第2話 「初恋」

 ダンジョンから出て、零斗はサナエと別れることになった。


「私の連絡先、これだから。探索者になるには色々手続きとかしないとだし、後でまた連絡するわね」

「分かった。……あ、そういえば壊しちゃった聖剣のことなんだけど……」

「それは気にしなくていいわ。別にあんなのなくたって探索者はやっていけるし。むしろ――」

「なんだ?」

「いいえ、なんでもないわ」


 サナエは明らかになにかを言いかけていたが、その答えを教えてはくれなかった。


「またね、月島くん」

「……」


 身を守るためだったとはいえ、サナエの命綱たる聖剣を折ってしまった。その罪悪感は零斗の中から未だ消えない。

 サナエは気にしてなさそうに見えるけど、武器を失った探索者がこれまで通り仕事できるはずがない。


「もう、まだ気にしてるわけ? 別に良いって言ってるのに」

「まあ、な……」

「んーじゃあ、こうしましょ」


 煮え切らない態度の零斗にしびれを切らしたサナエはポンと手を叩いて提案する。


「月島くんが探索者として働いた報酬で、いつか聖剣の弁償してくれたら全部水に流すってことで。期限は無期限。いつでもいいわよ」

「悪いな、気を遣わせて」

「気なんて遣って……まあいっか。それにしても月島くんって意外とそういうとこ真面目なのね。あんな意地の悪い遊びしてる人なんだから、もっと自分勝手な人だと思ってた」

「それは、まあ、その……」


 零斗だって自分のことを良い人なんて思ってないけど、それにしても人に言われるのと自負するのではまた違う。

 零斗がもやもやした気持ちでなにも言い返せなくなっているところが愉快だったのか、サナエが小さく噴き出す。


「ごめんなさい、冗談よ。月島くんは良い人……かは分からないけど、悪い人ではないと思うわ。改めて、探索者になるのを決めてくれてありがとう、月島くん」


 その時、サナエは柔らかく穏やかな表情で笑った。

 零斗と初めて対峙したときの、敵意をむき出しにした顔。聖剣を折られたときの驚愕した顔。聖剣を折られた後、零斗と話していたときの、無表情でけれどどこか憑き物が落ちたような顔。

 これまでもサナエは色んな表情を見せていたが、満面の笑みは初めてだった。――だから、だろうか。


「……ぁ」

「どうしたの? 私の顔になにかついてる?」

「いや、なにも……」

「なにもないことないでしょ。明らかになにか言いかけてたじゃない。それに、ちょっと顔が赤くなってるわよ」

「だから、なにもないって!」


 零斗はサナエから顔を逸らす。サナエは零斗の顔を覗き込もうとしてきて、それを零斗が身体を回転させて回避する。二回転くらい繰り返して、ようやくサナエが諦めてくれた。

(あっぶねえ……こんな顔見られたら……)

 きっと、今の零斗は信じられないくらい顔が赤くなっている。心臓は動機が激しくなってるし、


「月島くんの反応が気になるけど……まあ、どうせ答えてくれないんでしょうね」

「そういえば、サナエは帰るんじゃなかったのか?」


 零斗はマズい方向に話題が進んでいる雰囲気を感じたから、さりげなく話を逸らそうとしたが、思っていたより強引になってしまった。やばいかと思ってサナエを見ると、サナエはなにやら考え事をしていて強引な話題逸らしに関して言及してこなかった。


「確かに、報告とか始末書とか……やることいっぱいだった。長話してる場合じゃないわね。月島くん、時間取らせてごめんね。じゃあ、また連絡する」

「おう、またな」


 零斗は離れていくサナエを見送る。完全にサナエの姿が見えなくなってから、地面に腰を下ろし、大きく息を吐く。


「はぁ……マジか、俺」


 胸の奥が熱い。サナエに握られた手も、なんだか熱を帯びているような気がする。心拍数は一向に下がらないし、サナエがいなくなってから寂寥感が零斗の心を蝕んでいる。


「もしかしたらこれ――『好き』ってやつかも」


 あの笑顔を見た瞬間、零斗の目はサナエに釘付けになってしまった。サナエ以外、世界からなにもなくなってしまったように、あらゆるものが視界から排除された。それほどまでに、サナエの笑顔は、美しかった。

