第15話 「ボス戦」

 階段の下は円形の広い空間になっていた。正面の壁にはモニターがあり、そこに「HP 一〇〇〇」という文字が表示されている。


「なんだ、あれ……HPってゲームみたいだな。あの数字が高いのか低いのかも分かんねえし」


 ボスエリアだというのにボスらしきものは見当たらない。どうやってボスと戦うのか見当もつかない零斗は、とりあえずボスエリアへ一歩踏み込んだ――その時。


『ボスエリア到達おめでとうございます。本ダンジョンのボス戦に参加する意志がおありでしたら部屋中央へとお進みいただき、挑戦を諦めるのであれば後方の階段からダンジョンへお戻りください』


 部屋中にアナウンスが流れる。試験が始まる前に準備室で聞いたのと同じ声だった。ボスエリアに入った受験者には二つの選択肢が与えられるみたいだが、零斗の選択なんて一つしかない。

 ――諦めるために、こんなところまで来たんじゃない。

 死にかけて、ふらふらな足でここまで歩き続けたのは、全部探索者になるためだ。ボスに挑む前に諦めるなんて選択肢はあり得ない。

 零斗は迷うことなく前へ進み、部屋の中央に立つ。すると、再度アナウンスが流れる。


『ボス戦への挑戦、承認いたしました。ではボス戦に関するルールを説明します』

「……」

『受験者の勝利条件はボスの討伐、あるいはボスの情報集めてそれをダンジョンの外へ持ち帰ることです。情報収集をした場合は合格基準に達しているか審査するためお時間をいただきますが、ボスを討伐した場合は即時合格となります』


 なるほど、と零斗は納得する。探索者はその名の通り、ダンジョンを探索しダンジョンから資源や情報を持ち帰るのが仕事だ。それ故、単純な戦闘能力だけで優劣を図ることができない。ボスの情報を持ち帰り、適切な対処ができるよう努めるのも探索者の仕事の内だ。もちろん、初見でボスを倒してしまうのがベストなのは間違いないが。

 ボスと戦いながら情報を集めて後に託すか、自らが前線で戦い続けるか。零斗としては確実に合格できる討伐を選択したいところだが、体調の問題もある。どうしようもない場合は情報を持って帰るべきかもしれない。

(情報を集めつつ、倒す算段を見つけるのが良さそうだな)

 作戦を立てているとアナウンスの言葉が続く。


『受験者の敗北条件はHPの全損です。モニターをご覧ください』

「やっぱりあれだよな……」

『HPはあくまで受験者がボスの攻撃を受けた回数を可視化するための数値ですので、実際の受験者の肉体や身体能力とは関係ありません。ボスの攻撃が受験者にヒットするたび、HPの数値が減少します。この数値がゼロになった場合、実際のダンジョンで死亡するリスクが非常に高いとみなし、即時不合格となります。ボスの腕はゴム状のカバーで覆ってあるため、攻撃を受けても大怪我をする可能性は低いですが、HPにはくれぐれもご注意下さい』


 痛くないから、と油断して攻撃を受けまくるといつの間にかHPがなくなっているなんてこともありそうだ。攻撃は全部避けたいところだが、動きが緩慢な今の零斗がボスの攻撃を全部回避するのは難しいだろう。

(あれ、これ結構マズくね)

 モニターに表示されたHPは一〇〇〇だ。もし仮にボスの一撃を食らって一〇〇〇ダメージを食らった場合一発で不合格になる可能性がある。さっきのアナウンスも、「攻撃をくらうとHPが減る」としか言っておらず、どのくらい減るのかには言及していない。

(流石にそれは……ないよな?)

 一気に不安が押し寄せる零斗をよそに、アナウンスは無機質な声で無慈悲に試験の開始を宣言する。


『では――試験を、開始します』


 ボスエリアの奥の壁が開き、暗闇の中から「ボス」が現れる。それはまるで熊だった。全身を体毛で覆った全長三メートルほどの巨体。赤く光る瞳に、鋭く太い牙。四足歩行でこちらに近づいてくるが、零斗に接近すると前足が上がり、後ろ足だけで立つ。巨大な腕には黒いゴムカバーが付いているが――


