第15話.霊媒師②


「遅かったじゃないか」


 羽宮が待ち合わせ場所であるファミリーレストランに到着した時、自分の上司である金満が手を振って席に座るように促した。


 テーブルの上には空になった皿がいくつも並んでいる。

 食べかすやソースのこびり付き方からして、スープ、パン、ステーキ、エビフライ、サラダ、サイドディッシュという、ちょっとしたレストランのフルコース並の品数を平らげたことが分かる。

 

 ここにワインやビールといったアルコールがないのが、まだ救いだ。

 本人は今、チョコレートがたっぷりとかかった苺パフェをご賞味中である。


——相変わらずよく食べる。


 そう呆れた羽宮だが、声に出すことはしない。

 曲がりなりにも向こうは上司である。内心、軽蔑していても、それを表に出すことは愚かな行為だ。


「失礼します」

 

 一言断ってから席に腰を降ろす。 


「いやー大変だったよ。この資料……手に入れるに本当に苦労した。君から電話がかかってきた時は耳を疑ったよ。君ほど、腕の立つ霊能者が私を頼るなんて初めてじゃないのか?」


 羽宮は内心「不味いな」と焦りを覚えた。

 いつもなら自分の顔を見るだけで不機嫌になり、悪態をついてくるような人物であある。簡単な頼みごとをすれば怒鳴るような人間が、今日に限ってはご機嫌なのである。

 はるばる都内から足を運んでもらったのだから、罵声の一つや二つは覚悟していた。最低でも、顔を合わせたら嫌味の一つや二つ言われるものと思っていたが——。


 という言葉が思い浮かぶ。

 不機嫌な態度がデフォルトだとすると、今の気のいいオジサン的な雰囲気は作られた態度に他ならない。当然、意図してこういった態度を作るのだから何か裏があるはずだ。


 金満の腹の内は分からない。

 が、何か良からぬことを企んでいることだけは確かだ。

 資料を入手するのが最優先であるものの、先々のことを考えれば、こちらも探っておいたほうが無難かもしれない。


 いざ除霊する時になって、余計な邪魔をされては困る。相手が無能なら、ただ椅子に座ってチョコレートパフェでも食べてくれるほうが羽宮としては有難い。だが、無能がこちらの仕事に口出ししてくるなど邪魔以外の何者でもない。


「金満さんが自らこうしてお越しになられるとは……いつもご迷惑をおかけします」


 心にもない一言と共に、羽宮は頭を下げた。


「はっはっは、何を言う。君と私の仲じゃないか! わたしは全然、苦に思っていない。何か食べるかね? なに私の奢りだよ。勘定は気にしなくていい。どうだ?」


 テーブルの立てかけてあるメニューに目をやる。

 

 ”恋と魅惑のチョコレートパフェ”


 時期が時期だけに、チョコを使ったスイーツが期間限定で発売されている。どうやら金満は食後のデザートに苺とチョコレートパフェを頼んだようだ。すでに半分ほど食べ終えている。遠慮というものがまるでない。


 金満の態度に、羽宮はますます不信感を強めた。


(あの金にがめつい金満が気前よく奢ってくれる……一体どういう風の吹き回しだ?)


 「私の驕りなど」とほざくが、後で経費として精算とするため自分の懐は痛むはずもない。彼が食べたであろうフルコースの代金は交際費として計上され、国——すなわち国民が負担することになるためだ。

 よい上司ならば、その裁量を振るい、面会する部下に食事を奢ることで仕事の励みすることもあるだろう。だが、この金満という男はそういった気遣いを見せたことが過去に一度でもあっただろうか? 


 断じて無い。


「大変恐縮ですが、今回は時間が差し迫っておりますのでご遠慮させていたただきます」


 羽宮は再び頭を軽く下げるのと同時に、テーブルの上に並んだ皿に目を走らせる。

 恐ろしいことにいくつかの皿は縦に積み重なっている。フルコースという量では収まり切れない。公務員として働くよりもフードファイターとして活躍するほうが彼は大成するかもしれない。


 下げた頭を上げると、金満のたるんだ顎が見える。


「普段から私の行いせいでご心労をかけてしまっていますので、これ以上ご迷惑をおかけすることはできません……ところで金満刑事、前に会った時より、お痩せになったようにお見受けいたしますが——」


 前に会った時よりも太っている。

 確実に。

 特に顎回りが。

 

「はっはっは、分かるかね? 最近、仕事が忙しくて痩せる一方だよ」


 陽気に笑ってみせる金満に羽宮は口が塞がらなくなった。

 皮肉を言ったつもりだった。

 その返しとして、何ら気にしていないという意味で金満が笑ってみせたかと思うが——まさか本気で言っていないよな?


