77話
レイチェルの来訪から丸2日が経った昼前。
本棚の立ち並ぶ書庫へとやってきたアルギスは、中央へ置かれた机に手帳と分厚い本を広げていた。
「うーむ……」
側面に精緻な彫刻の彫り込まれた机の上では、細かな文字の書き連ねられたページが次々と捲られていく。
しかし、いくら文字を読み進めても、一向にアルギスの表情が晴れることはなかった。
(やはり、どこを探しても、”天の裁き”などという記述は無いな)
しばし歴史書とにらめっこを続けていたアルギスは、草臥れた表情でパタリとページを閉じる。
というのも、トゥエラルタ教の聖典を基とする歴史書には、アズルミーダの言う、天の裁きなる記述が見当たらなかったのだ。
(まあ、時代的に考えれば、約800年前の天変地異による大陸変動を指すんだろうが……)
判然としない記載に辟易しつつも、アルギスは本の脇へ開いた手帳に、サラサラとペンを走らせていく。
しかし、書庫でわかったことを纏めきる直前で、不意にペンを持つ手を止めて、手帳から顔を上げた。
(……歴史書の内容も国によって違うのか)
一度手帳を閉じたアルギスが、別の本を集めようと腰を上げかけた時。
閉め切られていた出口の扉が、ゆっくりと開かれる。
また、僅かに開かれた扉の間からは、頭を下げた使用人が姿を現した。
「――失礼致します」
凛とした声を上げて書庫へと足を踏み入れた使用人は、本棚の間を抜け、真っ直ぐにアルギスへと近づいていく。
ややあって、歩み寄ってきた使用人が机の脇で立ち止まる中。
椅子へ腰かけ直したアルギスは、怪訝な表情で首を傾げた。
「なんの用だ?」
「間もなく、ご約束のお時間になります」
厳しい口調で尋ねかけるアルギスへ、使用人は粛々と頭を下げる。
一方、使用人の返答に一瞬呆けたアルギスは、いそいそとポケットから魔道具を取り出した。
「……そうか。もう、こんな時間か」
見れば、横を向いていたはずの短針は、既に頂点近くを指し示している。
時間の流れの早さに肩を落とすアルギスに対し、使用人は冷や汗交じりに背筋を伸ばした。
「……お望みであれば、先触れの出発を遅らせることも可能ですが」
「いや、その必要はない。すぐに向かおう」
遠慮がちな提案に首を振ったアルギスは、早々に椅子から立ち上がる。
そして、机に転がしていたペンをポケットへ仕舞い込むと、続けざまに手帳を取り上げた。
「私の机に置いておけ」
「かしこまりました。お預かり致します」
見向きもせず差し出された手帳を、使用人は恭しく両手で受け取る。
そのまま胸元へ手帳を抱え込む使用人を尻目に、アルギスは分厚い装丁の歴史書へ目を落とした。
(農地のことも気になるんだ。学院が始まってからでも、また調べればいい)
大した成果が上がらなかったことに臍を噛みつつも、アルギスが内心で自分へ言い聞かせる傍ら。
様子を伺っていた使用人は、手帳を抱えたまま、不安げに膝を折り曲げた。
「ご衣装は、ドレスルームに用意してございます」
「……そうか」
使用人の声に歴史書から顔を上げると、アルギスは気のない返事と共に出口へ歩き出す。
早足で前を歩くアルギスへ、使用人は脇目も振らず、後に続いていった。
(……1人で外へ出るのは、いつぶりのことだろうか)
頭を下げる司書たちの間を抜ける中、アルギスは背後に付き従う使用人を一瞥して、小さく息をつく。
それから程なくして、名残惜しげに書庫を後にすると、無言でドレスルームへと向かっていくのだった。
◇
数時間が過ぎ、陽も次第に翳りを見せ始める頃。
貸し切りにされたホールの中央では、食事を終えたアルギスとレイチェルが、顔を見合わせていた。
