73話
クスタマージョへの到着から半日が過ぎ、日付もじきに変わろうという中。
未だ煌々とした照明に照らされる貴賓室には、本を片手にドライフルーツをつまむアルギスの姿があった。
(そろそろ、来てもいいはずだが……)
不意に目線を上げたアルギスは、ソファーへ寄りかかりながら、壁際の魔道具に目を向ける。
それから暫くの間、アルギスが頂点へと近づく針を眺めていた時。
静まり返っていた室内に、控えめなノックの音が響いた。
「――失礼致します」
しばしの後、ゆっくりと開かれた扉の奥からは、見慣れたメイド服に身を包むマリーが姿を表す。
扉の脇へ控える使用人に会釈をすると、マリーはすかさずアルギスの座るソファーへと近づいていった。
「お待たせして、大変申し訳ございません」
「いや、いい。それよりも、報告を」
深々と腰を折るマリーに対し、アルギスは持っていた本を脇へ置いて、ソファーの肘掛けにもたれ掛かる。
唐突に距離を詰めるアルギスにたじろぎつつも、マリーは表情を引き締めながら、ピンと背筋を伸ばした。
「かしこまりました。では、街の現状についてですが――」
淡々とした口調で話し出すマリーの報告によれば、クスタマージョは現在、貴族派の連合軍によって占拠されている。
また、占拠の口実となっているのは、領主ヴィクター・ソーンダイクの戦死であるというのだ。
物々しい騎士の巡回とヴィクター逝去の公示に不安を覚えた人々が家へと籠もり、街はすっかり無人となっていた。
(ヴィクターが死んだ、だと……?)
耳を疑うような内容にアルギスが難しい顔で目線を彷徨わせる中。
報告を終えたマリーは、両手を前に揃えて、頭を下げ直した。
「街でわかったことは、以上になります」
「……ご苦労」
頭をもたげる疑問を内心へ押し込むと、アルギスはマリーへ手を払って、肘掛けから体を起こす。
そのまま1人思案顔で考え込むアルギスに対し、マリーは安堵の表情を浮かべながら、後ろへ引き下がった。
「お力になれたようであれば、幸いです」
(ミダスにいたヴィクターといい、先程の父上の回答といい。この件には何か裏がある)
背後へと向かうマリーを尻目に、アルギスは口元へ手を当てながら頭を悩ませる。
しかし、考えが貴族派連合軍の占拠にまで及ぶと、膝の上へ手を落として、背もたれに寄りかかった。
「……問題は、なぜ今動いたか、だ」
「アルギス様?」
無意識に溢れたアルギスの呟きに、マリーは首を傾げながら腰を低くする。
一方、ぼんやりと天井を見上げていたアルギスは、正面を向き直りながら、片手を挙げた。
「何でもない。それよりも、褒美の品は決まったか?」
小さく首を振ったアルギスが誤魔化すように話題を変えると同時。
ゴクリと唾を飲み込んだマリーは、躊躇いながらも、再びソファーの脇へと足を進めた。
「……はい」
「ほう?言ってみろ、何が欲しい?」
意外な返事に口角を上げると、アルギスは声を弾ませながら、顔を横向ける。
一転して雰囲気を明るくするアルギスに対し、マリーは身を固くしたまま、震える声で口を開いた。
「あの包帯を巻いた男の残した短剣を頂きたく存じます」
「なんだと?それはまた、なぜだ?」
一息に言い切ったマリーが頭を下げる一方で、アルギスは背もたれから背中を離して、質問を重ねる。
すると、ゆっくりと顔を上げたマリーは、体の前で合わせていた両手を悔しげに握りしめた。
「……あの男には、散々な目に遭わされました。幸運が重ならなければ、殺されていたでしょう」
「ふむ。それで?」
剣呑な言葉を最後に話を途切れさせるマリーへ、アルギスは目を細めながら先を促す。
探るような視線を一身に受けつつも、マリーは怯むことなく再び口を開いた。
「ですが、強さには目を瞠るものがあったのです。屈辱と表敬を忘れぬため、ぜひ手元へ置きたく……」
「……わかった。些か不満ではあるが、褒美として認めよう」
しばしの逡巡の後、小さく頷いたアルギスは、顔を伏せるマリーから仏頂面で目を逸らす。
そして、どっかりとソファーへ座り直すと、脇へ置いていた本へ手を伸ばした。
「それと、例の短剣についても、お前が好きに使え。必要な時は伝える」
「ありがとうございます……!」
ついでとばかりに指示を伝えるアルギスに、マリーは目を見開きながら、勢いよく頭を下げる。
喜色を湛えるマリーにホッと息をついたアルギスは、足を組みながら、取り上げていた本を広げた。
「では、話は以上だ。もう下がっていいぞ」
「かしこまりました。失礼致します」
軽く手を払ったアルギスがページを捲り始める中。
居住まいを正したマリーは、音もなく、遠い壁際へと引き下がっていった。
