第4話 山越え

 月明りの下、男と少女が荒れた道を歩く。男は時折振り返り、怯えながらも名残惜しそうに町があった場所を確認している。


道はその荒れ方から長らく人の往来が無い事を示している。それでも月明りで歩けるほどには状態を保っていた。男は罪を犯した身故、足を止めずに無言で歩き続け、翼が生えた少女も無言で男の後ろを歩く。


三時間ほど歩いていると町を発った時間が遅かったからか、体の冷えを自覚した辺りで空が白む。男がそれに気が付き振り返ると見渡す限りの平野が広がる。男はため息を一つして近くの木陰に座り込んだ。少女は男を横目で見て足を止めた。男の少し後ろにある世界の眼は空を仰ぐ彼を映し続けていた。





 町から出た後も警戒を解く事ができなかった。司教が約束を破り追手を放つのではないかと思い始めてから気を張っていたが、寒さと白む空に気が付くと疲れが押し寄せて思わず座ってしまった。


天使はこちらに顔を向けて立っており、ゆっくりと体を向ける。そこで改めて今自分は一人ではない事を実感する。体を前に倒し、座り直す。


「今の状況を整理しようか。」


「はい。」


俺は憶する事なく彼女に話しかけた。堕天の恨みでこちらに何かする可能性も考えていたが、疲れと現状からどうでもよくなっていた。そして返ってきた彼女の返答は事務的だった。


「まず、ええと、名前はなんていうんだ。」


「名前?」


「ああ、すまない。私はマビダという名だ。いや、話をするにしても名がわからないのでなんて呼ぶべきかと思ってな。」


「名、ですか。ありません。」


「無い?」


「はい。番号ならあります。二万二千百十五番です。」


「番号?恐らくそれは名ではないな。しかし、それでは呼ぶ時に困る。」


「では今までどおり天使と呼んでください。」


「いや、それはまずい。」


この先、機械の町に着いたとしても目立つ事は避けたい。機械の町は教会の加護のない無法地帯だと神父の勉強で教わるが、それでも堕天した天使を連れ歩くのはたまらなく目立つ。


何よりも機械の町は中央教会と一度戦争をしている。しかも教会側は天使を召喚した上で勝利しているのだ。


呼び名を後回しにして天使と呼び続けていれば、機械の町でふとした時に呼んでしまうかもしれない。外套で背中の翼を隠すにしても、それを取られたらもう終わりだ。


「その名で呼ぶ事はできない。なにか別の呼び名が必要だ。」


「ではそちらで名称を指定してください。記憶しますから。」


「そうか…わかった。少し考えさせてくれ。」


「はい。では説明を。」


「ああ、すまない。」


天使の対応は事務的な話し方だが、天輪が頭にある時と声色が全然違った。違う人格とでもいうのだろうか。そんな事を考えつつ、説明しなければならない事を頭で整理する。


私は野盗退治の為に天使が呼ばれた事、傭兵として参加した事、その末に戦場で天輪を奪った事、それ故に町に居られなくなった事、そしてこれから機械の町へ行かなければならないと説明した。


堕天について話す際にはまた取り乱すかと警戒したが、特に表情も変わらず聞いていた。


「では私の天輪は今、あなたの左腕に?」


「ああ、このように焼き付けられている。」


そういって袖をまくる。自分でも明るい場所で見るのは今回が初めてだ。天輪が手首に巻き付いたような痣があり、痣の中心に輪を描くように文字のようなものが描かれている。痛みは既になく、触っても違和感はない。


「そうですか。それで私に意識があるのですね。」


「意識がある?」


「はい。天輪が過負荷になった場合のみに意識が戻りますが、普段は天輪が私のすべてを制御しますので。」


「ふむ、そうか。だから口調があの時と違うのか。」


「しかし、なぜ私を攻撃したのですか?」


俺はその言葉であの時の感情を思い出し天使を睨みつける。天使はその視線にぴくんと背が跳ねたが表情は変わらなかった。そして今は共に行かなければならない事を思い出し、怒りを抑える。


