第3話 初陣

 朝と言えぬほどの暗さの中、男は教会へ向かう。その足取りは軽やかとは言い難く、身に着けている物以上の重さを見て取れた。


教会の前に着いた男は広場にいる人の数に驚きつつも後ろに並んだ。よく磨かれた世界の眼は男の緊張から来たであろうため息を鮮明に映していた。






 傭兵の数は総勢で三十人ほどか。統率もなくざわつく周りに居心地の悪さを感じながらも黙って待っていると群衆の前から歓声があがった。声の先はほのかに光っている事と、周りから聞こえる声から天使がいるのだろう。


「静粛に!」


不意に男の声が響く。方向からして前方、見えないが口ぶりから恐らく教会の騎士だろう。同じ声が続いて聞こえる。


恐らくは討伐の説明をしているようだが距離があるため内容は聞き取れなかった。一抹の不安を感じていると集団の一部が移動を始めた。行軍が始まったようだ。


一応は事前の説明通りであろうと思いつつ、集団の後をついて行くと言伝に説明が回された。どうもあの時話していたのは陣形についてのようだ。天使を中心にしてその前後に騎士を二人配置し、傭兵部隊は前後左右へと移動中に配置させられた。


城壁から町を出る頃には天使を中心に十字の形になるだろう。私はその陣の右側にいる。左を見ると人影の隙間から光る白いものが見える。あれは恐らくは天使の翼だろう、まだ暗い今ではその輝きを見て取れた。


私は顔を前に向け直し天使が今横に居る事実に息を飲む。ふと気が付くと前方が騒がしい。血気盛んな者たちは前の方へ出たようだ。


先頭で一人苦い顔をしている男は恐らく案内人だろう、装備からして狩人のように見える。


道中の移動は朝方の肌寒さが移動の熱と相まってちょうどよく感じられた。なぜだろうか、これから殺し合いに行くはずなのだが今は不思議と緊張が無かった。


非日常的だからなのか、絶えず歩き続けているからか、何となく実感がわかないのだ。そして私は確かに今、平原での移動に安息を感じていた。


これからやるべき事を反芻するように思い出す。この後は平原を超えて森に向かい、その奥に放棄された炭鉱があってそこが野党の住処であるという。


規模としては五十~七十人であるとの事。こちらの人数よりも多いが、天使がいる為問題ないと判断したそうだ。


確かに中央教会で習った通りの能力であるならば倍の数がいたとしても天使一人で事足りるだろう。


しかし、基本的に天使一人に全て任せられる事は無い。必ず何人かの付き人を天啓で指示されるのだ。中央教会では人が問題を解決する力を失わない為と説明された。


それは村で天使を呼んだ時でもそうだった。あの時は村の狩人が何人か同行していた。まだ子供だった私は村で見送る事しかできなかった事を未だ憶えている。


今回の傭兵は村の時よりも人数が多い。推測だが我々は天使よりも騎士を守るために天啓の指示以上に集められており、また相手の規模と森の中の廃墟という場所から逃亡者を追撃するために数を揃えたと予想している。


ふと籠手が気になり手首を掻くと、忘れないように手首につけてきた花輪を触り少女の依頼を思い出した。


少女からもらった少年の特徴を描いた紙を懐から出して見直し、再度少年の容姿を思い出しつつ、つぶれないように花輪を籠手で覆い直し、紙を懐に仕舞った。


しかしなぜ野党に少年がおり、その少年が彼女と交流を持っているのか。疑問はあるが少女との別れをわざわざ告げた所から、何か理由があるのだろう。


花輪を籠手の上から押さえながら教会で子供に勉学を教えていた頃を思い出しつつ私は歩みを進めた。日が出てくる頃になると平原の草木が少しずつ高くなって行き、遂には森が見えた。すると陣の中心から声が上がる。


「全員停止!これより天使様から奇跡を使っていただく!中心へ寄るように!」


前方から文句のような声があがっているが、しばらくすると中心まで近づいてきたようだ。ほどなくして左側が淡く光る。


この光は経典にあった奇跡を使う時の光だろうか。日が出た今でも判るほど強い光だ。すると周りの草木がざわめいた。何をしたのかこの時はまだ理解ができなかった。


しばらくして騎士の号令でまた歩き出し、森の街道をしばらく進む。そしてある場所で道から少し外れて進んだ。道なき道に見えるがわずかに街道があった跡が見える。


しかしこの大所帯では全員が道を歩けず、両翼に延びた我々は森の中を歩く事になったが、整地されていない地面は柔らかくひどく歩きにくい。


だがそれ以上に移動が遅くなっている理由は立派な甲冑を着ている騎士達だ。大層な鎧を着た彼らからすればこの道中は辛いだろう。


この速度も仕方ないかと考える余裕が出てきた辺りで周りの木々のざわめきが常に続いている事に気が付く。


そういえば森に入ってからずっとこうだった気がするが、何故気づかなかったのかと考えると、これだけの風が吹いていながら我々にその風が当たる事が無いのだ。


そもそもこの天気で森の中にこれだけ強い風が吹く方がおかしく、木々の傾きも無く枝を揺らし続けている事からいつも風が吹く様な場所ではないのだろう。不思議に思っていると周りの傭兵が不意に止まり、ざわついた後に声が響く。


「ここからは天使様を先頭にし追従せよ!総員戦闘態勢をとれ!」


あまりに急な展開に動揺する。周りから抜剣による金属のこすれ音と共に陣の中心から天使とその騎士が前へ出た。草原での安堵感はこの瞬間完全になくなった。


我々は森にざわめきの音を響かせながら前に進み、私は変わらず陣の右側から付いていった。森の中ではありえない現象が起こっていた。


前方の木々が我等の歩行とともに大きくざわめいているのだ。この木々のきしみは尋常ではない風である。また、定期的に木々の傾く方向が変わる事から風向きは常に変わっているようだ。


私はこの異常な状況に恐怖しつつ後をついていった。そのまま三十分ほど歩いているとこの風の意味がわかった。


「前方から再度敵襲!陣形を乱さず、前進せよ!」


騎士の声から思わず盾を構える。出発前の状況から一転、手先が震え始めた。速度を緩めず歩いていくと、ふと足元に目がいった。矢が地面から生えている。


周りを見渡すと木々にも矢が突き刺さっていた。前を注視すると何本もある。矢の量からこの盾では体を隠し切れない量で体中に突き刺さるだろう。


だがこの強烈な風により矢がそれたため奇襲を無効化していた。また垂れ下がる丸太や風になびく不自然な縄から罠も破壊しているようだった。


ふと破裂音のような音が響く。音の先を見ると木に刺さる矢が震えていた。


状況は確実に戦闘へと前進している現状を嫌でも感じさせられた。恐怖で息を飲みこむと、不意に隣の男から話しかけられた。


「よう、どうだ調子は。随分力んでるが震えちゃいないよな。仕事はまだ先だぞ。」


私は突然の会話に戸惑ったが、手の震えは変わらなかった。


「いや、だめだ、怖くなってしまった。傭兵は皆強いな、戦闘が近づいているのに恐れていない。」


「なに、うるさいのは勝ち戦だからって息巻いてるだけさ。士気が落ちりゃうちら傭兵はひどいもんだ。まあ、数合わせさ。こちらの方が頭数も少ないしな。」


「そんなものか?」


「ああ。代替可能な使い捨てだからよ俺たちは。まあそう意識しているやつはどんだけいるかはわからんがな。」


自嘲気味に彼はそう笑った。代替可能か。私はもうそういう場所に下りてきてしまったのか。かつての生活を考えると薄ら寒い感覚が背中に走る。


「もうしばらくは力をぬきな。話だと採炭所まではまだ距離があるはずだ。そんな力んでちゃ本番でバてるぞ。こっちにゃ天使サマがいる。大丈夫だ頼りにしちまおう。そのほうが利口だ。」


