第13話 「歪んだ愛」

「初恋……それって誰にも汚されていない、純粋で清純な最も大きな愛。それなのに――今のレイ君は駄目。他の女に色目を使ってるんだもの。ずっと見てたんだよ。ずっとずっとずっとずぅーっと、見てたんだ。レイ君がダンジョンに遊びにいくところも、ダンジョンから女と一緒に出てくるところも、ゲームセンターで女と一緒に遊んでるところも、全部! 全部、見てたの!」


 零斗が時々感じていた、誰かの視線。その正体は、零斗を監視する歪美だった。それに気づいたとて、現状は全く変わらない。歪美はさきの発言の通り、零斗が死ぬまで「なにもしない」。ただ、歓喜に震えながら、零斗の苦しむさまを眺め続けている。


「一度死ぬと記憶は全部リセットされる。そうしたら蘇った後、まっさらなレイ君と再会できる。誰にも愛されず、誰かを愛したこともない、綺麗なレイ君に。そこでわたしはレイ君と恋をするの。レイ君が初めて抱く恋心を、わたしが全部ひとり占め。あぁ……考えるだけで気が狂っちゃいそう」


 ――もう既に気が狂ってんだよ。と、言い返す余裕すら、今の零斗にはなかった。血が流れ過ぎて手足の感覚がなくなりかけている。そして、歪美が常に視線を光らせているせいで傷の修復もままならない。

(頭を回せ……っ! なにかあるはずだ、なにか……)

 必死で脳をフル回転させ、解決策を探る。身動きすれば即座に察知されるから、歪美の目を盗んで傷の回復を行うのはほぼ不可能。だが、零斗にはもう一つ使えるスキルがある。

 動かなくても、うつぶせの状態であれば既に触れている。ここはダンジョンを模していると言っていた。本物のダンジョンと同じく地面は土でできており、土があるのであれば――


「な、なにこれ……手!?」


 地面から巨大な腕が伸びる。歪美はゴーレムの腕に掴まれ、持ち上げられた歪美の表情は一転して蒼ざめた様子になった。恐らく、以前ゴーレムに襲われたときの記憶を思い出したのだろう。

 歪美の手が離れたこの瞬間を逃すわけにはいかない。零斗は最後の力を振り絞り、腕を動かす。血が足りなくて力がでないせいで動きが鈍い。腕を動かしている感覚も、どこか遠い場所のように感じる。それでも、零斗を動かしているのは、一つの感情だった。


「こんな、ところ……で……っ! 死んでたまるかよ……!」


 まだ零斗の探索者としての人生は始まってすらいない。スタートラインに立ててないまま死ぬなんて、そんなこと受け入れられるわけがない。

 震える手を傷口に当てる。身体から力は抜けているというのに、思考は妙にさえわたっていた。息を吐き、自らの傷が治るイメージを思い浮かべる。掌から光が溢れ、流れていた血が止まる。


「はぁ……はぁ……血までは、補充できねえのか」


 傷が治ったとはいえ、全身の脱力感は未だ拭えない。万能の能力ではないが、傷が塞がっただけでも十分だ。

 零斗がスキルを解除するとゴーレムの腕が


「はぁ、はぁ……」

「レイ君」

「近づくな!」


 ゴーレムの腕から解放された歪美が、こちらに歩み寄ろうとする。


「レイ君、なんで……」

「近づくなって言ってんだろ!」


 零斗が大声を出すと歪美は身体をびくりと震わせる。


「もう二度と俺に関わらないでくれ」


 零斗は歪美から離れようとするも、足に力が入らない。壁にもたれかかり、ほとんど足を引きずっている状態で、少しでも進む。

 歪美は追いかけてこない。強い言葉を投げ掛けたせいだろうか。そう思うと少し罪悪感が湧く。

(でも、あいつは俺を殺そうとして……)

 今も、死が間近に迫ったあの瞬間の恐怖が胸の奥にこびりついて離れない。ナイフで貫かれた痛みも、血と共に身体から命の熱がこぼれ落ちる感覚も、忘れられるはずがない。

 理解できない愛を向け、心からの笑顔で零斗の命を奪う歪美が恐ろしくてたまらない。


「……でも」


 このまま一人で試験を続行するのは不可能だ。零斗はアイテムポーチを持っていないから、疑似ダンジョンのアイテムを回収するにも限度がある。それに、血が足りなくてろくに動けないのに、どうやってダンジョン内を探索するのか。

 歪美頼りで試験を進めるしかなかったのに、その歪美を拒絶したのだから、零斗にとれる手段はない。

 

『試験終了まで残り一時間です』


 八方塞がりの零斗をよそに、無慈悲なアナウンスが流れる。他の受験者はダンジョンでアイテムを集めたりして、得点を稼いでいるのだろう。それに比べて零斗はなんの成果もない。

