おじさん女神に出会う

 涙を流し猪の牙を掴んだまま、ポカーンとする。



 目の前には凶悪な牙を生やし額に光沢のある甲殻を携えた、軽トラよりでっかい猪。


 

 猪の首の上に着地した、赤い髪を風に靡かせる赤い鎧を纏った、とても美しい女性。



 猪の首には剣と槍だろうか、剣は剣身全部、持ち手しか見えていない棒は剣の柄くらいの長さだけ残して、猪の首に埋まっている。


 女性が猪の上に着地したときには猪は暴れようとしたのだが、全力で牙を掴んで抑え込む。


 私にかかる圧力が完全に無くなり、四肢を曲げ重量感のある音を上げて腹から地面に落ちる猪。



 先程まで走馬灯を見て、おそらく異世界転移か神隠しを受け入れ、帰ることを諦め、キレて号泣絶叫しながら猪に命がけの八つ当たりを行い、自分の死を受け入れた私にはあまりにも唐突で情報過多だった。



 巨大な獣の上で膝立ちになり、キラキラと光を反射するウェーブのかかった赤い髪を風に靡かせ、透き通るような青い目がこちらを見つめる。


 赤い鎧を纏ったとても美しい女性が森の中で木漏れ日に照らされている様は、まるで一枚の絵画に描かれた女神のようだった。


 猪から飛び降りた女性は背が高かった。私より少しだけ低いだろうか。


 呆然とする私に笑顔で近づいてきた女性は、大袈裟にバンバンと肩と背中を叩いてきた。


 え!? 若い娘さんがちょいと無警戒過ぎやしないかと思っていると



「ーーーーー!ーーーーーーー!!ーーーーーーーー!?」



 なんて?



 いやいや!? 異世界転生? この場合は転移か? したら言語とか理解できるように特典があるんじゃないの!? マジで!? 学生のときにしか外国語勉強しなかったし、その時でさえ平均点に届かないレベルのおじさんだぞ?


 英語っぽい感じはあるが聞いたこともない言語で、めっちゃいい笑顔で肩と背中を遠慮なくバシバシ叩きながら異世界言語? でめっちゃ話しかけてくる女神のような美人さん。


 オロオロと反応に困るおじさん。


 これ他人が見て状況理解できるヤツいる?


 私は当事者だが状況が理解できんのだが?



 とりあえず、どうにでもなれとこっちからも話しかける。


「危ないところを助けていただき、ありがとうございました。もう死を覚悟していたところでした。なにかお礼をしたいのですが遭難真っ最中でして、ろくなものも持っておらず。厚かましいとは思いますが、人里まで連れて行ってはいただけないでしょうか?」


 頭を下げて感謝を伝え、身振り手振りも混ぜて話してみる。



 今度は女神が慌て出した。ウケる。



 どうしたものか? 落ち着くように身振りし、猪と猪に咥えられていた人に注意を向けるように手を向けると女性も、おそらく「はい」か「わかった」的なことだろうか? を発し、まずは猪に突き刺さった剣と槍を抜き取り、たぶん咥えられていた人のものだろう剣も抜き取ると私に渡してきた。


 私ではなく咥えられていた人のものだと身振りで受け取りを拒否するが、女神は咥えられていた人と私を交互に見て頷くとやはり私に渡してきた。咥えられていた人は男性だった。


 どういう意味かわからなかったが、おそらく現地の人で事切れている彼と同じような武装をしている女神からのなにかしら提案か、ルールのようなものでもあるのかと思い剣を受け取っておく。


 少しだけ欠けているがまだまだ実用に耐えうる物だと思う。武器なんて持ったことも使ったこともないからわからないが。


 女神が一度こちらを見て「ちょっと待ってろ」的な手振りをしたので素直に頷き、その場に腰を下ろすことにした。



 川の方へ来てから気を張ってはいたが同じような日々を過ごしていたせいか、今日というかこの短時間で一気にいろんなことが起きて精神的に疲れた。


 それでもこの身体はまだまだ元気っぽいのが不思議な感じだ。MPはなくなったのに、HPはまだまだ余裕がある感じかな? ちょっと違うか?



 座りながら一応周囲の音を聞き逃さないように意識を傾けている一方、女神は自身の剣と槍を二度三度と血振りをした後に、剣は鞘に納めず持ったまま槍は背中に通した革紐に固定し、事切れた彼へと向かっていくつか確認しているようだった。


 んん? 剣と槍を振ったときめっちゃ速くなかった? 腕消えてなかった? 見間違えた?


 剣も槍も総金属製っぽく見えるがなにも見えなかった。普通のことなんだろうか?


 見た感じ追い剥ぎではなく、なにかを探しているようで懐から金属のカードのようなものを確認すると、悲しそうな表情を浮かべた。


 再度こちらを見て笛のようなものを取り出し、なにかの身振りと指を三本たてると「笛を吹いていいか?」的な身振りもしたので、なんのことか解らないが頷くと間隔を空けてなにかのリズムのように笛を吹く。


 その後女神は猪の牙を何度か軽く叩き、やっぱり笑顔でこちらに近付いてくる。おいおい美人が血濡れの刃物持って近付いてくるのって、くっそ怖ぇな。


 こっちの気も知らず近くに来た女神は腰を下ろすことはなかったが、私の肩を優しく叩いてくれた。



 涙が止まらなかった。



 女神は慌てていた。ウケる。

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