「一人の、昨日呼び止められた子供から野盗に居る友達を助けてほしいと言われて戦場で探していたんだ。その子供をお前が俺の目の前で殺していたので激昂して殴りかかった。」


無理をして感情を抑えた事で言葉が少し変になった。


「そこに違和感を感じます。野盗の子供はあなたと接点が薄いはずです。天輪を奪われた記憶は微かにありますが、それであれほど感情的になるものでしょうか。」


あの時話し方がおかしかったのは今の方が出てきていたからか。正直、あの瞬間は自分ですら何故あそこまで激昂したのか解らなかった。


だが今思えば子供が神の力で殺された事が自分の家族を見捨てられた事と重なったからだろう。それを理解した上で怒りと悲しみが体に渦巻くが、それをため息で押さえて取り繕う。これを正直に話す訳にはいかない。


「それは、すまない。今は話したくないんだ。機械の町についたら話す。」


「そうですか。わかりました。」


追及が無いのは助かる。とはいえ追及された時に納得できるような話を考えておくべきか。


「ではこれからどうすれば良いのでしょうか。」


「ああ、そうだな。」


俺は本題に入り二人の目標を説明した。戦場の一件から協力する事に抵抗があると思ったが、意外と素直に聞いてくれた。


「わかりました。では現在の目標はあの山を超える事ですね。」


「ああ、だが食糧も道具も限りがある。俺も登山や野営の知識は乏しい。そちらも天輪が無い今は奇跡が使えないと聞いた。生き残るには機械の町に行くしかないだろう。」


「では、行きましょう。」


そう言って天使は山に向かい歩き出した。俺もそれを見て立ち上がり、横に置いた荷物を背負い後を追った。


山に至るまでの道中に会話はなく、ひたすらに歩いた。それもそうだろう、向こうは自分を殺そうとした相手で、自分からすれば殺したい神の僕だ。それでも言い争いをするよりはずっと良い。


この危機的状況下と疲労故に俺は感情を捨て置いたようになっていたのだろう。何よりも明日を考えずに進む今の状況は、悩まないが故に気が楽なのかもしれない。


しかし山に近づくにつれて疲れが体にのしかかり、歩く事も容易でなくなってきた。気が付くと道の回りは身の丈以上の草と木々が茂り、道に石が多くなっていく。そして疲労より辛いのはこの道は本当に正しいのだろうかという迷いだ。


もしも間違っていたならば、伝えられた話が嘘ならば。そんな思いが疲労と共に大きくなる。俺はこの時点で既に機械の町にたどり着く自信が無くなってしまった。


「この道でよいのだろうか。」


俺は不安に耐えかねてついに口を開いてしまった。


「道の状態から考えて恐らく問題ないかと思います。植物が道に生えていない以上、ある程度踏み固められた地面と考えてよいでしょう。」


天使からは思いがけない言葉が返ってきた。


「わかるのか?」


「持てる知識を総括するに恐らくは。他に競合する術もない以上、この道を進む事が一番建設的かと。」


「そうか。すまない、ありがとう。」


「いえ。」


会話はここで終わり、またしばらく無言が続いた。だが心の迷いが少し取れたのか、足取りは軽くなった。


道は緩やかな上り坂となり、進むにつれてだんだんと植物が少なくなっていく。日が高くなってきた頃、山には植物が無くなり黒い荒地に微かに白い筋が続いている光景となった。恐らくあれが道なのだろう。


途切れぬ道から天使の言う通り道を間違っていなかったのだろう、安堵した俺はなお歩みを進めた。天使が少し息を切らせた事に気が付き、少し休もうと提案した。近くの岩に座ると荷物から食糧を取り出して二つに分けて渡す。


数が少なかったために直ぐに二人で食べ終えてしまうが、それ以上に食べる気力も少ない今は丁度よかった。道が続いていると言えど地図もなく、ただの言伝を頼りに進むのは確証の無さから焦燥がたまり迷いが出る。


