第17話 「一日の終わり」
「――と、いうことだったの」
サナエが華奈の仲良くなった経緯を聞いて、零斗はほっと一息吐く。あんな険悪な状態でこれから付き合っていくと考えると胃が痛くなる。
サナエと華奈が医務室へ入ってきてから三十分ほどかけ、なんとかお互いの事情を説明し終わった。
「そっちも解決できて本当に良かったよ。最初に姉さんって聞いたときはビックリしたけど」
「ビックリしたのはこっちよ。刺されたとか普通に犯罪じゃない。その子の処遇、どうするつもり?」
「どうするもなにも……別に咎めるつもりはねえよ。悪意があった訳じゃねえし、俺以外に被害を受けた人がいるわけでもないし。それに、本人も反省してるみたいだし」
この場にいる人間が黙っていれば歪美に責任が問われることもないだろう。そうするのが正しい行いではないと分かってはいるし、完全に零斗の私情でしかない。
零斗の視線を受け、歪美は気まずそうに顔を反らす。
「もうわたしがレイ君に手を出すことはないよ……もうわたしにはどうすることもできないし」
「……って、言ってるけど私には信用できないわね。警察に突き出した方が良いと思うけど」
「いや、やめてくれ」
「はぁ、甘いわね月島くんは。ちなみに華奈さんはどうなの? 妹としてこの対応は」
「え? 全然殺すけど」
零斗が歪美の説明をしている最中ずっと無言で無表情を貫いていた。その時点で相当不穏な様子を感じ取ってはいた。怒りが振り切れすぎたせいで一周回って感情が表にでなくなっていたようだ。
「通報なんてしないよ。お兄ちゃんを殺そうとしたんだから、そんな生ぬるいやり方で済ませるわけない」
「だそうだけど」
「物騒すぎるな!? もう殺すとかそういうのはお腹いっぱいだよ……」
ようやく歪美と和解できたというのに、次は別のところで諍いの種が生まれている。危惧はしていたが、精神も肉体も磨耗した今の状態でそんなものを目の当たりにすると余計疲れるだけだ。
零斗が本気で気疲れした顔になったからか、華奈が引き下がる。
「お兄ちゃんがそこまで言うなら、今は見逃してあげる。ただ、許したわけじゃないってことは頭に入れておいてね。言い争ってお兄ちゃんの心労を増やしたくないだけだから。せいぜいあたしの視界に入らないようミジンコみたいに小さく生きてってね」
「華奈さんの言い方は悪いけど、月島くんに近寄らないでほしいのは私も同じよ。月島くんが信用してても私や華奈さんは信用できない。そんな相手が月島くんといつ接触するか分からないってなると気が気じゃないわ。歪美さん、しばらくは月島くんに近づかずに大人しくしてて。それが守れるのなら、私たちもあなたをこれ以上責めたりはしないわ」
サナエに説得されて歪美が悲しそうに眉尻を落とす。零斗は歪美がもう誰かを傷つけたりしないと信用しているけれど、サナエや華奈からすれば警戒するのは当たり前だ。だから若干可哀そうだと思いながらも、零斗は成り行きを見守る。
「分かり、ました……。でも、一つだけ……レイ君にお願いしたい……かな」
「なんだ?」
「レイ君の写真を撮らせてほしい。レイ君本人に近づけないなら、せめて写真だけでも持っていたいの」
「は? お兄ちゃんの写真とかあたしが欲し……じゃなくて、あんたに渡すわけないでしょ! なにに使うか分かったもんじゃないし、馬鹿なの!? 本物の馬鹿なんだね!?」
「華奈落ち着けって」
「お兄ちゃんこそ警戒しないと! 女は狼なんだよ!?」
「逆だろ」
華奈は納得がいかなそうに騒ぎ立てるが、零斗としては写真を撮るだけでなにをそんなに警戒しているのか分からない。好きな人の写真が欲しいなんて誰しも思うことだろうし。
(俺だってサナエの写真がもらえるなら欲しいよ! こんな直球で頼むの恥ずいから無理だけど!)
