第11話 大書庫

 男は一人中央教会の大書庫へと向かう。石畳を越えるとなだらかなアスファルトが敷かれ、建造物の造形が一気に変わる。


ここからが本来の中央教会なのだろう。その先にはこの町のどこからでも見える教会がどんどん大きくなっていった。


男が足を止めてそれを見つめている時に、小さな村では机に伏せて眠る一人の猟師が居た。横に開かれた教本には男が見ている風景と同じ写真が載っている。


二つの世界の眼は同じ太陽を反射しながら、それぞれ二人を映していた。






「それでは証の確認を行います。」


そう言われ大書庫の騎士に証を預けたのは半刻前か。長椅子に座りながらも昨日検問を通れた事は偶然だったのではという考えがよぎり緊張する。そして検問よりも待つ時間が長い。


「はい、ありがとうございます。初回の確認が終わりましたので神証を張り付けておきます。こちらがあれば次は早く通れるようになりますよ。」


今回も無事済んだ。が、なにか証の裏に縞模様のものが張り付けられていた。これが何を意味しているのかよくわからなかったのだが、はがす理由もない。


帰ったらハクウに聞いてみようか、そう考えながら大書庫の門をくぐる。建物の中には見上げるほどに書物が並んでいた。


ここには世界中からの書物が集められると言うが、この様子からして誇張でもなさそうだ。


天啓を書き留める事は禁止されているが、どうしても書き留めたい場合は中央教会に許可の申請を行い、さらに一定期間たったらここに納めないといけない決まりがある。


簡単な絵本や教会に認定された書物であれば所持を許されるが、一般的に書物の所持は禁止されている為、本棚が並ぶこの光景は圧巻だ。


「たしかハクウが言うには…。」

ハクウは自身の事を調べるのであれば天啓の記録や神話ではなく、兵器、機械のくくりで調べろと言っていた。どういう意味かと聞いたがそのままの意味だと言っていた。


「無いな。」


そもそも兵器というくくりが無かった。それもそうだ、俺もハクウから聞くまでは知らない言葉だった。とはいえこの蔵書量、何かないものかとうろつくと古代語というくくりがあった。


「ふむ、どうせだし。」


独り言が増えるのは孤独を感じているからだろうか。仇として殴り掛かったハクウは確実に自分の中では大きな存在となっているのだろう。危険を冒してまでここにいる意味すら彼女にあるのだから。


古代語は区画が小さく、さらに人もいなかった。しかしよく見るといくつか古代語と併記して今の言葉で書かれているものがあった。


ハクウは使者、従者とかかれたもの、もしくは連結兵器と書かれた本であれば書いてあるかもしれないと言っていた。俺は一つ一つ本を流し見ていく。


「これか?」


ハクウの言っていた言葉は見つからず、従の文字が入る従属体の基本と書かれた本を見つけたのでそれを手に取る。埃かぶっていた本を手に取ったからか少しべたつく。だれもこの区画に入る者などいなかったのだろう。


中身を見ると沢山の古代語と少量の現代語と図が乗っているようだ。本の絵を適当に見ていくと翼は生えていないが天輪が乗った男女の絵が描いてあった。


当たりかもしれない。本を持ち、机に座って読み始める。いくつか読める部分は奇妙な事にまるで道具の説明の内容のようだった。




 従属体は人の作業や生活の補助を目的として開発された生体部品でつくられている生命体です。基本的な構造は人そのものでありますが、頭には操作輪という光る輪が浮いています。オーナー登録の際は電源を切っていただいた上でこちらの輪を腕につけ、認証を行ってください。


注意 認証後は保管状態に比べて著しく寿命が落ちます。


認証の際に衣服などが間にありますと正しく認証されない場合があります。また、認証には二時間ほど時間が掛かります。




 あまりにも物のように説明するのでこれが本当にハクウが言うものなのか疑ってしまう。それによくわからない言葉も目にするが図にあるように天輪が手首につくところなどは合致する。嫌な予感を抱えながらもページを進める。