 羽宮は作りを笑いを浮かべつつ、目を細めて目の前にいる豚を見た。

 本人は自分のことを有能だと思っているようだが、実際のところ、この男は運がよいだけの男だ。今の地位にいるのは部下の仕事の手柄を奪い、それをさも自分がやったように見せかけただけの結果に過ぎないことを羽宮はよく知っている。


 普通の組織——民間の企業や他の部署——なら査定や監査も行われ、経費の不正請求や横領に歯止めがかけられるものだ。だが、オカルトを相手にするという特殊性と秘匿性がこの組織をずぶずぶに腐らせてしまっている。


 そもそも霊感が持つ人間が圧倒的に少ない。

 霊感のある人間にしか認識できないのが霊という存在である。仮に、実際に霊がいないにも関わらず、霊媒師が「除霊をしたらから報酬を寄越せ」と主張すれば、霊感のない人間はそれを鵜呑みするしかない。正確な評価は常人には難しいどころか、そもそも認知すること自体が不可能なのである。


 霊は見えないし聞こえない。

 しかし、実際にさわりは発生している。

 となると、能力のある者に任せる他ないのだ。


 経験豊富な霊媒師は数が少ない。

 人手はいつでも不足している。

 そうなると必然的に希少な霊感持ちを優先的に現場にあてがうことになり、代替可能な事務仕事などの業務は霊感のない普通の人間に任せる——という流れが自然と出来上がってしまうのだ。


 これが良くない。

 現場に霊感持ちが割かれ、現場の人間を管理することになるのは普通の人間だ。

 現場を知らない人間。

 ただでさえ評価の難しいオカルトを相手にしているというのに霊感や知識のない人間がその席に居座ることになる。


 各部門の責任者の名前を見る限り、第0課や霊能捜査研究所、息のかかった各種関連企業が天下り先になっていることは否めない。現場から成り上がった人間が上に立っているのならまだしも、天下りしてきた門外漢が居座るっているようにしか思えなかったのも事実だ。


 適正のない人間がオカルトを専門にする組織を統制できるのだろうか?


 現場の末端も末端である羽宮にそれは分からないことだ。

 ただ目の前に座っている上司を見る限り、その懸念は尽きない。組織に必要不可欠な自浄作用や汚職を防止するための措置が機能していないのだ。その結果が、権力や地位を悪用して私服を肥やす輩をのさばらせることに繋がっている。ちょうど目の前の豚のように。 


「お元気そうで何よりです。それでは早速ですが依頼した資料はお持ちでしょうか?」


 相手のペースに巻き込まれてはいけない、と羽宮はすぐに本題を切り出した。

 下手に食事をご馳走になれば、それを理由に後からアレコレとゆすられ、たかられる危険性がある。

 気のいい人間であれば、それだけで引け目を感じて従ってしまうこともあるかもしれない。だから速攻で仕事に話に移る必要があった。相手の思惑に乗せられれば損をするのは自分である。


 羽宮は金満の隣に置いてある資料の束に目を向けた。


「うー? うーん……?」


 その視線に気づいたらしく、金満は苺パフェを口の中に掻きこんだ。

 底に残ったクリームやアイス、コーンフレークをスプーンで細かく粉砕。ビールジョッキを傾けるように容器を豪快に傾けて飲み干した。

 

 まるでビールでも飲み干した時のようにプハァーと息を吐きだした。


「資料? 君ねー、その前に報告してよ。報告」


 顔に浮かべた笑みに変化はないが、気分を害したらしい。

 口元に手を当てることもなくゲップを吐き出す。

 

 正面にいる羽宮に吹きかけられた生臭い息。

 ステーキの付け合わせ、もしくはソースの臭いなのか、ニンニクの強烈な臭いがした。 


——ドンッ、カチャン


 金満は乱暴にパフェの容器をテーブルに叩きつけるように置いた。スプーンとガラスがぶつかって金属が高い音を立てる。その音にボックス席の隣を通りかかった従業員の女性がビクリと肩を震わせた。

