第14話.霊媒師①
慌ただしい昼時を過ぎた時間帯、某所にあるファミリーレストランは昼時のピークを終えた。
昼食を目的に訪れた客のほとんどは食事を終えて退席。
今、席を埋めているのは遅めの昼食を食べようと来店したお客と、談笑を楽しんでいるご近所の奥様方ぐらいだ。
店の中には食べ物の匂いが充満し、テーブルの上には下げ終わるのを待つばかりのコップや皿が重ねられている。
時折、店員が料理を運ぶ姿が見え、席からはカチャカチャというナイフやフォークの音が聞こえてくる。
ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン
店の奥の席で、
彼が苛立っている理由は実に複合的なもので、そのどれもが彼の神経を逆撫でるばかりである。
車を走らせて東京から数時間、待ち合わせ場所であるファミリーレストランに来たのはいい。
問題なのは、呼び出した張本人であるはずの羽宮が約束の時間になってもやってこないということだ。
人を呼びつけておいて――あまつさえ直属の上司である自分の仕事を増やしておいての無礼。イラつかない方が無理な話だった。
空っぽになった胃が食べ物を早く寄越せと声高に叫んでいる。
注文は先ほど済ませてある。
だが、いつになっても料理が運ばれてこない。
憤り交じりの溜息をつきながら、金満はテーブルの上の呼び出しベルのボタンを何度も押した。
「いかがなされましたか? お客さ——」
給仕をしていた従業員の女性が血相を変えて、男の元へといそいそ駆け寄ってくる。
「『いかが』だと? お前馬鹿なのか? そんなことでよく仕事が勤まるもんだ。こっちはさっきから呼び出しているのに、なんですぐに来ないんだよ?!」
先ほどまで和やかな雰囲気はなくなり、店内に緊張が走った。
何事かと近くの席に座っていた数人の客の視線を集める中、金満は店員に罵声を浴びせる。
「も、申し訳ありません」
これ見よがしに金満は溜息をついてみせた。
その大きな溜息は女性従業員の言葉を遮り、身を硬くさせる。
金満は自分のことを恰幅の良い紳士だと自負していた。
確かに昔に比べれば、筋肉は衰え、脂肪は増えただろう。
しかし、着用しているスーツは誰もが一度は聞いたことがあるような高級ブランドで、腕時計に至っては数百万円のものを身に付けている。
職場での地位も高い。
この地域一帯を統括する立場にある管理職。それが国家公務員――いや、特別国家公務員ともなれば一般人とはそもそも格が違うのだ。
「あー……そういのいいから。早くしろよ!」
テーブルを決して弱くない力でドンッと叩いた。
コップに入った水が揺れ、備え付けのカトラリーが金属の音色を奏でる。
「えっ……あのご用件は……」
消え入りそうな声で女性が口を開く。
「もっとハッキリ喋れ。お前、口ついてんのかよ? ちゃんと聞けばいいだろ? 『ご用件は何ですか?』ってよ」
従業員はビクッと肩を震わせた。
「た、大変申し訳ございません。ご用件は何でしょうか?」
「あ゛ー、もういよ。言われたことだけやればいいって思ってるんでしょ? もういいから、早く料理を持って来いよ!! こっちはずっと待ってんだよ」
女性従業員は「はい」とだけ頭を下げると、そそくさとその場を後にした。
近くのテーブルでこちらの様子をチラチラと見ていた他の客にガンを飛ばす。慌てて、目を背けるのを確認すると、これ見よがしに悪態をつく。
「……これだから安い店は嫌なんだ」
時給でもらうだけの単純労働者。
それも支給された制服を身に纏うことしかできない下賤な人間。
自分を苛立たせることしかできない無能な連中。
金満郁夫は去っていくパートの女性の背中を睨みつけながら舌打ちをする。
いつもならホテルでランチをするのが習慣なのだが、地方にはまともな店がない。
自分の格にはふさわしくないレストランやホテルばかりで、おおよそ食事と呼べる品物を提供していない。
といって、近場には洒落たレストランもなければミシュランの星がつくような普通の店もないため、仕方なく、高価格高品質路線を貫くファミレスのチェーン店とやらに来たのだが——ガッカリだ。
店の中にいるのは貧乏人ばかりであり、視界に入れるのも不快な連中ばかりだった。
腹立たしい気持ちを呑み込むように、コップに入った水を一気に飲み干す。
喉が癒えたことで多少は気持ちが収まった。
卓上メニュースタンドに置かれた料理の写真付きのメニュー表に目をやる。
そこには看板メニューであるステーキである。
メインであるステーキの価格はおおよそ5000円。メニューに載っていた写真は口に入れても問題なさそうな見た目をしている肉だった。これで肉が冷めていたり、ボソボソとした肉がサーブされたのなら今度こそ、調理係を呼んで怒鳴りつけてやる。
「羽宮の奴……!! わざわざ俺が出向いてやったのに連絡の一つも入れないとはどういう訳だ?!」
金満は唇から歯茎を剥き出しにし、黄ばんだ歯を見せる。
こんな辺鄙な僻地にわざわざ金満が来たのは——自分の部下である羽宮に分からせてやるためである。
金満は刑事部捜査第0課に所属する刑事である。
本来、警察組織における刑事部には凶悪犯罪や知能犯を相手に捜査を行う第1課から第4課までが——総務課や鑑識課等は除く——公式に存在している。
第1課は殺人や強盗、放火といった凶悪犯罪。
第2課は詐欺や汚職、横領。
第3課は空き巣や引ったくりといった窃盗犯を扱う。
第4課は——現在では組織犯罪対策部になってしまったが——暴力団絡みの事件を担当する。
各課が公共の安全と秩序の維持に当たっている。
だが、刑事部の捜査課には非公式の部署が存在する。
刑事部捜査第0課。
公式には存在しない非公式の部署。
その名の通り、存在しないもの——ゼロの名を冠する部署である。
