74話

 マティアスの部屋を後にした帰り道。


 手帳を小脇に抱えたアルギスは、入り組んだ地下の通路を足早に進んでいた。



(……思いの外、話し込んでしまった)



 アルギスがポケットから取り出した魔道具で時間を確認すれば、針は既に夕刻を指している。


 予定していた時間を大幅に過ぎていることに眉を顰めつつも、アルギスは無言で魔道具をポケットへ仕舞い直した。


 

(それにしても広い地下だ。上の屋敷より、幅があるんじゃないか?) 



 周囲を観察しながら1階に上がる階段へアルギスが再び足を進めようとした時。


 鉱石の明かりが照らす、道の半ばで枝分かれした通路に目が留まる。

 

 キョロキョロと辺りを見回したアルギスは、人がいないのをいいことに、幅の狭まった通路の奥へと進んでいった。



(あそこは、なんだ?)



 枝分かれした通路を歩くことしばらく。


 開けた空間へと出たアルギスの前方には、巨大なアーチ型の扉がひっそりと佇んでいる。

 

 興味を惹かれたアルギスが小部屋の前を抜けて扉を開くと、そこには空にされた棚がいくつも聳え立っていた。



「本の無い書庫、か……?」



 異様な光景に目を奪われつつも、アルギスは背の高い重厚な木製の本棚の間を練り歩く。


 しかし、一周ぐるりと室内を回っても、棚には本どころがページの1枚すら見つける事ができなかった。



「明らかに、最近持ち出されている。誰が……は考えるまでもないな」 



 薄く積もった埃を手で払ったアルギスは、諦めたように踵を返して、出口へ戻っていく。


 そして、程なく書庫を出ると、続けざまに、先ほど通り過ぎた小部屋の扉へと足を踏み入れた。


 

(ここも、見事に何も無い。どうせ、机にも――) 



 コソコソとアルギスの忍び込んだ小部屋には、やはりというべきか、小さな机とベッドを除いて何も無い。


 しかし、僅かな期待を胸にアルギスが開けた机の引き出しには、色の変わった紙の束が、ぎっしりと押し込まれていた。

 


「なに!?」


 

 初めて見つけた痕跡に、アルギスは思わず声を上げながら、慌てて紙の束を引っ張り出す。


 そのまま、急き込むように一番上の紙を裏返すと、インクの滲んだ乱雑な絵が目に飛び込んできた。


 

(……子どもの、落書きか?)



 端の折れ曲がった粗雑な紙には、片手に本を持った笑顔の男が描き込まれている。


 また、男を中心とした左右には、幾人もの子供が両手を大きく上げて並んでいた。



「ま、残っていたのも頷けるな」



 誰にともなく独りごちると、アルギスは脇に抱えていた手帳を机に置いて、紙の束を一枚一枚確認していく。


 アルギスが捲った紙の束には、絵柄こそ違えど、その全てに似たような男の絵が描かれていた。



「……そろそろ、戻るか」



 捲りきった紙の束を引き出しへ仕舞い直したアルギスは、魔道具で時間を確認して、手帳を取り上げる。


 ややあって、小部屋を後にすると、重たい足取りで、階段へと繋がる通路に戻っていった。



(はぁ……ワケのわからない事だらけだ)



 しばらくして、1階へと上がってきたアルギスが大きなため息をついた直後。


 廊下の奥から、バタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。



「なんだ……?」



「大将!ここにいたのか!」



 はたと横を振り向いたアルギスへ、ブラッドは額に汗を浮かべながら駆け寄る。


 しかし、アルギスの肩を掴もうとした手は、にべもなく跳ね除けられた。



「……こんな場所で、馴れ馴れしく私に触れようとするな」



「お、おう。わりぃ」



 不満げなアルギスの視線にたじろぐと、ブラッドは弾かれた手を擦りながら、すごすごと引き下がる。


 一方、辺りを見回していたアルギスは、妙に聞き分けの良いブラッドに首を傾げた。

 


「なんだ?今日は、いやに素直だな」 



「ああ、それどころじゃねぇんだ。助けてくれ」



 訝しげな声を上げるアルギスに、ブラッドは切羽詰まった様子で再び歩み寄る。


 不穏な物言いに眉を顰めると、アルギスは警戒を強めながら、焦りを滲ませるブラッドに詰め寄った。



「助ける?何からだ?」


 