「いやこれ死ぬだろ……っ!」


 巨体から振り下ろされる拳の一撃なんて、ゴムカバー一つでどうにかなるとは思えない。零斗は飛びのいて避けようとしたが、身体が追い付かず足がもつれて思いっきり転んだ。

 早く立て直さないと、と頭では理解できているが身体を持ち上げるほど力が出ない。ボスが倒れた零斗を見逃すはずもなく、太い腕で零斗のみぞおちを振りぬく。


「痛った……くねえ!」


 明らかに人が死ぬような見た目の攻撃なのに、痛みはほとんどなかった。衝撃こそ感じるものの、傷もなければ痣ができるわけでもない。だが、安心はできない。なぜならルールでも聞いた通り、実際のダメージが軽かろうとHPがなくなれば全てが終わりだからだ。

 零斗は素早くモニターを確認する。現在のHPは八〇〇になっていた。ボスのパンチが直撃して二〇〇のダメージ。単純計算で五発くらったら不合格。

(全部の攻撃が一律で二〇〇だった場合、だけど)

 大技をくらったらもっとHPが減りそうだけど、流石にわざわざ攻撃を受けに行く度胸はない。


 ボスの二撃目がくる。当然だが零斗の回避できる速度ではない。ならば――


「出てこい!」


 零斗の声と同時に地面からゴーレムの腕が突き出る。ゴーレムがボスの攻撃を受け止めている間に零斗はモニターに視線を移す。零斗の予想通り、HPは減っていない。防御面は問題ないとすれば、後はどうやって倒すかだが、これもゴーレムを使うしかない。

 土を収集して二本目の腕を作り出し、拳をボスへ向けて放つ。防御側の腕と拮抗していたボスは拳の直撃を受け、大きく吹き飛ぶ。


「やった……のか?」


 土ぼこりをあげながら壁に激突したボスを見つめ、零斗は呟く。スキルの行使には多大な集中力が必要だ。疲労困憊の身体で攻撃と防御を同時にこなすだけでも難易度が高い。今の零斗のセリフは「今の一撃で終わって欲しい」というある種の祈りのようなものだった。


 土ぼこりが収まり、ボスが吹き飛んだ壁が見えるようになる。壁には大きな凹みができており、ボスはその巨体が破壊されて――いなかった。

 ボスに多少傷はついているが、誤差みたいなものだ。


「駄目、なのかよ……」


 正直、これまで一撃で終わらせていたのだから今回も倒せるだろうと、どこか楽観的な部分があった。仮にそこまで上手くいかずとも、かなりのダメージを与えられるだろうと。だからこそ、ほとんどノーダメージだったという現実が零斗に重くのしかかる。

 もっと土を集め、より巨大な質量をぶつければボスを倒せる可能性はあるが、防御と同時にそれを行うのは不可能だ。防御を捨てて集中すれば可能だろうが……それを許してくれるとも思えない。

 ボスが突進してくる。零斗は土の壁を作って防ぐも、とっさに作った壁は脆かった。突進の勢いを少しも殺すことなく、壁は儚くも崩壊した。ボスの突進を受けた零斗は吹き飛ばされ、壁に激突する。


「くそっ……」


 ボスからの攻撃自体は痛くないが、壁に激突した衝撃までは防げない。痛む背中に注意を向ける暇もなく、ボスが再び突進してくる。避ける術はない。ならば壁を作るしかない。


「止まれ……っ!」


 さっきは零斗の近くに壁を出したが、今回はボスの近くに壁を作った。助走の距離を稼がせないことで威力を減らし、突進を防ぐ考えだったが、その目論見は成功したようだ。ボスは壁にぶつかるが壁を壊すことができず、痛そうに頭を押さえている。

 その隙に零斗はモニターを確認する。現在のHPは残り一〇〇。突進と壁への激突でHPを一気にもっていかれた。あと一発小突かれるだけで消しとぶHPだ。

(情報を集めて逃げるしかないのか……?)

