75話

 頂点で止まったまま動くことのない偽りの陽光の下。


 王都近郊のダンジョン――緑の迷宮では、ルカたち”4人”が巨大なトロールと激闘を繰り広げていた。



「グゥゥゥゥ!」



 ザラザラとした体表に血を滴らせたトロールは、唸りを上げて、盾を構えるシモンへと襲いかかる。


 のしかかるような突進を受け止めつつも、シモンは背後へ感じた熱気に、慌ててその場から飛び退いた。


 

「っ!待て、レベッカ!」



「いいえ、待たない!――焦熱炎舞!」



 制止の声をよそにレベッカが呪文を唱えきった直後。


 再びシモンへ襲いかかろうとしていたトロールの周囲には、無数の細かな炎が渦を巻いて立ち昇る。


 

 瞬く間に舞い上がった炎の渦は、のたうち回るトロールだけを囲い込み、勢いを増し始めた。


 

――オオォ……――


 

 身を焦がす火の粉から逃げようと、トロールは太い腕で地面を殴るように掘り進める。


 しかし、トロールの抵抗も虚しく、炎の渦は轟々と音を立てて、身を焦がしていった。



「どうよ!」



 やがて、炎の渦が消え去ると、レベッカは煙を上げて崩れ落ちるトロールに、満面の笑みで拳を握りしめる。


 様子を伺っていた2人から歓声が上がる一方、シモンは眉を顰めながらレベッカへと近づいていった。



「……少しくらい、周りを見たらどうだ?」



「なによ!倒したんだから、いいじゃない!」


 

 焼け焦げた大地を見やるシモンに対し、レベッカはトロールの死体を指さして、声を張り上げる。


 しかし、ぐるりと辺りを見回したシモンは、腕を組みながら、仏頂面でレベッカを見下ろした。



「もし、倒せていなければ皆を危険に晒していたんだ。……次は、勝手に作戦を変えるな」



 説教じみた言葉を最後にシモンがトロールへと向かっていく中。


 しゅんと肩を落としたレベッカは、いじけた表情で、後ろを振り返った。



「……シモンは、いつもそればっかり」 



「随分、気合が入っているね。レベッカ」



 相変わらずの2人に苦笑いを浮かべつつも、ルカは不機嫌そうに俯くレベッカへ明るい声をかける。


 気楽な態度で隣へ並ぶルカに対し、レベッカは持っていた杖を握りしめながら、小刻みに体を震わせだした。


 

「当たり前よ!試験の借りは倍にして返してやるんだから……!」



「あはは、エンドワース君のことだね」



 たちまち勢いを取り戻したレベッカの宣言に笑みを零すと、ルカは安堵の表情で言葉を返す。


 一方、コクリと小さく頷いたレベッカは、杖を握りしめる力を緩めて、再び地面を見下ろした。


 

「ええ……認めたくないけど、アイツは強いわ。この前だって……ムギィ!」



「そっか。そんなに、強いんだ……」



 ギリギリと奥歯を噛み締めるレベッカを尻目に、ルカは口元を緩めながら腰元の聖剣に手をかける。


 どこか楽しげな呟きに顔を跳ね上げると、レベッカは目つきを鋭くして、ルカへ詰め寄った。

 


「な・ん・で、嬉しそうなのよ!」



「いやいや、別に嬉しくなんてないよ」


 

 唐突な大声に身を竦めながらも、ルカは肩を怒らせるレベッカへ、誤魔化すように手を振り返す。


 しかし、なおも微笑みを湛えるルカを見たレベッカは、不貞腐れた表情でツンと顔を背けた。


 

「ニヤケ顔で言っても説得力ないわよ」



「……ねぇ、レベッカ」



 面白くなさそうに頬を膨らませるレベッカに対し、ルカは姿勢を正して、神妙な面持ちで口を開く。


 一転して重々しい声を上げるルカにギョッとすると、レベッカはたじろぎながら後ずさった。


 

「な、なによ。急に改まって」



「次の試験さ、エンドワース君と戦うのは僕に譲ってほしいんだ」



 キョロキョロと周囲を確認したルカは、落ち着かない様子のレベッカに囁きかける。


 しかし、ルカが頭を下げようする前に、レベッカは杖を抱きしめながら、幾度も大きく首を振った。


 

「ダメ、ダメダメ!絶対だめ!」



「代わりに次の遠征先をレベッカが決めていいから。ほら、シモンも僕が説得するし」



 頼みを一蹴するレベッカの手を取ると、ルカは目線を彷徨わせながら、矢継ぎ早に言い募る。


 しかし、ルカの背中越しに奥を見据えたレベッカは、うんざりとした表情で下顎を突き出した。



「……じゃあ、”聖女様”も、説得してくれるんでしょうね」



「それは、まあ……」


 

 ありありと不満を露にするレベッカに対し、ルカが頬を掻きながら言い淀む中。


 2人の側へ純白のローブを纏う少女が、ゆっくりと近づいてきた。


 

「如何されましたか?」



「……噂をすれば」



 奥から澄んだ声が響くと同時、レベッカはぼやきを漏らしながら、そそくさとルカへ背を向ける。


 一方、素早く背後を振り返ったルカは、不思議そうな顔で見つめる少女に、あたふたと腰を屈めた。


 