自分の欲を包み隠さず言葉に出来るのは零斗も見習いたい清々しさがある。
「写真撮るくらいなら全然構わないよ」
「本当! やったあ、嬉しい!」
「ちょ、お兄ちゃん!? 甘いよ! 甘すぎるよ!」
「いーだろそんくらい。てか、なんでそんなムキになってんだよ」
「ムキになってないもん」
「もういいからさっさと撮ろうぜ。……なんで歪美は離れてんだ?」
写真を撮るというから、てっきり二人で並んで撮るものと思っていたが、歪美は後ずさり零斗から距離を取った。そしてそのままスマホを構えて写真を撮る。
「レイ君ありがとう……」
「えっ、本当にそれで終わり? 歪美は映らなくて良かったのか?」
「いや、わたしなんか撮っても仕方ないし……推しと一緒に撮るとかなんか違うというか、壁になりたいというか……」
「壁になりたいは意味分かんねえけど、歪美が満足ならまあいいか」
「お兄ちゃん、なに撮らせてんの! じゃああたしも撮るー!」
「なにが『じゃあ』なの!?」
華奈が零斗に近づき、写真を撮る。零斗が弱ってて抵抗できないのを良いことに好き勝手する華奈に呆れつつも、「減るもんじゃないし」という意識でスルーする。
「ふふん、あたしはツーショだから。あんたと違って!」
「いいよね、自分に自信がある人は……」
なんかまた言い争いが始まりそうな雰囲気の中、零斗のそばでパシャ、という音が響く。零斗が音の方向へ視線を向けると、サナエがこちらへスマホを向けていた。零斗がサナエの方に顔を向けた瞬間サナエは持っていたスマホを後ろ手に隠す。あまりにも早い証拠隠滅……零斗も流石に見逃さなかった。
「おい」
「なにも撮ってないわよ」
「まだなにも言ってねえよ」
ほぼ自白したというのにサナエは顔を背けたまま口を噤む。すぐそばでは華奈が歪美に文句をつけ、サナエがなにか怪しい動きを見せる。再びカオスが空間を支配してしまうのか……と危惧しているところに、医務室のドアが開く音が聞こえた。
「月島さん、体調はいかがでしょうか」
医務室に白衣を着た女性が入って来る。大人びた女性だった。身長が百七十はゆうに超えていると思えるほど高い。長い藍色の髪が歩くたびに揺れる。前髪で片目が隠れており、ときおり前髪を整えるような仕草を見せている。
この女性は恐らく零斗が試験中に出会った救護班の人だろう。もしかしたら零斗を医務室まで連れてきたのもこの人かも知れない。
「あら、お客さんがいっぱい。大人気なんですね」
「また女が増えた……」
華奈が女性に威嚇をしている。ありとあらゆる女性に牙を剥く姿はまさしく狼のようだった。
(女が狼とか言ってたけど、狼なのは華奈だけじゃねえのか……?)
言葉に出すと怒られそうなので口にはしない。
「うふふ、そんなに睨まれたらびっくりしちゃいますわ、可愛らしいお嬢さん。わたくしは月島さんの体調を診にきただけですので、あまり警戒しないでくださいな」
噛みついてくる華奈の言葉にも全く動揺する様子を見せず、微笑みながら零斗に近づく。これが大人の余裕ということなのだろう。
「眩暈や吐き気といった症状はありませんか?」
「あぁ、大丈夫です。疲労感はまだありますけど、試験中みたいなしんどさはもうないですね」
「それは良かった。検査も特に異常が見られなかったので大丈夫とは思っていましたが……ともあれ、体調が戻られたのでしたらこのままお帰り頂いてもいいですよ」
「じゃあお言葉に甘えて」
零斗は布団から出て立ち上がる。立つ瞬間に若干ふらついたが、問題なく歩けそうだ。零斗が医務室を出ると後を追うように華奈とサナエが付いてきて、最後尾に歪美がとぼとぼと歩く。
試験会場の外に出ると、歪美が口を開く。
「あ、あの……っ!」
「どうした?」
「わたしは、ここで……。近づいちゃ、駄目だし」
「そうだよー。早く帰りなよ。ぺっぺっ」
「こら、言いすぎだろ」
華奈の脳天にチョップをして無理やり黙らせる。
「悪いな、助けてくれたのにこんな扱いしちゃって。でも、必要なこととは思うんだ。事情を知らない人からすれば警戒するものだと思うし」
「うん、分かってる」
「ちょっと時間はかかるかもしれないけど、なにもなければきっとまた一緒にいれるようになるから、その時まで待っていてほしい」
「うん、待ってるよ……レイ君、大好き」
歪美は手を振って零斗を見送る。歪美と仲良くするため、ほとぼりが冷めるまでは離れ離れになるのも仕方ない。それだけのことを歪美はしてしまったのだから。
零斗はもやっとする心を抑えて、三人で帰路についた。
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