第12話 小さな教会
年季の入った木戸をきしませながら戸が開く。ベッドの上の男はその音に気が付き顔を向ける。
扉から顔を覗かせた翼を持つ少女は、男と目を合わせると小走りで男に近づいた。二言、三言話した後に少女は部屋から出て、老人が座った車いすを押して部屋に戻ってきた。
老人は無骨な骨組みのような義足をつけた上で座っている。その様子を窓の外の世界の眼は映し続けていた。
「目を覚ましたか、マビダ。」
まだ意識が不明確であるがランズの声に顔を向ける。
「ランズ、ここは?」
「下町の宿だよ。ここは機械の町がやっている宿だ。大丈夫、ここなら安全だ。」
前に泊まった場所に比べると年季が入っている見た目と木の香りがする。しかし住み心地はよさそうだ。そんな事を考えていると昨日の事を思い出した。
「あれからどうなった?」
語気が強かったのかランズは少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの柔和な顔に戻る。
「中央の手配は以前続いているが、こちらまで手は出て無いようだ。直ぐに移動したいところだが、不自然に静かな今は急いで出るほうが目立つかもしれないな。後、壁の中の宿の荷物はあの日の夜中に運び出させたが、急な状況だった為いくつか運び出す事ができなかった。後で確認を頼むよ。」
思った以上に状況は厳しくなかった。その安堵から脱力感が体に走る。
「マビダ、食事を食べてください。二日も寝ていたのですから。」
二日という言葉に少し驚きながらも出された食事を見て食欲を抑えられなくなり、手を伸ばそうとすると左手が包帯で巻かれていた。
「ああ、食事の邪魔ですね、ではどうぞ。」
そういってハクウは匙で食事を掬い自分に向けてほほ笑む。反射的に一口食べてしまったがランズが見てる手前、妙な気恥しさから右手で皿をとり、膝に置いて匙をハクウからもらう。ハクウは少し残念そうだった。
「それではお互い話すこともあるだろう。わしは退散するとするよ。調べた事についてはまた明日聞かせておくれ。」
そういってランズは一人車いすを回し出て行った。今まで起こった事は夢でもなんでもない事を理解すると、心配そうにこちらを見るハクウに気づく。その心配を吹き飛ばそうと無理やり食べ物を口にかき込んだ。
あれから一日休み、二日目に荷物の確認を行った。急ぎで荷物を運んだ事から細々したものと、新調した剣が無くなっていた。
ランズは無くなったものは用意してくれるという。申し訳ないと言ったが、英雄相手には安いものだと言ってくれた。そして問題は今後俺たちはどうすれば良いのか、という点である。食事の後、三人で話をした。
「それでマビダ、今後はどうするつもりだ?」
ハクウの体調という最初の問題は解決したが寿命という新たな問題が発覚した為に、現状での目標は彼女の延命、もしくは隷属からの開放であるが、その手がかりは調べられなかった。
とりあえず覚えている事をハクウから聞き出したがそれらの情報では何をするべきかわからない。
「一番の問題は解決できたが、ハクウの寿命の問題が出てきてしまった。だがまだ見ていない書物もあった、もう一度中央にいければ。」
「それだけは駄目だ。前回の騒動で検問は閉鎖された上、上町の警備は極めて強固になった。再度見つかった場合はこちらでもかばいきれん。」
ランズの表情は硬かった。確かに再度見つかった場合は自分が戦争の火種になってしまう。彼としても了承はできないだろう。
「だが、なぜかあれからも捜査を下町に延ばしておらん。今のうちに一度機械の街にもどってみてはどうだ?」
ランズの意見は極めて現実的だ。しかしそれは同時にあきらめでもある。なぜなら機械の街では教会や神にまつわるものは前回集めた書籍以上はないだろう。
とはいえ中央教会に行けない以上、長居する意味は無い上に危険すらある。それに機械の町に戻れば遺跡から出て来る書物から情報が手に入る可能性だってある。
既に中央教会の書物も全て見たわけではないにしろ、選別した上で見た物だ。見落としを探しに強行するのは分が悪い。
「三日後に機械の街に戻る便がある。その時に戻ろう。」
横のハクウを見ると表情から安堵が見える。そもそも、ハクウをここまで連れてきた事自体が危険なのだ。俺は一息つき、
「わかった。すまないがまた頼む。」
