?」
「いや、杭を打ってしまった以上、全部貼り直しとなると手間だ。冷えるまで我慢しよう。」
そういって食べ終わった後、すぐに片付けて寝る事にした。が、熱い。外は割と冷えてきているが床はなかなか熱が取れない。俺は寝返りを繰り返して凌ごうとした所、顔に何かが当たる。
「うぶ。」
「あ、ごめんなさい。」
当たったものはハクウの翼だった。彼女は仰向けで寝ると翼の付け根が痛くなるのか、布団では基本的に横で寝ている。しかし天幕は空間が限られているのでうつ伏せで寝ていたようだが、うつ伏せで寝られないほど暑かったのだろう。俺は頭を少し掻き、ため息を吐く。
「張りなおすか。」
「大丈夫です。」
少し怒り気味なハクウを見て、配慮が足りなかったと反省しながら天幕を開く。
「大丈夫です!」
「すまなかった、俺がちょっと耐えられないから位置を変えようか。」
そういって俺は外に出ると、気温は既に肌寒いほどになっていた。寒さと温かさでちょうどよくなれば良いのに、と思いつつ杭を外し始める。天幕の床は明らかに暑かったが作業している今は既に明確に寒い。
そして杭を抜くついでに地面を触るとやはり天幕の下以外の場所はすっかり冷えている。布一枚でこんなにも熱を閉じ込めるのかと感心しながら杭を取る。ふとハクウの方を見ると荷物を外に出していた。
ちゃんと手伝ってくれているが、余り怒らない彼女が怒るのは、俺の配慮の無さもあれどこの厳しい環境故だろう。しかしそんな考えもどこかへ行くほどに外の寒さが辛くなり、急いで移動して杭を打ちなおした。
次の日は急に何かが覆いかぶさってきた所で目を覚ました。
「な、なんだ?」
見ると天幕の骨が限界近くにしなっており、布部分が顔にかぶさっていた。俺は急いで骨をもって押さえた。眠気は取れていない上での反射的な動きだった。
昨日の夜よりも明らかに風が強いが、風の音はさほど変わらない。天幕の中は薄暗いが中に置いたものがうっすら見えている所から、これは夜明けの風なのだろう。
ハクウも翼が天幕に当たったのか起きだし、周りを見てもう一つの曲がっている骨を押さえ始めた。
「おはよう。」
「おはようございます…。」
今回もハクウの方が寝ぼけていた。とはいえ茶化す余裕もなく、二人共無言で風が止むまで骨を抑えていた。
風が止まる頃には天幕の中は猛烈に熱くなっていた。暑さで這い出すように外に出ると外の気温はまだ肌寒い。
布から透けた太陽の光が熱を天幕の中に閉じ込めているのだろうか。そして外に出た事で天幕が大きくしなった原因もわかった。
昨日の夜に移動した際、杭の打ち直しが甘く何本か外れていたのだ。更に遺跡の夜に感じた通りに風の方向が変わったのか、起伏と逆側の杭が外れていた。
「しくじったか…。」
紐についた杭を取っていくが、紐が取れてしまった杭は打った場所が判らない。どこかにはあるのだろう。しかし、吹き飛んだのか、砂に覆われてしまったのかすらわからない。
「うわ!」
見えてる杭をとろうとすると何かに躓く。紐が外れているだけの刺さった杭だった。とはいえ砂にまみれて躓かなければわからなかっただろう、結局三本ほど失ったようだ。
「どうかしましたか?」
「杭が取れてどこかへ行ってしまったようだ。」
その言葉を聞き、ハクウは何かを言おうとして口をつぐみ、
「ごめんなさい。」
と一言いった。少し不満げな顔をしたのはなんでしっかり杭を打たなかったのか、と言いたかったのだろう。
だが恐らく言い出したら喧嘩になる事は目に見えているし、二人しかいない今、仲たがいは良くないと判断したようだ。不安と疲労が重なる状況で自制してくれたのはありがたい。
「いや、俺の失敗だ。それに暑かったのは俺も同じだ。次のために対策を考えよう。嵐の中を移動した方が良いのだろうか。」
「まずは天幕を畳みましょう。今の涼しい時に少しでも進めるように。移動しながら考えましょう。」
「わかった、急ごう。」
その後は二人で天幕を畳む。その際に天幕の屋根の布がこすれるように傷ついている事が触ってみてわかった。
やはり砂で鑢のように削られているのだろう。ならば肌を出したまま、あの風の中を進めば我々も削られるのだろう。
