第20話.発電機


「自分の身に何があったのか思い出したようだな?」


 店の中に入ると、すぐに哀れな犠牲者が嗚咽もらしているのを見つけた。

 羽宮の背後で自動ドアが閉じる。

 モーターが駆動する音が聞こえ、外からの冷気が遮断された。


 客がやってきたというのに、このコンビニでは、来店を知らせる呼び鈴の音もBGMも流れない。ただ、静かな店内で男の嗚咽だけが聞こえた。

 羽宮は周囲を軽くを見る。

 そして背後を振り返り、確認が済むとマルガイ被害者の一人に近づいた。


 病沢光博——このコンビニで死んだ男の霊だ。

 検視によれば、彼の死因はバイクの破片が突き刺さったことによる出血死および脳挫傷の可能性が高いとされている。

 「可能性が高い」と資料に記載されていたのは、事故現場に残された遺体の損傷が激しく、すぐに身元を確認することができなかったことによる。

 真っ黒に焼け焦げた遺体の骨格や歯型の照合を行い、ようやく彼だと断定することができた——というレベルの酷い損傷だったと聞く。

 

 バイクから漏れ出た燃料に引火。

 店全体が真っ黒になるほどの激しい炎に見舞われた。そのため彼の死因が出血によるものなのか重度の熱傷が死因であるかは検視官も判断することができなかったのだ。


 事故を起こしたと思われる被疑者が、どのような経緯でコンビニにバイクで突っ込むことになったのかは分からない。

 ただ確かなのは、過去にこの店で3人の人間が亡くなったということだ。

 その内の一人、異界に囚われている病沢という男の魂もまた除霊する必要があった。

 霊法では死んだ人間はあの世へと旅立ち、現世から立ち去るのが義務となっている。ゆえに、この男を除霊するのも霊媒師の仕事の1つではある。


 だが、その前に——


「ああ、分かるとも……。泣きたくなるよな。自分が死んでいると知って、さぞやショックを受けたことだろう……」


 四つ這いになって泣き崩れている病沢に羽宮は声をかけた。

 こちらを見ている様子はない。

 羽宮は内心ニヤニヤと——いや、顔に出る笑みを抑えきれず笑いながら語りかけた。


 情報を聞きだすのも手慣れたものだ。

 相手にもよるが、こうして泣き崩れるような脆い人間に対しては、暴力と同情が一番であることを経験上、よく知っている。


 よくある手だ。


 いわば飴と鞭。

 強いショックと同情こそが効果的なのである。

 女と接する時と同じだ。

 最初は暴力を振るってから、どちらが上なのか分からせてやる。

 呆然とする様子を確認できたのならチャンスだ。

 相手の感情を麻痺させてから、間髪いれずに同情や優しさを見せてやればいい。守りがなくなり無防備になった相手の心にいとも簡単に入り込める。


——なに簡単ことだよ。


 羽宮は心の中でほくそ笑む。

 目の前でうずくまっている男もまた、事実を教えれば面白いほどに動揺してくれた。

 こちらの思惑通りに。

 あとは少しばかり優しくしてやれば落ちるだろう。


「なあ、お前が悲しむ気持ちはよく分かる。だがな、死んでしまったものは仕方がない。辛いよな……。でも、これが現実なんだ」


 羽宮は仁王立ちしながら、足元でうずくまる病沢に向かって言葉を投げかけた。


「どおしてだ……俺はどうして……」


 焼かれた喉からウシガエルのような声が吐き出された。

 震えた涙声で、己に降りかかった理不尽の理由を問う。


「ようやく自分の人生を歩み始めようとした時だったんだ!! なのに、なのに——!!」


 真っ黒な両の拳が握りしめられた。


「そうだよな。その気持ちはよく分かる。みんな死ぬときは辛いもんなんだ」


「……なぜ俺なんだ?」


 羽宮は事前に読んだ資料を思い出しながら口を動かした。


「お前は殺されちまったのさ。このコンビニに馬鹿な男が突っ込んで、その事故の巻き添えになってお前は死んでしまった。それだけじゃないぞ? お前が死んだ後、ここにお前の魂を閉じ込めて、何度もここで殺された。可哀そうになぁ……」