 金満は顔にニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、紙ナプキンで口元を拭いている。


「…………」


 直接資料を手渡しすると聞いた時、一波乱起きそうな予感はしていた。

 羽宮が金満に資料や協力を要請するのは今回が初めてではない。難しい事件が起きた時、羽宮は仕事道具の発注や事後処理を頼むこと多々あったからだ。無論、金満から苦言や怒声が飛んできたのは毎度のことである。その度、電話越しに何度も頭を下げ、最終的に要求を飲んでもらっていた。


 問題なのは、なぜ直接資料を持ってきたかだ。

 例え、複製が禁止され外部に持ち出しが禁止だったとしても、面倒くさがりやの金満なら業務効率を理由にメールで資料を送ってくるだろう。

 

 羽宮は臆せずに胸を張った。

 人の弱みに漬け込む連中に弱った姿を見せるのは、自ら自分を襲って欲しいと言っているようなもの。

 説明を求められることは予め予期していたことであるため、それなりに話すべきことは考えてある。

 嘘はつく必要はない。ただし余計なことに首を突っ込まれないよう情報の開示は最小限に留めるべきだ。

 

 コンビニでの除霊に資料は必要不可欠。

 情報がなければ病沢さんとの縁がうまく機能しない。異界に助けに行くこともできなくなってしまう。金満が来るまでに自分にできる準備は全て終えた。あとは情報。それさえあれば準備は万端となる――。


「ええ、その件ですが……まずは順を追って説明をします」


 羽宮はタブレット端末を取り出すと、マッピングアプリを開いてみせる。


「知っての通り、このアプリには我々の管轄である地域一帯の霊の存在が表示されています。今、表示されているのは先月の記録です」


 テーブルの上に並ぶ皿を通路側に寄せ、タブレットの画面を相手に向ける。

 豚がタブレットに視線を落とすのを確認すると、羽宮はちょうど近くを通りかかった配膳ロボットに手をかざして停止させた。豚が画面を見つめている間、不要なお皿を乗せておく。


「全然普通だ。何も異常は起きていないようだが?」


 画面上にはいくつものピンが表示されている。

 表示されているピンは大きく分けて3種類。

 いずれもパトロール中に羽宮が感知した神霊をマッピングしたものである。

 担当地域を定期的にパトロールすることで霊の存在を感知、その危険度や数を細かく記録し、ピン付けして一目で分かるように管理されている。


 そのほとんどが黒いピンである。

 黒は危険度や重要性が低い霊を意味し、基本的に放置で対応すべき案件だ。

 人間は死ぬと肉体から魂が抜け、誰しもが霊となる。


 霊障を引き起こすほどの悪霊と化すのは、全体で見ればほんの一握りであり、霊を感知したとしても数日もすれば気配は綺麗さっぱり消えてなくなることがほとんどだ。


 いずれの霊も自らの死を認め、踏ん切りをつけて自然と成仏するのである。

 認知症を患っているような霊の場合でも一ヵ月ちょっと経てば、寿命が尽きて成仏する。 


 黄色は注意。

 数日経過しても同じ霊の気配がする場合に該当する。羽宮が対応することになるのはこの段階からだ。いつまで経っても霊が死を受け入れず彷徨っている場合、羽宮はまず霊との面談を行うようにしている。いわば交信である。


 面談を行い、話を聞いてやるだけでも気が済んで成仏に繋がることも少なくない。一部の霊は稀に悪霊と化す場合もあるので、できる限り早期の対応が重要になる。


 緑は要観察。

 今現在影響はないものの定期的に巡回することが求められるものだ。無人の社や廃社、廃寺、無縁仏、鉄道などがこれに当たる。ただちに影響はない。もしくはこちから何かをしない限り、害が発生しないものが該当する。

 優先度は低いものの定期的な巡回を怠ることができない点が黒ピンとの違いだ。最近では、外国人窃盗団が廃社に押し入り、ご神体を盗み、霊障が発生する——という事件が多発しているので余談は許さない。


 そして赤は危険を意味を意味する。

 すでに霊障が発生、近辺に住む住民が害が発生している場合に赤いピンが立つ。放置すると霊障がどんどん広がり被害が増大。最優先での対応が求められるものだ。場合によっては近辺から応援を呼ぶ、もしくは本部から精鋭を呼びつけるといった対応が必要になる。