そう言われ、私は盾を下げた。そうだ私は採炭所で戦闘以外にやるべき事がある。体力と精神力はまだ使うべきではない。


「ああ、わかった。」


「ヘマをするなよ、あくまで仕事だ。そこは割り切れ。」


私はうなずき歩みを進めた。その後は緊張により何かを話そうという気もおきず、何よりも定期的に飛んでくる矢が安堵を与えなかった。


更に進むと木が減り、草が減り、赤い土が見えてきた。すると遠くに岩肌と丸太で作られた門が見える。その頃には日が真上に上がっていた。


そして敵からの矢が鮮明に見える程に何もない場所で部隊が止まった。文字通り矢継ぎ早に射られる矢が飛んできて、それが反れて地面に刺さるまでを見ていると騎士が叫んだ。


「前方が敵拠点だ!装備を再確認しろ!180秒後に天使様と共に突撃するぞ!」

叫ぶ騎士に向かい矢が飛んできているがすべて逸れていく。たまに風を読んだのか変わった方向から矢が飛んでくるが、風自体が複雑なのか誰一人矢傷を負った者はいない。


私は聞こえるほどに大きくなった心音と眼前の攻撃に気が気でなくなってしまった。前の男達は気合いを入れる声があがっている。ふと左から肩をたたかれ体が跳ねると先ほどの男に話しかけられた。


「突撃前の確認をしろ。あと170秒だ。」

彼は鈍い銀色の懐中時計を確認しながら装備を確認していた。私も見よう見真似で装備を確認する。盾の固定、短剣の位置、靴の紐、鞘の固定、そして胸部の革鎧のしまりを確認していると、かさりと音がした。


それが何かと覗くと少女からもらった紙だ。それを見つめて籠手を触る。子供達の事を思い出し、籠手を撫でた。騎士の声が聞こえる。


「あと120秒だ!」


その声で改めて自身の装備を見る。これでいいのかと無駄にぱたぱたと体を手の平で叩く。また横から話しかけられた。


「準備はできたか。」


「ああ。」


息が荒くなり、手が震えでうまく力が入らない。応答するのが精一杯である。横の彼から舌打ちの後話しかけられた。


「初陣だ、仕方がない。生き残る事を考えろ。変な行動はするな。最悪、隠れていろ。」


「60秒!」


くそ、頭がふらつくほどに緊張してきた。聖職者の私が刃を取り、人を殺す。なぜ?なぜ。なぜこんなにも恐ろしい場所に、人を相手にせねばならない。


「30秒!」


そうだ、あの日、友に剣を取ったあの日に決めたんだった。神を殺すと。だが今は眼前の当たらぬと知る矢すら恐ろしい。あの矢は私達に向いた明確な殺意の証明だ。


「20!」


人すら殺せず、神を殺す?私の敵はあの輝く天輪の天使ではないのか。だが彼女は野盗からこれほどの殺意を当てられても微動だにせずあれほどまでに強い。


「10!」


人も殺せずに神を殺す?


「9!」


何をしに村を出たんだ。村に戻ったって私が求めるものはない。


「8!」


そうだ、私は神を殺さねばならない。そう決めたんだ。


「7!」


私は止まれない。戻る場所がないから。


「6!」


ならばこの眼前の人間も、殺意も、超えなくてはならない。


「5!」


ならば、俺は…。






 土埃で薄汚れた神の眼は少し遠くから戦を見つめていた。荒地の中心に集まる男達の中の一人が隣の男に話しかける。


「おい、遅れるなよ。行くぞ。」


そう話しかけた男は驚いた。先ほどまで隣にいた恐怖に震える男はどこにもなく、悠然と前を見据える男がいた。


彼は不幸にも優れていた。眼前の恐怖に打ち勝つほどに、神を殺すという馬鹿げた目標でも自分を見失わず現状が見れるほどに。


「ああ、わかっている。」


震えは止まり武器を構え、自分の目標と成すべき事を、澄んだ思考で思い返せるほどに。苦しい旅路の一歩を踏み込む事が出来るほどに。


「1!」


彼は優れていた。


「突撃!」


不幸な事に。






「ふざけんなよクソが。」


盗賊の弓者がつぶやく。町からの出発を確認し、森にて罠を仕掛けたかことごとく避けられ風で破壊された。


木々に隠れ遠距離から弓を射ってもことごとくそれる。偏差射ちをしても風は狂ったように変わる。何よりそんな訳の分からないものが眼前から迫ってくるのだ。


恐ろしくてたまらず、根城まで戻ってきた。そしたらどうだ、今度は開けた場所で馬鹿のように号令をとっているではないか。


鴨射ちの状況に対し、矢はすべてそれていく。あれが天使の、神の力とでもいうのか。


「ふざけんなよ!」


やたらめったらに矢をいるが当然のようにあたらない。すると、そいつらがこちらに向かい走り始めた。


「クソがああ!」






 戦闘が始まった。一部の者が前に出ていくのを見送りつつ、自分を含め多くの者が矢避けのために天使の近くに留まった。天使の移動速度は遅く重装備の騎士の走る速度に合わせているのだろう。


