第9話 終結
手首に痣を持つ男は頭に包帯が巻かれ白いベッドの上にいた。無機質な病室と三階という高さ故の煙突と空しかない景色を彼は見つめ続けていた。
しかし男は不意にベッドからゆっくりと降りて窓辺へと行く。男は病院の庭で遊ぶ子供たちを見て目を細めていた。
子供たちが去った後、しばらくしてまたベッドの上にゆっくりと戻る様子を、迎いの建物にある世界の眼は映していた。
町長と闘った後、俺は病室で目を覚ました。すぐ横にはハクウがいて、目が合った瞬間におろおろして走って部屋を出て行ったのを未だ覚えている。
その後は朧気であったがここ一週間で起き上がり動ける程度にはなってきた。あの戦いを終えてからというものの、子供の声を聴いても昔のように感情が煮えくる事はなくなった。心に余裕が持てるようになったのだろうか。
あの焦燥が無くなった今は救われた気分だが、同時にそれは家族を忘れた事にならないかと申し訳ない気持ちにもなる。そしてこれからの事を一人には大きすぎるこの部屋で、長すぎる時間の中よく考えたが未だに答えは出ていない。
なんとなしに左手首を見ようと腕を上げると、部屋に一つしかない扉から音が響き静かに開いた。
「お加減はどうですか。」
医者に目が行き、左手は布団に下ろした。
「ええ、問題ありません。」
「それは良かったです。頭が割れているわけでもなく、首の骨にも異常はありませんでしたし、栄養失調も良くなったみたいですね。これなら予定通り退院出来そうです。頭の傷は残りますが髪ですぐわからなくなりますよ。」
「そうですか、ありがとうございます。」
村から出て、久しぶりに敬語を話した気がする。結局気負いや見栄で言葉が荒くなっていたのだろうか。悩みの答えは出ていないが久しぶりに落ち着いて休むことができた。
「おう、お前もやっと上がりか。」
町長のガンズが看護師の後ろから入ってくる。予備の義肢なのか体躯は以前よりも小さくなっていた。それでも大柄であるが。
「ああ、まあ銃弾は当たってないからな。」
入院中にガンズは妙に顔を出すようになった。機械と生身の接続部を見る関係でガンズも自分と同じ日に担ぎ込まれたと聞いた。ガンズの方は大きな怪我はないため入院せずに通っているようだが、診察が終わると毎度顔を出してくるのだ。
今まで遠慮しているのか部屋に入ってくる事は無かったのだが、退院の言葉を聞いたからだろうか。今の表情は戦う前よりもずっと柔和な笑顔になった。声の大きさは変わらずだが。
「まったく、天使に勝つだけはあるぜ、まさか機械化してない相手に負けるとはな。というか、ランズから聞いていなかったのか?俺がこの町最強の一角だって事をよ。」
見降ろされている今の状態で勝ったと言われるのは皮肉めいて聞こえるが、その顔に悪意はない。
「ほとんどハクウのおかげさ。戦力についてはランズから聞いていたし、止められたよ。だけど俺が志願したのさ。」
そう言うときょとんとした顔に変わる。戦争の枷が外れた彼は意外と表情豊かなようだ。
「なんでまた。」
「結局、俺は教会に戦争を仕掛ける事には賛成だったんだよ。だからレジスタンスに協力する時に、その選択をした自分に責任を持ちたかったのさ。自己満足だがね。」
「そうか・・・。」
看護師が窓を開ける。機械の駆動音や鉄を打つ音がいつもより大きく聞こえる。これがこの町の日常だ。独りきりのこの部屋ではそれしか聞こえず慣れてしまった。
「それでは明日、退院の手続きを行います。包帯はもういらないと思いますので明日の朝とりましょうか。」
「わかりました、よろしくお願いします。」
「おう、助かったぜ。」
そういってガンズと共に看護師が出ていくのを見送る。
「なんで医者には敬語なんだよ。」
何故かガンズから小声で聞かれた。
「うん?まあ、前職からの癖かな・・・。」
「何やってたんだ?」
「ええと、神父だ。」
ばつがが悪そうに答える。
「ハア?」
やはりそういう反応になるのだろうな。
「ってぇとお前、元神父で教会に戦争仕掛けるのに賛同してたのか?」
「ああ、まあ。」
「何があったんだ、教えてくれよ。」
俺は話すのをためらったが、気が緩んでいるのか話そうとした途端に扉が開いた。
「マビダ、加減はどうですか。」
「ああ、ハクウ、予定通り退院できそうだ。」
「おう、邪魔してるぜ。」
ハクウはガンズを見るに少したじろぐ。苦手意識が付いてしまったようだ。
「そんじゃあま、俺もここいらで退散するぜ、退院したらまた役所に来てくれよ。」