 金満に見せたマップには赤のピンは立っていない。

 

「ええ、そうです。先月は何も異常が発生していません。ですが……こちらをご覧ください」


 一旦、テーブルに置いてあったタブレットに手を伸ばし、先月記録から今月の記録に変更する。


「なにも変わらないじゃないか」


 豚が画面に顔を落とすが、すぐに顔をあげた。

 予想通りの反応に羽宮は心の中で「無能が」と呟く。


「確かに一見すると何も変わっていないように見えます。しかし、こうすると——」


 羽宮はマップを縮小した。

 

「……?」


 画面を見るが、やはり分からないという顔で豚が羽宮を見る。

 

「これは……?」

 

 ようやく訝しげな表情になった金満。

 羽宮はさも感嘆したような口調で話す。


「分かっていただけたようで何よりです。さすがは金満刑事! 並の霊感持ちでは分からないことです。やはり、ベテランでなければ、この異常には気づかなかったことでしょう!」


 相手が理解してくれたことを前提に「お前は現場あがりのベテランなんだから分かるよな」と暗に圧力をかける。

 無能ほど自分のメンツというものを重要視するものだ。

 自分よりも年下の部下は気づいているのに、上司である自分は気づけなかった——彼のプライドの高さを鑑みれば、自分の能力の低さを認めるのは難しいと踏んでの行為。


「あ、ああ……。もちろんだとも。一目見た時に気づいたよ」


 ぎこちないのない返事を聞いた時、羽宮は顔に笑み――侮蔑の方の――を浮かべた。


「さすがです金満刑事! ですので、そちらの資料が必要になるのです」


「た、確かに……資料は必要だな」


 そう言いながら首の後ろを擦った。

 ポリポリと肌を擦る音と共に、顎の贅肉が左右に揺れる。

 顔こそ平静を装っているものの動揺しているであろうこと分かる。このまま資料が手渡してくれれば――。


「いやー……でも」


 ネチャリという擬音が聞こえてきそうな、気色の悪い笑みを浮かべながら、豚が口を開いた。

 羽宮の顔から笑みが引いていく。


「……でも?」


「その前に羽宮くんの見解が聞きたいなあ……。上司としては部下がどの程度の見識を持っているか確認する必要があるからねえ。君がどの程度知っているか説明を聞いて判断しないといけないなあ……。だから、ね?」


 そうくるか、と羽宮は顔に笑顔を浮かべたまま、テーブルの下でギュッと拳を握りしめた。


「……分かりました。現段階で分かってることを説明します」


 衝動的に足で目の前にいる無能を蹴り飛ばした思いに駆られるが、資料が相手の手の内にあることを思い出しグッと我慢する。

 怨霊の除霊をすることはおろか異界に行くことすら叶わない。文字通り、病沢さんが怨霊の餌食になるのを指を咥えて傍観することしかできないことになる。いや、悲鳴すら聞こえないだろう。

 

 彼という存在は現世から消え失せる。


「一見するとマップには問題ないように見えます。全体的を見ても黄色や赤のピンは存在しません。パトロールは小まめに行っていましたから、黄色レベルの案件は私がケアしましたから」


 ケアという言葉に豚の眉がピクリと動いた。

 言いたいことは顔に出ている。どうせ「俺に報告もなく勝手なことを」と思ったのだろう。


「うんうん、流石だね。他の人のマップも見るけど君ほど安定した地域はないよ。黄色が一本も立っていないのは君の努力の賜物だ。はっはっは——」


 笑ってみせるが目が笑っていない。

 その瞳には苛立ちの色が現れ始めている。早く本題を話せ、と。


「ですので……気づくのが遅れました。この地域だけピンが一本も刺さっていないことに――」


 羽宮はマップに表示されている空白地帯——ピンが一本も突き刺さっていない地域を指を置く。他の地域にはピンが刺さっているにも関わらず、この場所にはピンが一本も刺さっていなかった。