 手首の操作輪をさする事により様々な操作ができます。項目は目次を参照してください。


キャリブレーション

キャリブレーションにより使用者と従属体の校正を行う事ができます。起動中に高負荷が続いた場合、ユーザーとのシンクロがとれず正常に機能しない場合があります。


その場合、操作輪を右に三回、左に三回、回すようにさすってください。従属体が静かになり、目を覚ました後、口頭で状態を確認できます。この動作中に中断すると精神バランスを崩すこともありますので、安定させた状態で行ってください。


キャリブレーションは三十分以上かかる事があります。もし再起動しなかった場合は操作輪を軽く三回たたき、強制起動をしてください。




俺はふと左手首を見た。手首を隠すように皮の手袋を付けている。この下の焼き印にそんな機能があるのだろうか。今までただの痣だと思っていたものが、急に気味の悪いものに思える。


俺は目次に戻り一通り項目を見直す。分量的に全て読めないので気になった点だけを読んでいく。




強制吐露

従属体は基本的に自我があるため、特定の情報を聞き出す事が困難な場合があります。その場合、以下の操作で強制吐露状態にする事が可能です。強制吐露状態では情報、心情等も正確に言いますが、それは今現在の従属者の思いであり、経時変化する場合があります。


遠隔通信

離れていても、しゃべらなくても会話が行えます。(範囲は遮蔽物なしで1キロメートルほどになります)こちらから言葉を送る場合は操作輪を手で触り、送りたい物事を考えてください。(初期設定)設定を変える場合は以下の図の操作を行ってください。また、従属体の意志を常に読みとる設定はこちらになります。


注 オプションの通信機を従属体につける事でネットワークを介して様々な場所で通信が行えます。




目を疑う内容が書かれているが、この通信は以前に使用したものだ。やり方に差異はあるが根本は間違ってない。更に読もうとしたところ書庫に鐘の音が鳴る。急いで続きを読む。




刷り込み 基本的に従属体は知能、感情を持ち合わせていますが、所有者に好意を




「閉館しますよ。」


そういって受付の男がこちらに話しかけてきた。集中していたのかまるで気が付かなかった。


「あ、ああ。」


読んでいる物が常識を壊すものであるからか、俺は元あった場所に急いで隠すように本を置き、足早に大書庫を出た。






「おかえりなさい、マビダ。」


ハクウはそういって窓の近くの椅子に佇んでいた。もうすぐ日も暮れるだろう。蝋燭の光はすでに灯してあった。


「ありましたか?」


「ああ、おそらく。さっそく試してみよう。横になってくれないか。」


「わかりました。」


そういってハクウは立ち上がる。今日は半日も離れていないがその足取りはすでにおぼつかない。薄暗くて気が付かなったが、間近で見た顔は調子が悪そうだった。


「いくぞ。」


「はい。」


俺はハクウに治ってほしいと思っていたが、同時にこの操作が違う事を強く願っていた。操作は確か、右回転に三回、左回転に三回さする。


「あ・・・。」

ハクウは小さく嘆いた後、目を瞑り動かなくなった。俺は触ることもできず、ただ待つ。


機械の町からここに来たであろう、壁にかかる時計の時を刻む音だけが部屋に鳴る。三十分過ぎたがハクウは起きなかった。


強制起動を行おうと手をかけたが、思い直してやめた。ハクウを残し部屋を出ようかとも考えたが、この状態で天輪が離れるのはまずいのではと思いとどまる。更に十分ほど待った後、ハクウの頭をなでていると、目を開いた。


「マビダ?」


「ああ。起きたか?」


「はい。」


「様子はどうだ?」


「まだよくわかりませんが、今はとても体が楽です。」


ハクウはそう言って微笑む。俺は暗い顔を隠すのに必死だった。






 元気になったハクウはどうしても外に行きたいという話となり、二日間ほど二人で中央教会を回った。


金は機械の町で稼いだため余裕があった。停戦の功績で大金を提示された際に、村では聞いたこともないような額に一度は断った。しかし半ば無理矢理半分押し付けられ、残りは預かっておくとランズに言われた事を思い出す。