ガンズもその様子を感じ取ったのだろう、扉へと歩いて行った。反対にハクウは扉からこちらに駆け寄り、すぐに自分の横についた。その様子からやはり恐怖は残っているようだ。
「ハクウ、お前は大丈夫なのか?何か顔色が悪そうだが。」
「いえ、私は大丈夫です。」
なんとなく彼女の顔色に違和感を感じたが、その話をした途端にハクウは悲しそうな顔になった。入院中の意識が鮮明になった辺りで彼女に話しかけるとそれに安心したのか彼女が大泣きしていたのを憶えている。
ハクウもいっしょに病院に運び込まれたが直ぐに回復したそうだ。それよりも俺の方が重症で、しかも外傷よりも栄養失調がひどいという事だった。
彼女は奇跡を使い過ぎたとひどく悩んでいたようだ。俺は何度も、あの銃撃の前に出たのだから仕方ないと言っているが、表情が晴れた事は無い。
「しかし旧世代の医療設備がここまでそろっているとは思いませんでした。ちぐはぐではありますがなかなかの設備が使えるようですね。」
ハクウはそういって近くの椅子に座る。確かに村では見たこともないものがたくさんあったが、自分ではよくわからなかった。
「ありがとうございました。」
ハクウは急に礼を言った。
「何がだ?」
「レジスタンスに協力してくれたことです。」
「ああ。」
正直に言えば終わった今でも迷う時がある。多分、これは正しい事なのだろうが、そこに俺の感情と家族の事を考えると今でも胸が締まる。
「ですがまさか町長を抑えるのに志願するとは思いませんでした。しかも殺さない条件で。」
なんというか、拗ねた感じでハクウは言う。確かにそれは自分のわがままで彼女を危険にさらしてしまった。
「すまない、そこは俺の身勝手だった。お前に無理をさせてしまった。」
「いえ、構いません。事実今回の騒動で物こそ大量に壊れましたが派閥双方死者は居なかったそうです。誰かしら死んだのであればここまで綺麗に戦争を取りやめる事は出来なかったでしょう。戦争推進派からは不満の声があるようですが、反対派からはあなたは英雄と呼ばれているようですよ。」
「そうか。」
そう言ってくれる人が居るのはありがたいが、また英雄か。自嘲気味に笑うが、その称賛は家族の復讐から目を背けた結果でもある。
「今後についてですが、町長やランズの計らいでいい家に住ませてくれるそうですし、仕事もいただけるようです。一応私は今ミズと一緒に仕事をしているのでそこからの給金が結構な額になりそうです。」
「仕事?何をしているんだ?」
「遺跡から出た機械が何であるかの判別です。状態もまちまちですが結構危険なものが多いですね、昔の軍事基地から掘り出している用です。この町の機械化技術もそこからの物でしょう。」
そういう事か、今回のガトリングといい、教会が機械を目の敵にする理由が少しわかった気がする。
「そうか、だが危険なのであればすぐ身を引いてくれ。」
それを聞くとハクウは微笑み、はいと返事をした。彼女も知らぬ間に表情豊かになっている。気が付くと窓から刺す光が赤みを帯び始めた。
「それでは今日は帰ります。また明日来ますので、その時に家まで案内します。」
「ああ、それじゃあまた明日。」
そういってハクウを横になりながら見送った。若干の疲労感を感じつつもその日は安心してすぐに眠れた。
「それでは、本日で退院です。急に頭が痛いなどありましたら直ぐに連絡してください。」
「わかりました、ありがとうございます。」
包帯を取り、医者と会話を終えた。ハクウにも退院の時間は伝えているはずだが未だに来ない。久々の運動がてらに庭まで歩くかと考えた矢先に金属の足音が響く。
「マビダ!」
声の主はミズだった。何かとても焦っているようだった。
「どうした?」
「ハクウが倒れた!」
「なに!」
「今から車でこちらに来る!だがここは病院だがハクウは天使だ、すまないが様子を見てくれない!」
「わかった!どっちだ!」
「搬入口はこっち!」
そういって二人で駆け出した。少し足が縺れたのは退院後すぐだからだろう。行先には大きな白い箱が入ってきた。これがミズの言っていたくるまなのだろうか。
車輪が直接動いているようだがどういう仕組みだろうか。止まったくるまの中にハクウは居るようだが中への入り方がわからない為見回しているとミズがくるまの後ろに行き扉を開いた。急いで駆け込む。
「ハクウ!」
「マビダ。すいません心配をかけました。」
中に居るハクウは顔色こそ悪いが何事もないように答えた。息も落ち着いており声色もいつも通りだ。
「本当に大丈夫なのか?」