 逃げるだけで精一杯なのに、情報を集めることができるとは思えない。しかし、今の零斗に決定打がない以上、情報収集以外に出来ることはない。

(情報を集めるのになにをすればいい……どうすればいい……)

 零斗が分かっている情報なんて、ボスは熊のような見た目をしていることと、攻撃手段が身体を使ったものが多いということだけだ。弱点や習性といったものは一切見つけられていない。弱点を見つけようにも零斗に出来るのは土を集めて形を作ることだけ。それでどうやって弱点を引き出せばいいのか、全く思いつかない。

 ボスが壁を迂回して零斗を視界に捉える。疲弊は最高潮に達し集中力が散漫になってきており、防御のためのスキル使用も難しい。そんな零斗に更なる不幸が襲い掛かる。


『試験時間、残り五分です』


 ――情報収集という選択肢すら、潰えてしまった瞬間だった。



 残り五分。その言葉が零斗の焦燥感を掻き立てる。今から情報を集められたとして、それを持ち帰るための時間がない。そもそも情報収集する手段すら思いついていないのだから、五分で情報を集められるとも思えない。

(駄目、なのか……)

 零斗にはもう手札がなにもない。逃げることも戦うこともできず、HPもわずかしか残っていない。

 ボスがこちらに近づいてくる。動けない零斗に向かって、弄ぶようにゆっくりと距離を詰めてくる。どう足掻いても零斗に勝ち目なんてない。それでも――零斗は諦めることはできなかった。

(なにかあるはずだ。きっと、なにか方法が……。いいから考えろ。諦める前に、なにか思いつけば……)

 痛みと疲労の中で必死に頭を回転させる。どんなことでもいいから希望があればすぐにつかめるように。部屋中を見回し、使えるものがないかを探る。すると、


「なんだ、あれは……」


 ボスエリアの階段から、小さな生き物が上層から下りてくる。目を凝らして見てみると虫がボスエリアに入ってきている。それも一匹や二匹ではなく、数えきれないほど。

 虫は真っ直ぐにボスの元へ向かうと、ボスの足から顔まで登り――目を覆った。虫がボスを邪魔しようとするなんて普通じゃあり得ない。そんなことをする意味がない。だけど、こんなことを出来る人間は、思い当たる者が一人いる。


「歪美、悪いな。助かった」


 ここにいない歪美へ感謝の言葉を呟き、零斗はスキルを発動する。ボスは眼球に張り付く虫を潰そうと必死にもがいていて、零斗にトドメを刺しにこない。その間なら、零斗は防御のことは考えず、攻撃に集中できる。

 零斗は最後の力を振り絞り、集中する。地面の土が盛り上がり、形を作る。地面がへこむほど土を集め、固め、凝縮させる。これまで作ったどんなゴーレムより遥かに巨大な質量を生み出し、零斗はボスを見つめる。ボスはまだもがいており、零斗の攻撃を回避することはできない。


「食らい、やがれ――っ!」


 零斗の持てる全ての力を使い、超巨大な塊をボスへ投げつける。耳をつんざくほどの大音量がダンジョン中に響く。

 これでボスを倒せなかったらもうどうしようもない。全力を使い果たした零斗はもはや思考も上手く回らず、身体も動かない。意識が遠のきかける零斗の耳に、アナウンスの声が聞こえた。


『ダンジョンボスの討伐を達成しました。おめでとうございます』


 いつも通り無機質な声。だけど、今はそれすら心地いい。


「探索者になったぜ、サナエ……」


 これで零斗はようやくスタートラインに立った。零斗の張りつめていた緊張の糸は切れ、意識が朦朧としてくる。ボスを倒して悠々と帰るつもりだったのに、これでは格好がつかない。

(まあ、それでもいいか)

 零斗は目を瞑ると、薄れゆく意識が暗闇の中へ溶けていった。



 目を開けると、零斗はベッドの上で横たわっていた。ふかふかのベッドから太陽の匂いがする。


「あっ、起きたんだ」

「歪美か」

「そうだよ。レイ君、試験お疲れ様」


 ベッドの傍らに丸椅子が置かれ、そこに歪美が座っていた。どうやらここは病室のようだ。周囲を見渡して、自分がどういう状態か理解できて来た。倒れた零斗は恐らくスタッフに連れられこの部屋に来た。見舞いとして歪美がそばにいてくれたのだろう。