天使の言葉で楽になったと思ったが、長く続く道はその言葉を削り取り、それらは改めて疲労としてのしかかる。


だが天使はその佇まいから疲労の様子もない。やはり天使は人とは違うものなのかと感じてしまい、姿が少女故に後れを取る自分が情けなくなる。


休憩もそこそこに歩き出すと荒地はごつごつとした黒い岩が見え始める。再度一息つこうかと思っていると回りが徐々に赤く染まっていく。日が落ちてきた。野営を張るのは慣れていないので手元が見える明るいうちの方がよいだろう。


ここら辺で野営場所を探しながら進み始める。周りを見ながら歩いていくと少し道のはずれに丁度良く開けた場所があり、都合よく岩肌は無く砂利の少ない地面であった。


天使に話かけて今日はそこで野営を張る事にした。まだ日の落ちる前に作業が出来たからか手際よく進み、日が暮れる少し前にはしっかりと天幕を張れた。


「とりあえずこれで野営は張れた。食事をとって日が出次第、出発しよう。」


「…はい。」


天使の反応が少し鈍いように見えるが疲労故だろうか。天使と言えど流石に全く疲れないという事は無いのだろう。そう思いなが荷物から食べ物を探ると寒気を感じる。高地であるからか、日が落ちると妙に冷える。


「食事はここから適当に食べてくれ。だが水は少な目に頼む。」


町を出る時に頭にかぶせられた黒い布を地面に敷き、そこに食糧と水を置く。機械の町までの距離を詳しく知らない為、配分をどの程度見れば良いのかわからない。


そもそも機械を禁止している教会からは禁忌の場所だ。正確な情報なんて普通知る事は出来ない。とりあえず水の量から残り二日と見積もっているがここで節制し倒れてしまえば結局死ぬ。道中に飲める水があれば良いが、植物すら少ないここにあるのだろうか。


「…はい。」


天使は小さな声で返事をし、黒い布の上の一番俺から距離のある場所に座る。そして二人で向かい合って食べ始めた。お互い会話は無い。


どちらかというと目を離すのが怖いからといった所だろうか。薄雲のかかる月が辛うじて食糧を照らす。


俺はこの明るさでは天幕はうまく張れなかっただろうなと思いながら果物を齧る。天使はその体系に見合った少量の食事をゆっくりと食べた。奇しくも我々が食べ終えたのはほぼ同時だった。