服の隙間をしっかり埋めれば平気かもしれないが、その中で方位磁針を見る事もは難く、ましてやそれを落とした場合は進退窮まる。
嵐の中の移動は取りたい手段ではない。らくだ達が平気なのはあの体毛が砂を通さないからなのだろうか。そう思いらくだを見ると何か悲しそうな顔をしていたので、らくだと一緒にもらったらくだ用の草をあげる。
すると目がしっかりと開き食べ始めた。意外と表情豊かなものだ。らくだが食糧を食べている間に天幕を畳み、荷物をまとめ、らくだに乗せた後に自分たちも少し食べ、方位磁針を見つつらくだに乗る。
その時には気温は心地よい程度までになっていた。暑くなる前に距離を稼いでおきたいのでらくだに速く移動するように指示を出す。
らくだ達も日中よりも軽快に動いた事から、やはり涼しい間での移動は利点が多い。進み続け日が上がってきたのでらくだに無理をかけないよう、速度を落とすついでに今日の寝る場所の話をする。
「今日はいつ頃止まろうか。」
「そうですね、やはり嵐が来る前には止まる方が良いと思います。」
「そこは俺も同意見だ。」
「それにあの山が話に出ていた山であれば、そう急ぐ必要はないかと思いますので、危険を冒してまで進む必要はないかと。」
らくだの移動速度を落として方位磁針を懐から出し、再度北東に合わせる。進行方向とずれはほぼなかった。
山は確かに進行方向の左側にある。距離があるためまだ小さいが、もともと大きな山ではないらしい。本日中にかなり近くまで行けるだろう。
「ただ、この調子ですと戻るための水が足りなくなります。目的地には水があるはずなので辿り着かない限り死んでしまいます。」
「そうか…。進むかどうかは今晩で決めようか。なくした物も今のところ杭程度だ。」
「山の麓に水辺はないでしょうか。山がある場所には雨が降ります。小山なのでどの程度かは不明ですが。」
「うーむ、少し遠回りだが可能性があるなら確認してみるか。」
二人で相談した後、俺はハクウのらくだから離れた。また刺すような暑さが来るかと思いきや、空に曇がかかり気温はいつもに比べ穏やかであった。
「日が無いと大分助かるな。」
「そうですね、このような日が続いてくれれば良いのですが。」
時折雲が途切れると日が差し暑さが戻るが、陰っている間は日照りの環境を味わった身からすると非常に快適だった。らくだには日が陰った時には少し速めに歩くよう指示を出す。
そのせいか日が明るいうちに小山の近くまで近づいた。良く見ると緑が点在している。
「ハクウ、緑が見えるぞ。」
「この規模でしたら水源がある可能性が出てきましたね。」
「それじゃあ行ってみようか。」
「いえ、もう少しこのまま北東に進みましょう。道がないこの場所では何か目印になるようなものを見つけたらにしましょう。」
「うむ、それもそうか。」
ハクウの冷静さはこの状況下で非常に助かる。やはり安全な場所に駆け込みたいという思いは、この状況で強くなってしまう。
しばらく進むと大き目の岩があった。何もない荒野でこの岩は貴重な目印だろう、近くの石を打ち付け印を作り、打ち付けた石を岩の上に重ねておいた。
「あの風で飛ばされないでしょうか。」
「無意味な事かもしれないが、今の手持ちでできる限りの事をやるしかないからな。」
「奇跡を使って刻印しますか?」
「それも考えたが、周りに特に何もない。最低限この岩が見つけた岩であるとわかれば良いさ。」
「しかし、来た方向を記しておけば次の時わかりやすいのでは?」
「微妙な線だな…。いや、先を急ごう。日が暮れる前に山の麓を確認したい。」
「わかりました。」
そういってすぐにらくだに乗る。実際の所は力を使うことも、その時間も大した労力の差はないだろう。
しかし今の状況は事を繊細に考えてしまう。この一回の奇跡で体力を持ってかれたらと頭によぎってしまったのだ。何を恐れるべきなのか、その判断も濁っていた。
岩を背に山の方へ進むと、点在していた緑の先はしっかりと木々が茂っていた。更に進むと地面に草が見える。そして沢の音がした。
「水音だ。あっちに川があるかもしれない。」
「はい、行きましょう。」
そういって2人でらくだを急がせたが、その様子から一番先に気が付いていたのはらくだ達かもしれない。