野盗の根城に少し近づくと、天使は手を前に突き出し、天輪を強く光らせると光る球を打ち出した。


立て続けに四回の閃光が奔ってすぐに爆音が響き体が押し返されるような風の膜が通り過ぎる。


耳鳴りする頭を盾で覆い、半目で見直すと前方の要塞から砂煙が上がっていた。気が付くと天使が前に出ており、何事もなく前進している事から急いで後をついて行く。


進むにつれて風により要塞の砂煙は晴れ、岩に着く血しぶきとえぐれた岩肌が現れた。


岩に撒かれた肉や布の切れ端が風に舞い上がり、野盗は遮蔽物ごと破壊された事を理解した。


その光景に周りの傭兵から動揺があったが、すぐに威勢の良い声があがった。天使は砦の門の前で再度指令をだした。


〔そこで停止してください。〕


先ほどの爆音による耳鳴りは未だ残っているが、天使の言葉は直接頭に聞こえるような鮮明さだった。都度起こる異常現象だがそれに怯む者は既にいなかった。


その声を聴いた後すぐに天使の方を見ると、天使はゆっくりと今までになく強く光り、はじけ飛ぶように前に出て光の線を描きながら門を一瞬で破壊した。


土煙は天使を中心に一瞬で吹き飛ばされて門の真ん中で佇む天使がゆっくりとこちらに振り向いた。


〔生存したいものは私と共に、手柄を上げたいものは前へ〕


その言葉を聞いて俺はすぐに天使の元へと駆け出した。叫び声と共に周りが付いてきたのは一拍遅れてだった。






 障壁破壊、進軍確認、士気良好、負傷者なし、後援部隊流入と共に前進が妥当か。エコー射出。援軍部隊最後方15m、十秒後に前進再開。戦闘方法を射撃格闘戦へ移行する。武器の形態、斧槍、剣、盾を即展開可能へ予備構築開始、射撃武器に小型弾と光線の予備構築開始、援軍最後方が門を通過、前進開始。エコー。1時方向岩陰に反応、構えと金属の反応から刀剣装備、10時方向に二人、構え、金属反響なしと一部分の反応から弓、斧と判断前進開始。1時方向振動有り。


「死ね!」


光剣で迎撃、


「びゃが!」


対象を破壊。10時方向振動あり。


「ばけもんがぁ!死ね!」


盾で弾き弓者の頭部に小型弾照射、


「あ、か。」


「え、うわ。」


命中確認、前方を剣にて両断。エコー、広範囲2時方向に反応複数有り。前進。






「すごい・・・。」


破壊された門の前に着くと天使は枝葉を折るように野盗を殺していた。天使を追えば生存もでき、天使の力も見る事が出来る、一石二鳥だった。


近くで見る限り天使の力は経典の通りだった。初手からここまで驚異的な能力を見せつけられて神を殺す目標が遥か彼方にある事実を知った。恐ろしい相手だ。


だがこの戦場ではその天輪と両翼は神々しく頼もしい。澄んだ頭で現時点では無理だという結論しか出ずそこで思考を止めた。


〔左前方に敵と思われる穴があります。進軍する方はそちらへ、私はこのまま前進します。〕


再度頭に声が聞こえる。先の攻撃から相手が引け気味な所から周りの傭兵は天使から離れ、左側に駆けていった。


「あなたは?」


気づくと天使は私のほうを向いていた。その眼は私を見ているのだろうが、同時に何も見ていないような不気味さがあった。


「私は手薄な右側に向かいます。」


「わかりました、気をつけて。右側は敵を確認できませんでしたが死なないように。」


敵を確認できなかったと言う事は敵がどこに居るのか分かるのだろうか。これは貴重な情報だと思いつつも、あの何も表情が無い顔とその攻撃能力に身震いをした。


常に離れず見ているべきなのだろうが、あの顔を見た途端に恐怖が湧き出て離れたくなったというのもある。


だがこの独りきりの状況は少年を探すには絶好の機会だろう。あの少年は既に離れた後かもしれないがどこか隠れている可能性も十分にある。


それに連れ出す時や逃がすにしても野盗の一味だ、単独行動のほうが都合がいい。


進む先の抉れた地形に転がる、砕けて千切れた盗賊を見て唾を飲み、その血を踏み越えていった。突撃前の俺ならばこの鉄の臭いにおう吐していただろう。だが今は鹿の解体と似た匂いだなという感慨まであった。






 洞穴の外から爆音が連なって聞こえる。天使様の光球だろう。やはり、きてしまったか、という思いが募る。


「大将、やはり情報通り天使がきたようです。昨日申し上げたように皆を展開してください。私が抑えます。」


何故私は命をかけてまで天使と戦い盗賊を守ろうとするのだろうか。疑問に思いながらも大将を見る。


「イルマおめえ、あんなのに一人で向かうのかよ、直ぐに死んじまうぞ。」


だがその思いもすぐに氷解する。身を案じてくれる者がいる。こんな場所でも自分の居場所なのだろう。そんな仲間を逃がす為ならば死に甲斐もあるというものだ。足音がする洞穴の入り口に顔を向けると息を切らせた仲間がやってきた。


「駄目だあの天使のやつあっという間に九人殺しやがった!もうどうしようもねえよ!」


突入時に弓者を真っ先にやるとは思っていたので被害は四人かと思ったが、あの力を見た後に向かったものが五人もいるのか。怯えか蛮勇か、しかしこの場ではどちらでも尊敬に値する行動であろう。


「大将、数がいくらいても無駄ですよ。天使様はとても強い。対策は私が話した通りです。相手は恐らく入り口から真っすぐにこちらに来ます。今まで掘っていただいた穴に私と共に天使様を落としてください。可能な限り抑えます。そのうちに他の傭兵を削って下さい。」


「クソ、わかった。天使の件はお前に任せる。…役にたって死ねよ。」


「ええ。」


穴から落ちた後、私の壊れた足は持つのだろうか。しかし、戦法、戦略、技術、知識すべてを持つのは私しかいない。


そして、この砕けた足では逃げるも攻めるもできず、守る以外に術はない。仲間を逃がす為とはいえ、私はこの手段でしか戦力として価値がないのだ。しかし、


「親父!俺も行くぞ!」


後ろから息子の声が聞こえた。


「駄目だ。何度も言っているだろう。お前は早くここから離れて町なり中央教会なりに行くんだ。子供一人ならまだなんとか孤児院に入れるかもしれん。ここで死なないでくれ。」


「二人なら勝てるかもしれないだろ!」


私はため息と共に続ける。


「無理だ。更に言えばお前がいたほうが生存率がさがる。端的に言おう。能力が低すぎる。邪魔だ。」


息子は黙ってしまった。息子は年を考えれば極めて強く、下手な大人や同じ年の私よりも強いだろう。しかし、それでもあの天使様と対峙するほどの実力はない。


「すまないな、まだ戦場に、しかも劣勢のこの場にお前は立つべきではない。お前一人なら退けるんだ。ここは退け。」


息子は悔しそうな顔をしたが、私の言った言葉が親としてでなく、騎士としての戦力評価と直ぐに察したようだ。押し黙ってしまった。


「そして、お前がいる事で私は死ぬ事ができる。お前がいるから、私はこの先に進める。お前が生きているから、私は天使様と対峙できるのだ。お前の戦力的価値は、生き残り私に希望を与え士気を上げる事にある。たのむ、それを全うしてくれ。」


私はそう語り息子の頭に手をのせた。篭手をしているのが口惜しい。


「では大将、息子をお願いします。それと爆破の用意を。」


「わかった。…できれば生きろ。」


その言葉に虚をつかれてしまう。


「はは、そうですね、ありがとうございます。」


私は血のついた包帯を顔に巻き、騎士の勲章を胸につけ、枝で作った松葉杖を持つ。痛む足を引きずりながら洞穴の出口へと向かった。あの光の先が死に場所か。いや、もう何も考えるまい、私は今できる全力を眼前に注ぐだけだ。さて、始めようか。


