第6話

店内に流れるBGMの重低音が身体中を絡みついては突き刺すかのように刺激を与えられる。

僕はしばらく言葉を失いグラスを一気に飲み干すと、なかなか体内に酔いが回らず脳の中に留まっているのかと思い、現実を麻痺させたいと考えてはウィスキーを数杯呑んでいった。

隣にいる久ヶ原は大丈夫かと心配を装って声をかけてくるが、耳に入る言葉が邪魔になるように覚えてきて、半分以上は無視をしていた。


「おい、もうその辺でやめた方がいい。目が座ってきているよ」

「……あのね、たまにこうして酒の酔いに任せて頭の中に出てくる昔の出来事を消してやりたいんだ。あなただってそうしたい時ってあるでしょう?」

「すみません、彼に水をください」

「……どうぞ。お相手の方、潰れる前に帰らせた方が良さそうだね。タクシー呼べる?」

「ええ、そうします」


僕はいつの間にかその場で酔い潰れたようだった。久ヶ原は会計を済ませると腕を肩にかけて眠りかけそうになっている僕を支えながら店を出て、タクシーの中に入り家に向かったようだった。



寝ぼけ眼になりながら目を覚ますと、嗅いだことのないわずかなフローラル系統の香水の香りがする。寝返りを打つと自分のベッドより幅が広くシーツが温かい。

背中が痒く腕を伸ばして掻いていくと、妙に肌に手が吸い付くのでシーツをまくると全裸になっているのに気がついた。身体を起こして床を見ると衣服が落ちていたので取ろうとした時に誰かがこちらを見ているのに気づいて硬直した。


「おはようございます。ぐっすり眠れたようですね」


僕は久ヶ原の姿を見て驚き再び布団ごと身体を覆い、なぜ自宅に帰らせなかったのか訊いた。


「送ろうとしたんですが、どうしても僕の家がいいと腕に絡みついて行ってきたので、ここに連れてきました」

「それでも強制的に帰らせるべきですよね?住所教えませんでした?」

「聞きましたがその後酔い潰れて眠ってしまったんです。仕方ないので一晩だけならいいと思い、ベッドに横にさせたら自分から服を脱ぎ出してそのまま爆睡していましたよ」

「マジ……かよ……。というか、何もしていないですよね?」

「もちろん。僕はソファで寝ていました」

「申し訳……なかったです」

「ちなみに、腹減ってません?」

「ああ……少しは……」

「今簡単なもの用意するんで、服を着たら顔洗ってきてください。そのドアの向こうの廊下に洗面台とトイレあるんで使っていいですよ」

「じゃあ、借ります」


服を着てトイレへ行き洗面台で顔を洗ってリビングへ行くと、台所で彼が朝食の支度をしていた。席について待っていてくれと言い、テーブルの椅子に座っていると、母から電話が来ていた。


「ごめん。昨日友達と呑んでそのまま家に泊まらせてもらったんだ」

「そう。連絡がないから心配したわよ」

「メールするからまた後で。じゃあ」

「その歳になっても家族の方とは仲が良いんですね」

「少し親バカに近い感じですが、心配性なだけです」

「……できた。これ、テーブルに置いてくれる?」

「ああ。うわぁ美味そう」


焼き鮭に作り置きのポテトサラダと白菜の漬物、白飯になめことわかめの味噌汁が並べられると、その香りにつられて思わず腹が鳴った。


「昨日だいぶ呑んだけど、飯食べれそう?」

「はい。それじゃあいただきます」

「俺も食べよう。……味、どうですか?」

「美味い。味噌汁の味噌がくどくない。白味噌ですよね?」

「長野の信州味噌。親戚の人からいただいたものなんです。農家やっている人がいるんで、よく送ってくるんですよ」

「羨ましい。俺、ずっと都内育ちだから地方で作られている素材の味とかって知らないんです」

「気に入ってもらえて嬉しいです。ずっと一人で食べてきているから、こうして誰かがいると安心します」

「ご実家はどちらですか?」

「静岡です。最近向こうにも連絡していなくてね……」

「そう、ですか。普段から自炊をされているんですか?」

「ええ。離婚してからはずっと一人で作ってきています。気がついたらレパートリーが増えてきたって感じです」

「ひとり飯か……」

「だいぶ慣れましたよ。ひとりって楽だって開き直りましたし」

「お子さんっていないんですか?」

「いますよ。今年で十三歳になります」

「会ったりしているんですか?」

「一応親権があるので、月一くらいは顔を合わせています」


たしか久ヶ原はゲイだと言っていたのは覚えているが、過去は女性も対象だったってことはバイでもあるのか。外観からでは子どもがいるようには見えないが、言われてみると世間一般の父親たちと変わらない風貌にも思える。

おそらくだが、きっとその子どもも父親がゲイだということは知らないのだろう。両親の都合で離別したことしか把握していないのかも知れない。そう考えている間に食事を終えて玄関先で帰ろうとするとと、彼は次のことを話してきた。


「良かったら、また家に飯食いにきてくれませんか?」

「そうなると色々手間をかけてしまいますよね。それでも良いんですか?」

「ええ。今日こうして作ってみたら、やっぱり誰かに食べさせたいなって気持ちになって。一人よりも二人以上も良いなって。川澤さんが良ければまたぜひ来てください」

「じゃあ時間が取れる時は僕から連絡します。久ヶ原さん連絡先教えてください」

「……急にわがまま言ってすみません。じゃあまた。気をつけて帰ってください」

「こちらこそご馳走さまでした。また連絡します」


家を出てしばらく歩いている間に、ある事を思い出していた。昨日の新宿や上野で一緒に呑んでいるときに、時折彼の表情が曇ることが見受けられた。会話が途切れると目線を落として一瞬だけ虚ろいの目になるのが気になり、何かを言いたそうな顔つきをしていた。

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