「こちらにいきましょう!」


ハクウは今まで見た事ないほどのはしゃぎぶりだ。山を越えて機械の町の前に着いた時以上だ。


出会いは最悪に近いものだったが、あれからの出来事で俺にも大分慣れた上、よほど校正を行う前が辛かったのだろう。その姿は見た目通りの年頃の少女だった。


「あまりはしゃぐな、目立つとまずい。」


更に宿で練習したのか翼をうまく肩と腕に沿わせるようにして、目立たないようにする技術を得ていた。もちろん外套は必要だが機械の町ですぐばれたから色々試したそうだ。にしても知らぬ間にそんな努力をしているとは。


この微笑ましい光景に自分も付き合いたいのだが、中央教会の真ん中で禁忌の存在である我々の立場は非常に危うい。


翼が目立たぬとはいえここでのハクウは天使を至上の美観としているこの町の人々には、嫌でも視線を引き翼抜きでも目立っている。そして正体がばれたら確実に殺されるだろう。


とはいえ中央教会は見た事がないほど綺麗で、発展した安全な街並みに自覚できるほどに油断をしていた。そしてそれでも結局のところ何も起きなかった。上町はとても安全だったし、町の人もいい人ばかりだった。ここに戦禍が訪れなかったことは本当にいい事だったと思う。


「リンゴパイまた食べたいですね!」


「いや、結構いい値段しただろう。金があるにしてもあまり使うものじゃない。」


宿に戻ってもハクウは元気なままだ。俺も気を付けていたとはいえ、彼女につられて久しぶりに笑った気がする。今は家族の事を考える時間も減っていった。それは果たして良い事なのだろうか。


「じゃあ店主さんは別のお店におすすめの定食があると言ってました。お金を気にするなら明日はそちらにいきましょう。」


しかし自分は聞かなきゃいけない事がある。そして、それができて、やり方も知ってしまった。


「ハクウ。」


「なんですか?」


「お前はどうしたい?」


「どうしたいとは?」


「今後の事だ。」


彼女は最初戸惑っていたが俺の顔を見て気づいたようだった。そう、我々の今後の事だ。今回ハクウの体調を戻す事に成功したが、それと同時に著しく寿命が落ちるともあった。


治ったその日に伝えたが、なぜかその事にハクウは無頓着だった。機械の町に戻れば生活することができるだろう。だが彼女はいつまで生きれるかわからない。


「わかりません。」


言葉に詰まっていたが、ハクウはそう答えた。先ほどまで楽しそうに笑っていたが、今では怒られた子供のようだ。娘も生きていればこういう事もあったのだろうか。


「考えて答えは出るか?」


「・・・わかりません。」


嫌がらせでやっている訳ではない事を彼女は理解しているのだろう。しかし、それでも表情はぬぐえない。


「本当にわからないのか?思っている事はないのか?」


「わからない、です。」


そう言うと泣き出してしまった。責めているわけではないが、聞かなければならない。


「すまない、使うぞ。」


「何をですか?」


俺は手首を持ち、体側に向かって三回さすり左右一回づつ回した。とたんにハクウの目に生気がなくなる。


「質問を。」


ハクウは濡れた目元のまま俺を見つめていた。先ほどの感情的な彼女から急に何もなくなった今の状態は、きっとハクウではないのだろう。


だがたとえ目の前の相手がハクウでなくても、後悔と罪悪感が声に出ないようにする。


「お前は神の元へ帰りたいか?」


話を複雑にしないよう、そのままに言った。ハクウは即答せず俺がいる方向の虚空を見つめたまま、長い時間押し黙った後に。


「はい。」


そう答えた。


「なぜだ?」


この質問は思わず出てしまった声だった。今日一日の彼女はとても楽しそうだったが、それがすべて演技であったりするのだろうかと、恐ろしくなってしまったからだ。


「堕天した以上私は神に追われる身、あなたにも危害が及びますし、機械の町のみなさんにも危害が及びます。そして私は本来神に仕える者、機能として元に戻り神の元で使命を全うする、そうあるべきだからです。」


