第1話.末日①
真冬の星空の下、通りを歩く男の姿があった。
息を吐けば、口から白い煙が立ち上っていく。煙は天に向かって立ち昇っていくと、やがて夜空に溶け込むように見えなくなった。
氷点下の空気を吸い込み、男は体をブルリと震わせた。
私服姿にダウンジャケットを羽織っただけの簡単な恰好は、寒さの厳しい地方ではいささか防寒不足のようだ。深夜の冷気が容赦なく男の体を蝕ばんでいく。
目的地のコンビニは自宅のアパートから徒歩数分。
少しくらいならばを問題ないだろうと甘く考えた結果がこれだ。早くも衝動的にアパートを出たことを後悔し始めていた。
地方の閑散とした光景。
アパートを出て数分、車らしい車とすれ違うことはなく、車の往来は一切なかった。歩道を歩いても病沢のように外を出歩く人の姿もない。
それもそのはずだ。
本日は12月31日——今年が終わりを迎え、まもなく新年がやってくる。
除夜の鐘を鳴らしに行く人を除けば、こんな時間帯に外出しようなどとは普通は思わず、ほとんどの人は家で大人しく過ごすと相場が決まっていた。
東京や大阪といった都会ならば盛大に新年のカウントダウンでもするのだろうが、ここは首都圏から遠く離れた地方都市の郊外。そんなイベントがあるはずもなく、みんな家の中に籠もり切りである。
まして地方都市など老人が大部分を占めるのだ。体に鞭を打ってまで外出をする老人は少ないだろう。
——そろそろ日付が変わる頃だろうか……。
病沢はポケットからスマートフォンを取り出して時間を確認しようとした。
「うげッ……上司から電話かよ」
スマフォの電源を入れた瞬間、病沢は顔を大きく歪ませた。
画面の左下、受話器のマークには電話がかかってきたことを示す数字が踊る。何かと思って着信履歴を確認してみれば、職場の上司から複数回電話がかかってきていた。
要件など見当はついている。
どうせ休日出勤の依頼である。いつものように現場で欠員が出たから、誰か穴を埋めてくれる代替人員を探しているのだろう。
病沢のいる職場では元から人員不足が問題となっていた。
しかし、一向に改善される気配がなく、現場は常にギリギリの状態で回っている。現場で働く労働者たちは、新しく人を雇うまでの辛抱だと言い聞かせられながら、労働時間の延長や休日出勤の増加、過酷な作業負荷に何とか耐えてきた。
しかし、一向に補充要員がやってくることはなかった。
原因は目に見えている。
低賃金労働。
時給が低く、キツイ仕事など求人を出しても誰もやりたがらない。まして、日本の労働人口は一昔前に比べて大きく減少した。今の日本で働ける人は働いているし、真っ当な能力を持った労働者なら、より好条件の仕事を選ぶものだ。
ならば賃金を上げれば人は来ると思うのが普通だが、それをしないのが弊社なのである。
”新しく人を雇うよりは少人数で仕事を回したほうが効率的である”
面と向かって言われたことがないものの、経営者たちがそう考えているであろうことは見当がついた。
最初は会社も新しく人を雇おうと思っていたはずだ。
しかし、人手不足であるはずの現場が以前と同じように生産性を維持しているのを知ったらどうなるだろうか?
「あれ? 新しく人を雇わなくても何とかなるんじゃね?」などと書類上の数字しか見ない経営者は考えてしまうだろう。ゆえに形だけ求人を出しておいて、このままの状態で放置しようと思っていても何らおかしくない。
結果として、勤勉に働いていたはずの労働者が自分の首を自分で絞めることになるという何とも笑えない状況が発生してしまった。
労働者の仕事や負担は増えるばかり。いつまで経っても労働環境は改善しない。
そんなギリギリの状況で誰かが突発的に体調を崩したり退職すれば、残った労働者にさらに負担が圧し掛かる——。
そして世間はお正月休み。
恐らく、そんな仕事に嫌気がさした誰かさんが退職を願い出たのだろうことは想像に難くない。急遽空いてしまったシフトの穴を埋めるべく病沢に電話がかかってきた……ここまでは読めた。
「見なければよかった」と病沢はポケットにスマホを仕舞い込み、深い溜息をつく。
「ハア……。それどころじゃないってのに……」
真冬の空の空気は非常に澄んでいる。
視線を上に向ければ曇一つない夜空で星が輝いていた。
もっとも今の病沢には風景を楽しむ余裕など残っていない。
こんな夜更けにコンビニに行く理由。
建前としての理由は、コンビニでカップ麺を買うためである。
元来、初詣や除夜の鐘といった伝統や風習は好きになれず、病沢自身、大っぴらに公言しないものの、あんなことをして何が楽しいのかさっぱり分からなかった。それなら友人と暖かい室内でゲームを続けていた方が楽しいし、充実した時間を送れるだろう。
だが、年越しにそばに関しては別である。
あれを食べないことには新年はやってこない。日を跨いだとしても蕎麦を食べないと新年がやってこないという気がした。ある種の義務感が病沢をコンビニへと駆り立てたのである。
もっとも蕎麦といっても、わざわざ自分で茹でるような本格的な生麺を食べに行くのではない。
スーパーやコンビニで売っているような普通のカップ麺を買いに行くのだ。
確かに、蕎麦屋で食べる蕎麦は美味しいが、値が張るうえに購入できる場所も限られている。何より、貧しい暮らしを営む自分にとって、本格的な蕎麦をおいそれと口にすることは財布事情が許さない。食費は月に2万円まで。それが自分で決めたルールである。貧乏性な自分にとって、あらゆる商品が割高なコンビニに行くのは非常に贅沢なものだ。
価格と食欲を天秤にかけ、妥協した結果がカップ麺の蕎麦なのである。
友人に別れを告げ、オンラインゲームからログアウト。ボロアパートから外に出た。ジャケットを羽織り、ポケットに財布とアパートの鍵を突っ込んで飛び出すようにコンビニへと向かったのは、つい先ほどのことだ。
ただし本当の理由——本音は別の所にある。
実際のところ、逃げるようにゲームからログアウトしたのは、仲間から距離をおいて考えるための時間が欲しかったからに他ならない。
「……参加するって言っちゃったよ。今さら断るって訳にはいかないよなあ」
病沢は寒さに身を震わせながら誰もいない夜道を歩いた。
街灯は点いていたり点いていなかったりとまばらで通り過ぎる民家は真っ暗だ。ゴミ収集所にはゴミが山積み。休耕田には割れたソーラーパネルが放置されている。来るはずのないバスを待つ停留所の案内表示板は錆びだらけで、車道には車に跳ねられた動物の死体が凍りついている。
カーブミラーには、見るからにみすぼらしい姿をした男が映っていた。
星明かりを頼りに、病沢はコンビニを目指す。
ほんの数分前の出来事を思い出しながら——。
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