「じゃあ、寝よう。」


「はい。」


代わり映えのない返事であるが先ほどより応答が早い。野営に入る前に片付けようとしたその時、手の甲に冷たい感覚が走った。


「これは、雨か。」


よく耳をすますとサーという音が聞こえる。


「早く天幕に入ろう。濡れると明日に響く。」


食糧の袋を縛り、急いで放り込んだ。


「きゃ!」


ドスという音とともに天使が声を上げた。足がもつれて倒れたようだ。やはり疲労はあるのか、そう考えつつ俺は天使に向かって歩く。


「ほら、大丈夫か。」


そういって俺は天使に手を差し出したが、天使は手も取らず顔を上げなかった。雨はだんだんと強くなってきている。


これ以上濡れるのはまずいと俺はしゃがんで天使の手を取った。するとその手はビクンと一瞬跳ねた。この時点でやっと俺は天使の様子がおかしい事に気づく。


「早くいこう。危ないぞ。」


そういうと彼女はうつむきつつ首を振った。雨は強くなり続けている。これ以上は待てないと思い天使の手を引いた。


「いや。」


引っ張った手に抵抗があった。


「いいから早く!」


俺は無理やり天使を引っ張った。力も体格も見た目通りのため引っ張る事自体は容易であるが、なぜこの雨の降る夜にこのような事を言い出すのか、俺は強い憤りを感じた。


「やめて!」


そう叫ぶ天使を天幕の影に引き寄せ、彼女を中に入れようと天使の靴を取った所、手に違和感を感じた。


「痛い!」


靴を取った瞬間に明らかに反応があった。手はなにか、ぬるぬるするものがついている。匂いを嗅いでみると鉄の匂いがした。


「血?怪我をしたのか!」


天使の暴れ方が一層強くなった。


「ああ!あああぁあぁあああうあああ!」


叫んだ瞬間、天使は俺を突き飛ばして暗闇の中に走り出した。今の状況で山を一人で駆けるのは自殺行為だ。俺はすぐに起き上り彼女を羽交い絞めにした。


「やめろ!今外に出るのは危険だ!」


「やめて!怖いよ!いやだぁ!」


天使は手足と翼をばたつかせ羽交い絞めを無理に離そうとする。更になぜか自身の顔を爪で掻きむしっている様子から、完全に錯乱している。


冷静に考えれば自分を殺そうとした人間と、二人で現在地もわからない山の中にいる状態の今、常人であれば朝の段階から取り乱したであろう。


恐らく無理をして気丈にふるまっていたが疲労と痛みで弱り、雨の山の中というある意味で強く閉じられた空間となった事で精神が耐えきれなくなってしまったのだろう。


俺は反省した。司教は堕天した天使は人と変わらぬと言っていた。彼女の見た目からして十代半ばといった所だ。この様な死の近い、常に死神の刃が視界で揺れるような極限的環境では心が耐えれる訳もなく、いずれこうなるに決まっていたはずだ。


俺は自分の不甲斐なさと愚かさの後悔により彼女を力任せに抑えられなくなり、更に人とは違う背中の羽の暴れ具合により彼女の拘束に手間取ってしまった。


「すまん、くそ!」


暴れる天使を無理矢理抱え上げ、そのまま野営へと走った。野営に体ごと突っ込んでもう片方の靴を手探りで引っぺがす。


野営の中で馬車の時のように彼女を押さえようとしたが、全くの暗闇のため様子がまるで分らず、彼女は這い出そうと腕か足かわからないものを振り回すので、仕方なく彼女の体を抱きしめる形で押さえた。


「ああああ、いやだあ!殺さないで!うわああああああああああ!」


「くそ!クソ!すまない!すまない。」


泣き叫ぶ声を腕で押しつぶしながら俺は謝り続けた。自分は何をしているのか、情けなさから二人とも涙を流していただろう。


そして暴れる力をなくした彼女と一緒に俺はそのまま謝罪を続けながら眠ってしまった。






 夜が明けてすぐの頃だろう、雨は去ったのか陽射しの熱気が野営にこもり血の匂いで目が覚めた。起きると二人で仰向けになっていたようで、天使はまだ眠っている。


日のおかげで天幕はひどい暑さだが、天候が回復したのは幸いだった。外に出ると夜にはない確かな暖かさの日の光を浴びて、生きている事を実感し少し落ち着いた。


しかしこの血で汚れた天幕はどうするべきか。たたみ、再度携行する事は可能だが、こうも血の匂いがついてしまうと野生動物が寄ってくる可能性がある。昨日は不幸中の幸いか、雨のおかげであれほど無防備な状態でも夜を越える事ができたが次はわからない。


「…まずは食事にするか。」


体を動かすと所処が痛く、疲労感もさほど取れてはいない。腕に至っては手形の痣ができていた。天使が掴んで振りほどこうとした時のだろう。


強い力ではあるが、人外の腕力というわけではなくただ必死であったという事だろう。


しかし、昨日の彼女はとても人間的であった。戦場での天使は傷を光とともに瞬時に消していたが、今の彼女の足にはかさぶたのようなものがついている。堕天をした天使は確かに人と同じものなのかもしれない。


「どうすればいい。」


神への復讐のためにという馬鹿げた旅に出たが、死が隣に居る今、愚かな事をしたとも思う。しかし、家族を失った虚無感をどうすればよかったのだ。


それにこの天使は子供を斬り殺してる。そう考えを巡らせていると短絡的な黒い衝動が体に走る。


山を生き残るために、神の居場所を聞くためにと自分を押えていたが、傷を負ったコイツはもう殺してしまってもよいのではないだろうか。


堕天させたとはいえ元天使、殺せば神に仇を成せるのではないだろうか。手に持つ朝食の果物に力が入る。剣では天幕の狭さだと振りづらい。


荷物の中に短剣があったはずだ、そいつで胸を貫いてしまえば。短剣を探そうと見まわすと天幕内は夜は見えなかった羽がまき散らされていた。


天使が暴れたからであろう、短刀を探すのも手間がかかりそうだ。ふと彼女の顔を見る。顔には羽毛と、薄く汚れた顔に涙を流し乾いた筋が描かれていた。


「クソが…。」


その表情のなんとか弱い事か。背中の羽さえなければ泣きつかれたただの少女だ。何人もの野盗を殺した力も、ただ一人の男に抑え込まれるほどに弱い力となった。


そこに神の片鱗は一つもなく、ただの心身共に傷ついた少女が泣きつかれているだけだ。こんな弱い者を殺せば俺は満足なのか、そこが終着点なのか、俺は、俺は何をすればいいんだ、今、そしてこれから。