「助けてくれ!」


私はそう叫びながら出口へと向かった。天使様は予想通り前進したのだろう。血の付いた白い服のまま天使様が歩いてきた。


〔あなたは?捕虜ですか?〕

直接頭に言葉が流れる。ああ、懐かしい。昔に一度共闘した時と変わらず同じなのですね、天使様。


「こちらの証を!中央教会の騎士の証です!金になるといわれ、捕らわれていたのです!」


無理に痛む足を押し付けて顔をゆがめる。この弱さを前面に押し出す汚さは仲間から教わったものだ。


「そうでしたか。それではここから退避しましょう。現状はこちらが優勢、私がしばらく離れる程度でしたら戦況には問題ないでしょう。さあ、こちらへ。」


「はい!」


私は天使様に向かってしばらく歩く。そう、この野草が目印だ。ここで。


「うわ!申し訳ありません、体が、動きません…。」


そう言って私は杖を滑らせて倒れる。顔を下げ、手を差し出した。


「?そうですか。健康状態は足以外問題ないと思われますが。衰弱しているのですね、わかりました。」


身体に異常はないという言葉で頬に恐怖が走ったが、下を向いていたため表情はばれていないはずだ。緊張により自身の心音が聞こえ始めた。足音が近づく。耳を澄まさなければこの戦場の音で見失ってしまいそうなほど小さな足音だ。そして、


「さあ、いきましょう。」


手を握った。私は強く握り返し、合図を叫んだ。


「あ、「ありがとうございます」!」


叫んだと同時に片方の腕で短剣を天使の腹に突き刺す。次の瞬間、火薬に火が入る。天使は異常に知覚が鋭い。この穴も爆破でもしない限りあけられない程度まで埋めたてた。現時点で手落ちはない。


地面が砕け、落下する。ここでうまく、木の棒を使い体の衝撃を緩和させる。穴の底をやわらかくする案も出たがこちらの踏み込みを重視するため硬めにしてもらった。


木の棒は大きな音をたて割れた。手の平が少し痛むが誤差だ。うまく衝撃を押さえられた。守らなければならない足は無傷。直ぐに抜刀し、天使の頭部にたたきつける、が、翼で弾かれる。


直ぐに天使も立ち上がったが、私は返す剣で脇から肩まで剣で薙いだ。血が側面に跳ねる。色は赤だが、独特な匂いがした。


「明確な攻撃と判断、敵性有りとし排除します。何故ですか。」


「申し訳ない、私は教会を追われた身、そしてこの盗賊の一員なのですよ。抑えさせていただく、天使よ。」


私が言い終えた瞬間、天輪は輝き、切り付けた傷と血は光と共に消えていった。やはり奇跡の回復は自己へも可能だったか。


これでここから生きて出る可能性はほぼ無くなった。だが、私は成すべき事を成す為に接敵し猛攻をかける。


射撃攻撃時は構えの後に射出される為、どうしても間が空く上に炸裂する仕組みから閉所で撃つ事は出来ないはずだ。武器の展開も射撃より短いが同様だ。そしてこの穴、剣を振るうのに最適な大きさにした。


私は足を壊し長く駆ける事はできないが短い距離ならば1日程度問題ない。足を酷使すれば数日間痛むが、それも明日を捨てた今問題にならない。


天使の首を落とせれば殺せるのでは、また息子と再会し、人生を歩めるのでは。その様な甘美な希望を全力の踏み込みと共に踏みにじり、剣を下ろす。


「イッ!」


穴に落ちて三太刀入れたが、すべて致命打に至らない。よけられている。あのような細い体躯で背中に大きな翼まであるのに、なぜこうも回避できるのだろうか、まさか、私の剣術が教会での教えからのものだからだろうか。


伝承では神から授かったとされている対人用の剣術だが、それを天使が知らぬとは考えづらい。確認を兼ね、教えの通りの正確な一閃を切り込む。


バッキィン!


剣が弾かれた。光る丸板が天使の左腕付近に浮いていた。あれは盾か。過去、天使との共闘では一度も見たことがなかったため虚をつかれたが、剣筋に突如現れた事からやはりこちらの剣術を良く知っているようだ。


剣の勢いをそのまま返されたような特異な衝撃だったが上半身をねじり力を逃がす。しかし一瞬隙を作ってしまった。右手に光の螺旋が折り重なっていく。このままでは剣が展開される。


まずい。ここは頭ではなく、展開中の右手を切り落とす、武器が出てくれば先は短い。確実に斬り落とす為に教会剣術を元にして野に降りた後に編み出した我流剣技、これなら届くだろうか。わかりやすく踏み込む。相手は盾を前に構えた。


ヒュカ。


盾の寸前をなでるように避けて剣を落とす。右手首はあそこだ。天使の剣がほぼ出来上がっている。剣の勢いをそのままに前足を軸に体同士が触るほど接近する。軸足よ、持ってくれ。


バツ


手ごたえ有り。骨を砕いた感触だ。半歩下がり確認する。光る剣は溶けるように散っていったが、腕の肉が一部つながっている。そしてその肉はすぐに光だした。再生か。しかししばらくは腕は使えないだろう。ならば盾では守り辛い足を斬る。


フィル。


盾が剣になった。まずい。近すぎる、あの光る剣は鉄を容易く切り裂く。この剣で受けたら剣ごと両断される。腕の位置、足の位置、重心、そして記憶の中の太刀筋では。


フィン。


咄嗟の脱力により腰下まで体勢を落とし、上半身を斜めにそらす。光と踊るような姿はさぞ滑稽だろう。剣がかすったのか服が眼前に舞う。


鎧をはずしたのが功を奏した。賭けであったがやはり天使も同じ剣筋だ。身体を落としたため天使の足は目の前だ。突き出した布の部分が軸足だろう。斬る。


ダン!シャッ。


無理な体勢からの一撃、腕と手首の力しか入っておらず左ふくらはぎに剣を入れたものの、骨で止まってしまった。引き切ったが刃先の感覚から骨に触った程度だろう。


それどころか、左手首を割った時に刃が少しつぶれたようだ、引き斬る時に引っかかりがあった。剣を回し、狙うは首。距離的に突くしかない。


ヒュッ。


空を突いた。あの体制から後ろへ?何をした。光る両端、翼で後ろに跳んだのか!


フィジュ。


ちぎれかけた光る腕の指先から光が三筋ほど延びた。瞬間、私の腕に黒い穴が開いて感覚が消える。光球以外の射撃武器があったのか。しかし致命傷ではない。


まだ、私は剣を落としていない。鎧は脱いだが籠手だけつけていたのはある程度強く握りこむと握った形で固定される構造になっているからだ。腕の穴を抜ける風を無視し、不明確な握力を込める。


フィン。


正中線への両断、私は左に体をひねり避ける。後、天使へ跳び首の両断を狙う。天使の左手を見ると私に向いていた指が上がり手の平を向けた。手の中心が柔らかく光る。アレはまずい。下がる?下がりたい。だが、前へ。


バガン!