「これを見れば単に死亡者が発生していないだけのように見えるでしょう。この辺りは住宅街ですから」


 過疎化が進みつつある地方の場合、そもそも人口密度そのものが少ない。死亡者の数も少なく、それに比例して霊の発生も少なくなる。

 ましてそこは住宅街。

 日本の医療技術は非常に先進的であり、大抵の場合、病院や介護施設で亡くなるため、孤独死や自殺といった例を除けば住宅やアパートに霊が出ることは少ない。

 あったとしても遺体を葬式のために自宅に持ち帰った場合や人間以外の霊が出没するケースもあるが、そういったことを除けば基本的に住宅街という場所は霊的に安全な地域に分類される。


「この住宅街の近くにある墓地をみて下さい。先月の終わり、ここに埋葬された人間がいたため墓地の様子を見に来ました。その時、気配は感じましたが識別としては黒……特段、対処すべき案件ではなかったので取り立てて対応は行っていません」


 墓地はある意味で安全地帯だ。

 仏教にせよキリスト教にせよ、埋葬された人間たちが悪霊化することは極端に少ない。成仏するスピードも早く、大抵は2週間すればいなくなっている。


 墓地に刺さっているピンをタッチする。

 羽宮が入力した巡回記録や雑感などが表示された。記録を参照した豚が何度か無言で頷く。


「ですが、今月に入って巡回をしてみたところ……気配が消えていました。早すぎると思いませんか? たった三日で成仏するなんて。よほど未練がなかった人間でもない限り早すぎる。これだけならばたまにあることで済ませられます。しかし——」


 再度、マップを縮小。

 羽宮は黄色のピンをタッチした。


「こっちの霊は自殺者ですが、この霊も数日で気配がなくなっていました。霊体化してからの時間を逆算しましたが、自殺者にしては早すぎる」


 自殺した人間は悪霊化しやすい。

 苦しみからの解放を願って自らの命を絶つのだが、本当に人が死を迎えるのは成仏した時だ。霊になっただけでは苦しみから解放されない。傾向として年齢が若い人間の霊ほど死を受け入れるのに時間がかかる。

 死んでから「こんなはずではなかったのに……」と嘆き、死を受け入れるのに非常に時間がかかる。

 自殺を後悔し、場合によっては自殺の原因になった社会を恨むことすらある。そのため分類は黄色。負の感情を抱きながら死んだ人間は高確率で悪霊になる。


「なるほど……?」


 腕を組みながら豚が言った。


「自殺者の霊は成仏するまで時間がかかるものです。自ら命を捨てた者が、そう簡単に納得して成仏することは少ない。なかには霊として寿命が尽きるまで、現世にしがみつく例も決して少なくありませんから」


 過去に担当した事件、羽宮は某湖にある自殺の名所で悪霊と戦ったことがある。

 自殺した霊が、夜な夜な、その橋を渡ろうとした人間を死に誘うといった事件があった。立て続けに起きた自殺。元凶となった霊を除霊し、今ではなんの害も及ぼすことはなくなったが——昔の話だ。


「自殺方法は首吊りによるものでしたが——こちらも今月に入ってからすぐに気配が消えています」


 さらに別のピンをタップする。


「これは孤独死した老人が発見されたアパート。付近の住人から異臭がするという連絡があったことで死体が発見されました。事件が起きてから、数日後に大家立ち合いの下、アパートの内見に行きましたが……こちらも霊の痕跡がありません」


 羽宮はさらに続ける。


「40代男性の自殺者、自宅で脳梗塞で倒れた90代男性、アクセルを踏み間違えて標識に衝突した70代男性、口論から喧嘩になり同僚に包丁で刺殺された外国人労働者——ここ数日で全員の気配がなくなっています。いくら何でもおかしいと思いませんか?」


 画面から顔をあげて豚と目を合わせる。


「たまたま潔く死を認めただけじゃないのか? 全員がたまたま聞き分けのよい連中だっただけの話だろう?」


――コイツ馬鹿だろ。


 羽宮は適当に相槌を打ちながら、ここにきて初めて他のピンをタップした。


「確かにその可能性も考えました。ですが——極め付きはこれです」


 緑のピン。

 タップすると小さな祠の写真が画面に映った。

 赤い鳥居と年季の入った木製の祠。両隣には緑色の苔に覆われた狛犬の姿がある。

 要観察の対象である。


「……随分と殺気立っているな」


 その異常性には金満も気づいたようだ。


「この神社では昔から地域で信仰されていた土地神様が祀られています。御神体もある由緒正しき神社で、近年増えている窃盗団による被害を未然に防ぐために巡回を定期的に行っていましたが。今月に入って訪れた際には、見ての通り狛犬が——」