「そりゃ――」



 声を顰めるアルギスにブラッドが説明をしようと口を開きかけた時。


 ガチャガチャと金属の擦れ合う音が、2人の耳へ聞こえてきた。 


 

「うげぇ……」


 

 苦虫を噛み潰したような顔でブラッドが身をよじらせる中。


 2人の側へ近づいてきたバルドフは、両手を脇へ揃えて、キビキビと腰を折った。


 

「お久しぶりでございます、アルギス様」


 

「おお、バルドフ。久しいな、元気にしていたか?」


 

 逃げようとするブラッドの腕を掴みつつも、アルギスは頬を緩めながら、バルドフへ明るい声を掛ける。


 晴れ晴れとした笑顔を見せるアルギスに、バルドフはゆっくりと顔上げて、微笑み返した。


 

「はい。何ら、変わりございません」



「さては、お前だな?ブラッドのいじめているのは」 

 


 大人しくなったブラッドを横目に見ると、アルギスはニヤリと片方の口角を吊り上げて尋ねかける。


 しかし、すぐに居住まいを正したバルドフは、表情を引き締めながら首を横に振った。


 

「いえ、教育的指導です」

 


「……なるほど。それはいい」 


 

 形式張ったバルドフの返答に、アルギスは物も言いようだと思いながら肩を竦める。


 一方、立ち尽くすブラッドを一瞥したバルドフは、眉間に皺を寄せて、長い息を吐き出した。

 


「……では、その者を、こちらへお引渡し下さいませんか?」


 

「ああ。だが、先に一つだけ質問がある」


 

 重々しい口調で尋ねかけるバルドフに、アルギスはピンと人差し指を立てながら切り返す。


 試すような口ぶりに身を固くしながらも、バルドフは腰を低くして、アルギスの顔を覗き込んだ。


 

「どういった、ものでしょう?」


 

「……私が満足できる程鍛えられると、自信を持って言えるか?」



 恭しい態度でバルドフが顔色を伺う中、アルギスは目をギラつかせながら質問を重ねる。


 しかし、再度ブラッドを見やったバルドフは、背筋を伸ばして、迷うことなく頷いた。

 


「はい。少なくとも、既に力任せの暴力では無くなっているものかと」



「ならば良い」


 

 歯切れの良い返事に表情を和らげると、アルギスは後ろを振り返って、ブラッドを前に突き出す。


 あっさりとバルドフへ引き渡すアルギスに、ブラッドは眉尻を下げながら、恨めしげな目を向けた。 

 


「大将ぉ……」



「私の従者に、逃げ惑うだけの雑魚などいらん。欲しいのは強者のみだ」 



 喜色を湛えたバルドフが頭を下げ直す傍ら、アルギスは落ち込むブラッドへ厳しい言葉を投げかける。


 すると直後、これまで肩を落としていたブラッドは、覚悟を決めた表情で、アルギスに指先を差し向けた。


 

「……その言葉、絶対に忘れねぇでくれよ?」


 

「ああ、しっかりと心に刻んでおこう」



 勢い込んで釘を刺すブラッドに対し、アルギスは不敵な笑みを浮かべながら、自らの胸に当てる。


 ややあって、目線を横に滑らせると、苦々しい表情でやり取りを見守っていたバルドフへ手を払った。



「行っていいぞ」 


 

「では、失礼致します」



「……し、失礼いたします」 



 頭を押さえつけるバルドフに抵抗しつつも、ブラッドは慣れない言葉遣いと共に頭を下げる。


 程なく揃って顔を上げた2人は、対照的な足取りでアルギスから離れていった。

 


(あれで、少しはマトモになるといいんだが……)



 廊下の奥へ連れられていくブラッドを、アルギスは立ち止まったまま、げんなりとした表情で見送る。


 それから暫くして、2人の姿が曲がり角の奥に消えると、ようやく貴賓室へ足を進めだすのだった。


 



 同刻、王都の一角を占めるファルクネス家の別邸では。


 奥まった一室でギルバートが1人、空になったグラスを片手に、中央のソファーへ腰を下ろしていた。


 

「やっと来たか」


 