 自身の死を突きつけるという精神的な揺さぶりは、怒りという負の感情を引き起こす。それは時として人を復讐に駆り立てるに十分な動機付けとなる。だが、その怒りの矛先は羽宮に向けられるべきではない。矛先を向けるべきは——


「お前はもう十分に苦しんだ。そして十分に頑張ってきたじゃないか? ここから解放されていい頃合いだ。だが、お前を殺して、ここに閉じ込めた男は今も野放しのまま。……不公平だよなぁ? ……悔しいよなぁ? お前は散々苦しんできたというのに、お前を殺した男は今もどこかに隠れて笑っている」


 羽宮はそっと、うずくまる霊の背中に手を置いた。

 冷たい。およそ体温というものが感じ取れない。体が震えているのは精神的な動揺のせいなのか、それとも寒くて震えているのか羽宮には判断できなかった。


「おれば、もう助がらないのが?」


 霊に静かに尋ねられた。


「……残念だが、それはできないんだ。君はもう死んでいる。死んだ者は生き返ることができない」


 それを伝えた途端、嗚咽が酷くなり、泣き叫び始めた。

 両手を握りしめ、顔面を床につける勢いで嘆き悲しんでいる。

 

 店の中に響く気色の悪い声に羽宮はうんざりとした表情を浮かべた。

 男の声は聞くに堪えないものであり、焼けた声帯から絞りだす声は牛のように野太く、聞くたびに鳥肌が立つ。


――鬱陶しい死人だ。


 羽宮は泣き喚く霊を見下す。

 皮膚が焦げ、炭化したことによって生じた皮膚の亀裂の間からは赤い肉が見え隠れてしていた。視界に入るだけでも悍ましく、虫唾が走る。


(何とも情けない奴だ。……男なら潔く死を受けれたらどうなのだ? 俺なら自分に恥ずかしくて泣くことなんてできないものだがな)


 生理的な嫌悪感とウジウジとした態度に苛立ちを覚えた。

 この醜い霊の存在そのものが自分の神経を逆撫でる。

 今すぐにでもスーツの内側にあるナンブを抜いて、コイツに向かって引き金を引いて黙らせてやりたい。だが、今はグッと堪えるしかない。

 

(出世に繋がる成果のためだ。今は我慢してやるさ。俺を不快にさせた仕返しはあとでやるとして……それよりも容疑者を殺さんとな。そろそろ本題を切り出す頃合いか)


 本題——つまりはこの異界を作り出した容疑者の居場所の特定に他ならない。

 今回の仕事における必成目標とは、とどのつまり容疑者の除霊である。

 容疑がかかっている怨霊さえ除霊さえすれば、この異界も男の消滅と共に消えてなくなるだろう。これ以上霊障を引き起こすことも、この地域一帯を立ち入り禁止区域に指定するといった大がかりな隠蔽工作もする必要もなくなる。


 さらに除霊に成功し、無事に現世に帰還できたあかつきには、後世に語り継がれるほどの偉業を成したと上層部から評価されること請け合いだ。昇進も夢ではない。

 

 だが困ったことに、件の容疑者はこの期に及んでもどこかに身を潜めているようだった。

 コンビニの敷地に到着してからというもの常に視線を感じていた。向こうがこちらの動きを把握しているのは間違いない。


(警戒しているのか、それとも余裕だと高を括っているのか……)


 てっきり異界に到着した瞬間から敵に襲われるものと思っていた。

 即座に襲いかかってくるのであれば、それでも構わない心づもりでいた。その方が手っ取り早く除霊は完了していただろう。

 だが、ここを生み出した元凶は慎重な性格をしているらしい。

 一向に羽宮に手を出してくる様子がない。


(元凶を始末するためには自分で探すしかあるまい)


 自力で探し出すことは不可能ではない。

 が、時間がかかりすぎて非効率な上に、あまり時間をかけすぎれば霊媒師側が不利になる。なにより現実に残してきた自分の肉体のことも考慮しなくてはならない。無防備になった肉体は他の霊媒師が守ってくれているとはいえ、百パーセント安全とは言い難い。