 サナエから期待され、応援もしてもらったというのにこの体たらく。トラブルがあったとはいえ、それで合否が揺らぐことはない。


「悪い、サナエ。期待に応えられなかったよ……」


 零斗なら大丈夫だと信じてくれたのに、結局一人ではなにもできなかった。

 足を抱えてうずくまり、このまま時間が過ぎるのを待つしかない。そう思った矢先だった。


「レイ君」

「……」


 あれだけ突き放したのに、まだ歪美は諦めてなかったようだ。もはや拒絶するような元気もない。

 歪美からさっきまでの狂気的な雰囲気は多少和らいでおり、気まずそうに眉尻を下げる。


「……レイ君」

「なんで、まだついてくんだよ。俺に近づくなって言っただろ」

「一つだけ、聞きたいことがあったの。それがどうしても知りたくて」


 これ以上歪美と話したくないと思うが、歪美は「一つだけ」と言った。それで終わるのであればと思って、零斗はなにも言わず歪美の言葉を待つ。


「なんで、あの腕からわたしを解放したの? わたしはレイ君を殺そうとしたし、捕まえたままで良かったはずなのに」

「それは……」


 スキルはイメージによって魔力に指向性が与えられ、現実に干渉する力へと変換される。だから、イメージを維持する集中が途切れたらスキルも解除される。

 歪美をゴーレムの腕で掴んだとき、歪美を離す理由はないのだから、集中が途切れただけで――


「いや、そうじゃない……のか」


 すぐ近くに自分を殺そうとしていた人間がいたのに、集中を途切れさせるくらい気が抜けるわけがない。

 零斗は本来、あのまま歪美を身動きとれない状況にできたし、そうするべきだった。それなのに、


「はっ、意味わかんねえ。なんで、俺はそんなことを……」


 歪美に問いかけられてようやく気づいた。あの時、無意識に零斗は――歪美を助けようとしたのだ。

 ダンジョン探索の授業で、歪美がゴーレムに襲われた時、歪美は本気で怯え助けを求めていた零斗がゴーレムの腕を出したときも同じ反応だった。歪美にとってゴーレムは、トラウマと化している。


 ゴーレムの腕に恐怖し、怯える歪美の姿を見ていられなくて。自分を殺そうとした相手だというのに、スキルを解除してしまった。

 ――だって、可愛そうじゃないか。

 たとえ自分に殺意を向けてきた相手であっても、零斗は心から憎しみを抱くことはできなかった。


「わたし、レイ君に拒絶されて、すごくショックだったけど……そのおかげで、ちょっと冷静になったの。自分のやったことを思い返して……ごめんなさい」

「そんなもん信用できるかよ。隙をついてまた俺を殺そうと思ってんだろ」


 口でならなんとでも言える。そうやってまた鵜呑みにして油断したところを得物でブスリ、なんて同じ展開はごめんこうむる。


「そう思うのは仕方ないし、わたしはそう思わせることをしてしまった。それは分かってる。でもね、どのみちわたしがレイ君を殺すのはもう無理」

「嘘だ、そんなの……」

「嘘じゃないよ、わたしじゃレイ君を殺せない。ゴーレムを倒した時みたいに殴られたら死んじゃうし、ゴーレムの腕を出せるなら尚更。だからこそ、嘘吐いて近づいた。不意打ちじゃないと手も足も出ないって分かってたから。『本当のわたし』がバレた上に目的も知られちゃったら、もうどうしようもない」

「なんで、負けるって分かってんのにこんなことすんだよ。俺が反撃したら、攻撃が避けられたら、それだけで計画が全部崩壊するのに、なんでこんな博打みてえなことするのかわけわかんねえ」


 歪美の行動は全てが零斗の常識の外にあった。殺されかけるという物理的な恐怖も当然あったが、それと同じくらい理解できないことへの恐怖心が強い。


「歪美の行動ははなっからなに一つ理解できねえんだよ。好きな人を殺そうとすんのも、甘すぎる計画の立て方も……そもそも、そこまで俺を好きになる理由が理解できねえ」


 理由が分からないのに、異常に愛されるのは気味が悪い。なにがしたいのかなんの動機があるのか、なにも理解できなかったからなにもかもが恐ろしかった。

 歪美の行動原理を聞いたところで理解できる気はしないけれど、なにも知らないままの方がより怖かった。


「レイ君ね、わたしに話してくれたことあったよね。わたし、人と関わるの苦手で友達なんて一人もいなかったけど、誰かと一緒にいるのは好きだったから、いつも誰かが話してくれるのを待ってた。レイ君は一人ぼっちのわたしにも話しかけてくれて、いつの間にか好きになってた」

「それだけで……」

「レイ君にとっては『それだけ』だろうけど、わたしにとってはそうじゃなかったんだよ。最初は見てるだけで良かったのに、他の女が現れてから、わたしの中でずっともやもやした気持ちがあったの。早くしなきゃ、レイ君が取られちゃうって。わたしのスキルがあればレイ君を自分のものにできるって気づいてから、わたしはそのことしか考えられなくなって……。駄目なことだって、分かってはいたの」