「そうか。」


状況に対して極めて現実的な意見だし、天使として生まれた以上そうあるものなのかもしれない。しかしその判断に自身の意志や寿命は考慮されていない。


ある意味で彼女らしいが、それは本当に今日楽しそうにしていた彼女の望みなのだろうか。追加で一つ、質問をすることにした。


「もう一つある。今日は楽しかったか?」


「はい、とても。」


回答は速かった。それを聞き、俺は少しため息を吐いて、覚悟を決めた。俺は手首を二回軽く叩いた。


確か一回はやり取りの記憶を残さずに終わらす、二回はやり取りの記憶を残したまま終わらす。責任と贖罪から、俺は二回を選んだ。ハクウの目に生気が戻る。


「あ、ああ。」


「すまない。聞かせてもらった。」


「なぜ聞いたのですか。なぜ。」


ハクウは再度泣き出してしまった。今日のまま、笑って終われたらよかったのだろう。しかし、いくら憎まれてもいくら罵られようとも彼女の為になるなら構わないと決めていた。


「明日、一緒に大書庫にいかないか。あそこには古代語で書かれた書籍が他にもある。そこに天使への戻り方や寿命の伸ばし方が書いてあるかもしれない。」


「私、私は。」


「せめてやり方だけでも調べるべきだ。今のお前の思いは別にあるにしてもだ。」


ハクウは泣きながら抱き着いてきた。その体は震えている。一連の行動から拒絶される事を想定していた為に驚くが、ゆっくりと抱きしめる。


天使がどうとか以上に俺はただ彼女に生きてほしいと思った。彼女はひとしきり泣いた後、小さくわかりましたと嘆いた。






 翌日に二人で大書庫へ向かった。受付では前回証に張り付けられた縞に光を当てると許可が簡単に出た。彼女が言うにはバーコードというらしい。


二人で入れた事に安心した後、直ぐにハクウの顔を受付に見られて騒がれた時は肝が冷えたが。ハクウの顔は朝から落ちこんだままで、大書庫に入った後でもそれは変わらなかった。


「ここの列だ。」


慣れた足取りで古代語のくくりに向かった。ハクウを横に見る。その表情はまるで怪物と対峙した様だ。ガンズと戦う前よりも険しい。


「一緒に探そうか。」


彼女にここまで負担をかける事に若干の後悔を感じながらハクウに声をかける。俺は古代文字を読めないので前に見つけた本をよく読んでおこうと考えていたが、彼女を一人にするのは厳しいと感じた。


「いえ、大丈夫です。こちらで確認します。」


そういってハクウは笑顔をこちらに向ける。


「いや、俺が一緒に探したくなった。」


結局の所、こういった方がいいのだろう。


「わかりました。」


そういってハクウは列に入っていった。俺も一緒に入る。とはいえ探すにしても自分は古代文字は読めないのでハクウにどのようなものか教えてもらい、探すのを手伝う。


とりあえず彼女は三冊ほど見つけ、それを読む事にした。俺は前回読んだ本を持ってくる。それ以外も軽く探したが、解る言葉で書かれているものはすぐに見つからなかった。とはいえこの本も見知らぬ単語が多い為にいまいち理解が出来ていないが。


「なあ、ハクウ、この本は一体なんの本なんだ?」


「それは、私の元になった型のマニュアルです。それを元に天使が作られました。元は人の生活補助などが目的でした。」


そういうハクウは顔色こそ元にもどったが、少し悲しそうだった。となると天使は人の為に神が作ったのだろうか。疑問は尽きない。


「さあ探しましょう。時間はそこまで長くありません。」


そういってハクウは手元の書類に目を通す。自分もその本に目を通す。ハクウは読む速度が速いのか、俺が本を読み終わる前に三冊を返しに行き、別の三冊を持ってきた。


「もっと多く持ってこないのか?」


「目立ちますから。」


そういって笑うハクウの顔は日差しが変わったからか判らないが、影が濃くなっていた。ハクウが二回ほど本を交換した辺りで俺の方は読み終わるが、結局周りが気になって頭に入らなかった。