(……明日にでも、話を聞きに行ってみるか)
つらつらと文字を読み進めつつも、アルギスは内心で別の思考を巡らせる。
それから、残っていたドライフルーツが無くなるまで、頭と手を忙しなく動かし続けるのだった。
◇
そして迎えた翌日。陽も次第に傾きだす頃。
昼食を終えたアルギスは、手帳を手に、広々とした地下の一室へとやってきていた。
「昨日ぶりだな」
「まさか、本当に来てくれるとは。感激だ」
向かいの席へ腰を下ろしたアルギスがペンを弄ぶ中、マティアスは顔を綻ばせながら、両手をすり合わせる。
すっかり気を良くした様子のマティアスに対し、アルギスは席から身を乗り出して、テーブルへ置いていた手帳を開いた。
「少しばかり、聞きたいことがあって来たんだ」
「ん?いいぞ、何を聞きたい?」
改まって尋ねるアルギスにキョトンとしつつも、マティアスは腰を浮かせて、ソファーへ浅くかけ直す。
他方、白紙のページにペンを落としたアルギスは、しげしげと眺めるマティアスの目を見つめ返した。
「血統魔導書についてだ。あのスキルは、一体なんなんだ?」
「……それは、君が魔導書を継ぐ時に聞くことだ。少なくとも、俺が話すことじゃない」
無遠慮なアルギスの問いかけに背中を丸めると、マティアスは顔を伏せながら首を横に振る。
しかし、持っていたペンを置いたアルギスは、鬼気迫る表情で自らの胸に手を当てた。
「魔導書は、既にこの身にある。だから聞いているんだ」
「待ってくれ。君は学院の進級もしていないだろう?継承には、まだ早いはずだ」
声を低くして食い下がるアルギスへ、マティアスは苛立ちを湛えながら片手を突き出す。
非難がましい目で睨むマティアスに目を瞬かせると、アルギスは困惑しながら首を傾げた。
「何を言っているんだ?継承は、5つになった時じゃないのか?」
「……本当に、その歳で血統魔導書を継いでいるのか!ハッハッハッ、エンドワース家はやっぱり頭がオカシイな!」
当然とばかりに口調に目を剥いたマティアスは、堪えきれなくなったように、大口を開けて笑い出す。
腹を抱えたマティアスが楽しげに笑い声を響かせる一方、アルギスは憮然とした表情で肘掛けに頬杖をついた。
「……それ程、面白いことでもないだろう」
「いやいや、継承で血統魔導書に精神が呑まれれば、その瞬間、肉体も死を迎える」
向かいで不貞腐れるアルギスへ、マティアスは途端に表情を引き締めながら、語りかける。
しかし、話している最中で可笑しくなると、すぐに口元をニヤつかせ始めた。
「故に、強固な自我を形成してから継ぐのが普通で……フッハッハッハッ」
「もう笑うのは止めろ。帰るぞ」
不快げに目頭を押さえていたアルギスは、痺れを切らしたように、開いていた手帳を閉じる。
そのまま腰を上げようとするアルギスを、マティアスは眉を八の字にしながら、慌てて引き止めた。
「あぁ、悪かった。そう怒らないでくれ」
「まったく……」
勢いを失くすマティアスに溜飲を下げると、アルギスは閉じた手帳もそのままに、ソファーへ体を預ける。
一先ず腰を据えたアルギスに胸を撫で下ろしつつも、マティアスは憂鬱な面持ちで背中を丸めた。
「ただ、勿体ぶるようだが、君の質問には答えられないんだ。それで、つい、はぐらかすようなことを」
「なに?」
がっくりと肩を落とすマティアスへ、アルギスはソファーから体を起こして、胡乱な目を向ける。
しばし2人の間に沈黙が広がる中、マティアスは気持ちを切り替えるように両膝を叩いた。
「まあ、そのうち嫌でも知ることになる。それも、エンドワース卿から直接な」
(……父上が、俺に何か隠しているのか)
意味深な返答に眉を顰めると、アルギスは得体の知れないソウェイルドの狙いに頭を捻る。
1人思案顔で黙り込むアルギスに対し、マティアスはパチンと指を鳴らして、注意を引き付けた。
「さ、この話はここまでにしよう」
「では、話は以上だ。失礼するよ」
マティアスが話を区切るが早いか、アルギスは手帳とペンを拾い上げて、そそくさと席を立つ。
しかし、そのまま立ち去ろうとした時。
ゆっくりと開かれた扉の奥から、トレイにカップとポットを乗せた使用人が姿を現した。
「そう焦ることもないだろう。お茶くらい飲んでいったらどうだ?」
「……それも、そうだな」
遠慮がちに近づいてくる使用人をチラリと見やると、アルギスは手帳とペンをテーブルへ置いて、再びソファーへ腰を下ろす。
程なく、揃ってカップを手に取った2人は、それから暫くの間、他愛もない会話に花を咲かせるのだった。
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