第23話.病沢光博


 デイリーエイトに再び明かりが灯った。

 荒れ果てた店内を抜け、死人はコーラの空き缶を携えながら自動ドアの外に出た。一歩、外に出てで立ち止まる。背後から吹き付ける暖房の風を受けながら、駐車場を見渡した。


 いつもの見慣れた光景だ。

 真っ暗な暗闇の中でただ一つ光る電飾看板と車が一台も停まっていない駐車場。

 すぐ近くには店舗への乗用車衝突防止のためU字型ポールがある。アスファルトの地面に引かれた白線は途切れ途切れで、小さな礫が転がっている。


 幾度となく繰り返された今日。  

 いつもの今日とは異なったものを見つける。


 規則正しく引かれた白線の上には、見慣れない赤いラインが引かれていたのだ。

 店の入口から数歩の距離。その位置を始めとして、ベットリとした赤い絵具がアスファルトの上を伸びていく。店の入口から敷地の外を真っすぐに目指すかと思われた赤線は、途中の電飾看板を迂回し、コンビニの敷地の外へと続ていた。


——悪いことをしてしまっただろうか?


 激情に駆られやってしまったこととはいえ、僅かながら一抹の後味の悪さを感じていた。

 いくら正当防衛とはいえ自分が羽宮を死に追いやってしまったのは事実である。今思えば、過剰防衛だったのではないかと思わないでもない。

 といって詫びることはしない。

 なにせ自分を殺そうとしてきた相手だ。最大限譲歩したうえで、無事に帰っていただけるように手をつくした。にも関わらず、強引に羽宮は自分を殺しに来たのだ。これはもう仕方がない。


「……ふむ」


 死人は改めて店を——デイリーエイトを見た。


 デイリーエイト。

 生き返るために毎日を何度も過ごし、ここで死んだ。

 ある意味でもう一つの故郷とも実家とも言える場所だ。それほどここで過ごした時間は長く、濃密な時間だった。


——本当にいろいろなことがあった。

 

 大きく息を吐き出した。

 地面にはいつものようにタバコの吸い殻はわずかに煙を立ち昇らせている。それを足で揉み消すと、外に設置されたカラフルな連結ゴミ箱へと向かう。


 手に持ったコーラの空き缶をゴミ箱へ捨てようとする。


 儀式を初めて間もない頃は、あまりの辛さに何度も投げ出しそうになった。それでも何とかここまでやってこれたのは小さな——ほんの些細な楽しみがあったからだ。 


 儀式が終わったらリセット前に、自分へのご褒美と称して、キンキンに冷えたコーラを飲み干した。

 精神的に疲れたら雑誌コーナーで本を読んだり、コーヒーを飲む。何も考えず、イートインコーナーのパイプ椅子にただ座ってボーっとしたり、ハサミを分解して拷問用のナイフをハンドメイドしたりといったささやかな休息を楽しんだ。


 儀式を繰り返す内、そういった営みさえも忘れていた。

 ついにはコーラを飲み干すという習慣さえ忘れてしまった。おかげでゴミ箱が一杯になったままだ。長い間、ごみ捨てをさぼってしまった。

 

「……もうゴミ捨ても必要ないか」


 空き缶を放り投げた。 

 カンカンという軽い音を立ててアルミ缶が夜の駐車場を転がる。


 大晦日の夜の冷たい空気が肺の中に入ってくる。

 もう少しで新鮮な外の空気を味わえるだろう。


 死人は顔を上に上げる。

 見上げるは、遠くで神々しく光を放つ電飾看板。

 コンビニのトレードマークであるデカデカとした8の数字——親の顔より見た。

 看板は儀式を重ねるごとに輝きを増し、ついには完璧に光が宿っている。もう明滅することはない。貯蓄したエネルギーが規定量を超えると明滅せずに点灯するような仕掛けだからだ。


『ついに目標達成です!! やりましたね!! 彼岸——じゃなくて悲願成就です!!』


 店の内部から、ルーがいつになく明るい声で言った。


「本当に長かった」


 死人が足を引きずり、自動ドアの前から移動しても、コンビニのドアは開いたままだ。

 特に念じることはしていないので、ドアが開け放たれているのはルーが操作しているからだろう。ドアが閉じてしまうとルーの声が届かないから。あるいは冷え性な自分に気を遣ってのことかもしれない。


『黒字を積み重ねて幾星霜!! 目標到達額を達成!! やりましたね!! 病沢さん!!!!』


 キンキンと耳鳴りするほどのテンションの高い声が響く。


「やったよ。お互いに本当に頑張った……。今ままで本当にありがとう。辛い今日は繰り返すのは今日までだ」


 この儀式は一人では実現不可能だった。

 いくら記憶を忘れても強い感情が発せられなければエネルギーは黒字にならない。であるからこそ、恐怖に代表される強い感情を発生させるきっかけが必要だった。コンビニに閉じ込められるだけでは人は不安に思っても恐怖したりはしない。