三回目の本の交換へ行った後、本棚の方から話声がする。ハクウが職員らしき男に話しかけられていた。細かく移動したのが逆に仇になったのだろうか。


「古代語の本をよく読みますね。」


「は、はい。」


状況を察したのかハクウは声が上ずっていた。急いで割に入る。


「ええ、妻が古代語の事を調べてみたいと言いまして。」


「そうですか。しかし妙ですね、古代語は秘匿されているものです。それを知る術も、読み解く事さえも禁忌とされているものを、なぜ?」


古代語については自分はあまり教わらなかったため、その事を知らなかった。恐らく神職の役職が上がればそのような話を知るのだろう。


「いえ、昔のものに触れてみたいという事でただ眺めているだけです。意味はさすがにわかりません。」


そうやって自分はおどけて見せた。笑い話と流してくれるとありがたいが、状況は以前としてまずい。


「そうですか。しかし、その割にはずいぶんと特定の本を借りていきますね。内容は兵器、従者といったものでしょうか。管理する側としても禁忌とはいえ読める人はいなくてはなりません。少量ながら、私は古代語を知っているのですよ。」


場がひりつく。この場に居続けるのはとにかくまずい。とっさにハクウの手を取り、この場を離れようとした途端、俺の左腕を捕まれる。


「ふむ、何を付けているのですか?手袋を取らせていただきますよ。」


そういって手袋を外される。だがその下には機械の町でもらった革の腕輪が付いていた。


「腕時計ではありませんでしたか。とはいえ少々、ご同行願います。」


彼は機械の町からの密偵と思ったのか、少し力が弱まった。その瞬間に俺は腕を振り払いハクウを引っ張って走りだした。


「警備兵!来てくれ!」


捕まるわけにはいかない。念のため手袋の下に腕輪をつけておいて助かった。痣が見られたら決定的だっただろう。


走り始めた時はそんな事を考える余裕があった。走りながら壁にかけてある時計を見ると、十六時ぐらいだった。


「止まれ!」


軽装の警備兵が入口をふさぐ。体当たりで飛ばすしかないだろう。ハクウの様子を見ると片手で外套を抑えている。


手首の事ばかり気にしていたが、翼を見られる事の方が危険性が高い。ハクウと目を合わせ、小さくうなずいたので手を放し、更に加速する。


「うお!」


警備兵一人に体当たりをして吹き飛ばす。しかしその際の減速で、隣にいた警備兵に脇腹あたりの服を掴まれた。


「おとなしくしろ!」


手で振り払おうとした所、その後ろからハクウが走ってくるのが見える。


「えい!」


引っ張られる寸前にハクウが自分に突っ込んできた。思った以上に力が強く警備兵の手が勢い良く離れる。体勢を崩しながらも走り続ける。最初に倒した男が立ち上がろうとしているのを尻目に通路を進み、なんとか建物から出た。


「待て!」


来た道から警備兵が更に数人出てくる。一般人からも目が集まるが顧みず大書庫から離れる。


「まずいです。」


建物の影に隠れて少し話す。


「どうした。」


「走ると羽が抜けます。外套にこすれてだと思います。」


それどころではないとも思ったが、落ちた羽で天使だとばれる可能性を思い付き身の毛がよだつ。今までの生活でも部屋に羽が落ちてはいたものの、後ろを振り返ると今回は確かに多い。


線のように続く羽毛をたどり顔を上げると、その先に居る警備兵と目が合う。警備兵の様子からまだ羽毛を気にしている様子はないが。


「こっちだ!」


その声に応じて再度走り出す。とりあえず安全な場所に逃げたい所だが、宿は逃げている方向の逆だ。このままではたどり着けないだろう。喋ろうにも息が続かないので革の腕輪をずらして痣を手で握り、天輪による通信を行う。


(このまま人通りの多い場所に入って大回りで宿の方へ向かおう)


(いえ、呼び止められた場所にはカメラが、ええと、遠隔で映像を送る機械が上についてありました。この機械化の度合いだとおそらく私たちのような通信ができる可能性があります。その場合、我々の外見の情報が共有されて動き辛くなります)


頭の中にハクウの声が流れる。つまりは時間が経てば経つほどに警備は厳重になるという事か。今の時間は日暮れの頃合いだろうか。後ろを見ると人影は無いが抜けた羽が目立つほどに続いていた。嫌な目印となってしまっている。


(ならば外壁を超えて下町に身を隠すしかない。羽の方はどうだ?)