第0課の捜査対象は心霊現象および霊障である。すなわち幽霊や妖怪、神、妖精といった世間からは存在しないオカルトを相手に捜査を行う。
例えば、凄惨な事故や事件による霊の発生。
死後に魂だけになった霊魂が生きた人間を羨み、やがて妬むようになった時、それらは人間に害を為す悪霊となる。そういった悪霊を捜査、刑を執行するのが0課の仕事である。当然、その手の仕事をするのは、いわゆる霊感を持った特別な人間だけであり、金満もまた例に漏れず、特別な才能を持っている。
金満はベテランであった。
警官として働く中、第0課の人間から才能を認められ引き抜かれた。
数々の現場で除霊を行い、今はこうして管理職の地位へと登りつめた――。
今は各地に派遣された部下の仕事を管理、統括するのがメインの課業となる。
金満の部下はおよそ2種類に分けられる。
まずは非正規労働者。
昔はそんなこともなかったのだが、人口減少および凶悪犯罪が減少しつつあった日本では霊障そのものの発生が減った。さらに景気の悪化と財源の不足が加わり、否応なしに第0課もその煽りを受け予算も削減。必要な時だけ、必要な数だけ雇う、成果報酬を導入することで予算の削減を図った。
また、科学的な常識から乖離したオカルトを相手に仕事をするという性質上、秘匿性が求められたことも理由の一つだ。
フリーランスとしてタクシーの運転手や日雇いの土木作業員、清掃業者といった職に就くことで、違和感なく現場に溶け込むことができる。特にタクシー運転手には霊媒師が多い。
次に正規労働者——これには自分も含まれる。
おもに、市役所の環境課に勤める者や病院や葬儀場といった霊が発生しやすい場所で働いている者や、自分のように不審死が起きた時に事件を担当するような刑事などが該当する。
そして羽宮は前者に属する霊媒師——なのだが、彼は立場は少々特殊だ。
というよいりも、彼は元々は名家の出身であり、元から高い霊感を有していた。
慢性的な人員不足に悩まされる第0課においては、非常に有用な人材であったと聞く。本来ならフリーランスとしてではなく、それこそ刑事部に抜擢されてもおかしくないような——いわばサラブレッドである。
だが、彼はエリートへの道を選ばず、自ら現場での仕事を選んだ。
それが気に食わない。
才能もある。
チャンスもある。
予め敷かれたレールに沿うだけ上にいける。
なのに羽宮はそれを選ばなかった。
なぜだ?
自分にはそれが分からなかった。
血の滲むような努力で今の地位を手にした金満にしてみれば、羽宮は理解できない存在だった。
自分が欲して止まないものを、まるで不要とばかりにあっさりと捨て去った。
出世のために人生を捧げてきた自分にとって、それは冒涜的にすら感じられた。
気楽にできるような簡単な仕事ではない。
やるならばそれなりの対価があって当然だ。なのに――。
何より気に食わないのは羽宮の態度だ。
何か事件があれば独断先行。
ろくに捜査状況も報告もせずに事件の解決に当たろうとする。
本来の規則では、霊障の元となる霊の除霊を行う前には上司である金満に報告書を提出する必要がある。報告書を読み、除霊が必要と思われた場合のみ許可をすることで、初めてフリーランスで働く霊能者たちは除霊を行うことができる。
しかし、この羽宮という男に限って言えば、そういった規則を一切無視して除霊を行おうとする常習犯である。
あの男の名前を聞くと、いつも金満は鼻息が荒くなる。
「お前は霊法の条文を一度目も読んだことがあるのかッ!! 今度、霊法を犯してみろ!! お前を二度とこの業界で働けなくしてやるぞ!!」
ある時、ルールを破った羽宮をそう脅したこともあった。
霊法とは、日本国内において罪を起こした霊魂とその他を対象にした法律である。刑法が国内で犯罪を行為をした人間が相手ならば、霊法は霊や悪霊、妖怪、神仏を対象にした法律である。
罪を犯した魂の処遇は検察が決め、それから刑を執行する——というのが基本的な仕事の流れである。
その流れを無視して独断で刑を執行。つまり私刑を行ってるいるのが羽宮という男なのだ。
もちろん金満も羽宮を何度も咎めはした。しかし——
「正当防衛です。問題ありません」
悪びれる様子もなくそう主張する。
刑法36条第1項。
——急迫不正の侵害に対して、自己または他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は罰しない。
一般的には正当防衛について規定された条文である。
羽宮は正当防衛を主張することで、規定を無視を正当化したのである。
「悪霊に襲われ、自分を守るためにやむを得ず除霊した」と主張。仕事の性質上、自分の身体と魂に危害が加えられるのは避けられず、この業界ではそういった事態に遭遇することもままあることは分かる。
しかし、毎度のように検察無視の除霊を行うのは、誰がどうみても故意にやっているとしか見えない。
上にあの男を首にするよう打診したが、人員不足を理由に上は首を縦には振らなかった。
人員不足であるから首を斬られずに済んでいるものの、その負の影響は強い。
上司である金満の評価は相当に低くなっている。内部査定は一個人である金満には分からないものの、同格の管理職と比べると賞与には明らかに違いが見られることから、悪い影響が出ていることは絶対だ。
それが忌々しい。
地位の高いものが発した命令に地位の低いものが従う。
年長者の命令に若者が従う。
一方的な関係であり絶対である。
にも関わらず、アイツは除霊を強行。
挙句、金満は尻ぬぐいさせられてきた。
クズのせいで自分が損をしているのだ。
今まで自分が積み上げてきたものをぶち壊され、才能を鼻にかけて調子に乗っている——。
自分の苛立ちを誤魔化すように、金満はフンっと鼻で笑う。
(今日こそ一泡吹かせてやる……。あの野郎の顔面に一発お見舞いしてやる……!!)