 そこから先を説明する必要はなかった。

 曲がりなりにも金満は霊媒師。

 現場で離れてデスク仕事がメインになったため、霊感は相応に鈍っているはずだが、ここまで強い殺気が狛犬から発せられていれば写真から感じ取れないはずがない。


 霊感を人によって感じ方が多岐に渡る。

 霊媒師なら直接目で霊を見ることが叶い、言葉を交わすこともできる。経験豊富なベテランなら、目を凝らして隠れた霊を見破ったり、人に憑いた霊を目視で確認できるだろう。

 あるいは視線のようなものを感じ取ったり、臭いや肌が逆立ったりと感覚的に存在を感じ取ったりする。


 もっともこの写真の神社に訪れれば、霊感がない一般人ですら何かおかしいと思うに違いない。

 原因は左右に鎮座する二体の狛犬。

 神域を守護する霊獣が警戒を発していた。


「ここで初めて何か異変が起きているのだと確信しました。そして問題の震源地ですが……確信はありませんが怪しい場所を見つけました」


 羽宮は神社を訪れた時のことを思い出す。

 昔からある古い社。定期的に巡回している羽宮は即座に異常に気づいた。

 厳かで清浄な空気が境内から消え、ピリピリとした居心地の悪い場所へと変わっていたのだ。原因は朱色の鳥居を潜ってすぐに分かった。両脇に鎮座する苔まみれの狛犬たち。江戸時代中期に彫られたと思われる見事な霊獣が羽宮の身が竦むほど殺気立っていたのだ。

 羽宮の霊感は狛犬たちの視線を感じ取ることができた。

 視線の先を追っていった結果——羽宮は怪しい場所を見つけ出した。


「成仏が異様に早かった霊たちは一定の範囲内です。消えた範囲は地図で見ると綺麗な円形になっている。そして、神社があるのはここです。ちょうど、円の空白地帯に入っている――」


 羽宮はマップの空白地帯の中央をタップした。


「直近で起きた事件や事故の記録を私が調べ上げると、やはりというべきか怪しい場所が浮かび上がりました。それがこのコンビニです」


 タップするとコンビニが画像が表示された。

 知らない人はいない。全国展開している某コンビニのフランチャイズ店である。


「コンビニ? どうしたってそんな所に?」


 金満は首を傾げる代わりに、コップに入ったジュースをラッパ飲みした。


「以前、ここで事件がありました。東京ではニュースになっていないのでご存じないのも無理はないでしょう。全国的なニュースには載っていませんがネットではニュースになっていますよ。こちらです」


 羽宮は地図アプリからネット記事に切り替えて豚に見せる。

 

「ただの事故でろう。今さら個人情報など必要なのかね? 現場に行って判断したほうが早いだろう」


 その質問に羽宮は顔を横に振った。


「もちろん事件が起きてからすぐに現場に行きましたよ? 私の担当エリアですからね。しかし、規制線で張られていて必要なところまで行くことができなかったのです。警察と消防が現場検証を終えるまで必要な距離まで近づけませんでした。一個人では外から観察するのが限界です。なにぶん、権限がないもので——」


 いくら霊感があるとは言っても霊の存在を感知するにはある程度近づかなくてはならない。ベストなのはその人が死んだ場所、あるいは遺体があった場所だ。どちらも魂が高確率で残存している。距離が離れれば離れるほど霊の感知は難しくなる。


「規制線の外から探ることはできなかったのか?」


「それは無理がありますね。被疑者と思われる若者は店の中で亡くなっています。店舗の中に入らないと正確に確認することはできません。それにここは都会にあるコンビニとは違います。地方は未だに車社会ですよ? 買い物に行く時には車に乗ってやってくるのが当たり前です。駐車場もそれだけ広いんです。敷地の外からでは、とても——」


 首を横に振って羽宮は答えた。


「気配は感じたか?」


「全く感じられませんでした。距離が遠かったのが原因でしょう。敷地の中に入れる頃には数日経っていましたから……。ようやく調査に入れる段階になった時には、霊の気配は微塵も感じられませんでした。その時には、ほかの霊のように成仏したのだとばかり思っていましたが——」