 歪美の吐露が、零斗の疑念を揺らがせる。こんなものただの言い訳に過ぎないと自分に言い聞かせても、どうしても歪美の気持ちを否定する気になれない。その理由はきっと――零斗にも共感できる部分があるせいだ。

 歪美は誰かの愛を欲している。それなのに愛されない自分を、半ば諦めながら必死に内に秘めているのだ。そんな中で手の届く範囲に、自分が求めているものをくれる誰かが現れ、さらに自分には目的を叶える手段を持っているのなら、行動に移すハードルは低くなる。

 人を殺すという過程こそ批判するべきものではあれど、その気持ちまで否定することはできなかった。


「……全部は理解はできなかったけど、少しは納得するところもあった。それだけで許せるわけじゃねえけど」

「……」

「でも、歪美さんはその実現方法がちょっとズレてるとは思うけど……気持ちだけは間違ってないと思うから。君を、悪者にはしたくない」


 情にほだされたわけじゃない……と言い切れないけど、さっきまでより歪美への懐疑心や敵意が薄まったのは事実だった。


「でも、歪美さんの気持ちには応えられない。俺には好きな人ができたから」

「それは、見てれば分かるよ。だからっ……早くレイ君をわたしのものにしなくちゃって……」


 何度言われても、零斗の気持ちは変わらない。零斗の初恋はサナエのためのものであり、それ以外では決してないのだから。


「俺に執着せず、他の良い人見つけてその人と恋をするってのも難しいのかな」

「私にはレイ君しかいない。レイ君しか愛せない。私の周りにいた人なんて、私を馬鹿にして私を傷つけて、私を愛してなんてくれなかった。レイ君といられないなら、こんな世界どうでもいい。レイ君の愛を貰えないなら死ぬしかない」


 零斗がどう説得しても歪美は食い下がって来る。歪美の思想も行動原理もある程度理解したけれど、それでも歪美に対する恐怖心は残っている。怖くて突き放したいのに、どこか可哀そうでどうにかしたいと思ってしまう。優柔不断な自分に恨めしく思いつつ、零斗は歪美への説得を続ける。


「殺されそうになったのに、こんなこと言うのもおかしいかもしれないけどさ、死ぬしかない。殺されかけたのも……そりゃ怖かったし痛かったけど、それだけ愛されてるってこと自体は嬉しかったから」


 嘘は吐いていない。愛されていること自体は嬉しいことだ。ただ、殺されかけたのを許せるほどの嬉しさではないけど。


「俺は歪美さんに生きてほしい。俺を好きだと言ってくれた人に幸せになってほしい。『恋』はあげられないけど、歪美さんとは友人としてこれからも仲良くしていきたい。――この気持ちを、『愛』と呼ぶのなら、俺は歪美さんを愛してる。それじゃあ駄目かな」


 なんとか歪美を説得して、「零斗を殺すしかない」という意識を減らそうと思考を巡らせながら言葉を紡ぐ。

 恋愛は無理だと伝えながら、友達としてなら仲良くしていくという妥協点を作ろうと思ったのだが――


「レイ君はなんで、そんな酷いこと言うの……っ! レイ君は絶対私のものにならないのに、そんな格好いいこと言われたら……もっと好きになるだけじゃん! もっとわたしのものにしたくなるだけじゃん……」


 顔を両手で覆った歪美の指の間から、水滴が零れ落ちる。

 ――逆効果になってしまったようだ。どうしたら歪美が零斗への想いを諦めてくれるのか考えるも、思考がこんがらがりすぎてなにも思いつかない。多分、血の量が足りていないのも関係している。

 脳みそが爆発しそうになりながら、なんとか思いついた解決案を口に出す。


「じゃあ、こうしよう。俺が今後、事故かなんかで死んだ場合……その身体は歪美さんの好きにしてもらっていい。まあ、俺としてはそれまでに歪美さんが新しい恋を出来るようになってほしいところだけど……」


 歪美が零斗以外の誰かを好きになって、新しい恋を始めるのが理想的な未来だが、歪美の執着心を考えると、そんな展開が訪れるとは考えづらい。零斗の予想を肯定するように、歪美は顔を覆っていた手を下ろして泣きながら微笑む。


「私、レイ君を諦めるつもりなんてないから。他の人に浮気なんかしないし、レイ君が私のモノになるその日まで、ずっと待ってるから」

「お、おう……」


 歪美の高まった感情を収めようと勢いで言った言葉が、歪美の執着を再燃させたようだ。恋愛を諦めてもらうのは無理そうだが、「待ってる」という言葉を信用するのであれば、これ以上恋愛感情を押し付けてくるのもないんじゃないか。

(甘い考えかもしれねえけど、今はそう思うしかねえ……)

 ひとまずの決着がついたことで若干の安心感が零斗の心を包む。危うさは残るものの、上手く接すれば殺されるようなこともなく付き合っていけると信じている。

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