 誰かを本気で好きになったことがなかった零斗が、一目惚れでサナエを好きになってしまったなんて、自分でも信じられない。けれど、零斗の胸に宿る灯は、消えてくれない。


「探索者、か……」


 探索者になれば、サナエと共にいられるだろうか。


『私はこの世界からダンジョンによる被害者をなくしたい』

 サナエの夢を叶えれば、また、あの太陽のような笑顔を見られるだろうか。そう思うと、面倒なだけの探索者もやってみようかな、なんて柄にもないことを考えてしまう。


「そうと決まれば、まずは探索者として上り詰めなきゃな……『人類最強』と肩並べるのに、仮免のままじゃ恥じかかせちまう」


 零斗は決意を固めると、零斗は立ち上がって帰路につく。

 ダンジョンからの帰り道。ようやく家が見えてきた……という段階になって、零斗は誰かから見られているような感覚に陥った。


「――っ!」


 周囲を見回して気配を伺うも、零斗の視界に人はいない。


「なんだったんだ……?」


 怖くなった零斗は急ぎ足で家に帰った。



 自宅の玄関に入り一息つくと、リビングでくつろいでいる母親に話しかける。


「母さん、華奈かなはまだ帰ってないの?」

「しばらく前にコンビニに行くって出て行ったわよ。もうすぐ帰ってくるんじゃない?」


 華奈というのは零斗の義理の妹だ。今年で中学三年生になる。


「しばらく前って……コンビニに行くだけでそんなに時間かからないでしょ。なんかあったのかもしれない。探しに行かないと」

「いつも通りだけど、あんた華奈のこと大好きだね」

「母さんが楽観的すぎるんだよ」

「そんなに心配しなくても良いと思うけどね。華奈はアタシらよりずっと強いんだから」


 華奈は探索者だ。プロの資格を持っていて、踏破難度の高いダンジョンに潜ることができる、探索者の中でも上澄みの実力者だ。最近ではダンジョン配信なんてこともしているらしく、かなり稼いでいるとのことだ。

 だから、仮になにかしら事件に巻き込まれたとしても華奈に危険が及ぶとは思えないが、兄としては理屈で表せない恐怖があるものだ。


「ちょっとコンビニに探しに――」

「もう、お兄ちゃん心配しすぎ~。あたしのこと好きすぎるのも困りものだよね~」


 リビングから出ようと扉に手をかけた直後、外開きの扉が開いた。

 華奈が帰ってきたようだ。零斗は安心して身体から力が抜ける。


「あたし、お兄ちゃんより強いんだからさぁ、心配される筋合いなんてないんですけど~」

「うるさいな、お前が悪いんだろ。コンビニに行くくらいで時間かかるなんてさ」

「今更取り繕っても無駄だよ~? お兄ちゃんはあたしがいない時、あたしのこと『華奈』って呼んでるって知ってるからね。お前、なんて呼び方しなくても良いんだよ、お兄ちゃん♪」


 ……こういう性格だから、零斗は本人の前で名前を呼んだことがない。けど、裏で名前呼びをしていることは既にバレているようだ。

(くそ、煽られる要素を増やしちまった……っ!)

 華奈にはいつも煽られているけど、これから更にその勢いが強くなると思うと嫌になって来る。

(俺って華奈に嫌われてるのかな……)

 兄の切実な悩みである。普通のきょうだいってこんな煽り煽られの関係じゃないよな、絶対。


「さあて、今日はちょっと早めにお風呂入っちゃおうかな。お兄ちゃんと違って、あたし仕事あって疲れちゃったし」

「今日も配信してたのか?」

「昼頃にね。今日行ったダンジョン、ちょっと大変そうだったから」

「昼って、学校は途中で抜けてきたのか?」

「そうだよ。まあでも、正直あたしに学校って必要ないけど。配信業で全然食べていけるし~」


 華奈は配信サイトから毎月金が入ってきているようで、服やアクセサリをかなり買ってくる。多分一人暮らしするのも余裕だろう。

(まあ、華奈は可愛いしな……)

