第8話

二十一時を過ぎた頃、久ヶ原から連絡が来て目黒駅に向かい、その近くにある大衆居酒屋に入り、その後から彼も来たので早速ビールと惣菜を注文した。


「午後からの外勤に時間がかかってようやっと上がることができたんですよ」

「この間新薬の薬価収載が出ましたよね」

「そう。来週もずっと医療機関を廻るんで忙しいですね」

「本当はゆっくりしたかった?」

「いえ。一緒に呑むのは構わないです。前回みたいに勢い余って潰れなければ……」


そう言いながら久ヶ原のビールの進み具合が早いので、余程疲労がたまっているのかと感じた。


「そういえば息子さんには会えましたか?」

「ええ。相変わらず冷静沈着にしていました」

「父親のこと、ゲイだとは知っているんですか?」

「妻が話しをしたそうで。本人は戸惑うよりも本心が知れて良かったと言ってくれています」

「偉いですね。まだ十三でしょう?良い息子さんだな」

「できれば無理に自分の気持ちを押し付けるようなことをしなければいい。本当は色々考えているはず……」


久ヶ原はまた視線を落として俯いては惣菜をつまんで食べていた。僕は医師の頃から色々な人を見てきているが、彼もまた特有の影をもつ男だと思える。だが、そこには自己を圧迫させようとするものは見えないので、こちらは介入することもないだろう。


「僕も、恋愛の対象が男だっていう事話していましたっけ?」

「うん。ゲイバーで酔い潰れる前に自分はゲイだって」

「久ヶ原さん、どうして以前から僕の事気になっていたって言ったんですか?」

「その時の川澤さんは医師としての姿勢が、なんていうかこう……真っすぐで一所懸命だなって。まだ医師になりたての頃でしたし、張り詰めた感じが見ているこちらも良い意味で緊張感をもたらしていたかなって」

「当時と今ではだいぶ変わってしまいましたよ。どちらかといえば今の方が張り詰めた糸もすっかりなくなってやる気のない感じ的な……」

「それでもお父様のところで従事者全員を支えている。良い親子関係でいいじゃないですか」

「久ヶ原さんはご家族の方は?」

「母が一人と、独立した妹がいます。父親は……自殺しました」

「自殺……?」

「僕が小学校卒業してからその直後に亡くなったんです。教員だったのに裏ではギャンブラー的な事をしていて散々僕ら家族に迷惑をかけた挙句自ら命を捨ててしまったんです」

「……かえって聞いてすみません」

「いいですよ。もう昔の話なので。俺ちょっとトイレ行ってきます」


少しの間彼が帰ってくるまで僕はビールを頼み、戻ってきたところで話の続きをしていった。


「さっきの話ですが、もしよかったら友人として付き合いませんか?」

「友人?」

「ええ。気になっているというのは友人として見ていらっしゃるからですよね。こうして酒の席でも気楽に付き合えるし、仲間が増えて嬉しいというか……」

「友人ではなく、できればパートナーになっていただきたいです」

「僕ら、まだ何も知らない間がらですよ?いきなりパートナーっていうのはちょっと気が早いのではないですか?」

「じゃあどうして僕をこうして受け入れてくれているんですか?」


時間の進み具合がスローモーションになっていくのが感じ取れて、身体の鼓動の音が弾け出そうとしている。正直になれと身体が痺れるような感覚にもなり、手に持つグラスがうまくテーブルに平行に置けない。数秒経った後グラスを置いて、彼の顔を見つめて話し出した。


「僕も、あなたのことを気にしているんです。うまく言えないんですが、先日朝食を作ってくださって一緒に食べていた時、ああいう風に毎日一緒にいられるパートナーが欲しいなって思って」

「この後時間ありますか?」

「飲みなおしたいとか?」

「はい。できれば……僕の家に来ていただきたいなって」



僕は久ヶ原の家に行き途中で買ってきたワインをグラスに注いで改めて飲み直しをした。低価格で買ったワインはなぜがこの時だけいい酸味の強さが引き立ち、お互いの身体に入っていくと向かい合って目があっては、二つの視線がまるで劣情を込み上げてきそうな勢いで、脈が音を立てて彼にも気づかれそうな気配を感じている。


「川澤さん?」


声をかけられてその瞬間指の力が抜けてグラスを床に落としてしまった。久ヶ原は触ると危ないからと言い布巾を持ってきてポリ袋にグラスの破片を片付け、また新しいものに入れ替えてワインを注いでくれた。


「何か、気になる事でも?」

「正直に話した方がいいのでしょうか?」

「何?」

「僕も……久ヶ原さんの事が気になるんです」

「どういう心理で?」

「つまり、好きになりたいというか……あなたが僕を気になっているというのなら僕もそれを受け入れたいと考えているんです。息子さんの事で悩んでいそうですし」

「そう、そうか。……あなたは、優しい人だ」

「え?」

「今僕が息子の事で色々考えていることを察してくれて、それを分かりたいという気持ちでいるのが嬉しい。向こうに親権を取られると僕はあの子とは会えなくなってしまう。こちらが何もできないのが悔しくてたまらないんだよ」

「面会はまだ何回かはできるんですよね?」

「今のところは。妻が手続きをするまではなんとか会えることはできますが、時間が無くなってきているので焦ってしまうんです」


テーブルにグラスを置いて鼻を啜り出したので、僕は彼の隣に座り背中をさすると、少し微笑んでは肩に頭をもたれてきた。

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