背中の壁がはじけ飛ぶ。やはり光弾だった。閉所でも撃つとは。後ろに飛んでいたら吹き飛ばされていた。壁が吹き飛び砂煙が背後から飛び出すと同時に日が差し、それよりも輝く天使がこちらを向く。


天使との距離は一歩ほどか。切っ先はまだ首に届かない。手首の動きに固執せず首を斬る為に接近、踏み込んだ瞬間、視界が白くなる。翼か。ならばそれごと胸を引き切って返す刃で首を。


バッ!ギィ…


切れない!太陽でわからなかったが羽が微かに光っている。剣が地面に刺さったように重く鈍い。抜けない。羽が迫る。


ドッ。


息が抜ける。認識が緩い。叩きつけられた。浮いている?壁に押し付けられている。動けない。まずい。足で壁を蹴って、


フィジュン。


足に力がはいらない。下半身の感覚がおかしい。羽の押さえつけが緩んだ!今!


ドシャ。


剣が上に引っ張られる!下に落ちた?横にある、なんだアレは。足?私の?ああ、


フィジュン。






「はぁ、はぁあ。」


損傷甚大、稼動に不備有り腹部内臓破損個所確認、修復再開。修復速度向上、全熱量を修復へ。腕部にしびれを確認、損傷が原因であると判断、修復を続行。な、な、な、


「なぜ。」


なぜ騎士の証を持つものに刃を向けられる。錬度は極めて高く、人としてかなり高位の戦闘力、そして義を果たす心、それをもった者であるにもかかわらず、なぜ騎士をやめここに、盗賊としている。右翼部修復完了、他部への修復へ熱量を変更。なんだ、さっきのは。思考が、いや頭に響く?私ではない。私?私とは。


「あ、ああ、あぁ。」


膝を突き座る。痛みはない。痛み?とは?私は何をしに、掃討、敵を、敵?左脚部修復開始。他部への修復へ熱量を変更。両腕分に痺れを確認、左腕部の修復を加速。なんだろう。立って、いかなきゃ。どこかへ。


ドシャ!


何?子供?何故。落ちてきた?なぜ子供が。ここに。危ない、保護を。


「だ、だいじょうぶ…?」


声が、うまく出ない?喉ががらがらする。とても、声が出しにくい。た、立つ。いかなきゃあの子の所へ。足が光っている。片足に力がはいらない。足が光っている。痛みはないが、嫌だ。


ずり、ずり、ずり。


「て、手を…。」


子供が飛び起きた。よかった、元気そう。


バツン!


「よくも、よくも父さんを!」


え、なに?刺され、


「うああああああ!」


やめて痛いよ。刺さないで。やめ、初撃で肝臓の一部の損傷、短剣での攻撃を複数回確認。敵性有り。


「よくも!よく」


フィジュン。


対象両断、絶命を確認、再度損傷部位への修復を行います。エラー、両脚部の筋肉にしびれを確認、神経毒の可能性有り。毒の浄化を高速化、エラー、肝臓の損傷のため能力が落ち込んでいます。全熱量を肝臓の修復へ。


どさ。


あ、あ。動かない、手も足も。感覚がないよ。なんで、この子は刺したの?父さん?父さんって何?


「何をしている。」


後ろ側から声?あの人は、確か、最後に会った味方の…






 私は天使から離れ、岩壁の右側を探した。途中、こちらに背中を向けた野盗がいたので斬った。剣は人の皮、脂肪、肉を斬る感触を一編に伝えながら、首の骨で止まった。


相手が切られた事実に気が付き、腕を滅茶苦茶に振り回し始めたので剣を引き抜くと同時に蹴り倒し心臓付近に剣を突き立てる。


剣を抜く時に薄ら寒い感覚が背中に走り、それに捕らわれないようにと走りだした。自分のした行為に自覚を持たないようにと周りに集中する。


すると前に見える砦の左方で人の怒号と金打音が響いている。野盗の本拠地はあちらだったのだろう。その音につられて前に進むと鼻を衝く臭いに立ち止まる。


人の腕と胸の一部が落ちている。天使に破壊された弓者の一部が飛んできたのだろう、周りに血だまりは無かった。それでもその事実と臭いは砂煙と共に鼻を不快にした。


臭いから逃げるようにいくつかある岩肌の壁の穴に入るが、小さい穴で何もなく、どれも同じようだった。おとなしく場所を変えようと辺りを見回す。


混戦の左方に向かうつもりは無かったので来た道を引き返し、更に上へ行こうと戻り始めると地面が揺れるほどの大きな音がした。


天使の攻撃かとも思ったが、音がする方を見ると砂煙が空高く舞い上がっていた。音からしても天使の光球とは違う。


とりあえず私は砦の右端の坂からあの砂煙の方へむかおうと思った。道中の目につく横穴をまばらに確認しつつ進むが、どれも底が浅く少年は疎か誰も見当たらなかった。


坂の途中で切り立った壁のようになっていた場所があるので納刀して登っていくと、地面と顔が近かったからか足音が鮮明に聞こえた。


息を止め壁に張り付く。足音が小さくなっていったので見回すと三人の盗賊が左に走ってきた。再度張り付き息を潜める。


ふと今まで来た道からの敵襲が恐ろしくなり振り返るが、誰もいない。急いで登り切り、直ぐ近くにあった壁の穴に入る。


しばらくは敵がどこにいるのかがわからなくなり動けなくなってしまったが、半ば自棄になり、穴から飛び出し走って坂を駆け上がった。


その時、悲鳴と怒号が叫び乱れる音の中に子供の声が聞こえた。方向は中央、戦場の中心にいたのか?少年の死を想像し、死に顔が娘と重なる。小さなうめき声を上げ、私は全力で駆け出した。岩壁の一番上の通路にたどり着く。中央を見ると踊り場の真ん中に不自然な穴がある。


「うああああああ!」


子供の叫び声だ!少年はあの中にいる。落ちてしまったのか?急いでいかなくては!