 何らかの霊障によって無防備な体を傷つけられる可能性もないとはいえないのだ。 時間はかけないに越したことはないだろう。


 元凶を見つける方法。

 異界に侵入したのと同じく縁を利用するのが手っ取り早い手段となる。


 怨霊を探し出すために鍵となるのは縁だ。

 異界に来るために病沢と縁を作って利用したように、容疑者と被害者との間にできた縁を利用すればいい。

 人を殺すという行為は物理的にも霊的にも強い結びつきが生じるものだ。

 命を奪う、奪われるという行為にはそれだけの意味がある。それを利用すれば、本体を見つけ出すことも容易——。


 羽宮は、霊の嗚咽が落ち着いてきたのを見計らってから耳元で静かに囁いた。


「お前はよく頑張った。もう、この牢獄から抜け出してもいい頃だ。……だが、そのためにはお前を閉じ込めた容疑者を除霊する必要がある。……分かるな? 元凶だ。お前の代わりに、この俺がカタをつけてやる。なに、復讐って奴だよ。お前が苦しんできた分、たっぷりと痛めつけてやるさ。だから、俺に教えてくれ。奴がいそうな場所はどこだ?」


 羽宮は静かに霊を見守った。

 うずくまっているせいで顔の表情は見えない。いや、顔を見たとしても表情はろくに読めないだろう。顔の表情筋を見ればある程度分かるかもしれないが——。


 しばらくすると、霊は腕だけを動かして、とある方向に指を向ける。

 炭化した真っ黒な腕は一本の線のようで、伸びた先にあるのは——やはりトイレがある方向だった。

 

 やはりそうか、と羽宮はニヤリとする。

 怨霊の傘下にある悪霊がそこから現れるというの事前に聞いていた話ではあった。現実のコンビニの見取り図も確認したが、他に姿を隠せるような場所はない。この空間を生み出した元凶がいるのは、そこしかないだろう。


 何より、ここの犠牲者である病沢がその意思で示してくれた。


——カチ。


 途端、静かな店内で小さな音が響いた。

 縁のある霊が場所を指し示したことで羽宮に道が開かれたのだ。


(死んでしまえは誰でも霊……。怒りや復讐心は強い力を生み、被害者の復讐心が隠れていた容疑者の存在を暴きだす……)


「……分かった。さあ、あとは俺に任せてくれ」

 

 羽宮は満足げに頷いた。

 それまで霊の背中に添えていた手を離すと、屈めていた体を元に戻す。そして、ゆっくりと洗面台がある方向——トイレがある場所へと歩いていく。


 すすり泣く声を背後に、霊の背中に直接触れていた自分の手を見る。

 墨汁のような炭を凝縮したような黒いもやもやが手についていた。


——汚らわしい。


 手をスーツに強く手を這わせて穢れを拭う。

 そしてスーツの内側に手を入れ、ナンブのグリップを握り、すぐに取り出せる態勢でドアへと近づいていく。


 店の奥にある窪んだ空間。

 そこだけが陰鬱でじっとりしている。

 天井の明かりは乏しく、薄っすらと闇に包まれており、小さな音を立てながら暖色の電球が素早く点滅を繰り返していた。


(なるほど、なるほど……。確かに誰かの気配を感じる)


 一歩一歩、トイレに近づいていくごとに、強い憤りと未練が伝わってきた。

 自分の感応能力はお世辞にも高くはない。

 もちろん、一般人より高いことは高いのだが、過去にあった出来事を追体験したり、殺される直前の出来事を垣間見たりするといった一級の芸当には秀でていない。

 

 何となく、霊が抱いている感情を薄っすらと感じることできる程度の感応性しかない。

 それでも羽宮が近づくごとに自分の感情が刺激される感覚を覚えることから、この先に誰かがいるのは間違いないだろう。


 洗面台に備え付けられた鏡にはヒビが入っているせいで何も見えなかった。

 そこに向かう自分の姿も見えない。


 羽宮はトイレのドアの前で足を止めた。

 男女兼用であることを示す、赤と青両方のピクトグラムが目に入る。

 金属製のノブを見れば、青いマークが——鍵はかかっていない。


 だが、ドアの前に立つとやはり誰かの気配があった。

 間違いない。

 このドアの向こうには誰かいる。

 そいつこそがこの異界を作り出した張本人——怨霊だ。


(相手が怨霊だろうが、その傘下の悪霊だろうがこいつで一発……それで今夜の仕事は終わりだ)


 羽宮はグリップを握りしめ、ゆっくりとスーツの内側のホルスターから抜いた。

 片手でナンブを構え、音を立てないよう静かにドアノブを掴む。


 そして一呼吸おいてから、羽宮はドアノブを捻った。

 キリキリと微量な音を立てノブが回転。

 最後までドアノブを捻り切った時、勢いよくドアを引き開けた。向こう側にいるであろう霊に銃口を向け、そこに怨霊がいるならば即座に引き金を引けるような構えで。だが——


 そこにあった光景を目の当たりにした時、羽宮は愕然とすることとなった。


――これは何だ?


