76話

 やっとの思いで王都の屋敷へと戻ってきた翌日。


 執務机へ腰を下ろしたアルギスは、腕を組みながら、久々の自室を感慨深げに見回していた。



(……にしても、少し見ない間に随分と溜まったものだ)



 不意にアルギスが目を落とした机の上には、手紙の収められた木箱が整然と並べられている。


 また、机の中央に置かれた木箱の脇には、返信した相手の目録とその内容の写しと思われる紙が山のように積まれていた。



(ん?これは……) 

 


 机を覆う手紙と紙の束にげんなりとしつつも、アルギスは木箱の中から、唯一開封されていない封筒を手に取る。


 そして、表書きを確認したアルギスが封筒を裏返すと、裏面には、1ヶ月以上も前の日付と共にオーバル商店の名が記されていた。

 


(どうやら、目的の物は手に入ったようだな)



 手紙の内容に当たりをつけたアルギスは、手早く封を切って、取り出した便箋をパラリと開く。


 金の縁取りがされた艶のある便箋には、納品された魔道具の目録が流麗な文字で記載されていた。



「ふむ……」

 


 便箋を封筒へ仕舞い直すと、アルギスは持ち替えるように、端に置いていたベルを取り上げる。

 

 程なく、甲高いベルの音が部屋中に響く中。


 奥の部屋へ控えていた使用人が、扉を開けて、足早にアルギスの下へ近づいてきた。



「如何されましたでしょうか?」



「魔道具は、どこに置いてある?」



 机の端にベルを置き直したアルギスは、薄笑いを浮かべながら、脇へ控える使用人に顔を向ける。


 なにやら上機嫌なアルギスに安堵の息をつくと、使用人は微笑み湛えながら、背筋を伸ばした。


 

「宝物庫に保管してございます」 


 

「オーバルへの支払いは済んでいるだろうな?」



 期待通りの返事に一層口元を緩めつつも、アルギスは思い出したように使用人へ釘を刺す。


 腕組みをしながら返事を待つアルギスに対し、使用人は笑みを崩すことなく、深々と腰を折り曲げた。


 

「はい。そちらも、ご言いつけの通りに」


 

「よし。下がれ」



 満足げに口角を上げると、アルギスは組んでいた腕を下ろして、使用人に手を払う。



「失礼致します」 


 

 ゆっくりと顔を上げた使用人は、くるりと踵を返して、奥の部屋へと戻っていった。



(これで、ダンジョンの攻略もだいぶ楽になる)



 パタリと閉められる扉をよそに、アルギスはいそいそと木箱を机の端へ寄せる。

 

 しかし、続けざまにアルギスが目録と手紙の写しを寄せようとした時。


 崩れた山の下から、びっしりと文字の詰め込まれた書類の束が姿を現した。



(なんだ、この書類の束は……?)



 身の覚えのない書類を、アルギスは首を傾げながら、躊躇いがちに取り上げる。


 そして、背もたれに寄り掛かると、じっと書かれている内容を確かめ始めた。


 

(これは……未承認の決済報告書に、屋敷の会計帳簿まであるな)


 

 背後へチラつくソウェイルドの影にアルギスがげんなりとした表情を浮かべる中。


 立ち去ったはずの使用人が、再び執務机の側へと控え直した。



「失礼致します」



「なにか、あったのか?」


 

 机の脇で頭を下げる使用人に、アルギスは書類の束を机に放って、訝しげな表情で問いかける。


 一方、刺すような視線に身を固くした使用人は、唾を飲み込んで、おずおずと顔を上げた。


 

「レイチェル・ハートレス様がお見えとのことでございます」



「……用件は?」



 想定外の報告に目頭を押さえると、アルギスはため息交じりに質問を重ねる。


 ありありと疲労感を滲ませるアルギスに対し、使用人は顔色を伺いながら、遠慮がちに口を開いた。


 

「それが、マリーにお会いしたいと……」 


 

「私が向かおう」



 使用人が話し切るのも待たず、アルギスは肘掛けへ手をついて、早々に椅子から立ち上がる。


 気忙しく出口を見やるアルギスに戸惑いつつも、使用人は慌てて後ろへ引き下がった。

 


(さて、どうしたものか……) 



 静かに腰を折る使用人を尻目に、アルギスは衣服の乱れを整えながら、執務机を離れていく。


 それから暫くして、脇に控える使用人の引き開けた扉を抜けると、難しい顔でレイチェルの待つ応接室へ向かっていった。


 

 



 急き込むように自室を出て数十分。


 応接室へとやってきたアルギスは、チラリと時間を確認して、レイチェルの下へと足を進めた。


 

「待たせたようだな」 

 


「あら?貴方も来てくれたの?」

 


 思いがけないアルギスの登場に、レイチェルはティーカップとソーサーを持ったまま、小首を傾げる。



「来たのは私だけだ。昨日の今日で、マリーに何の用がある?」 


 