「よくも!」


彼だ!穴の中に足を踏み入れると水音がする。何だ、この場所は。とても強い血のにおいがする。あれは天使か、座っている用だが砂煙の中で腕や羽が変に光にまみれてよく見えない。手には光の棒を持っている。あれは、


「よくも」


フィジュン。


光の棒を振ると変な音をたてて子供の声が途切れた。次の瞬間、天使が仰向けに倒れた。その先には、縦に裂かれて血を噴出す少年の体があった。


「何をしている。」


思わず俺は声を出すと天使がこちらに気づき起き上がる。俺は少年を見ながら穴に飛び降りてゆっくりと歩くと二歩目で少年は崩れ落ちた。


天使の方に顔を向けると恐怖に怯えた顔をこちらにむけていた。口を動かしているようだが声が聞こえない。顔を近づけようとしゃがむと途端に天使の表情が無表情になる。そして頭から声がした。


〔少年は敵と判断し、排除しました。現在体が毒により麻痺状態に陥っています。申し訳ありませんが保護を願います。〕


この少年が敵だと。神の力を持っているあなたがわざわざ殺さなければならないほどの敵であると。毒。神の力を持てば毒など直ぐに直せるだろう。村に天使が来た時もついでにいろいろな人が治してもらっていた。


「聞こえているのですか。お願いします。保護を。」

何故、何故私に助けを求める。神は私の家族を助けてくれなかったのに。ふと診療所の医者から家族の症状は毒に似ているという言葉を思い出す。


毒だとしたら、ふざけるな。お前らは俺の家族の毒を無視したじゃないか。こんな子供を引き裂いておいて、何を言っている。


「お願いします。」


「ふざけるな。」


なぜ、それほどまでの力をもってして俺を頼る。子を殺す。俺の家族を見捨てる。何故、なぜ。神は、この天使は。


「ふざけるな!」


立ち上がり天使の顔面を蹴りつける。


「なんで殺した!貴様なら無傷でも抑えられるだろ!毒だって治せるだろ!」


天使の胸倉をつかみあげる。不自然に重かったが一切の抵抗がなかった。


「なんだって知っているし、なんでもできるじゃないか!どうして今やらない!俺の時にやらなかった!」


天使の顔を見る。俺が蹴ったため頬が一部切れて血が流れていた。その傷が急に光ったかと思うと、無機質な表情が急に恐怖で顔を歪めたものとなった。その急な人間的反応に一瞬戸惑い、次の瞬間に怒りが吹き出た。


「ふざけるなよ!」


天使の顔面を拳で殴る。天使は体制を崩し座るようにうずくまる。


「なんで、やられた時だけ人みたいな反応するんだよ、どうしてこんな子供まで殺すんだよ。なんで俺の家族を助けてくれなかったんだよ。」


天使を見ると、より小さくうずくまって震えていた。私は今までこんな不確かなものに頼っていたのか。こんな無力なものに家族の未来を賭けたのか。


「なんでなんだよ!」


俺は左手で天輪の中に腕を通し、天使の髪をつかみ上げ、顔を向かせた。


「答えろ!」


すると持ち上げた天使の顔が泣きそうな顔から急に無表情になる。


「ぁ、ぁあ。」


微かに声を上げた瞬間、天輪が強烈に光り始めた。


「な、なんだ?」


手首の辺りに異常な熱を感じる。


「おい!何をして」


「キャアアアアアアアアア!」


天使の表情をみると苦痛に顔を歪め、強烈な声で叫んでいた。


「おい、なんだ、何がおきて」


ただならぬ状況に頭から手を離す。見えない何かに手が引っ張られたが、無理矢理振り払い後ずさる。手首の痛みは止まらない。


見ると天輪が俺の手首で閃光を放っていた。天使の方を見ると膝まづきながら叫んでいた。顔を見るに眼球が滅茶苦茶に動いた。


「アア、アアアアアアアアアアアアア!」


手首の天輪の光が強くなり、手首の熱も強くなってきた。引き剥がそうと触ろうとしたが、手が一定以上近づけられない。光で見る事はできなかったが天輪は俺の篭手を焼き切ったようだ。


「なんだ、どうなっている!」

手首が刺さるような痛みに変わってきた。次の瞬間全身を突き刺すような閃光と共に左手先の感覚が消え急な脱力が襲った。足に力が入らずに膝を折り倒れてしまった。天使の叫びは未だ続いている。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


「ぐ、あぁ。」


強烈な痛みに思わず叫ぶが声が出ないほどに力が入らない。前が見えなくなり、意識が飛ぶ。最後にぬかるんだ土を頬に感じ何もなくなった。






ガッ!


「おふっ!」


なんだ、何がおきた。顔が痛い。体が、全身がしびれてうまく動かない。それととても眠い。ここはどこだ。地面が揺れる。なにかに乗せられているのか。


「貴様よくも!」


「やめろ!殺してはいけない!」


なんだ、この怒声は。騎士か?


「町の教会まで連れて行くんだ。天使様と一緒に。」


「…わかった。」


静かになった。夢の中のような感覚だが地面の振動が現実であることを教える。朦朧とした赤い空の中、ふと空が覆われた。振動が変わり、人の声がする。


ここは、町か?戻ってきたのか。戦闘は終わったのか?そうか、私はあの時倒れて。そうだ!私は飛び起きる。同時に強烈な倦怠感と筋肉痛が起きたがそんなものは些細な事だった。周りからの罵声に比べれば。


「おきたぞ!」


「大罪人め!死ねばいい!」


「天啓が降りなくなったらどうするつもりだ!」


「これだから傭兵は…。」

なんだ、何を言っている。やめろ、そんな目で私を、俺を見ないでくれ。やめて、やめてくれ。俺は、私は。急に頭をつかまれまた台車に叩き付けられた。


「おとなしく寝ていろ。これから教会へ向かう。やってくれたな傭兵よ。俺も皆のように貴様を殺したいが、司教様から止められているものでな。」


何を言っている。意味がわからない。私は再度意識を手放した。今度は恐らくそれを自ら望んでいた。






 教会の前で騎士が声を張る。


「傭兵はここで解散!賞金は後日与える!手柄の証明の品は残しておくように!」


傭兵からは文句や罵声があがっている。


「わかった、では最低限の報酬を先に用意する!正規の報酬は後日申請するように!」


すると罵声は歓声に変わった。げんきんなものだと騎士はため息をつく。


「報酬はあちらの小屋ので受け取ってくれ。以上、解散!」


騒ぎながら指さされた方に向かう傭兵達。騎士は一人ため息をつく。すると若いもう一人の騎士が走って近づいてきた。


「罪人と天使様は教会の母屋に搬送しました!」


「そうか、ありがとう。」


疲れたように騎士は返答する。


「しかし、どうするのだろうな、司教様は。それに罪人の顔を見た瞬間顔が少し曇った気がするが。」


「それは誰でも曇るでしょう。天使様を堕ろしてしまったのですから。」


「それも当然か・・・。」


そう話しながら騎士二人は教会の母屋を見る。






 母屋では司教が修道者達に指示を出していた。


「すまない、両者とも服と体を軽くあらってやってくれ。その後、食べるものを罪人と天使様と共に私の部屋まで運んではくれないか。後、罪人の身分証を部屋に持ってきてくれ。」