「ううん、何でも無いよ。聖女様」



「ぜひ、ソフィアと、お呼び頂ければ」



 必死で笑顔を取り繕うルカに対し、ソフィアは身を寄せながら柔らかい笑みを浮かべる。


 背中へ感じる圧に頬を引き攣らせつつも、ルカはそっと手を取るソフィアへ困ったように笑い返した。



「あ、あぁ、そうだったね。……ソフィア」 



「はい、ふふふ」 


 

「……ケッ」



 2人のやり取りにレベッカが顔を顰めながら側を離れる一方。


 盾を背中へ担いだシモンが、大振りな魔石を握りしめながら、入れ替わるように2人の下へと近づいてきた。


 

「魔石が回収できた。……だが、他の素材は全滅だ」



「ははは……じゃ、そろそろ行こうか」 



 悲しげに魔石だけを差し出すシモンに対し、ルカは助かったとばかりにソフィアから遠ざかる。


 程なく、トロールの死体を眺めていたレベッカが戻ってくると、4人は揃ってダンジョンの出口へと向かっていくのだった。

 




 日は進み、休暇の終わりも間近に迫った頃。


 数多の護衛に囲まれたエンドワース家の馬車は、既に街道へ入り、王都を目指して歩みを進めていた。

 


(やっと、戻って来られたか……)


 

 王都の防壁を見据えたアルギスは、寝息を立てるブラッドの隣で、しみじみと感慨にふける。


 一方、窓際へ寄りかかる2人の向かいの席では、身を寄せ合ったレイチェルとマリーが、楽しげに話し声を響かせていた。



「それで、その時からずっと――」 



「えぇ!それでは――」 



 無言で外を眺めるアルギスをよそに、2人は絶え間なく言葉を重ねる。

 


(しかし、これで休暇が終わりとは……どうしてこうなった)



 和やかな車内に反してアルギスがため息と共に項垂れる中。


 マリーの話に耳を傾けていたレイチェルは、目を丸くしながら、アルギスをチラリと見やった。


 

「じゃあ、貴女の方も忙しかったの?」



「い、いえ、少し移動が多かっただけで……」 



 フルフルと首を横に振りつつも、マリーは苦笑いを浮かべながら、顔を伏せる。


 そのままマリーが黙り込む傍ら、レイチェルは肩を落としながら口を開いた。


 

「羨ましいわ。私は楽しみにしていた公都にも行けなかったもの」



「……それ程、公都へ興味があったのか?」



 憂いを帯びたレイチェルの嘆きに片眉を上げると、アルギスは思わず2人の会話へ口を挟む。


 無言で外を眺めていたアルギスの問いかけに、レイチェルは表情を曇らせながら、正面を向き直った。



「……ええ。貴方のお母様にも、ご挨拶を差し上げられると思っていたから」



「母上はいつも公都にいるんだ。そんなもの、次の休暇でも出来るだろう」 


 

 じっと返事を待っていたアルギスは、か細い声を上げるレイチェルに、訝しげな表情で首を傾げる。


 にべもない返答に唇を引き結ぶと、レイチェルは顔を伏せながら、組み合わせた両手へ目を落とした。


 

「そうだけれど……」



「それに、私は学院を出れば公都へ戻る。お前も、嫌というほど会えるはずだ」



 未だ納得がいかない様子のレイチェルに対し、アルギスは確信めいた口調で話を続ける。


 しばし2人の間に沈黙が満ちる中、レイチェルは目線を上げて、恐る恐るアルギスの顔を覗きこんだ。



「それは、ついて行っても、いいということ……?」 



「なんだ、来ないのか?」



 躊躇いがちな質問に目を瞬かせると、アルギスはキョトンとした顔でレイチェルを見つめる。


 あっけらかんとした口ぶりに言葉を失いながらも、レイチェルはパッと表情を輝かせて、大きく首を横に振った。


 

「……いいえ、行くわ。絶対に」



「なら、今回の件に拘る必要はないな」



 1人意気込むレイチェルをよそに、アルギスは話を切り上げて、再び窓の外を眺めだす。


 しかし、席から身を乗り出したレイチェルは、向かいで腕を組むアルギスへ、すかさず顔を近づけた。



「そうしたら、次は貴方から話を聞きたいわ」



「……マリーから、もう聞いただろう?」



 上機嫌な声を上げるレイチェルへ目線を戻すと、アルギスはげんなりとした表情で尋ねかける。

 

 向かい合ったアルギスが眉を顰める一方。


 クスリと笑みを零したレイチェルは、隣で小さくなるマリーへ流し目を向けた。



「でも、肝心な所は話してくれないの」



「申し訳ありません……」 



 わざとらしく眉尻を下げるレイチェルに、マリーは一層身を縮こまらせながら頭を下げる。


 しかし、すぐに笑顔を取り戻すと、レイチェルは難しい顔をするアルギスに小首を傾げて見せた。


 

「ね?」



「はぁ……長いだけで、然程面白くも無いぞ?」



 大きなため息をついたアルギスは、眉間に皺を止せたまま、目頭を押さえる。


 どうにか断らせようとするアルギスに対し、レイチェルは気にした様子もなく頷き返した。


 

「それでもいいわ。屋敷へ着くまで、まだ時間があるもの」 


 

「そうか……では、何から話したものか」 



 レイチェルの楽しげな声色に背もたれから体を起こすと、アルギスは諦めたようにポツポツと語り出す。

 

 アルギスの話にレイチェルが目を細めながら耳を傾ける中。


 防壁の門扉を抜けた馬車は、ゆったりとした速度で王都を進んでいくのだった。

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