応答はすぐに返ってきた。


(翼をねじって入れると抜ける量が少し減るかもしれないのでやってみます)


声を出さずに意思疎通ができるのは、息を切らしながら走る今に改めて便利だと思った。俺らはとりあえず闇雲に坂を下る。


山のような形状をしている中央教会は下に行けば必ず下町との境目の壁にたどり着くだろう。そこから大外回りで宿にいければ良いが、情報が共有されているとなると、その道中で見つかる可能性は高くなる。


治安が不安定な下町へ出る以外に手は無いのでは。だがその場合はどうやって壁を超えるかだ。破壊して進むにしても厚さが判らない上に恐らくその威力を我々で出す事はできないだろう。検問を急いで通るのも、ハクウの言う通りならば通信によって当然閉められているだろう。


「あそこにいる!」


全く別方向からの警備兵が声をあげた。ハクウの言う情報伝達は確実なようだ。俺たちは細い道と大きくて人が多い道を交互に行く。


裏道に入って初めてわかったが、町自体が入り組んでいるようで一時的に警備兵をまくことはできても不意に見つかってしまう。だが時間を稼いだ結果、日が暮れて風が出てきた為に、ハクウの抜け落ちた羽は目立たなくなり一つ杞憂は減った。


「どうするか。」


壁に近づく頃にはちょうど日が暮れていた。物陰に隠れていると街灯がぽつぽつと付き始める。仕組みからしてこれは機械の町と同じ物だろう。


この灯りのおかげで偶に石畳に足が引っかかりながらも走る事ができる。しかし、町の端まで行っても下町とを区切る壁は身の丈の四倍はある。何か突破できる場所を探したい所だが、恐ろしい事に帯剣した騎士までうろつき始めた。


向こうはかなり強行に捕まえる覚悟のようだ。ハクウの正体が割れた可能性もある。念のため短剣は持ってきたが鎧を着る彼らには勝てないだろう。


奇跡による攻撃であれば突破はできるがそれは本当に最終手段だ。周りに警備が無い事を確認し、ハクウに話しかける。


「登れるか?」


ハクウに聞く。自分一人なら登れるがハクウが心配だ。


「登れますが時間がかかります。おそらく途中で見つかる事でしょう。それ以上に登れたとして、降りれるかが問題です。」


確かに壁は岩積みなので登ることはできるが街灯に照らされてしまい目立つ。それに上まで登りきった所で下町に灯りは無い。暗闇の中降りるような技術は当然無い。


更に言えば、来る際に見た時の外壁側は侵入防止なのか滑らかに整えられていた。人に追われて疲弊している状況下の冷静な判断に、さすがと思うがハクウは少し震えていた。


人に追われる状況は機械の町でもあったが、どうも騎士を見かけてからこのような感じだった。武装しているという明確な攻撃の意志表示がそうさせているのだろうか。とはいえ壁を越える選択肢は依然として厳しいが、この状況で捕まったら死ぬ事と同義だ。


騎士がうろつき始めたのも機械の町同様、堕天した天使の噂が中央教会に来ていても何もおかしくはない。


または抜け落ちた羽に気が付かれてしまったのだろうか。ハクウを安心させるために肩を引き寄せると外套がふわふわしている。なるほどこれがねじ込んだ翼か。うん?