そこには小さな湖のような場所が広がっており、木々が切り開かれたように広場があった。
「やったな、水辺があったぞ。それに寝る場所としても理想的だ。」
「これで危険は減りましたね。」
そういってハクウはまた文字通り羽を伸ばした。ようやく一息つける。旅の疲労というよりも水切れによる死の恐怖からの解放だ。
安堵感は自分の想像以上にあり、脇腹の筋肉が一気に弛緩したのか少し痛みを感じる。気が付くとらくだは急ぎ足で水辺に向かい、水を飲み始めた。
結局のところ、たった二日であるが皆厳しい状況であったという事だろう。俺もらくだから降り、水を手にすくう。顔を洗うとひどく冷たく目に染みた。今までの汗が水に溶けて目に入ったのだろう。
しかしそれが笑い飛ばせるほどに心地よかった。そして水を飲もうとした時、
「一応水は浄化をした後に飲んだ方が良いかと思います。」
そう引き留められて、飲むのを止めた。
「先に水筒の水を飲みましょう。浄化を使う以上、水もただではありませんので。」
喜び故になりふり構わず動きたいものだが、しぶしぶ水筒の水を飲む。日に照らされつづけたそれはとても暖かかった。
「誂えた庭みたいな場所だな。人が作ったのだろうか。」
「木々を切り倒したような跡もありません。偶然できたものだと思いますが。」
「あの集落から向かった人も、ここを見つけてここで休んだのだろうな。」
「そうですね。」
日が暮れて野営を張り終えた今、たき火を前に二人で話す。天幕を張る場所を吟味していると、草が覆っていたが少し黒くなっている場所があった。恐らく昔のたき火の跡なのだろう。
その近くには平たくてちょうどいい草が茂った場所があり、上には大きい木が屋根のように伸びている。
今回はそこに天幕を張った。傾いた場所ではひどく寝にくいが今回は綺麗に平地な上、草のおかげで寝心地が良く、砂でない為に少し早く天幕を張っても熱を持たず問題はない。
そしてその夜たき火の跡で自分たちもたき火をした。前の人は旅慣れた者だったのか、少し物を置ける石や、たき火自体に使う石などもそのままだったのでとても作業しやすかった。
やはり他の人が選んだ場所は自分たちにも使いやすい。そして日が暮れてもここは荒野よりも冷えない。少しの肌寒さにたき火の熱が心地よい。
「そろそろ食べようか。」
「はい。」
使うか判らなかった米を時間も水もあるこの際に使う事にした。たき火を使って炊いている。中に干し肉を入れたのでそのまま食べれるようにした。
水で戻された肉の匂いが食欲をくすぐる。人らしい食事は久々であるために、匂いも相まってひどく唾が出る。
出来上がった米はたき火故か火加減が雑で、外側がかなり焦げてしまった。
だが上側と中心は割と食べれる程度には出来ていた。普段ならがっかりする食事だが、俺は口に掻きこんだ。
暖かく料理らしい味の食事はどこか安心感のあるものだった。ふとハクウを見ると掻きこむまではいかないものの、いつもより早く食べているように見える。
視線に気が付いたハクウはこちらに顔を向けると少しはにかみ手を止めた。
「失敗しちゃいましたね。」
「そうだな。」
「でも、おいしいです。」
「…そうだな。次は家で練習しようか。」
「そうですね…。」
やわらかい場所はあらかた食べ終わったが、焦げた部分にもったいなさを感じ剥がしてみると意外に硬い所も旨い事に気が付く。
頑張ってはがして食べていると、こちらを見てハクウが笑っていた。それに気が付いた時に丁度うまい事二欠片取れたのでひとつをハクウに無言で渡す。
ハクウの顔は明らかに乗り気ではないが、少しあきらめた顔をしてそれを食べると、自分の分も頑張ってはがし始めた。それに気が付き俺が笑うと、不満そうな顔を向けたがすぐに焦げた所のはがしを再開し、俺もその後に続いた。
取り切れなかった分は水に浸けておき、明日洗う事にした。ハクウは少し力を使い光を生み出し、その光を行燈のようにして天幕に向かう。
俺もそれに続き奇跡が使われている事で光る手首を使い天幕の中に入る。食事をしっかりとったので少量の力の使用は問題ないだろう。
