おじさんは検証していた

 愛車に別れを告げ、また戻ってくることができるように通過した木には車に閉じ込められたときの緊急脱出用ハンマーの尖った部分で車の方向を示す矢印を刻み、でかい木に囲まれた森の中を周囲の音に警戒しながらできるだけ真っ直ぐ進んで行く。


 ずっと煙を上げていたせいか身体中が煙い。



 救助を期待して煙を上げていたときに、いろいろと考えていた。


 家族や仕事のことは生還することを考えるために、意識的に考えないようにしたが。


・緑色の小さい被害者、でかい犬、でかい木、冬なのに暖かい気温、周囲にない人工物。

・愛車の前方が潰れる程の事故だったのに完全に無傷の身体。

・離れていたのに以前の視力ではできないであろう緑色の小さいのの細部を確認できた視力。

・枝葉を集めていたときや、延焼を防ぐため焦りながらではあるが焚き火の周りの地面を角スコップで掘ったときに感じた手応えの軽さ。

・心は極限状態で水も食料も少ないのに妙に軽い身体。


 決定的に自覚したのは、両腕を目一杯広げてやっと手を回せる太い倒木みたいなでかい枝を、重さは感じたが苦もなく持ち上げてブーツが地面にめり込んでいると確認したときだ。


 なんの木かわからないし、木材の重量など計ったこともない。いくら木には水に浮くものが多いとは言え、さすがにあんなしっかりと詰まった私の身長の倍はありそうな木材はそれなりの重量があるとは思う。


 ブーツはくるぶし下くらいまで地面にめり込んでいたし、掴みやすいなと思ったら指も食い込んでいた。


 私は身体を鍛えていない。スポーツだって運動部には所属せず帰宅部だったし、学生の頃に体育でいろいろ経験した程度のインドア派だ。


 それなのにあんなでかい枝を持ち上げて、なおかつ地面に足をめり込ませながら移動なんてできるはずがない。いや、できてしまったのだが。



 煙を上げていたときに少しだけ検証をした。でかい犬が怖いので枝葉を火に放り込んで車の中に戻る間にできることは多くはなかったが。


 倒木のような枝を持ち上げてみる。持てる。ブーツが地面にめり込む。指も食い込む。


 腕周り程の太さの枝を曲げてみる。簡単に折れた。


 掴めるくらいの枝を全力で握ってみる。握りつぶせる。


 落ちていた拳程の石を全力で握ってみる。割れた。手も痛くない。


 全力で飛び上がってみる。たぶん家の一階の屋根に飛び乗れるくらい? 腕力に対して瞬発力はそこまででもない?

いやとんでもない跳躍力だとは思うけど。


 全力疾走は開けていない場所なので試していない。


 石やでかい木を殴ったり、ハンマーで身体を叩いたり、尖った石や枝での自傷はこんな状態で怪我をしたらと思うとやれなかった。


 ハンマーや車体の金属フレームを曲げたり全力で握ってみようかと思ったが、道具や暫定避難所が使えなくなるのは致命的になりかねないから試していない。


「ステータスオープン」「データ表示」などなど言葉をいろいろ変えて唱えたり念じたりしてみる。なんにもわからないし、なんにも出ない。そこは出ろよ! 出る流れだったじゃん!


「ファイヤー」「メ○」「水よ」「土よ盛り上がれ」などなどいろいろ細かく唱えたり念じたり、車の中では身体の中に今まで感じたことのない感覚がないか集中したりしてみた。なにも起きないし、身体の中にはなにも感じなかった。空腹をより強く自覚するだけだった。ちくしょう!!


 まだだ! 無事に生還できたらネットで調べてみよう。そうしよう。



 たぶんもっと頭のいい人や器用な人なら他にも思い付くのだろうけど、平凡なおじさんである私には腕力というか身体能力が強くなった? 視力がちょっと良くなった? くらいしかわからなかった。


 あと肉体の耐久性みたいなのも上がっているとは思う。不用心だったが、素手で石を握り割っても手に傷は付かなかった。


 これ現代社会では物を壊すだけの人になるかもしれないぞ? 力加減を間違ったら確実に問題になってしまう。


 とまぁこんな理由から、水と食料になりそうなものを探しに愛車から離れようと決心したのである。怖いが。


 緑色の小さいのなら襲われても大丈夫、でかい犬はわからないがなんとかしないとこちらが死ぬ。



 などと考えながらも一応周囲を警戒しながら歩く、印を刻む、歩く、印を刻む、歩くと愛車からの距離がどんどん離れる。


 しかし、相変わらず周囲はでかい木、地面には苔、落ちている枝葉、藪、他にも草花など景色が変わらない。


 スマートフォンの電源を入れていないし時計も持っていないので時間感覚がわからないが、かなり歩いたと思う。でかい木で隠れてはっきりとはわからないが日も高くなってきたようだ。


 しかし、やはり心が極限状態にもかかわらず結構歩いたのに身体は軽いし足に痛みもない。


 どうなってんだ? と不思議に思いながらも歩いていると、水の音がかすかに聴こえたような気がした。

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