そんな羽宮から連絡があったのは昨日のことである。
指定した地域における過去に起きた事件事故、死亡者の記録が欲しい——という要求があった。公式の書類や記録は閲覧するための権限は管理職にあたる金満にしかない。部下である羽宮はデータベースにアクセスすることができないため、情報が必要な場合、羽宮は上司である金満に頼らざるを得ないのだ。
部下に書類を届け、そのついでに一殴りしてやるという目的でここまでやってきたのだが——
(しかし、あの羽宮がわざわざ俺に連絡してくるとは——それほどデカい山なのか?)
そもそも自分で解決することができるのなら羽宮はいつものように独断で除霊を行ったはずだ。
事後報告でなく、仕事に必要な情報をよこせと言ってくるのだから、それだけ難易度の高い仕事とということになる。
いつもの羽宮ならそういった情報を手に入れるために金満に頭を下げたりしない。金満に頼るくらいなら、多少除霊の難易度が上がったとしても向こうは構わずに仕事をすると決断するだろう。
にも関わず、あの男がわざわざ自分に連絡をしてきたのは、除霊に必要不可欠な情報であるからに他ならないからだ。
「……なるほどな」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、金満は満面の笑みを浮かべる。
基本的に部内での評価は実績次第である。
具体的には、除霊の難易度が高ければ高いほど、事件の解決件数が多ければ多いほど評価は上がる。癪な話ではあるが羽宮の除霊の腕は、他の霊能者より頭一つ抜き出ている。人員不足であっても本来なら首を斬るべき羽宮が今も在籍しているのはその腕も買われてのことだろう。
その羽宮であっても躊躇するような仕事。
解決すれば相当な実績になるのでは——。
金満は鼻の穴を大きくした。
(普段は俺がばかりが損をしているのだ。ならば、ここは一つアイツには借りを返さしてもらわないとな……)
難易度の高い仕事であることは間違いない。
危険な役回りは腕の立つ除霊士に任せ、手柄は自分のものにすれば余計なリスクも背負わずに済む。
——部下である羽宮から連絡を受けた自分が、力を尽くして危険な霊の除霊を行った。
そんなカバーストーリーを上に申告すれば自分の評価は鰻登りこと間違いないだろう。実績は確実に内部査定にプラスに働く。そうすれば一度は諦めかけた昇進も視野に入るかもしれない。昇進までいかなくとも賞与は確実にアップすることは確実。
やらない理由はない。
普段から迷惑をかけられているのだ。
手柄を独り占めするのは上の人間である金満には当然の権利である。そもそもこんな地位に自分がいるのは相応しくない。自分に座るべきは上の人間が座る、あの黒い椅子だ。
「そうだ……。まだ資料には目を通していなかったな」
羽宮から頼まれた資料はこうして都内から車で持ってきた。
それは自分の鞄の中に入ってる。メールで羽宮に送っても良かったのだが、そうしないのは羽宮に会う口実作りのためだ。「機密情報であるため直接渡す」とでも言っておけば、さすがの羽宮も自分に顔を合わすしかなくなる。
金満は鞄から資料を取り出した。
霊が出たとされる現場近辺での死亡者リスト。
死亡者に関する公的な情報は全て記載されており、事件の捜査資料と共にプリントアウトされたものだ。
資料に目を通そうとした時、ステーキが運ばれてきた。
台車に乗せられて運ばれてきたプレートを、先ほどの女性従業員がテーブルの上に置いてくれる。
肉の焼ける臭いがした。
ジュージューと音を立て煙を上げる。
金満は資料を横に置くと、熱々のステーキを切り分けた。
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