「司教様はどうなされますか?」


修道女の一人が質問をする。


「私は部屋に戻り儀式の用意をする。二人を入れる時以外は決して空けぬように。」


「司教様!罪人と一人で会うのは危険すぎます!」


「いや、平気だ恐らくは。それ以上に必ず誰も入れないでくれ。まずは二人を洗ってやってくれ。天使様も汚れた姿では不快じゃろう。」


司教がそう答えると、修道女達は戸惑いながらも仕度を始めた。修道女が全員その場から離れると入れ替わりのように子供が一人駆け寄ってきた。


「おじいちゃん、何があったの?」


「こら、ニミカ!入ってはいかん!」


大声で怒鳴る司教は初めてだったのだろう。少女は驚いて俯いてしまった。司教はその姿に焦り表情を温和にしてやさしく語りかけた。


「ごめんよ、ニミカ。ここは危ないからすぐに部屋に戻りなさい。」


「…わかった。」


少女はそう答え部屋から出て行った。司教は笑顔をはがし、深刻な顔をして自室へとむかった。自室へ入るとすぐに鍵を閉めた。


「あの顔、まさか。しかし…。」


司教の顔は更に曇る。部屋に飾ってある額縁に近づく。昔、友と一緒の姿を画家に書いてもらった絵があった。


絵は極めて写実的に描かれており。二組の男女と抱きかかえられた子供が描かれている。男の一人はマビダに似ていた。


昨日の夜、司教宛に手紙が届いた。内容は村の神父、マビダが失踪したとの内容だった。失踪したと思われる理由も添えてあり、明日にはその情報を町に展開する予定であった。


司教は日記を本棚から探す。そこで友とのやり取りなどを懐かしみながら見直した。しばらくして扉が叩かれた。司教は日記を急いで仕舞い、身構える。


「罪人と天使様か?」


「いえ、罪人の身分証を届けに参りました。」


「わかった、今開けよう。」


自分が頼んでいたことを思い出し、彼らと会う事が伸びた事に少し安心した。


「こちらになります。」


「ありがとう。天使様は何時頃になる?」


「あと二十分程度かと。」


「頼んだぞ。」


「しかし、本当によろしいのですか?拘束を施すとはいえ、司教様一人で対応などと、危険ではないのですか。」


「いや、大丈夫だ、中央教会からの教えの通りに行えば問題ない。それに教えでは私一人でやらねばいかんのだよ。」


「そうですか、わかりました。」


そういって修道女は去っていった。作り笑顔で対応した司教は従者の背中が見えなくなった後、扉を閉めて神に祈りながら身分書を確認した。名は、トイト。心臓が跳ねる。


その名はかつて友が村を助けた英雄を自慢するときに言っていた人物であった。体の肉が引き裂かれる思いの中で、司教は扉が開くのを待った。






「う・・・ぁあ・・・?」


目が、かすむ。ここは、家か?何か、落ち着く香り、忘れてしまったが、なんだ・・・?


「目が覚めたか?」


正面に人がいる。俺は、座っている?腕が動かない、拘束されている?・・・!


「ここは!」


あたりを見回す。妙に頭がさえている。瞬間左手首が激しく痛む。


「ギッ!」


思わず叫んでしまった。痛みで体が震える。顔をしかめると正面の人と目があった。ひどく青い顔をしている。


「あなたは、」


話しかけた瞬間に、言葉をさえぎられた。


「すまん、単刀直入に聞く。マビダか?」


俺を知っている。顔も覚えがある。そうだこの人は!


「あの!」


「頼む!答えてくれ!」


またもさえぎられる。悲痛な叫びのような問いだった。


「…はい。」


「お、お、おおおお、そうか、そうなのか…あああ、あああぁ。」


目の前の人、そうだ、彼は、彼が父の。そう、この場所も子供の時に一度来たことがある。だから俺も覚えているのか。彼は顔を手で覆い、よろめきながら椅子に座った。


「何が、あったのだ?」


「それは…。」


何を話せばいいのか、迷う。


「頼む、正直に答えてくれ、頼む。」


「…わかりました。」


俺はこの町に来た時からの話をした。町に傭兵として入ったこと、金がほしくて討伐に志願したこと、ニミカという少女にロニという少年の事を頼まれた事、そして天使がロニを切り殺した事。激昂し殴った事。


旅に出た目的は伏せた。そして彼はニミカの名を聞いた瞬間明らかに目つきが変わった。


「そうか…そうか。そうか…。」


そういって彼はうずくまってしまった。そのまま時間が止まったような静寂が流れた。ろうそくの燃える音がたまに聞こえる。どれぐらいたったのだろうか、司教が口を開いた。


「結論から言おう。お前は天使様を堕天させた。」


ダテン?聞いた事のある言葉だが頭が回り切らない今はそれがわからない。


「堕天を知らぬのか。無理もない。位の高い神父でなければ知らぬであろう。端的に言えば、天使を個人に隷属させる事だ。」


レイゾク?まさか、堕天の事か?


「この罪は本来死罪より重く、本人のみならず一族、そして加担したものすべてを殺す必要がある。」


「まってくれ、いや、待ってください。私は!」


「しかしお前には、何もない。家族は死んだのだろう。」


「…はい。」


私は今まで忘れていたのか、その一言で思い出した。そうだ、私には、もうかばう相手すらいないのだ。


「村の方から連絡が来た。一部内容はぼかしてあったが、家族が死んだことは知っている。」


「それでは、私が死罪と。」


私自身はもう失うものはない。悔いはあるが、虚脱感がそれをかき消す。


「いや、見逃そう。」


すぐさま司教はそう返した。温情にしては表情が強張っている。


「なぜですか。」


「友の息子を手にかけるのはやりたくない。」


「しかしそのような事をしたらこの町の天啓が!」


「ここはほぼ推測になるが、堕天した天使は天啓等の神を通さずに人の手で処理をしろという事になっている。報告義務すらない。堕天に対してのみ秘匿性が特殊なのだ。恐らく中央教会の高官の目に付かなければ問題はないだろう。また、この件も儀式をすると偽って私の一任で進めている。危険性は高いが今となってはこれしかないのだよ。」


言葉の節に違和感を感じたが続く言葉でそれは消えた。


「では今後を説明する。堕天した天使の処理はお前と共に野に放つ事とする。天使を堕ろした人間を殺すと天使は気が狂った後、衰弱して死ぬそうだ。今回はお前も殺さない。」


見逃すとはいえこの処置では人しれぬ場所で死ぬこととなる、と思ったがすぐに司教は言葉を続けた。


「この町から北へいけば厳しい山脈があるが、そこを超えれば機械の町があるはずだ。あそこは中央教会と対立している故、お前達を向かえ入れてくれる可能性がある。その山には過去の通行路の名残があるはずだ。獣道のようになっているだろうがそれをたどって向かえ。距離は遠く、何日もかかるだろう。一応いくつかの食料とお前の荷物であれば渡す事ができる。だができるのはここまでだ。」


死罪に比べれば破格の条件だろう。確かにそちらの方角に機械の町がある事は神父をしていた時に聞いたことがあったので、信憑性はありそうだ。


「では、宿からの道具がつき次第、準備を開始してくれ。また天使のほうも頼む。」


天使という言葉に背筋が跳ねる。


「天使!天使はどこにいるのですか!」


「大きな声を出さないでくれ。君の後ろだ。今拘束を解こう。」


拘束を解かれた瞬間私は天使に駆け寄った。興味か憎悪か理由はわからない。天使は机の上に置かれた担架の上で眠っていた。汚れが少し拭かれているのか、羽に茶色い汚れをわずかに残し、目じりは涙で濡れていた。