 豚は面倒くさそうに溜息をついた。

 手元ではコップに刺さったストローをポークビッツのような太く短い指でいじっている。


「考えすぎでは? 悲惨な事故があったとはいえ本人たちも納得して自然と成仏したんだろう。今時の若者は生きる意欲が薄いからな。あっさりと成仏もするさ。それにこのあたりの霊の成仏が早すぎると言っても、ここが原因だとは限らない。他に原因がある可能性だってある」


 羽宮は無言で豚を見る。

 そして一呼吸おいてからゆっくりと話し始めた。


「……神社を訪れた後、改めて、私はこのコンビニに向かいました。愕然としましたよ。敷地に近づくにつれて嫌な気配が強くなっていくんですから。コンビニの敷地……駐車場に入るまでもなく分かりました。あそこの空気は悪意に満ちている。間違いなく悪霊がいます」


 羽宮は断言した。


「恐らくは事件を起こした被疑者が黒でしょう。生前もそうであったように、かなり深い怨みを持っている怨霊です。初動でその存在に気づけなかったのは、それだけ狡猾な性格をした霊だと予想します。気配を絶って存在をひた隠しにし、その間、周囲にいた霊のエネルギーを吸い取って力を蓄えた——でなければ、コンビニの周囲から霊が消えるはずがありません」


金満は無言で羽宮の話に聞き入る。


「今になって気配が感知できるようになったのは蓄えた霊力が膨大になってしまった。隠すことができないほど力を蓄えてしまった。あるいは隠す理由がなくなってしまった。もはや悪霊ではなく怨霊の域に達してしまったと考えられます」


「まさか……冗談はよせ。で、実際の所、どの程度の難易度だと予想する?」


 難易度。

 すなわち悪霊を除霊する時の何度を数値で表せという豚からの問いだ。


 通常の霊であれば基本的に除霊の難易度は5である。

 悪霊化した霊の難易度の振れ幅は5から7であり、各地に派遣されている兼業霊媒師でも単独で除霊できるレベルだとされている。難易度8からは悪霊から怨霊へと呼称が変更され、一人での対処が難しく危険だとされるレベルだ。


「難易度は最低でも11。すでに異界が形成されています」


 ストローを触っていた豚の指が止まる。

 取り繕っていた笑みが消え、店内ということもお構いなしに大きな声を出した。


「まさか!! この短時間で? そんなことあるはずがない!! 異界を築くには短く見積もって数か月は必要になるんだぞ? あるはずがないッ!!」


 ですが、と羽宮は語気を強めて話を続ける。


「再度現場を訪れても被疑者を見つけることができませんでした。邪気が漂っているにも関わらずにもです。本体はすでに異界に身を隠しています」


 豚は鼻息を荒くする。


「……異界? 事実だとすると大事ではないかッ!! 犬鳴村や、きさらぎ駅を封じるのにどれだけの犠牲を払ったか知らぬわけではあるまい!!」


 過去、異界が原因となって甚大な被害をもたらしたことがあった。

 力を持ちすぎた怨霊は、力が強すぎるあまり自らの巣となる特別な空間を作り出す。運悪く接点を持ってしまった人間を内部に引き入れ、決して外に逃さない。人間の魂を怨霊の糧として喰らい、ますます力を強めるのだ。


 厄介なことに、異界を閉じるには異界を作りだした元凶である怨霊を除霊する必要があるのだが、霊媒師は異界の内部に侵入する手段が非常に少ない。異界そのものが外部からの干渉を跳ねのけ、霊媒師が本体である怨霊に近づくことを困難にしている。


 内部に入れるのは怨霊が招き入れた場合のみ。

 あるいは異界と何かしらの縁を持っている人間だけである。


「すでに外部からの干渉は受け付けません。閉じるには内部からやるしかない」


 その指摘にますます豚は鼻息を荒くした。

 思わず席から腰を浮かし、羽宮に迫ってくるような勢いで苛立ちを口にする。


「そんなことは分かっている……!! だが、それが難しいことはお前とて分かっているだろう?! 大体、どうやって内部に侵入するのだ? わざわざ敵対する我々霊媒師を中に招き入れる訳がない。それよりも封じろ!! 被害が出る前に辺りを封鎖するしかない」