 ここまで人気が出た理由は強さの他にルックスの良さがあると思う。兄だから贔屓目で見ている部分もあるけど、それがなかったとしても華奈の可愛さはトップクラス。

 しかも配信を見ている視聴者は華奈の煽りたがりな性格を知らないから、清楚な少女と言うイメージが浸透している。こんな性格なのに外面が良いのが余計腹立たしい。


「なんだったら、お兄ちゃん養ってあげようか? その代わり、一生あたしの言いなりになってもらうけど♪」

「断る。条件が俺に不利過ぎる」


 華奈の言いなりって、なにをさせられるか分かったもんじゃない。食い気味に否定したら華奈は驚いていた。


「ふ、ふうん。断っちゃうんだ……そうなんだ。別に、悲しくなんてないし……うん、悲しくないもん……」

「一人でなに言ってんだ。つーか、そんな驚くことでもないだろ」

「なんでもないもん! お兄ちゃんの馬鹿! もういい! 部屋に行く!」

「いきなり怒りすぎだって。ていうか、さっき風呂入るって言ってなかったか?」

「あたし忙しいの! ダンジョンの動画作らなきゃ駄目みたいだし。はぁ、なんで配信もして動画も作らないといけないんだろ」


 ぶつぶつと文句を言いながら、華奈は二階にある部屋に向かっていく。

 なんか華奈を怒らせてしまったし、後で謝りに行くついでに動画作りの手伝いでもしようかな。



 風呂も晩御飯も済ませ、零斗は華奈の部屋に向かった。


「今いいか?」


 扉をノックして声をかける。前に無断で入った時、ちょうど華奈が着替えをしている最中でひどく怒られたことがあった。

 それ以来こうして声をかけてノックするという手段をとっているのだが……


「入らないで」


華奈は零斗を部屋に入れてくれることは一度もない。

 華奈も年頃の女子だし、彼氏でもない異性を部屋に招くのは抵抗感があるのだろう。


「そっか。おやすみ」


 ちょっと時間は早いけど、やることもないし寝てしまおう。零斗は自室に戻ってベッドに横たわる。

 目を瞑ってしばらく、零斗の身体を誰かが揺らした。零斗の部屋に入ってくるのは大体両親のどちらかだ。

 だから、このまま寝たフリでもしようと寝返り風に身体を動かし、背を向ける。


「……もう、なに無視してんの。これだからお兄ちゃんは」

「華奈、か?」


 ゆっくりと目蓋を持ち上げると、視界に映ったのは寝巻き姿の華奈だった。


「どうしたんだ、こんな時間に」

「お兄ちゃんに言うのもなんだけど、相談しに来たの。あ、でも別にお兄ちゃんに期待なんてしてないから、気負わないでいいよ」

「じゃあ起こしに来るな。おやすみ」

「ななななんで寝るの!? 期待はしてないっていうのは気遣いっていうか、変に重荷を背負わせるのも嫌っていうか……って、なに説明させてるのお兄ちゃん!」

「知らねえよ、勝手に説明してただろ完全に。ていうか、大声出すと母さんが起きるぞ」


 眠かったから二度寝をかまそうとしてたんだけど、華奈の反応が意外だった。

(もしかして、俺がやり返す余地があるのか?)

 兄として大人げない? そんなことは知らん。


「あたし、ダンジョンの動画作ってるんだけどね。どうしても分からないことがあって」

「珍しいな。華奈がダンジョンで分からないことがあるのか」

「んーん。ダンジョンの知識はあるんだけど、動画のないように関して、ちょっとね。あたしが今作ってる動画って、初心者探索者がより安全にダンジョン攻略できるよう、指南するってものなの」

「チュートリアル的な動画ってことか。適当にダンジョンの危険な場所とか説明しとけばいいんじゃないか?」

「初心者にとってどこが危険なのか、あたしには分からないの。あたし、探索者の資格を取ってからトントン拍子で上り詰めちゃったし、初心者がなにで躓くのか理解できないの」


 才能があるから、才能がない人間への理解度がない。それで初心者用の動画を作るってかなり難しいだろうな。


「……ってことで、お兄ちゃんも動画に出演してほしいの。初心者役として。ピッタリでしょ」

「なんで俺が……」

「だってお兄ちゃん、ダンジョン入ったことないでしょ。資格を一応持ってるくらいで。なら、お兄ちゃんが危ない目に遭えばそれが初心者にとっての壁ってことじゃん」


 零斗がダンジョンで遊んでいることはサナエ以外誰も知らない。だから初心者目線の意見を求めて零斗に行き着くのは自然だ。

(俺も、いつも通ってるダンジョン以外の知識はないし、探索者の中では初心者寄りだよな)

 それに、零斗を煽ってくる生意気な妹とはいえ、困っているのを見捨てるほど嫌いなわけじゃない。


「分かったよ。でも、簡単なダンジョンにしてくれよ。本気で死にかねないし」

「だいじょーぶ。お兄ちゃんがどんなに死にそうになってもあたしが助けてあげるから。今週末、朝から動画撮りに行く予定だから、寝坊しないでね」

「了解」


 一緒にダンジョンに潜ることを約束すると、華奈は満足そうに自分の部屋に帰った。華奈の背中を見送って、零斗は再び目を閉じた。

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