「もう、天使ではないがな。しかし他に呼びようもない。」


自嘲気味に司教は笑う。


「彼女の扱いは君に任せる。しかし山では二人でいたほうが生存確率は上がるだろう。堕天した天使は身体能力が人並みになるらしい。一時間後に馬車にて二人を町の外へ運ぶ。馬車に道具を入れておくから準備は移動中にしてくれ。」


返事をする暇もなく事が進んでいく。司教は二人分の食料と私達二人を残して部屋を出て行った。急転する状況に息を飲むが何よりもまず動くために食料に喰らいついた。


しかし、遂に天使と話をする事を恐れて彼女を起こす事はできなかった。天使は物を食べるのかと悩みつつも用意された食料を持てるだけ懐に入れた。


再度彼女を起こすか迷っていると、司教が入ってきて小さくうなずいた。準備ができたのだろう。私は起きぬ天使の前で少し悩み、抱きかかえて運ぶ事にした。部屋から出る前に、頭から大きな黒い布をかぶせられた。普段使うものではないのか黴臭い。


「死刑囚用の姿隠しだ。文句は言わないでくれ。」


司教は耳元で小さく耳打ちをした。私はうつむいたまま司教に手を引かれていった。司教の手が離れると覆いが取り払われて目の前に馬車があった。


暗くてよく見えないが馬車の中には私が宿に残した道具や戦闘に使用した武器と見慣れにぬ鞄が置いてある。武器については荒くであるが補修してあるのか血や汚れは見えない。


適当に荷物をどかし天使を荷台に乗せて飛び乗る。夜で見えないが司教に目配せして少しうなずいた。荷台の隅に座り、しばらくすると動き出した。夜馬車の暗闇の中、ものが良く見えないので失くさぬよう物品の確認は控えた。


月明かりが入ってきた時に全体を見たら隅のほうに一回り小さな鞄と皮の衣服が置いてあった。恐らく女性用の防寒具だろう。見慣れぬ鞄も外から叩いた限りではこれが食糧の袋だろう。天使を見るとまだ気を失っている。馬車が止まる前に最低限は準備が必要だ。意を決して無理にでも起こす事にした。


「おい、起きろ。」


「ん…。」


何度も呼びかけ肩をゆすり、やっとの事で起きた。


「体は動くか。」


「う、ああ、私は?ここは?」


何を説明するべきか、話すべきかわからないのでとりあえず行動の指示だけをする事にした。


「私達はとりあえず遠くへ行かなければならない。行き先は後で話す。まずこの服を羽織ってくれ。ここは低地とはいえ夜はまだ冷える。」


「あるく…?」


「後で説明するが町から出て遠くへ行かなければならない。すまないが着いて来てくれないか。」


「なぜ?」


返答に困っているとふと馬車の向きが変わり月明かりが強く入ってきた。


「あなた!私を殺そうとした人!」


顔に明かりが強く映ったのか彼女はそう叫んだ。馬車の走り方は変わらないため声に気が付いてないようだがまずい。


「くそ!」


「やめて!ころさないで!」


彼女はめちゃくちゃに動く。その姿はあの戦場の流麗さは皆無であり、子供のようで、その抵抗もか弱かった。私は彼女の腕をつかみ、床に叩き伏せた後に彼女の両腕を背中に回し抑え込んだ。


「いやだ!いやだぁ!」


「くそ!いいから黙れ!」


私は彼女の上から覆いかぶさって開いてる手で無理やり口をふさぐ。途中口をあけて噛みつかれたので、さきほどまでかぶっていた布を丸めて顔を押さえる。


「いいから落ち着け!静かにしていれば何もしない!」


「んー!」


そのままで五分ほど押さえ込んだだろうか。抵抗が少なくなってきたあたりでゆっく

りと開放する。


「申し訳ないが従ってくれ。お互いの生命にかかわる事だ。たのむ。夜が明けたら歩きながら話す。生きるにはお前が必要なんだ。」


「…わかり、ました。」


俺は小さく礼を言い支度をしようとしたが天使は小さくなって震えているだけだった。仕方なしに女性用の防寒具を広げて彼女にかけた。


寒さで震えている訳ではないのは分かっているが、震える彼女はあまりにも儚い存在に見えてしまう。月明りで荷物を選別し先ほど暴れた斥力から軽い方の荷物を渡す。


私は重い方の荷物をすぐにでも担げるようにし、武器などを腰帯にひっかける。準備が終わったので丸めた姿隠しを広げてそこに座る。馬車は体が痛くなるほどに揺れ始めていたので敷いてみたが気休めにもならなかった。


舗装路が終わり町の外に近いのだろう。そこで懐に入れた食糧に気が付きそれを彼女に渡した。


「君の食料を渡しておく。好きな時に食べればいいが、馬車から降りた後食べてくれ。今は振動で食べるのは危ない。」


彼女は受け取り、少し頷いたように見えたがそれが馬車の振動によるものなのか判らなかった。しばらくすると馬車が止まり、司教が荷台に入ってきた。


「ついたぞ。あの姿隠しをかぶって降りてくれ。荷物も見られぬように頼む。」


馬車から降りると前方にもう一台の馬車が止まっていた。恐らく司教はあちらで来たのだろう。音がうるさくて判らなかった。


「急いでくれ。あまり見られる訳にはいかない。進む方向は向こうだ。」


私は小さくうなずき彼女を見る。俯いており顔は見えない。敷いていた布を手に取り足早に馬車を下りて広げてかぶる。天使の眼を見て小さく頷くと、無言で馬車から降りた。そこから数歩歩いた所で大きな声で立ち止まる。


「おじちゃん!」


後ろから聞いた事のある子供の声が聞こえた。驚き振り返るとそこにはニミカがいた。


「おじちゃんロニは!ロニはどうしたの!」


あ、と声を出そうとしたが、どうするべきか迷ってしまう。何より何故ここにニミカがいるのか。


「なぜここにいるのだニミカ!」


「おじいちゃん!ごめんなさい、でも!」


おじいちゃん、そうか、そういう事か。関わった一族すべて、だものな。この隠蔽は司教にとっても必要という事か。合点がいったと同時に虚無感を感じた。この虚無感は逃がしてくれた事は善意からであると思っていたからだろう。


「あ…。」


そう私は小さく嘆いてニミカに背を向けた。天使の腕をつかみ歩みを進める。


「呼ばれているようですが、いいのですか。」


天使は冷たい声で話しかけてくる。その一声に激昂したが歯を食いしばって抑える。天使の腕を力任せに引っ張り、体を引き寄せて小さく強く、言った。


「ロニは、貴様が、殺したんだ。」


怒気をはらみながら彼女に言う。


「貴様が両断した子供がロニだ。黙って付いて来い。」


「あ…う…。」


彼女が一瞬歩みを止めたのを無視し再度腕を引っ張る。


「痛い!」


「ぐ、すまん。頼むから付いてきてくれ。」


彼女の腕から手を放す。


「…はい。」


しばらく無言で歩き続け布を取ると町の灯りは完全に見えなくなった。

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