 人を怖がらせるお化け役が必要だった。

 人知を超えた科学では説明のつかない事象を引き起こし、原始的な強い恐怖を発生させる役が。


 時に怪奇現象を発生させ、時に姿を表し、時に殺しにくる役回り——。

 いわばデイリーエイトという架空のコンビニ自体が一種のお化け屋敷だったという訳だ。感情がエネルギーとなり、一定のエネルギーが集まった今、デイリーエイトはその役割を終えようとしている。


 生き返ったら、ここに来ることはもうないだろう。


「とてつもなく長い大晦日だったね。もうすぐ夜明けだ。長い夜が明けて、やっと新年がやってくる。生き返ったら何がしたい? 俺は最初から予定があったから、やることは決まってる。ルーは何をする予定なんだ?」


『私は——ただ毎日を精一杯行きたいです。友達と初詣に行ったり、家族と一緒におせち料理を食べたり、絵を描いたり……いろいろです!! あっ!! わたし!! 恋愛も未経験なので素敵な彼氏とか欲しいです!! 一緒にカフェに行ったりとか、お話しをして、それから、えっと——』


 放送する時のように気取った話し方ではなく、素に近い話し方をする。

 その声は明るい。


「そうか……。お互いに頑張ったからな。そろそろ報われていいころだろう。あっ、あとごめんな……。いろいろ殴ったりとか突き刺したりしちゃって……」


 いくら記憶を忘れていたとはいえ、女の子に暴力を振るっていたというのは改めて考えると胸が痛くなる。

 

『——いんですよ!! 今さらですって! それにここから出れば、そんなことがあったってこと自体がなくなるんですから』


「そう? ならいいんだけど……気にしてない?」


『気にしてません!!』


「本当?」


『本当です!!』


「本当に?」


『本当に、です!!」


「本当に、本当に?」


『しつこいですね……。殺しますよ?』


「……ごめん」


 久しぶりのやり取りに笑みが浮かぶ。だが——。


「ここであったことも忘れちゃうのかなあ……」


 ふと寂しさに襲われ、浮かんだ笑みもスーッと消えてしまう。

 あまりに長い夜だった。

 夜が開ければ、ここで過ごした時間は——ルーと過ごした思い出も消えてしまうのだろうか?


『あっれー? もしかして病沢さん、わたしのこと気にしてます?』


 頭の中で、小生意気な顔したルーが意地悪な表情で笑っているのが思い浮かんだ。


「それは……気にする。ルーは唯一の友達だ。ここであったことを忘れたら、友達になったことも忘れてしまう。それは……少し……寂しい、かな」


 ある意味で、現実において友達になったのはルーが初めてかもしれない。

 もちろん、グレイとナイトは友達だ。だが、2人は自分にとって友達というよりも戦友という感じがする。ルーと2人を同列に比べるのは何か違うだろう。殺す殺される仲。2人とは別枠で扱うべきだろう。


『えー!! 意外!! 病沢さんが素直になった!!』


 何と答えるべきか迷う。

 だが真っ当に考えて反応したのではこちらが恥ずかしい。それに長々とお喋りをしていては、後悔や躊躇いがでてきてしまうだろう。そうなったら——辛い。


 死人は口を閉じる。


『や、病沢さん? いつにも増して無口ですね……。ど、どうしたんですか?』


 死人は振り返らない。

 代わりに唇を噛む。


『あ、あれですか? もしかしてわたしに殺されたこと、意外と根に持ってます……か? す、すみません、あのええと——なるべく痛くないようにしたつもり……なんですけど……』


 死人は彼女に別れを告げるべきか頭を悩ませる。


『その、あれですね。本日もお日柄もよく——じゃなくて! そのあの……そう! せっかくなのでお祝いしましょうよ!! お店のフライドチキンとかポテチとかお菓子でお祝いして、それからいきましょうよ!! パーティーですよ!!』


「…………」


『そ、それに……まだまだお話し足りないです!! まだルーちゃんのクイズコーナーも全問出していません。それに答えるまでは絶対に——』


 死人は口を開いた。


「ルー」


『は、はい!』


「君には本当に感謝している。正直、俺だけだったら途中で挫折していただろう。支えてもらったことには頭が上がらない。けど——俺をこれ以上、甘やかさないでくれ。決意が鈍ってしまいそうなんだ。俺はもうコンビニには戻らないし、君も戻らない。だから、自動ドアは閉めてくれて構わない。もう俺に気を遣う必要はないんだ」


 背後に吹き付ける温かい空気が名残惜しい。

 儀式の最中、ずっと自分を支えてくれた。自分の体を気遣って店内の暖房は熱めに、心が折れそうになったときには励ましの言葉をもらった。


 今は、屋外に出た自分のためにドアを開けたままにしてくれる。内部から温かい空気を送ってくれるおかげで体が暖かい。そんな気遣いが今は足枷になってしまう。振り切らなくては——。