 異界を閉じることが最善であるが、そうできなかった場合も当然ながらある。

 犬鳴村はその典型で異界そのものを閉じることはできなかった。だから村を廃村とし、その村の存在そのものを公的な記録から抹消した。異界に通じる村とそのトンネル、誰も立ち入りできないよう土地そのものに隔離を実施。今でも要観察対象として監視され続けている。

 

 豚が言いたいのは内部に入る手段がないのだから、いっそのこと犬鳴村のように誰も立ち入りできないように封印すべきだと主張しているのだ。有り体にいってしまえば問題の先送りだ。

 無論、他に方法がないのならそうすべきだ。だが——


「内部にいる者と交信に成功しています。彼との縁を辿れば、異界に行くことも可能でしょう」


 羽宮は顔色一つ変えずにそう言ってのけた。


「……いるのか? 怨霊の餌食にはなっていない者が……。狂わずに正気を保っているというのか?」


 懐疑的な視線を向けながら羽宮を見た。


「まだ異界が形成されて間もない。未だに怨霊の餌食にならず何とか耐え忍んでいます。本人は病沢光博と名乗っていました。彼との縁を辿れば内部に行くことは不可能ではありません。しかし、怨霊と思わしき被疑者の情報が不足しています。怨霊の除霊に情報が必要です」


 豚は冷静さをやや取り戻す。

 浮かしていた腰を席に落ち着けると、自分の丸い体を守るように両腕を組んだ。


「なるほど。だから、事件を被疑者と思われる若者の司法解剖記録と個人情報が必要だというのだな? うー……しかし、お前は分かっているのか? 内部に入って除霊に失敗すれば、もう二度と外に現実に戻ることはできない。死ぬんだぞ?」


「分かっています。覚悟の上です。異界ができて間もないのなら綻びもあるはず……。怨霊を対峙するのなら今しかない。住宅街で異界ができれば隠蔽工作も非常に難しくなる」


「羽宮……お前にやれるのか?」


「祓います。それが仕事ですから」


 羽宮は即答する。


「……そうか。ならば、この資料を渡そう」

 

 豚は脇に置いてあったファイルを掴むと羽宮に向かって差し出した。


――よし。

 

 関門は突破した。

 

(これでようやく約束に応えることができる)


 羽宮は頭の中で予定を組み立てる。

 今から資料を読み込み、被疑者もとい怨霊について知らなければならない。相手の生い立ち、血筋、職業、病歴など。あとは事件が発生したであろう時刻になってから異界に侵入する――。


 羽宮はファイルを受け取ろうと手を伸ばした。しかし、豚はファイルを掴んだまま離さない。お互いが綱引きのようにファイルを引っ張り合う形になる。

 

 羽宮は金満の顔を見た。


「いいか、羽宮。お前一人で除霊することは許可できない。除霊には私も参加する」


「ッ! それは——!」


 反論のため羽宮が口を開こうとするが、その前に豚に制止された。


「除霊は明日の夜に決行だ。どうせ、お前は今日にでも除霊をするつもりだったのだろう? それは上司として許せないことだ。もし一人で除霊するというのならこの資料は渡せない。分かっているな?」


「何をおっしゃいますか……! これは私の仕事です。病沢には二日以内——今日の夜までに助けにいくという話をしています。明日では彼が助からない可能性がある!!」


 羽宮はグッと力をいれてファイルを引っ張った。

 しかし、豚は決して離そうとしない。

 脂ぎった指が固く資料を掴んでいる。


「くどいぞ!! 俺に逆らうのか。羽宮? この業界では上下関係が絶対だと分かっているだろう? 何なら今ここでお前を逮捕して拘束してやってもいいんだぞ? その権利を俺は持っている」


「……」


 羽宮は目の前にいる豚を睨みつけた。


「いいか……明日だ。明日の深夜に決行する。確実性を考慮してな」


 ファイルを掴む手の力を緩め、何もないテーブルの上に視線を落とした。


「……分かりましたから……資料を私に……」


 一瞬目を落としたテーブルの上から顔を上げた時、ニヤニヤとしながら自分を見る豚がいた。


「そうか。分かればいいんだ。分かれば。それはそうと羽宮くんも何か飲まないか? ここのドリンクバーは種類が豊富なんだ。君も飲んだらいい」


 ズルルルという水分を啜る音が対面から聞こえた。


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