「う…。」


悩んでいると彼女の口元が動いた。ゆっくりと目が開かれる。その目は充血していて赤かった。


「ここは…。」


「目が覚めたか。」


俺の声を聞いた瞬間に彼女の体が跳ねた。


「あ!あ…。」


そのまま野営の隅へと怯えた猫のように這い飛んだ。その恐怖と懇願の瞳をこちらに向ける。


なんなのだこれは。せめてあの光の刃を俺に突き付けてくれるのであれば俺は歓喜と狂気に任せて飛びかかれただろう。それがこんな、こんなにも弱い。


こんな者を殺そうとしていたのか俺は。なぜ戦場で無双の天使がそんな眼で俺を見るんだ。俺の慟哭はどこへ向ければいいんだ。俺は顔を片手で覆った、彼女を見ないために。そして顔を見せぬために。


「昨日はすまなかった。乱暴な押さえ方をしてしまって申し訳ない。そして、君をこの状況に陥らせてしまい本当に申し訳ない。」


俺は謝罪をした。状況も理由も打算もなく、感情からだ。


「謝罪だけで済む事ではないが、今はこれしかできないんだ。その、あの雨の状況で外に出すのは危険だから、だから強引だったが押さえる必要があったんだ。だけど、その…。」


とりあえず何か言おうとするが続かない。


「君に死んでほしくなくて、それで…。」


「あ、あの。」


手から顔をどけて彼女を見る。その表情は少し怯えが無くなったように見えた。


「ああ。」


「私は、わからないんです。全てが。意識が途切れ途切れで痛くて、気が付いたら馬車で抑えつけられて、山に登って、足が痛くて。夜が、怖くて。何も知らないんです。あなたは何者なのかわからないし。わたしは、なぜ、ここにいるんですか。」


話している途中で彼女は泣き出してしまった。だがそれは昨日の叫びを伴うものではなかった。俺は彼女が泣き終わって落ち着いた後、二人でよく話そうと提案した。





 起きてから時間が大分経ってしまったが、食事をしながら話をした。昨日の一件のためか、お互いの事をよく話す事が出来た。


俺としても、野盗の子供を切り殺したのは彼女ではなく天輪の操作によるもので、なおかつ強力な毒の短刀に刺されたとの事である。理由はともあれ自衛の意味があるのであれば、戦場において仕方ないとも思える。


また戦場で俺が天輪を奪うまでにした彼女に対する攻撃も、言葉はぎこちないが許してもらう事が出来たようだ。どうも彼女の中では攻撃されたという事よりも、味方のはずなのにいきなり意図が分からないままに暴行に及んだ事が恐ろしかったらしく、何が原因で激昂するかわからない人間と思われていたようだ。


恐らくここで話をしなければお互い牽制したままであっただろう。時間が限られ切迫した状況であったが、この時間の使い方は極めて有用であった。


しかし、自分の本当の目的の神を殺すという事は話す事が出来なかった。何よりも分からなくなってしまったのだ。神を恨む事は逆恨みであるとも薄々気づいている。


そしてもう戻る場所も術もないが故に意固地になっていた事は認めざるを得ない。とりあえず旅に出た理由については神に会いに行く為だと話した。彼女の表情から俺の返答に違和感を感じたようだが、納得してもらえた。


「そうだ、足は大丈夫か?」


「え、あ、今は、痛くないです。」


出血は止まっているが靴を履かせてみる。


「いっ!」


彼女の足がビクンと跳ねた。やはり当たる場所があるのだろう。それに靴を履かせる際に彼女の足を見たがかなり華奢だ。戦闘時には少しだけ空中を浮遊していたのであまり足を使わないためだろうか。