 このコンビニに来てから、最もぎこちない動きで、最も重々しい足取りで死人は光に向かって歩きだそうとした。だが——


「えっ……わたしじゃないですよ? 病沢さんがドアを開けたままにしているんでしょう?」


 思わず、死人は躊躇った。

 彼女が自分を引き留めようと嘘をついたのかと一瞬疑った。だが、この期に及んでそんな分かりにくい言葉で自分を引き留めようというのもおかしい。彼女なら論理よりも感情に訴えかけるような言葉で自分を引き留めようとするだろう。


 なにより——嫌な予感がした。


 死人は背後のコンビニに振り返った。

 直後、轟音が大晦日の夜に児玉し、甲高い悲鳴が響いた。


 ——何が起きた?


 気づいた時には胸を手で抑えていた。

 顔を下に向け、手をゆっくりと離す。

 両手は真っ赤な鮮血で染まっていた。光を受けてテラテラと輝く血液はまさに血潮で、自分が生きていることを証明する大切なものだった。


 放たれた一発の凶弾が死人の体に小さな穴を空けた。

 中身の入ったジュースの缶に穴が空いてしまったかのように、中身がとめどなく流れ出ていってしまう。


「は、あっ……」


 直後、力が抜けていく。

 直立していた死人の体から力が抜け、ガクンと片足をついた。

 理解が追いつかなかった。自分の体に何が起きたのか、と。


「病沢光博。あなたは霊法第6条の”定められた期間を超え現世に魂を残留”させた。また、あなたには霊法第199条における”治安を乱した疑い”がかかっており、霊媒師一名の殺人を犯した。本件において霊法第39条は該当しない。従って、霊法第6条第3項、および霊法第13条に基づき刑を執行する。なお、執行においては霊法第36条ならびに霊法第14条に従い、霊媒師羽宮が霊魂の祓いを執行する」


 定まらない視界の中、自動ドアの前に立っている男を見る。

 痩せ型でスーツ姿。

 視界が霞み、逆光のせいでよく見えない。だが、声には聞き覚えがあった。


「……なぜ、だ」


 鼻の中に充満した硝煙の匂い。

 体から力が抜けていく。立とうとしても立てない。エネルギーを体に補充しても補充するうちから抜け落ちてしまう。割れたコップに水を注ぐような感覚に近い。器が壊れた。


「……遅くなって悪かった」


 その一言で察する。

 初めて羽宮という男を見た時に抱いた違和感。さっき殺した男は偽物で、自分に向かって引き金を引いた男こそが本物の羽宮であることを。

 だが一体どこに隠れていた?

 外? あり得ない。あの連中はそもそも目が見えない。だとすると中か?


「おれ…を…騙して……」


 本物の羽宮は無言で弾切れになった拳銃を放り投げた。

 倒れた自分に羽宮が近づく。背後の自動ドアがぎこちない動きで閉じようとして、半開きになったまま止まってしまった。

 怒りに満ちたルーの叫びがドアの隙間から聞こえ、間もなくトイレのドアを殴打する音が聞こえた。


「——◎×△◇■」


 祝詞だろうか。

 手で印を結びながら片足をついた死人の目の前に——。


「……やめろ!」


 羽宮が口ずさむごとに力が抜けていく。

 手で押さえた銃創からはドクドクと流れていた真っ赤な血潮が、蛇口を捻ったかのように勢いよく流れ出す。手で抑えつけても手の指の隙間から溢れだした。その感覚は過去に一度だけ経験したことのあるものだ。

 あの夜にコンビニを訪れ、目の前が真っ赤な炎で包まれた時に感じた。自分の魂が体から抜けていった感覚。


 病沢の体が揺れた。

 足に入れていた力がなくなり、体が横に倒れる。平衡感覚がない。

 瞼が重くなる。徹夜明けで気が抜けた時にふっと眠くなるような強い睡魔だ。


 寝てはいけない。

 ここで目を瞑ったらそれは——。


「もう苦しむことはことはない。安らかに眠るんだ」


 優しい声だった。

 次に口を開いた時、出てきた言葉は力の籠もった強いものだった。


——止めれてくれ。


 病沢は倒れたまま羽宮に力なく腕を伸ばした。


  カシコミカシコミ、断滅セシ御霊。

  永久ノ夜、人灯ノ御所ニオワス荒魂ヨ。

  炎々ノ炎、ソノ身焦ガシタル者ヨ

  我ココニ残炎ノ怨ミヲ祓ワントス。

  病沢光博ヲ虚偽ノ無我カラ解放セン

  サンサーラ


 霊媒師が最後の言葉を口にした時、病沢光博の死は確定した。

 

 

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