第9話.追憶③
(どうすればいい? 俺はどう答えればいいんだ?)
病沢は——ノウマンは悩んでいた。
ソウミル大樹海の中央、大樹の内部に辿り着いたノウマンはグレイとグットナイト共に上層を目ばしていた。
二人が会話するのを後ろから眺めつつ、ノウマンは一歩引いた位置から二人の後を追うように歩く。
ノウマンの口数は少なかった。
グレイが大会への参加を誘ってきたら断ろうと思っていたのに、あの話を聞いたせいで一気に迷いが生じてしまったためだ。
つい先ほど聞いたグッドナイトの話が本当だとすると、彼と一緒にOOができるのは残り一年程度である。ナイトのことを思えば、彼と一緒に大会へ参加できるのは次が最後であり、それを逃せばもう三人一緒に戦うことはもうできなくなってしまう。
穏便に断ろうかと思っていたが事情が変わってしまった。
大樹の中央付近にある石碑の近くでグレイが足を止める。
大柄の体に隠れてしまって石碑そのものは見えない。両足で立って二足歩行になっているのを見る限り、彼は石碑を操作してイベント情報をチェックしているらしい。
「今年もイベントがあるみたいっス。詳しい情報はまだ流れてないけど、日付が変わったら更新されるんじゃないっスかね?」
グレイが呟き、ナイトがそれに反応して話す。
二人の姿をやや離れた後方からノウマンは眺めながら、溜息をつく。
ナイトにお願いされた通り、自分が大会に参加すれば二人は満足してくれるだろう。自分のことを思って正直に話してくれたことは素直に嬉しいし、参加したい気持ちはもちろん自分にもある。
しかし、現実での仕事を考えると、どうにも頷くことができなかった――。
今、こうしてナイトとグレイが楽し気に会話をしているのも来年いっぱいで最後なのだ。
「…………」
二人が会話をする様子を見ていたノウマン。
しかし次の瞬間、視界が暗転した。
(……あれ?)
いきなり何も見えなくなかった。
一旦、VRゴーグルを外した病沢はPCに繋がっているコードが抜けていないかチェックする。しかし、端子は問題なく差さっており異常はない。
もう一度、ゴーグルを被りなおす。
よくよく確認してみれば、視界は真っ黒になっているものの周囲の喧騒はそのまま聞こえてくる。どこの国の言語か分からない話し声や化け物の鳴き声、今もノウマンは大樹の中にいるのは間違いないだろう。エラーでないなら一体——
視界が晴れた。
目の前にいたのは
細長い蛇の顔にはフジツボやイソギンチャクを顔に張り付かせ、背中には頭から被るように大きな貝殻を背負っている。足はなく、イカやタコのような無数の触手で体を支える種族——。
暁色の外皮と白い吸盤。
ノウマンの体には大きなブヨブヨとしたものが絡みつき、簀巻きになっている。
さらには体が大海蛇人によって持ち上げられ、足がつかない程度に宙に持ち上げられていた。
そして自分の勘違いに気づく。
先程まで視界が真っ暗だったのは機器の故障などではなく、頭までスッポリと大海蛇人の足で巻き付かれてしまったことで目隠しされていたことに
デカい。
元から、化物の中ではサイズがトップクラスに大きい大海蛇人だが、この個体は群を抜いて大きい。サイズだけなら直立した時のグレイといい勝負だ。
長年、プレイしてきたが、ここまで大きい個体を見たのは初めてではないだろうか?
蛇の細長い首がろくろ首のように自分に向かって近づいてくる。
真正面から目を向けられ、至近距離で顔を会わることになった。
黒い両目。鱗だらけの顔には漆黒の目が二つ。
艶やかな光沢の中には簀巻きにされている自分の姿が映り込んでいる。
「あの? 降ろしてくれませんか?」
返事が帰ってこなかったもののノウマンの言葉が通じたらしい。
大海蛇人は伸ばした腕をゆっくりと地面に向かって降ろした。ただし、触手は体に撒きついたままで、簀巻きにされたままである。
「…………?」
地面に降ろされたら、そのまま拘束を解いてくれるかと思った。
しかし、一向に解放される気配がない。
いつまでも拘束されたままであり、不思議そうにノウマンはクラーケンのことを見た。
大海蛇人の余った脚。
地面でウネウネと波のように動いている。体が動いているのだから中の人はゲームから退席していないはずだ。
いつまで経っても彼だの拘束が解かれないことに痺れを切らしたノウマンは、自力で抜け出そうと試みる。しかし、吸盤が自分の体にガッチリと吸い付き、抜け出せる気がしなかった。
「おい、通報するぞ? 離せ」
大海蛇人に向かって警告。
拠点のエリア内では、他プレイヤーへの迷惑防止措置として運営に通報することができるようになっている。
迷惑行為とは連続して他の化物に危害を加えたり、故意にぶつかって嫌がらせをするといったハラスメント行為のことを指す。
迷惑行為を運営に通報。嫌がらせをしてきたプレイヤーを強制的にログイン禁止に。嫌がらせが度を過ぎていた場合——チートや談合行為含む——はアカウントそのものを停止する措置がとられる。
大海蛇人に警告することで解放されることを期待したノウマンだったが——解放してくれる気配がなかった。
「おい、本当に通報するぞ? いいのか?」
ノウマンはどうすべきか考える。
通報そのものは難しくないが手間だ。通報そのものに時間はかかるし、その通報が適正であるか運営が吟味する時間も含めれば確実に時間がかかる。それならクラーケンにお願いして解放してくれたほうが時間的なロスは少なくて済むだろう。