 ナンブの銃口が向けられた先、本来、洋式の便器が設置されていたはずの場所には、大きな有機物が鎮座していたのだ。


 人の肉で作ったと思われるオブジェクト。

 乏しい語彙力では、そう表現するしかなった。

 血が瑞々しく滴り、赤い筋繊維や白い脂肪、さらには赤い血管と青紫色の血管が浮き上がっている。

 

 銃口の先は真っすぐにソレへと向けられていた。

 殺人と放火を実行した容疑者がそこにいたのであれば、羽宮は直ちに引き金を引いて、怨霊を強制的に除霊させただろう。仮にもう一人の被害者の霊であったとしても射殺していたに違いない。


 だが、そこにあったのは得体の知れない肉の塊だった。

 人型ですらない。

 これまで羽宮が見てきた霊というのは、腕がもげていようと足がなくなっていようと、はらわたが飛び出して腹部から内臓がぶら下がっていようとも人間であることの面影を残していた。


 そのため、コレを一目見た時は、潜在意識が生み出したオブジェクトか何かではないかと推察した。

 怨霊や悪霊含め、霊は必ずといっていいほど生前の姿、もしくは死んだ時の姿で現れるものだ。先ほど嘆いていたガイシャがそうであったように、容疑者が焼死したのならば真っ黒な姿で現れるか、バイクスーツを着た状態で姿を見せるものと思っていた。


 あるいは、ここは異界なのだから、正常な物理法則だけでなく、それを超越した力が働く世界でもある。死んだ霊が、死の直前に見た光景が妙なオブジェクトとして出現したとしてもここでは正常なことだ。


 従って、目の前にあるオブジェクトもそういった類のものであると思った。そうであるならば、これを撃ったところで怨霊は痛くも痒くもない。貴重な弾薬を消費するだけになる。

 

 その考えが頭を過り、咄嗟に引き金を引くのを躊躇した。

 だが、すぐにその考えを改めることになった。


 目の前にある肉塊がドクンと脈を打ったのだ。

 よくよく見れば、オブジェクトそのものが微かに蠢いていた。

 その時、初めて羽宮はオブジェクトの細部に目を凝らすことになる。


 剝き出しになった肉からは血液に代表される体液が滴りながらも、筋肉が収縮する動きがみられた。赤い肉の下には薄っすらと骨やその関節だと思われる乳白色の物体が透けて見えた。


 肉と肉、皮膚と皮膚、臓器と臓器。

 それらは小さな金属で繋ぎ合わされていた。ホッチキスの針だと思われる小さな銀色もあれば、ハサミを突き刺して強引に皮膚や肉を固定しているものもある。

 ブヨブヨとした大腸、小腸は肉塊を飾り立てるかのように外側に巻きつき、奇妙な痙攣を繰り返していた。

 外に飛び出た肺と思わしき臓器は、ゆっくりと膨らんでは縮む動きを繰り返し、空気を送っていた。

 肉の塊の頂点、そこには皮膚が一切ない片腕が突き刺さっており、羽宮に手でも振るかのように手首から上が左右に動いていた。まるでメトロノームのような一定の動きで——。


 肉の塊を上から下へと眺めていた時、羽宮はすぐ足元で何かが動いていることに気づく。

 硬質なタイルの床の上には、掃除用のブラシやサニタリーボックスに混ざるように、素早く鼓動を繰り返す臓器——心臓があった。


 その時になって初めて気づく。


——これは人間だ。


 羽宮は戦慄することとなった。

 ハッとして、己の足元から肉塊へと再び顔を上げる。


 目が合った。

 外に飛び出た内臓の近くには目があった。

 瞳孔の黒と結膜の白。

 瞼はない。血走った一つの眼球がギョロリと動いて自分のことを見ている。その目には憎悪と苦しみの念が浮かんでいた。


「オ………レ……………タ……ス……ロ」


 どこからともなく声が聞こえたような気がした。

 肉塊の声だろうか。

 それは羽宮の脳内に直接響いた声なのか、入口に立った場所からは見えない位置についていた口からの声なのかは不明だ。聞き取った声は途切れ途切れで、息遣いのようにしか聞こえない小さなものであった。