「ハクウ、飛べないか?」


そういえばハクウは天使の時に少し浮いて移動していた事を思い出す。


「飛べます。しかし。」


「なんだ?」


「二人でこの高さを超える場合はとてもエネルギーを、力を使います。何より、翼が強く光りますし羽ばたく必要があるため外套で隠すのも難しいです。」


野盗との戦闘では昼だったのであまりわからなかったが、闇に隠れる今ではその光は極めて目立つだろう。暗くなった後に壁を越えようという考えが裏目に出てしまった。


「ですがそれが一番現実的でしょう。やります。痛みに気をつけてください。」


この際取れる手段は多くない。やるしかなさそうだ。


「頼んだ。」


俺は着ているものを一枚脱ぎ左手首に巻き付ける。恐らく俺の手首も強く光るはずだ。


「一時的に翼に力を貯めます。痛みに備えてください。」


「わかった。それと一、二の三で跳ぼう。足で跳ねれば少しはましになるだろう。指示は任せる。こちらが合わせよう。」


「わかりました。いきます。」


手首に痛みがはしる。盾を張る時に比べれば緩やかなものだが、その感覚が長い。


「まだか。」


「急激に力を使うと手首が壊死する可能性があります。もう少し。」


「いたぞ!」


見つかった!


「言ってもられん!頼む!」


「解りましたカウント行きます、一、二の、」


痛みが強すぎるのか手の感覚が一時的になくなる。巻いた服の隙間から光が漏れる。そしてその光は横からの更に強い光にかき消される。ハクウが翼を広げた。背中の光の強さにひるみながらも足に力を入れる。


「さん!」


跳んだ瞬間さらに輝く。強い風から一度の羽ばたきに力を込めたようだ。後ろからの驚く声は騎士が光にひるんだのだろう。


人ひとり分の高さを飛んだ以降は浮遊感から背筋が変な感覚になるが、以前ベルトに抱えられて飛ばれた時よりも速度は遅い。


高さが届くかと心配になったが、ゆっくりと壁の向こうが見えて腰ほどの高さ分上を跳びこし、落下する。


だが灯りがない真っ暗な下町は降りる地面が見えない。肝を冷やしながらも落ちていくが、ハクウはわかっているように着地の際に一度だけ大きく羽ばたいた。


その勢いで俺は態勢を崩したがハクウがうまく支えてくれた。衝撃の弱さからも恐らく力を使いながら速度を落として落下したのだろう。


「いきましょう。」


「あ、ああ。」


着地による瞬間的な安堵と倦怠感から返事が遅れる。それにしても夜がやけに暗い。街灯が無い上に目がかすんでいるようだ。数歩進んだ所で背中の壁から声がする。


「壁を越えた!相手は天使様の羽をもっていた!大罪人の可能性あり!場所は」


「通信しています。人が寄ってくるでしょう、急ぎましょう。」


「わかった。」


そういって答えたが走り出すと俺の足がもつれて走れない。また人影は無いが無数の視線を感じる。下町の人間があばら家の隙間から遠目に見ているようだ。


「さすがに目立ちすぎたか。」


「しかたありません。そしてどちらに向かえば良いでしょうか。」


「わからない。」


急にきた疲労と戻ってきた痛みからか弱音を吐いてしまう。しかし、どこに行くべきなのか、そうか、初日の宿へ。だがここはどこなのか。


周りは木の張り合わせと土の壁が並ぶ家々だけだ。のぞかれる目からも殺気が混じっているように感じる。それにハクウも気づいたのか、進む足が遅くなった。そして次の瞬間、目の前の地面が爆音と共に炸裂する。


「うお!」


「きゃっ」


砂から目を守るため覆った手が痛み意識が飛びそうになる。かろうじて立っているような状況だった。そして目の前には土埃の中心に人影が見え、近づいてきている。


「派手にやったな、マビダ。」


とっさにハクウは翼を前に出して身を守っていたのだろう。翼に残った光が相手の顔を映し出す。


「ランズ!」


「あまり叫ぶな。つかまれ、行くぞ。」


その足は以前見せてもらった巨大な足ではなく白く細い義足がついていた。俺たち二人はランズにつかまり、もう一度空を飛んだ。

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