ただ向こうが、あまり粘着質にいつまでも拘束を続けるつもりなら、通報した方が結果的に早く解放されるということもあるかもしれないが——。
ノウマンが迷っている間に、大海蛇人から声が聞こえた。
「やー いゃー わー ゐ ぬっちゅ ゐぬっちゅ」
「ええと……なんて?」
囁くような小さな声。
自分の耳元でしか聞こえないような大海蛇人の声が聞こえた。
「がーじゅー わー ゐぬっちゅ」
英語や中国語ではない。もちろん日本語でも。
OOではタイムラグはあれど、メジャーな国の言語は自動で翻訳される。相手が英語で喋っているのならば、日本人プレイヤーであるノウマンには日本語に翻訳されて聞こえるはずだ。それがないということは、自動翻訳に対応してない言語となる。
「わー いゃー ならすん ぐてェー!」
拘束されたまま一方的にクラーケンのプレイヤーが喋っている。
盗聴防止の魔法を唱えれば、翻訳前の言語のまま聞こえたり、ノイズが走ったような言語に変換されるが、戦闘中ならまだしも拠点内で使用するのは稀だ。
相手を罵るような嘲りや嘲笑といった雰囲気もない。むしろ、ノウマンに何かを伝えようとしている気がするので、単純に相手の言語が自動翻訳に対応していないだけなのだろう。
――困ったな。
ノウマンは顔を曇らせた。
相手が純粋に嫌がらせをしてくるのなら何の躊躇いもなく通報することができただろう。だが、相手が善意で何かを伝えようとしたり、助けを求めていた場合、通報するのは正しい行いとは言えないだろう。
もしかすると、この大海蛇人はOOを始めたばかりの初心者で、勝手が分からずに困っているだけなのかもしれない。
やはり様子を見たほうが言い訳で——
「むなーぬち くわァッくわァッスン!」
「何を言っているのか分からないよ。英語で喋れない?」
何とか意思の疎通を図ろうとするが、向こうはお構いなしに話し続ける。
「いゃー むなーぬち くわァッくわァッスン めーにちゃー」
「いや、分からないって……。悪いけど、これ解いてくれない? 仲間が探してると思うから行かないと」
連れ去られた段階で、グレイとグッドナイトとははぐれてしまっていた。周囲を見回しても彼らの姿がない。元いた場所から連れ去れたことで今頃、二人は焦っているかもしれない。特にグレイは——。
ジェスチャーで自分を縛っている大海蛇人の足を解くようにお願いする。
が、頑として解放してくれない。
もう構わないとノウマンは強引に縛られた脚から抜け出そうとするが——
その時、HPの減少が始まった。原因は考えるまでもなく、目の前にいるクラーケンが自分の体を強く締め付けているせいだ。
流石に焦りが出始める。ここで死んでしまったらリスポーンしてから展望台に向かうまで少なくない時間がかかってしまい、結果として、仲間と会話する時間がなくなってしまう。
それは困る。
「おい! 待ってくれ!! 本当に止めてくれ!! 仲間が待っているんだ」
そうお願いするも虚しく、クラーケンから帰ってきたのは黒い墨だった。
コールタールのように漆黒でドロドロ。
付着すればどんな者でも真っ黒になる液体。
蛇の口が開いたかと思うと、スプレーのように真っ黒な液体がノウマンの顔面に吹き付けられたのだ。
「——ッ!!」
突然の事すぎて言葉を失う。
これは確実に嫌がらせだ。
相手は間違いなく悪意を持って嫌がらせをしている。
(間違いない……コイツ絶対にワザとやってやがる!! 黒だ!!)
ボキボキというノウマンの体の骨が砕ける音が聞こえ始めた。
HPの減少が早まる。
「いちむーどゥい めーにち ぐてー!!」
「おい!! 止めろ!! 離せ!!」
しかし悲しいかな。
さらなる悲劇がノウマンを襲う。
——ボッ。
それは小さな音だった。が、目の前にいたノウマンにはハッキリと聞こえた。
自分の体に向かって、大海蛇人から吐きつけられた黒い墨の表面。大海蛇人が口の中にあった牙をすり合わせて火花を発生させた。そこを起点として真っ赤な炎が立ち昇り——自分の体が炎に包まれた。
発火性の墨。
大海蛇人という種族は墨を吐くことができる。これは基本的に煙幕のように周囲にまき散らすことで敵から逃亡したり、奇襲をするために使われるものだが、一部の個体は経験を積むことで毒性を付与するものがいる。これはその発火性バージョン。
ノウマンのHPゲージが急速に減少し始めた。
「 いゃーぬち くィーぬん ぶりぶしィー」
無駄だと分かっていても抜け出そうとするが、抜け出せない。
クラーケンから墨が噴水のように吐き出される。もちろん、火が付いた墨だ。それは火炎放射としか言いようがなく、真っ赤な炎にノウマンは包まれた。
「熱い!! やめろ!! 離してくれ!!! 頼む!!! 通報するぞ!!」
クラーケンは意に介さない。
「いゃーわーぬち くィーぬん くィーぬん ぶりぶしィー」
ノウマンはもがいた。
肌が焼け、痛みに襲われてもHPが無くなる前に抜け出そうとする。
しかし、体が動かない。体を動かそうとしても全くとっていいほど力が入らないのだ。
全身が燃えていき、視界一杯に真っ赤な炎が広がる。
なおも抵抗を続けるが——火に吞まれたノウマンの視界は赤から真っ暗になった。
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