「歪美、ボス戦で助けてくれてありがとう」

「――っ!」


 零斗が礼を言うと歪美が目を見開く。なんでそこで歪美が驚くのか、全く理解できなくて零斗は目を白黒させる。


「なんでそんな驚いてんの?」

「……わたしがこんなに近くにいるのに、怖くないの?」

「言ってる意味が分からねえ。なんで怖がるんだよ」

「いやほら、わたしの前で無防備で寝るとまた殺されるんじゃって思ったりしないのかなって」

「張本人がそれ言うんだ……」


 言われてみれば確かに歪美が凶行を犯す可能性はある。ただ、零斗にはその可能性が微塵も頭になかった。それは、試験中に歪美とした約束があったからだ。


「でもさ、歪美は俺がいつか死ぬ時まで待っててくれるって言っただろ? なら大丈夫だろ。現に、歪美の前で寝てたのに殺されてないし」

「……」

「じゃあ逆に聞くけど、なんで歪美は俺を殺さなかったんだ? 自分で言ってただろ。無防備だって。それが分かってるならやれたはずだ」


 零斗の質問に歪美は俯いて自信なさげに答える。


「レイ君に言われた言葉を考えてみたの。『命の冒涜』ってやつ。どうしてそれをしちゃいけないのか、よく分からなかった。わたしにとって、他人の命って『蘇るもの』だから。だから殺すってことへの心理的なハードルが低かったんだと思う。それでも、ちゃんと考えなきゃって思ったから、いっぱい考えた。それで、ちょっとだけ分かった……かも」

「疑問形なのは怖いな……」

「仕方ないじゃん……答えを知らないんだもん……」


 歪美はただ知らなかっただけだ。一般的な倫理観を、常識を、教えてもらえる環境にいなかったのだと思う。それを責めたりする気はない。もちろんこれは殺されていない今だから言える結果論ではあるのだが。


「わたし、自分が死ぬのはすごく怖いの。レイ君を手に入れられずに死ぬのなんて辛いから。もしかしたら、他の人も死ぬのは怖いんじゃないかなって、気づいたんだ。これがレイ君の言ってたことなんだなって。どうせ生き返るしって思ってたけど、死ぬ瞬間は怖くて辛いものなら……駄目なことなんだ」

「それが分かったなら、歪美はもう大丈夫だ」

「……色々迷惑かけてごめんなさい」

「気にすんな……とは言えないけど、あんま自分を責めなくていいよ。俺を殺しかけたのと、ボスのとこで俺を助けてくれたの、両方で相殺してチャラってことで」


 試験中色んなことがあったけど、最終的に丸く収まったなら結果オーライ。これ以上なにかを言うこともない。

 話し終わったタイミングで病室の扉が乱暴に開いた。扉の開く大きな音に、歪美が身体を震わせる。扉の向こうから病室へ入ってきたのは――サナエだった。


「月島くん、大丈夫!? 倒れたって聞いたけど、なにがあったの!?」

「サナエ!? いや、今全部終わったとこだ。俺は無事だし……あと、試験もちゃんと受かったよ」

「無事だったんだ……良かった。月島くんほどの人が倒れるってどんだけ危ない試験だったのかしら。注意しておかないと」

「あー、まあイレギュラー的なことがあったというか。試験自体は別に危険でもなんでもなかったよ。安全に配慮されてたし」

「じゃあなんで倒れたのよ」

「それは……」


 真実をありのまま伝えると歪美が悪者にされそうだし、どう言い訳したら穏便に収まるか頭を悩ませていると、歪美が口を開く。


「わたしがレイ君を刺したの。そのせいでこんなことに」

「???? レイ君? 刺した? なに言って……いやほんとになに??」


 次々現れる疑問がサナエの許容量を超えたらしく、サナエは頭を抱えてひたすら「なに?」と問いかけ続けている。

(いきなり全部話されてもそうなるよな……当事者の俺も結構いっぱいいっぱいだし)

 更に困るのが、恐らく説明する相手はサナエだけじゃないということだ。華奈も零斗の状態について言及するだろうし、何度も一から説明するのは骨が折れるな……と思っていたら、ちょうど華奈本人が部屋に入ってきた。


「ちょ、早すぎ……足早いって、サナエ姉さん」

「姉さん……?」


 悲報。新たな情報がまた増えた。今度はサナエではなく、零斗に疑問が湧き上がる。


「え、いつから姉さんとかそういう関係に?」

「そんなことより刺されたってなに? あとレイ君ってなんなの? こんな短時間でなにが起きてるの?」

「お兄ちゃんなんで病室にいるの!? てか姉さんの隣にいる女誰!?」

「レイ君はわたしのせいで……」

「いやだから姉さんってなんだー!」


 それぞれが口々に話すものだから、誰もかれも状況を把握できず――この空間は混沌カオスを極めていた。

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