「やはりまだ痛むか、傷を癒す奇跡が使えればよいのだが。」


「そ、そうですね、ちょっとやってみます。やり方は覚えているので。」


「使えるのか?」


「恐らくは。」


そういって彼女は自分の足に手をあて、小さく口を動かし始めた。子供の頃に見た時の力からすれば一瞬で治るような傷の大きさだが時間がかかるようだ。


彼女の口の動きが止まった時、俺は何か左手に違和感を感じる。やがて彼女の手が光り始めた。すると違和感は明確な痛みへと変わる。冬の寒さが刃となり肉や骨に食い込んでいくようだ。見てみると俺の左手首の跡が光を帯びている。


「うお、あぐっ…。」


よくわからない状況下でとりあえず俺は声を押し殺した。


「あの、どうかしましたか。」


彼女が気づいたのだろうか、奇跡を止めた。その瞬間に手首の光は消え、痛みが無くなった。そして次の瞬間に恐ろしいほどの疲労感が襲ってきた。


「あ、いや、ちょっと左腕が痛んだだけだ。大丈夫だ。」


「そうですか…?ではもう片方の足もやってしまいます。」


俺は天使が奇跡を使う際に天輪が光る事を思い出した。まさかと思い今度は視界に彼女と、俺の左手首をとらえておく。


彼女が口を動かす。最初の違和感の替りに今回は最初から小さな痛みとなって出た。そして、彼女の手が光り始めるとともに、左手首は淡く光り、氷の刃のような痛みが襲う。


「ぐううう!」


今回は耐えきれず声が出てしまった。


「どうかしましたか!」


彼女は奇跡をやめ、こちらに寄った。痛みはすぐに引いたが、その後の虚脱感に耐え切れず項垂れる。


「ぐう、クソ。」


痛みはすぐに引いたため問題はないが虚脱感がひどく意識を手放しそうだ。それに寒気がする。恐らく先ほどの観察から、奇跡とこの痛みが連動している事は確かだろう。


「大丈夫ですか?」


彼女はひどく焦っていた。寄る際の足も動かし方から足の怪我は良くなったのだろう。


「ああ、足の方は治ったか。」


「え、ええ。まだ少しだけ痛みはありますが傷は埋まりました。」


「そうか、それじゃあ今回怪我をした所の靴に皮を当てておくか。俺の外套からすこし切りだしてくれ。切るにはこれをつかうと良い。」


そういって朦朧としながらも虚勢をはりつつ、町で買った短剣を取り出した。


「え、あの、いいんですか?」


「本当は俺が切ってやれればいいんだが、ちょっと休ませてくれ。ああ、切り出すのは端にしてくれよ。さすがに背中に穴あきじゃあ使い物にならん。あと足に当てる前には汚れをよく払っておいてくれ。」


彼女は一言はい、と言って作業を始めた。俺は休んでいるうちに意識が回復してきた後、強烈な飢餓感を感じ食事をした。


すまないと彼女に謝ったが、彼女はそれを妙に納得した様子頷き、食べて下さいと言った。彼女の作業も終わり、こちらも食事を終えて荷物を仕舞い、用意ができた頃には日は真上にあった。






 山を登るにつれ、道は険しくなってきた。いっその事、道からそれてしまおうかと考えるが、それを考える度に想いを振りほどく。


目印どころか道すらもうっすらとした跡しかないこの場所で道を外れた場合、戻れなくなる可能性がある。何より道がわかっている事は最大の希望でもある。


彼女に顔を向けると息遣いから疲労が見えるが、歩き方に違和感は感じない所から当て皮も問題ないようだ。それに追放されてから二日目だが足取りは重くない。また朝の一件でお互いの壁が少し取り払われたのか、無言の時間が減った。


「足の方は大丈夫か?」


「ええ、違和感はありますが足の痛みは治まりましたし、こすれなども無いようで平気です。そちらも大丈夫ですか?」


「ああ、あのあと食事をしたのが良かったようだ。疲労感も大分和らいだ。しかし今回の一件でいろいろ解ったな。奇跡は使えるようだが、どうも多用はできそうにない、というかして欲しくないな。」