「はい、こちらに向かう途中大分楽になってきました。」
話が随分と違うので後ろのミズを見ると胸を抑えながらため息をしていた。変な冗談ではないようだ。
「ミズ、倒れた時はどんな状態だった?」
ハクウから疲労は見えるが大慌てで動くほどでもないように思える。
「いや、本当におかしかったんだって!呼吸がとぎれとぎれで床に倒れていたんだよ!本当に大丈夫なの?」
ミズの様子から嘘を言っているようには思えない。
「ああ、確かにその子は意識が混濁していて呼吸も不安定だったよ。しかし病院に近づくにつれてどんどん体調が戻っていったんだ。」
ハクウの後ろにいた男が説明してくれた。服装からして医者のようだ。
「今は良くなったのかもしれないがまた倒れるかもしれない。ここで検査してもらったらどうだ。」
「そうですね、わかりました。確認したほうが安全そうですね。」
そういってハクウは自らの足で車から降り病院の検査を受けた。天使の体であるため既存の知識が役立つかわからないが、検査結果は翼の辺り以外の構造は、ほぼ人の体と同じという事がわかった。しかしそれ以外に判明した事はなく、更に人の体としてみれば今現在健康で異常はないという診断になった。
ハクウの検査中にガンズが通りかかったため、彼は俺に対して頭を下げてきた。念のため弾に毒などは仕込んでないかと聞いたがそんな技術は無いという回答だった。半日ほど検査をした為にまたも夕方になったが、その頃になるとハクウの顔色はすっかり戻っており、体調悪化は気のせいだったのではと思えてきた。
「すいません、お手数をかけました。」
「とりあえず今日は車で帰りな。念の為あたしもついてくよ。」
「うちは救急車であって、運送屋じゃあないんだがな。とはいえ道中に病変する可能性もある。送ろうか。何よりこの町の英雄だしな。」
そういって運転手は片目をつぶる。この箱は機械の馬車のようなもので油で走る自動車、通称車と言うそうだ。
恐る恐るで乗ったが、馬車よりも振動がなく快適で、なかなか貴重な体験だった。その様子がよく分かったのか、ミズとハクウは俺を見て笑っていた。
空は暗くなっていくが周りは足元が見える程明るい上、車の前はもっと明るくなった。車の前に灯りが付いているとの事でますます関心してしまう。しばらくすると大きな建物の前で車が止まる。
「着きましたよ。」
運転手にそう言われるとミズが取っ手を横に引き、扉が空いた。そうやって開けるのか。ハクウと二人で降りて、運転手とミズに礼を言う。
「こちらです。」
ハクウについて行き建物の中に入るといくつか部屋があるようで、そこの一室が我々の部屋だそうだ。
複数の部屋がある配置から病室みたいな部屋かと勘ぐっていたが扉を開けると夜の為真っ暗で見えない。しかしハクウが何か壁をいじった瞬間、急に明るくなり、なんとも豪華な部屋が見えた。
「ここがスイッチになっているので夜は灯りをつけてください。」
ハクウが俺の顔を見たからかそう言って説明してくれた。試しにその突起をもう一度押すと真っ暗になってしまった。もう一度押すとまた明るくなった。なるほど、これはすごい。
部屋に入り食事をしながら話をするとハクウは明日の仕事を休みにしたそうだ。翌日のハクウは特に異常もなく念のため二人で家で過ごしたが、いつも通りの様子だった。しかし、仕事を再開すると顔色はまた悪くなっていった。
「すみません、マビダ。」
そう布団の上でハクウはつぶやいた。彼女の体調が悪くなる間隔は日に日に短くなっており、前は四日ほど仕事をすると悪くなっていたが今では二日で悪くなってしまう。
「何か食べるか?」
「いえ、水だけください。」
一日家で休めばおおよそ元通りになるのだが、最近は元気になる間隔さえも長くなってきているのだ。何度か調子が悪くなった日に病院へ連れていったが結果は不明。
疲労や栄養失調ではとの話が出たが、食欲は今までと変わらず。ミズの話からもそんな重労働な仕事はしていないとの事。仕方なく点滴を受けて帰るといった事を続けていた。水を湯呑に汲んできてハクウに渡す。すると部屋の呼び鈴が鳴った。
「マビダ、いるか。」
アクスの声だ。
「ああ、少し待ってくれ。」
そういって俺は気休めにハクウの頭をなでた後、玄関に向かう。鍵など村では書けなかったが、ここでは必要らしく毎度かけるうちに自然となってきた。
「あんたの予想通りだ。あったぞ。」
「そうか!わかった、すぐ向かう。」