とはいえ無暗に使用すると、せっかくの体力が無くなるので早々に床に着く。ハクウも疲れていたのかすぐに横になる。天幕の床は今までの砂とは違い、草でふかふかしていて水気があるのか少し冷たいが、今日は心地よく眠れそうだった。
しかしその時。
ガサ。
水音とは違う、明らかに外で何かが動いた音がした。
トトト。
場所からして湖の右端の方だろう。歩幅と足音からして獣、野犬の類か。確実にこちらに向かっている。
「ハクウ。」
「はい?」
ハクウの声色からどうも半分寝ていたようだ。やはり疲れが出ているのだろう。
「野犬か何かがいる。追い払うぞ。」
外に匂いのあるものを置いておいたのが失敗だった。とはいえ料理をした以上避けられなかったかもしれない。
そして冷静になるとここにはらくだがいる。足をやられただけでもここに孤立することになるだろう。
「ハクウ、光の奇跡を頼む。銃を探すから照らしてくれ。」
「わかりました。」
ハクウは仰向けになり天幕内を明るく照らす光を作り出す。焦ったのか強い光であった。案の定、左手首がかゆくなる。
俺は急いで枕元の銃と刀を取り出し靴を履く。村にいた時も野犬に出くわす事はあった。この手の野生動物はひるむと負けという事は知っている。
村を飛び出してすぐの時も似たような事があったが、あの時は数と居場所が判らなかった上に、灯りも無く俺も消耗していた。
足音の動きから向こうはこちらを確実に捕捉している。迷いなく天幕を飛び出し抜刀し、鞘を捨てる。
「ワウ!」
案の定犬だ。それに吠えているという事は、狩りではなく縄張り争いの方だろう。狩りの場合なら無言で来る。しかし問題は数である。
遅れて出てきたハクウに再度光を出すように言う。すると目の前の犬の奥に4組ほど光る眼が見える。らくだは異変を察したのか、立ち上がりこちらを見ていた。
手綱を木に結び付けてあるが、暴れれば外れるかもしれない。逃げ出さなかったのは洗脳のおかげだろう。
「ワウ!ワウ!」
前にいる犬は変わらず吠える。そしてこういう状況で取るべき行動は決まっている。
「ああああああああ!」
大声をあげて全力疾走で犬に走りこむ。恐らくこの状態でとびかかられたらうまく捌けるかわからない。しかし野犬は後ろを向いて走り出した。
自分よりも大きく、得体のしれない生きものが大きな音を立てて向かってくるのは、人であろうと犬であろうと恐ろしいものだ。犬は真っ先に仲間の方に向かった。それも予想通り、左手に持った銃を2発犬に向けて撃つ。
当てる必要はないので狙いは雑だ。更なる爆音と閃光にさらされて奥の方もガサガサと音がした。追いかけた犬も繁みに飛び込みひときわ大きく音をたてて逃げていく。
ふうと一息つき、天幕に戻ると若干引き気味の顔のハクウが奇跡の光に照らされていた。
俺はその顔に抗議をしたかったが、成人男性が声を上げて走り回り、銃を撃つ姿は滑稽であろう。少しの気恥ずかしさを感じ目を反らすとらくだが目に入る。らくだの視線も俺に釘づけだった。
「らくだがやられると危険だから、もう少し天幕の近くにしよう。」
「…わかりました。」
戦わず勝利という事で対処としては上出来のはずなのだが空気がそういう感じではなかった。投げた鞘を拾い上げて刀を入れ、銃と共に天幕にしまう。
俺はハクウが出した光を頼りに予備の天幕用の杭を探し出し、天幕のすぐ横に打ち付ける。その間にハクウがらくだを連れてきてくれた。らくだを留める為に杭を打ったが天幕用の小型の杭だ、力を入れれば抜けてしまうだろうが、とりあえずくくりつける。
ハクウもそれを察したのか、奇跡を再度使い、らくだ達に洗脳をかけ直した。
「落ち着くようにと、逃げても戻ってくるように洗脳をかけ直しました。さすがに無理に残って死ぬのもかわいそうですから。」
そういってハクウはらくだを撫でた。らくだも落ち着いた様子だ。ひと段落した所で少し頭が冴えたのか一つ考えが浮かぶ。
「犬が戻ってくる可能性もあるから、犬が来たら鳴いてもらうようにはできないか?」
そういうとハクウは少し考え、再度洗脳をかけ直してくれた。しかし、結局何もなく夜が明けた。
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