「コ…………ロ………………シ………」


 しかし、オブジェクトが、人間が言おうとしていたのは瞬時に理解できた。


——俺を助けろ。殺してくれ。


 ナンブを握った羽宮の手。

 トリガーを引くべく、指に力を入れようとした。

 

 コレが何なのか羽宮には分からなかった。

 コレが容疑者なのか、コレが何のためにあるのか、誰かどうしてコレを作ったのか、答えを探すような余裕はない。


 ただ一つだけ理解したことは、コレを生かしておいてはいけないということだった。


 だが狙いが定まらない。

 ナンブを握る手が震えていた。


——何故だ? どうして手が震える?


 どこに向けて 撃てばいいのか分からない。

 人間の面影を残してるとはいえ、体が変形——いや成型された肉体は、どこに向かって撃つべきなのか羽宮を躊躇わせるのに十分なものだった。五体満足の人間であったのなら、胴体に向かって撃てば間違いない。頭でも胴体でも人間が重要だと思う場所ならどこでもいい。心臓や頭ならなおのこと良い。

 だが、これの場合はどこに向かって銃口を合わせればいい? 床で転がる心臓か? それとも肉の中に埋もれていると思われる脳を狙うか?

 

 わずかに迷いを見せる羽宮。

 しかし、ついに彼が狙いを定めることはなかった。


 羽宮が引き金を引く直前、自分の体に強い力が加わり、体が浮き上がり、何の前触れもなく体が後ろに吹き飛ばされた。

 ポルターガイスト、もしくは念力とでも呼ぶべき不可思議な力に襲われたのだ。

 その衝撃で銃が暴発。火薬が燃焼する発砲音と共に、ドアが勢いよく閉まる音が同時に聞こえた。 


 羽宮の体は背中から壁に衝突することになる。

 

 手にナンブを握ったまま、突然のことに目を丸くした。

 痛みよりも驚きの方が大きい。

 目の前のトイレのドアには、弾がめり込んだことで生れた穴が見える。遅れて、鼻の中に火薬の匂いが漂ってきた時、初めて正気に戻った。

 

「クソ!!!!」


 悪態をつきながら、すぐに起き上がり、ドアノブを掴んだ。

 ガチャガチャと乱暴にノブを捻るが、どんなに力を込めてもドアはピクリともしない。今度はナンブをホルスターに収納し、両手でドアを引っ張ってみるが、やはり開く気配がなかった。ドアは固く閉ざされたまま、羽宮の行く手を阻んでいる。


 ドアノブを見る。

 そこには鍵がかかっていることを示す赤い色が見えた。

 

 それを見た羽宮は顔を真っ赤にし、ドアを勢いよく蹴り上げる。


「ふざけんじゃねぇ!!!! ここを開けやがれ!!!!」


——コン、コン


 直後、ノックが返ってきた。

 羽宮は顔を赤く紅潮させるだけでなく、額に血管が浮き出るほど激昂した。


「馬鹿にしやがって!! ぶっ殺してやる!!」


 体当たりでドアを破ろうとするが、何度体をぶつけてもドアはびくともしなかった。

 なぜあの時すぐに引き金を引くのを躊躇したのかと後悔する。とりあえずぶっ放せば良かったと後悔するも遅い。ナンブに装填された弾——仏滅弾であれば、相手の名前が分からなくともそれなりに効果はあったはずだ。


 黄ばんだ歯を食いしばりドアに体当たりを続ける。

 が、やはりドアはびくともしない。ぜえぜえと肩で息をするまでドアを破ろうと試みるが、ついに中に入ることはできなかった。やぶれかぶれに、羽宮はドアに思い切り蹴りをお見舞いし、悪態をついた。

 

「クソクソクソ!!!!」


 呼吸を整える間、どうやって中に入るべきか考えを巡らせようとした。

 その時、喚き立てる羽宮に——


『大変申し訳ございませんが、お客様のご迷惑になりますので、店内での暴力行為はご遠慮ください』


 女性の凛とした声が聞こえた。

 