そういって俺は簡単な身支度をしてハクウに一言すぐに戻るといいアクスに続いた。結局の所、ハクウの様子は人間として異常がない事は何度も確認した。ならば天使としての問題がある可能性が高い。
俺はガンズとランズに相談した所、遺跡でたまに天使の絵が描かれた本があるという話を聞いたことから、遺跡や今まで発掘した物から天使の資料を探してほしいという依頼をしたのだ。
「数は少ない。それに結局問題は解決してないな。」
「そうか・・・。」
近況や雑談を混ぜながら資料についての話をする。そして町役場につく。
「来たか、マビダ。」
入口にはベルトがいた。
「遅かったじゃないか、また運んでやろうか?」
そう悪態づく。
「それは勘弁願いたいな。玄関掃除もあるんだぞ。」
俺はそう流す。
「それもそうだな。あとこちらで見つかった資料も少ない。」
そういってベルトは踵を返す。役場はあの時の戦闘から元に戻りつつあった。修繕の速さは驚くものがある。
「来たか、マビダ。」
「ハクウはどうだい?」
ガンズとランズが奥にいた。彼らの机の上には資料がまばらに置いてあった。近くに厚い本もある。
「ハクウは今日も寝込んでしまったよ、それが資料か?」
「ああ、そうだ。だがさっぱりわからん。絵でそれっぽく書いてあるのを見つけて持ってきた次第だ。」
そう、遺跡の書物は文字が違い読めないのだ。
「同時に辞書とやらも持ってきたがね、こいつにも載っていない。」
「そうか・・・。」
予想が当たった事を悔やみつつ、資料を読む。確かにこれは古代語だ。神父は古代語の存在を教えられるが、その意味を読み解くのは禁忌とされている。結局の所、俺もそういうものがある、という事を知っているだけだ。
「だが多分見立てはお前が正解だろう。」
そういってガンズは一枚の紙を俺に突き出す。そこには天輪から天使に向かって矢印が描かれていた。
「ハクウは天輪から力を受け取っていると聞く。今その天輪はおぬしがつけとるのだろう?」
「ああ。それでハクウが奇跡の力を使う際、俺の手首がひどく痛むんだ。同時に感覚が消えたりもするから、おそらく俺から力を持って行っているのだろう。それをガンズと戦った際に使い過ぎてしまい、おかしくなってしまったというのが俺の見立てだ。」
そして天輪はおそらく力を得るだけでなく、もっと根本的な事も調整しているのではないか、という事だ。しかし資料からはその情報は読み取れない。そして。
「じゃあどうするか、という事だな・・・。」
アクスがそうごちる。
「手はいくつか考えた。とりあえずこの資料、少し貸してもらえないか。もしかしたらハクウが読めるかもしれない。」
体調が悪くて今日はこれないがハクウは天使で遺跡の知識も深い。もしかしたら読めるかもしれない。
「ああ、持っていけ、だが一応確認が終わったらこちらに戻してくれ。」
「ありがとう助かる。」
「しかしそれで空振ったらどうするんだ?」
ガンズの言う事ももっともである。もちろん手は考えてある。だがそれは非常に危険な方法だ。
「…もし、駄目だった場合の手は考えてある。おそらく、情報があるとしたらあそこにあるはずだ。」
「なんだよ、神様にでも聞くのか?」
「近いな。中央教会だ。」
全員がざわめく。
「マビダだけが行く、というわけにはいかないのだろう?」
「ああ。」
今はおよそ二日ほどでハクウの具合が悪くなり、三日目で寝込むような状況だ。その先はどこまで持つかはわからないが、ここから中央教会まで山越えがあるため徒歩で片道六日ほどだろう。俺一人で行く訳にはいかない。
「とりあえずこれをハクウに見せてみるよ。その後にこの町を出るかどうか決める。駄目な時は移動の為野営の準備をする。道具を売っている場所を教えてくれないか。」
「二週間後だ。」
ガンズが強い口調で言う。
「なに?」
「二週間後に小規模だが商団がこの町から出る。途中まで自動車で、その後に荷馬車に乗り換えだがな。確か中央教会までは二日程度だったか。」
「もし必要な道具があるのなら教えてくれ。わしの方から提供しよう。そうさね、お代は一杯付き合ってもらう事としようか。」
ガンズとランズが続けて言う。
「ありがとう。だが、ただ飲むだけで終わりたいもだがね。」
そういって資料を抱えて外に出た。気が付かなかったがここに来るよりも帰りの方が彼女が心配で焦っていたのか早く帰っていた。ハクウは資料の文字こそ読めたが、内容と書類自体が断片的すぎて意味が分からないという回答だった。
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