 不思議そうな表情でレイチェルがマリーの姿を探す中、アルギスは首を横に振りながら、向かいの席へ腰を下ろした。



「休みが明けたら、また昼食へ誘おうと思っていたのだけれど……」 



 そっとカップとソーサーを机に置いたレイチェルは、目を伏せながら、尻すぼみに声を小さくする。


 口を噤んだレイチェルが背中を丸くする一方、アルギスは飄々と足を組みながら、紅茶を注ぐ使用人を横目に見やった。


 

「残念ながら、奴は暫く戻らない。休暇を与えてしまったからな」

 


「休暇?」



 どこか得意げな口ぶりに眉根を寄せつつも、レイチェルは上体を倒すアルギスに、小さな声で聞き返す。


 訝しげな視線を送るレイチェルに鼻を鳴らすと、アルギスは皮肉げな笑みを浮かべながら、カップの乗ったソーサーを持ち上げた。


 

「ああ。3ヶ月近くも働き通しだったんだ。多少の労いは、あってもいいだろう」



「いつ頃、戻るの?」


 

 感慨深げに呟くアルギスに対し、レイチェルは落ち着かない様子で言葉を続ける。


 しかし、カップの持ち手に指をかけたアルギスは、素知らぬ顔で肩を竦めた。



「さあな。まあ、10日もすれば戻るはずだ」


 

「……そう」 


 

 気のない返事にムッとした表情を浮かべると、レイチェルは紅茶へ口をつけるアルギスから、プイと顔を逸らす。


 不貞腐れた態度で黙り込むレイチェルに、アルギスはカップをソーサーに置き直しながら、首をひねった。



「……どうした?」



「いえ、随分お優しくなったと、そう思っただけよ」

 


 気楽な口調で尋ねかけるアルギスに顔を向け直すと、レイチェルは貼り付けたような笑みを見せる。


 棘のある口ぶりに嫌な予感を感じながらも、アルギスは組んでいた足を下ろして、レイチェルに顔を近づけた。


 

「何が、言いたい?」


 

「私も、結構頑張っていたのだけれど?」



 アルギスが口を閉じるが早いか、レイチェルは唇を尖らせながら、被せ気味に声を上げる。


 不機嫌なレイチェルの言葉を最後に、2人の間には気まずい沈黙が広がった。

 

「……わかった、お前にも何か贈ろう」



 しばしの後、ソーサーをテーブルへ置いたアルギスは、諦めたように頷いて、背もたれへ寄りかかる。


 そして、肘掛けに頬杖をつくと、険しい表情で目線を彷徨わせ始めた。

 


「何がいい、宝飾品か?それとも衣装か?」



「それよりも、貴方のお時間を頂きたいわ」 



 1人考えあぐねるアルギスへ、レイチェルは身を乗り出しながら、明るい声をかける。


 しかし、レイチェルへ目線を落としたアルギスは、予想外の返答に眉間の皺を深めた。



「具体的には?」



「学院が始まる前に、一度お食事へ行きましょう?」



 訝しむアルギスが声のトーンを落とす一方で、レイチェルはどこ吹く風とばかりに、笑顔で尋ね返す。


 あっけらかんとした返事に、アルギスは頬杖を下ろしながら、再び目を泳がせた。



「構わんが、そんなことでいいのか?」



「ええ。少し、相談したいことがあるの」 



 迷うことなく頷きを返したレイチェルは、膝に手を置いて、アルギスの顔を覗き込む。


 まじまじと見つめるレイチェルから目を逸らすと、アルギスは噛みしめるように首を振った。



「……お前がいいなら、それでいい」



「ふふ、ありがとう」 



 渋々といった様子で了承するアルギスに、レイチェルは満面の笑みでソーサーを取り上げる。


 すっかり機嫌を直したレイチェルが紅茶で喉を潤す傍ら。


 視線を上向けたアルギスは、口元へ手を添えながら、今後の予定に思考を巡らせた。



「では、明後日の昼頃、そちらへ向かおう」 



「まぁ!貴方の方から、来てくれるの?」



 願ってもない提案に目を見開くと、レイチェルは嬉しげに頬を赤らめる。

 


「……私でも、その程度の気遣いは出来る」


 

 わざとらしく驚いて見せるレイチェルに、アルギスは腕を組みながら、口をへの字に曲げた。



「ふふふ。それでは、明後日を楽しみにしておりますわ」



 おっとりと席を立ち上がったレイチェルは、目を伏せながら、恭しく淑女の礼をとる。


 そして、そのままレイチェルが出口へ歩きだすと、アルギスは脇へ控えていた使用人へ顔を向けた。


 

「……見送りの前に、ハートレス卿への贈答品を持たせろ」



「かしこまりました」



 低い声で指示を出すアルギスに対し、使用人は頭を下げて、レイチェルの後を追い掛けていく。


 程なく、縦に並んだ2人は、二、三言葉を交わして、応接室を出ていった。


 

「早いうちに、会計書類を見てしまう必要があるな……」



 人の居なくなった応接室に静寂が満ちる中、アルギスはぐったりと項垂れながら呟きを漏らす。


 しかし、ややあって大きく息を吐き出すと、気持ちを切り替えるように、勢いよく席から立ち上がるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る