 キィと音を立てて開かれた扉に、ギルバートはグラスをテーブルへ置いて、目線を向ける。


 一方、部屋へ足を踏み入れたフリードリヒは、後ろ手に扉を閉め、重たい足取りでギルバートへと近づいていった。



「……私も、それなりに忙しい身なんだがな」 



「わかっているが、伝えておかねばならん。今の王都は滅茶苦茶だぞ?」


 

 疲れ切った表情でフリードリヒが向かいへ腰掛ける中。


 2人分のグラスへ酒を注いだギルバートは、片方を前に滑らせながら問いかける。

 

 不快げに眉根を寄せるギルバートに対し、フリードリヒは落ち着き払った態度で、動きを止めたグラスへ手を伸ばした。


 

「ああ。聞き及んだ範囲でも第二王子の濫費は酷い」 



「それに付随して貴族派の増長だ。まったく、嫌になる」


 

 苛立たしげに吐き捨てると、ギルバートは持っていたグラスを割れんばかりに握りしめる。


 ギルバートがどうにか怒りを抑え込む一方、フリードリヒは仏頂面を浮かべながら、口元を酒で濡らした。


 

「……やはり、国王派の失態は未だ尾を引いているのか」


 

「問題は、そこだ。ヴァレンティナの奴は、失態の印象を払拭するために大々的な褒賞の授与式を画策している」


 

 何の気なしに呟いたフリードリヒに対し、ギルバートはキッと目つきを鋭くして、国王派の動向を伝える。


 しばしの沈黙の後、不意に眉を顰めたフリードリヒは、両手で包みこんだグラスへ目線を落とした。


 

「……なるほど、防衛戦の」


 

「ああ、このままでは、第二王子どころか貴族派にも手を付けられなくなる……」 

 


 絞り出すように呟くが早いか、顔色を悪くしたギルバートは、急き込むようにグラスを煽る。


 不安を酒で流し込むギルバートに対し、フリードリヒは僅かに表情を和らげながら、静かにグラスをテーブルへ置き直した。



「だが、我々は当分被害を被ることもないんだ。その間に、巻き返せばいい」



「ほう?なにか、策でもあるのか」 


 

 がっくりと項垂れていたギルバートは、フリードリヒの言葉に目を輝かせながら、顔を跳ね上げる。


 返事を待つギルバートが酒を注ぐ傍ら、フリードリヒは幾分を声色を明るくして口を開いた。



「先月、聖女ソフィアがこちらへやってきた。トゥエラメジアから正式な書状も、私の手元にある」

 


「おお……!」



 控えめな笑みを浮かべるフリードリヒに、ギルバートは感嘆の声を上げる。


 萎れていたギルバートが勢いを取り戻すと、フリードリヒは声のトーンを落としながら言葉を続けた。


 

「いくら第二王子とて、教会勢力には無闇に手を出すまい」 



「して、その聖女は今どこに?」


 

 すっかり機嫌を良くしたギルバートは、背もたれに寄りかかりながら、続けざまにグラスを傾ける。


 一変したギルバートの態度に呆れつつも、フリードリヒもまた、殆ど酒の減っていないグラスを取り上げた。



「なんでも、修練の一環だといってな。勇者たちと共にダンジョンを巡って戻るそうだ」 


 

「では、勇者の成長も芳しいのか?」


 

 ゴクリと一息で酒を飲み干すフリードリヒに、ギルバートは満面の笑みで顔を近づける


 しかし、壁際の魔道具をチラリと見やったフリードリヒは、空になったグラスを置いて、首を横に振った。

 


「私もしばらくは見ていないので、なんとも……。申し訳ないが、そろそろ失礼する。明日には王都を出なければならないんだ」 

 


 早々に話を切り上げたフリードリヒが席を立つ一方、ギルバートはソファーに腰掛けたまま、目をパチクリさせる。



「お、おい」 



「まあ、彼もじき王都へ戻る。ご自分の目で確認されると良い」 


 

 困惑した様子のギルバートに頭を下げると、フリードリヒはそそくさと出口の扉へ向かっていった。

 


「……相変わらず、素っ気ないヤツだ」 



 振り返ることもなく部屋を去っていくフリードリヒに、ギルバートはグラスを傾けながら、不満に呟きを漏らす。


 しかし、閉じられた扉を見つめる顔には、抑えきれない安堵の色が滲みだすのだった。

 

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