そう回答する。それの回答を聞いたランズも安心からか表情が柔らかくなった。
「まあこういう事もあるだろう。移動できるよう荷物の整理でもやっておいてくれ。」
「わかった。ただ、三日の間に外に出てもいいか?食べ物の補充が必要なんだ。」
「こちらでも用意できるが、まあ構わないよ。だが十分に気を付けてくれ。中央の捜査が無いとはいえ表立って動いていないだけかもしれない。それ以上にここは治安は悪い。もめ事を起こして目立った場合は中央から騎士が出てくるかもしれん。」
「わかった。明日自分は外に出るがハクウは家にいてくれ。さすがに目立つかもしれん。」
そう言うとハクウは非常に不服そうな顔をした後頷いた。
次の日に下町に出た。みすぼらしい家々が立ち並ぶ。今にも壊れてしまいそうな家にたくさんの人が住んでいた。
どの家も大人の眼光は鋭いが、子供は今まで見た村や町の子供よりも笑っていた。肥溜めのような匂いのする川の中で子供が楽しそうに泳いでいる。
適当な店に行き、適当にものを見たが大したものもない。そもそもランズの言う通り食糧を用意する必要はなく機械の町に戻るだけの今は道具も必要ない。
しかし、子供の頃に来た中央教会にこんな形で来て、こんな形で去る事に、望郷にも似たむなしさからか外へ出たくなったという事と、新たな問題とその解決の手掛かりを掴みかけた事実が期待を捨てさせてくれないものだから、この足踏みにも似た外出に繋がってしまった。
「ふう。」
俺は気が付くと坂を上っていた。坂の上には壁を隔ててその上に白く光る中央教会が見える。
あの綺麗な街並みを思い出すと随分と遠くに来た気分だが、あそこから降りてきただけだと言う事実も虚しさの一つでありここを歩く理由だろう。
あまり上に行くと外と中央を隔てる壁まで行ってしまうので時折横に移動する。それでも結構上ったからか、下町を見渡す程度の高さにはなってしまった。
小さな公園を見つけると疲れからか、溜息をついた後に長椅子に座る。不意に冷静になり辺りを眺めながら考え事を始める。
下町の人々は中央教会に救いを求めて向かったが、中に入る事ができなかった者達だ。その数は年々拡大しているという話をランズから聞いた。
この規模で治安管理がされていない結果、犯罪の温床となっているらしい。その話を聞き今日は警戒して外へ出たが特に何も起こらず問題もない。恐らく夜は厳しいのだろうが。座った事で食べ物を買った事を思い出し、懐から袋を取り出す。
「味は悪くないな。」
歩きながら道中で買った木の実の詰め合わせの袋からまた一粒とり、食べる。見た目は悪いが味は悪くない。
他にも変わった飲み物も飲んだが、知らぬ味だが旨かった。様々な人が集まった結果、ここはいろいろな物が集まるようになったのかもしれない。
一息ついて改めて周りを見渡すと、ふと視線が引っかかり下町の更にはずれに小さな家が一件だけあった。
普段であれば気にしないだろう。ただ目的もない移動の中、理由がほしくなった俺はその家に近づくように歩いてみた。が、下に降りる道中でその家を見失ってしまう。
確かこのあたり、と進んだ先に古びた教会を見つけた。左には墓地が、右の空き地で子供たちが遊んでいる。俺は故郷の教会を思い出し、先ほどの一軒家を忘れてなんとなしに入り口へ足を向けた。
中に入ると人は誰もいなかったが、代わりにやわらかな光と香りが肌に触れる。古びた木と石でできた建物だが、それ故に日の光によって心地よい香りを醸しているのだろう。
中央教会の調度品や象徴は豪華な装飾で貴金属を用いられており、見事であったがひどく無機質に見えて緊張を感じていた為に、久々にあるべき教会に来る事が出来たと感じた。
俺は何をするわけでもなく、直ぐ近くにある木でできた長椅子に座った。長椅子の座面は今までの人が座っていたであろう尻で磨かれた部分が黒く輝く。
故郷の教会にもこの尻の跡はあった、年期の入った椅子だ。歩き疲れた事もあり、座る場所がほしかったので深く座る。
子供たちの声があの頃の日常を思い出させ、望郷と安心に包まれる。しばらく浸るように休むと壁の回りに小さな象徴や像がある事に気が付く。
中央教会のものよりも質素なそれは、込められた想いが形作られたようで自分は好きだった。足も休まった為、歩いて教会内を見る。いくつか飾られている物を見て周ると、ふと壁の質感が違う場所があった。