「そうですね、あの様子ではあと三回ほど連続で行えば衰弱死してしまうでしょう。そしてあの後食事をとられたのも正解です。」


「なぜ?」


「私の記憶では奇跡というものは熱量を使います。人体の生体エネルギーを使用したために疲労感が出たのでしょうね。」


彼女の納得した表情は彼女なりの結論の表れのようだ。しかし言っている言葉がよくわからない。


「セイタイエネルギー?それは、どんなものなんだ?」


「広義では熱量、熱ですね。記憶によればカロリーなどと呼ばれていたようです。熱や体を動かす動力として利用されている、生命として一般的なものです。」


「食事は別にあったかくなかったぞ?」


「いえ、単純な熱でなく、化学反応…いえ、そうですね、恐らく説明は難しいと思います。とりあえずああなったら食事をとってください。」


「あ、ああ。」


一瞬あきらめのような表情が彼女から見られたが何か神の世界の言葉なのだろうか、よく理解できなかった。


しかし昨日に比べると表情が多くなってきている。いささか正直すぎる気もするが。だが俺は疲れていたからだろうか、思い詰てふと気になった事を聞く。


「…なあ、あの奇跡を使った後、短剣を渡したろう?」


「ええ、切れ味はなかなかよかったです。いいものですね。」


「あの短剣で俺を殺そうとは思わなかったのか。」


会話が途切れ、足が砂利を踏む音だけがいやに響く。俺は無理矢理言葉を続ける。


「いや、むしろ奇跡を連続で使えばそのまま衰弱して俺は死ぬんだろう?まあ、今はまだ二人でいるほうがいいが、もし町にたどり着く事が出来たら」


「やめてください。」


「お前を堕天させたのは俺だ。殺そうともした。そんな人間だ、お前にとって、殺した方がいいんじゃないのか。」


「やめてください!」


彼女の語気が強くなる。なぜ俺はこんな道中にこんな会話をしているのだろうか。だが、止められなかった。


「恨んでいないのか。」


「恨んでいません。」


彼女の回答は明瞭であったが耳を疑う内容だった。


「なぜ!」


俺は足を止めて彼女に体を向けた。


「恨むほど私に記憶や経験がありません。」


「しかし俺は殺そうとしただろう!」


「天輪がある時は私にほぼ意識はなく、天輪の過負荷で一時的に覚醒する際も夢の中のような物です。なので私からすると怖い夢を見た程度です。それに私はあなた以外に知る人はいませんし、頼れる人もいません。何より私はこの世界の事を知りません。科学的な知識があっても一人で生きていけません。」


彼女はそう話ながら俺を追い越して歩き続けた。


「そして少なくともあなたは昨日、私を助けてくれました。利害によるものとはいえ。」


俺も彼女を追って歩きだした。


「しかし俺はお前の天輪を、」


「行きましょう。今は優先すべき事があるはずです。」


彼女はそう言葉を遮った。


「すまない。そうだな。」


「会話の分も熱量を消費します。あまり熱くならない方がよろしいかと。」


昨日の一件から態度が砕けたにしても、少し辛辣な言葉だがその口調は明るかった。それからまたしばらく無言で歩き続けた。


日が落ち始めたあたりで風が吹き始めたが山の頂上らしき場所を越えると運よく風をしのげそうな窪地を見つける。


そこで野営を張り食事を始めると向かう先に光る集落が見えた。それは遠くにあるように見えるが、追放された町よりも明るく、はっきりと見えた。


「あの光はなんだろうか。機械の町か?」


「恐らくそうですね、あれは街灯でしょうか。光が安定していますね。現状の文化レベルでは街灯の発明はないはずなのですが。」


色々とわからない単語があったがどうも機械の町ならではの物のようだ。


「あの光は機械によるものなのか?」


「そうですね、恐らく電気を使用した機械かと。」


「火とはまた違うのか?」


「安定性が違います。利便性とも言いましょうか。」


どんなものかわからないが、火でよいのではないだろうか。確かに火を起こすのには手間も金もかかるが。


「よくはわからないが便利なものなのか?」


「インフラが出来ていればボタンを押すだけで複数の灯りを同時に入り切りが可能です。施工に時間がかかりますが、出来てしまえば状態や施工精度次第ですが数十年は持つでしょう。いろいろと制約や消耗品もありますが。」