天野瑠衣あまのるいか」


 羽宮は、ここで巻き添えになって死んだ店員の名前を口にする。

 閉ざされたドアから店の中に目をやっても、それらしき姿は見えない。

 どうやら彼女も死んだのは肉体だけで、魂は今もここで囚われているようだ。自由意志がなく、羽宮に盾突いてくるのを見る限り、彼女は完全に向こう側に取り込まれてしまっていると考えていいだろう。


 次いで、ややドスのきいた声で店の中に声が響く。


『当店をご利用でない方の入店はお断りしております。お聞きいただけない場合、店員が実力行使にでることがございます。どうかお引き取りを』


「はっ! 何が『お引き取りを』だ!! ここに閉じ込めておいて何を言うか!! ドアのセンサーに手をかざしても、もう開かないことは知っているぞ!」

 

 羽宮の言葉を無視して天野は続ける。


『それでは引き続き、店内でゆったりとした時間をお楽しみください。ラジオDJ、ルーちゃんこと天野瑠衣がお送りします。それではBGMスタートっ♪』


 静かだった店内には、どこからか音楽が聞こえてくる。

 ピアノの演奏。

 その雰囲気のみに言及すれば、誰もいない深夜のコンビニそのものだ。変わったところは一切なく、日常の風景そのもの。


 羽宮は周囲を警戒しながら、トイレ前の薄暗がりの空間から外に出た。

 むやみに歩き回ることはせず、雑誌コーナーの横を数歩歩いて足を止める。


「…………」


 羽宮は耳を澄ませた。

 店の中に流れる音を除けば、店の中は非常に静かだった。


——おかしい。


 穏やかにすら感じられる店内の雰囲気は異常そのものだった。

 それまで聞こえていたはずの病沢がすすり泣く声が聞こえなくなっている。

 店の入り口からほどない場所で泣き崩れていたはずの霊の姿が見えない。足音を押し殺し、片手にナンブを握ったまま、雑誌コーナーの前を歩いた。

 

 羽宮が自動ドアの入口に戻ってきた時だった。


「どうです? お目当ての物は見つかりましたか?」


 羽宮に話しかける人物がいた。

 真っ黒な体とそれを支える折れ曲がった足。


「トイレの中に仕舞っておいたものは御覧になりましたか? 傑作だったでしょう?」


 奥にあるレジのカウンターから声が聞こえてきた。

 その人物は本来なら店員がいるべきカウンターの内側へと入っていく。嗚咽し、すすり泣いていた面影はもうない。平然として両手をカウンターの上に置いている。


「どうぞこちらに腰かけて下さい。さぞやお疲れでしょう。どうです? 何か冷たいものでも飲みますか? 是非とも、ここまで来るまでのことを教えて欲しいのです。どうやってここまで来たのですか? 約束の時間よりも来るのが遅かったですね? 何かあったんですか?」


 レジの前にはカラフルなパイプ椅子が一つだけ置いてある。

 黒い手が羽宮に座るように促している。


「……お前は誰だ?」


 羽宮はカウンターに体を振り向けるのと同時に、自動ドアのセンサーが確実に作動するであろうマットのうえに足を移動させた。

 やはりというべきか、自動ドアは完全に閉じ切っている。


「わたしが誰かって? それはあなたもご存じでしょう? わたしが何者なのか、それはあなたが決めることです」


 焼け焦げた男は肩をすくめ、屈託のない笑み——顔の筋肉の動きからそう見えた——を浮かべた。


 羽宮は無言で、まじまじと霊を見つめる。


 店の前で遭遇した霊と同一の見た目。

 初めて店の前で会った時、その人物は自分を襲ってくるわけでもなく話しかけてきた。あたかも首を長くして救助が来るのを待っていたかのような口調で話し、こちらに敵意を向けるような素振りは一切見せなかった。


 羽宮が死んでいることを指摘すれば激しく動揺し混乱。

 自分たち霊媒師に敵対する怨霊ならば、即座に襲われて戦闘になるはず……。

 間違いなく、犠牲者となった病沢光博なる人物だと思い込んでいた。


——間違いだった。


 平然とした態度で接する霊——このコンビニを支配する怨霊を見た羽宮はそう思わずにはいられなかった。

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