くすんでいるが妙に滑らかなそれはまるで機械の町にあるもののようだった。不思議に思い近づくと汚れの下に何かが書かれているようだ。手袋で少し強めに拭ってやると模様が見えてきた。故を知らぬ模様、紋章のような形だった。
しかしつい最近見た気がする。疑問を感じていると自分の腕輪の隙間から天輪の跡が見えた。そして思い出す。大書庫にあった天使の本の表紙に書かれていた物と同じであると。息が止まり、望郷の場所が一瞬で緊張に変わる。子供の声が急に邪魔に感じた。
「どうかしましたか?」
「はい!」
「きゃ!」
背中から声をかけられて大声が出てしまう。後ろを振り向くと修道女が立っていた。驚かせてしまったようだ。
「ああ、すいません。なんでもありません。」
そういって俺は足早に教会から立ち去った。去り際に周りを見る。監視の機械は特に見当たらない。それでも見られていない事を祈りつつ、足早に教会から出て真っすぐに宿に戻った。
「あの教会は昔からあるものだよ。あまり詳しくは知らないが中央の人間が出入りしているという話は聞かないな。中央にいけない人が行く替りのような教会だ。」
戻ってすぐランズに話を聞く。
「何かしら中央とつながりがあるという話は?」
「どうもその教会側が中央に何度か掛け合っているようだが中央側が拒否しているようだよ。むしろあの教会は我々側だろうな。昔下町の地盤固めの際に掛け合って少量ながら出資している。」
その言葉を聞き詳しく調べてみれないかと考えた。
「もしかしたら重要な情報があるかもしれないんだ。あそこにハクウを連れていきたいのだが何とかできないだろうか。夜に人払いと入出の許可をしてくれれば十分なのだが。」
「ふむ、確認してみよう。」
そういってランズは車いすを動かし彼の自室へ向かった。そしてそれとは別に後ろから足音が聞こえる。
「どうしたのですか?」
ハクウだった。
「町を探索していたら小さな教会から中央図書館にあった本と同じ紋章を見たんだ。壁も遺跡の様だった。何かあるかもしれない。」
無防備だったハクウの顔は目を見開き次の瞬間に硬くなった。
「今そこにハクウを連れていけないかランズに交渉を依頼したんだ。だがもし交渉がうまくいかなくても無理にでも行こうと考えている。」
「そう、ですか…。」
そういってハクウは踵を返し、二階へと上がっていった。俺は降って湧いた希望に身構えていたのだろう。だからハクウの力ない返事に違和感を感じなかったのだ。
窓の外の闇から小さな光が見える。きっとあれは電気ではなく小さなろうそくの灯なのだろう。過去の文明の建物を遺跡と呼ぶが、今私が住んでいるこの場所の方がよっぽど遺跡のようだと思う。
ふと月を見る。半月と三日月の間程度か。半端な灯りが窓から入る。夜の光を見るために部屋の灯りは消していた。
「どうしよう。」
マビダは今私を生かそうと努力をしてくれている。それは彼の贖罪なのだろう。そして恐らく、正しい事だ。私は自身の死には否定的だし、それ以上に私の本能というか、根幹の概念が天使に戻るべきだと、そういっている。だが。
「私は、」
隠れ住んで生活している今は正直嫌だが、機械の町であれば話す相手もいる。向こうでも嫌な目で見られる事もあるが何よりもマビダがいる。彼といると心地よいのだ。
それに天使であった時は混濁した意識があるだけで、何かをやっていたのだろうが、何も覚えていない。あれは生きていると言えるのだろうか。
「私は。」
今のままで数年後死ぬとしてもそれは彼と別れる事が少し悲しいぐらいだ。それ以上に天使に戻る事は漠然とした正しさからそうあるべきだと考えている。
しかし、元に戻った時、私はまたあの混濁の中に沈むのだろう。そして、元に戻った私はマビダをどうするのだろうか。
「私は…。」
私は泣き出してしまった。今の生活でいいんじゃないのか。そう思ってしまうが駄目なのだろうか。
確かに迷惑はかけるだろう。それに今のままでは正しくないという感覚がある。何もなければいいのに。違和感まみれのその望みを涙とともに拭い、窓を閉めた。
それでも拭いきれなかった思いを抱えてベッドに入る。祈る相手のいない私はただ望むという事しかできなかった。
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