「そうか。俺は別に火でもいいと思うのだが。」


「使ってみるとその利便性が理解できると思いますよ。しかし至るべき場所が見えてくるとなると少し安心しますね。」


「いや、この距離から考えると徒歩ではかなり厳しい距離だろう。」


「無理ならば死ぬだけです。」


「…そうだな。では早く片付けて寝ようか。」


「はい。」






その日の夜は特に問題はなく終わった。結論からすると我々は機械の町にたどり着く事が出来た。


道中の水の問題は山を下り始めた先に濁った川があり、彼女の奇跡により川の水の浄化が出来たため水の確保ができた。濁った水は負荷が高いという事なのでなるべく澄んだ水を取ったが、それ以上に浄化自体が傷を治すほど熱量を取られなかったため負担は少なかった。


食糧は山を下りる途中に尽きてしまったが、標高が下がると木々が在り、その中に昔リトルに教わった木の実を見つける事が出来た為、それを採れるだけ採り命をつなぐ事ができた。


道に関しては機械の町側も荒れていたが見失う事もなく進む事が出来、何より町の灯りが夜空に淡く映り行先を見失う事はなかった。


町についたのは夜、城門も何も見えないが、開けた場所に出た先に煌々と光る機械の町を見つけた時、喜びのあまりに彼女と静かに抱き合った。






「神よ、緊急の議題が入りました。」


「緊急?内容は。」


「派遣した天使の一人が堕天させられました。」


「堕天?まさか。天使の戦闘力ではまずありえないはずだ。」


「しかし現に接続がロストしており、世界の眼からも天使と思しき映像があります。」


「判った。確認するから情報を渡してください。」


そういって通信を切り、送られてくるデータを待つ。今の今まで天使を堕天させた人なぞいなかった。情報が来た。番号は二万二千百十五番。中央教会の近くの町に派遣した個体だ。


最後の視覚情報では剣士に手ひどくやられていた。とはいえその最後には両断された男の映像が乱れながらも入ってきた。堕天させたのはこの男ではないというのか。次の映像は世界の眼からのものだ。


男が天使に話しかけ、しばらくすると手首を見せた。あまり鮮明ではないが手首に刻印が見られる。音声の内容から悪人ではなさそうだが、声紋認識にかける。するとアラートメッセージと共に名が表示される。


「マビダ。」


この名はあの村の教会の神父の名だ。深い怨恨を叫びながら象徴に短刀を突き立て村を出たあの男だ。神を殺すと小さく語った声を未だ僕は覚えている。彼は本当にそのつもりなのだろうか。


「神よ、この男いかがいたしましょうか。」


天使の言葉で思考が止まる。そして同時に新たな考えが走り始める。この男であれば、もしかしたら。そう思い直ぐに天使に返答する。


「この男の処罰は保留だ。登録、ええと堕天以降天使に危害を加える様子も見えない。」


「しかしこの男は象徴を攻撃した罪人です。その上更に堕天という大罪まで犯しました。」


当然であろう、この男をほおっておくのは規定上もっての外だ。だが他の人間に迷惑をかけないのであれば、僕はこの男に生きていてほしいと思う。利害的にも。


「僕の意見は絶対だ。またこの男の情報を世界の眼の中枢には与えないように、だが僕には情報を持ってきてくれ。僕自らが判断する。」


今まで出したことのない特殊な指示だ。果たして通るだろうか。


「…かしこまりました。それでは引き続き監視を続けます。」


良かった、通った。これで世界の眼によりマビダに攻撃判断が降りる事は無い。彼は失いたくない。僕の大願の為に。そう強く思い彼を見直し、一つため息をついて力なく椅子にもたれかかる。


「まあ、無理なんだけれどさ。」


そう独り言を嘆き、しばらくして椅子に座り直した。

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