また、壁際では身を固くした従業員たちが、2人を見守るように控えている。
視線に晒されながらも、2人の間にゆったりとした時間が流れる中。
向かいの席へ座るレイチェルに目を細めたアルギスは、不意に軽く両手を叩いた。
「全員、下がってくれ」
「かしこまりました」
声を上げたアルギスが手を払うと、従業員たちは頭を下げて、ぞろぞろと部屋を出ていく。
やがて、パタリと扉の閉められた室内には、アルギスとレイチェルの2人と、静寂だけが残った。
「どうしたの?」
突如従業員を追い出したアルギスに、レイチェルは目を瞬かせながら、キョトンとした顔で首を傾げる。
しかし、気楽な口調の問いかけに眉を顰めたアルギスは、不思議がるレイチェルをじっとりとした目で睨んだ。
「……相談があるというから、人払いをしたんだ」
「あら。覚えていてくれたのね」
咎めるようなアルギスの視線を受けつつも、レイチェルはどこ吹く風とばかりに、頬を緩める。
どこか嬉しげな様子を見せるレイチェルに対し、アルギスはありありと不満を露にしながら、テーブルへ身を乗り出した。
「まだ一昨日の話だぞ?忘れるわけがないだろう」
呆れ顔を浮かべるアルギスに、レイチェルは一瞬言葉を失う。
しかし、すぐに口元を緩めると、目を伏せながらクスクスと笑い声を上げた。
「ふふ、そうかもしれないわね」
「……それで、相談とはなんなんだ?」
あっさりと受け流すレイチェルに肩を落としながらも、アルギスはテーブル肘をつきながら先を促す。
すると、途端に表情を引き締めたレイチェルは、上目遣いにアルギスの顔を見つめた。
「休暇の前に、教会の話をしたことは覚えてる?」
「ああ」
小さな声で尋ねかけるレイチェルへ、アルギスは短い返事と共に頷きを返す。
真剣な面持ちでアルギスが返事を待つ中、レイチェルはふぅと息を吐いて、躊躇いがちに口を開いた。
「……試しに、職業を替えてみようかと思うの」
「また急だな。なにか、あったのか?」
突拍子もない相談に目を眇めると、アルギスは声を低くしながら尋ね返す。
しかし、唇を引き結んでいたレイチェルは、迷うことなく首を横に振った。
「いいえ。ただ、後ろから見ているより、前に進みたいの」
毅然とした口調でレイチェルが言葉を続ける一方。
黙って話を聞いていたアルギスは、キョロキョロと目を泳がせていた。
「……一体、何の話をしているんだ」
「勿論、学院の特別講義の話よ」
ややあって、目線を正面へ戻すアルギスを、レイチェルは微笑みを湛えながら見つめる。
前のめりになって言い切るレイチェルに対し、アルギスは頭を捻りながら、背もたれに寄りかかった。
(レイチェルも、そこまでダンジョン攻略に前向きなのか……?)
「今、前衛はマクスウェルだけでしょう?だから、私がナイトになれば――」
なおも訝しむアルギスをよそに、レイチェルは緊張交じりの声を上げる。
「待て。どうせ転職をするなら、別のものにしろ」
しかし、レイチェルの希望する職業を聞いたアルギスは、小さく片手を挙げながら話を遮った。
「え、でも……」
難しい顔で首を振るアルギスに狼狽えつつも、レイチェルは目線を揺らしながら食い下がる。
どこか必死な様子のレイチェルに、アルギスは額を押さえながら、長いため息をついた。
「ナイトでは魔力量に不安が出る。今使える術式も使えなくなるぞ」
「……やっぱり、そうよね」
アルギスのダメ押しに顔を伏せると、レイチェルはゆっくりとテーブルから身を離す。
しかし、一度目線を上向けたアルギスは、コツコツとテーブルを叩いて、しょげ返るレイチェルの気を引いた
「条件はあるだろうが、ウィザードからでもマギ・ブレイダーあたりになら転職出来るはずだ。替えるなら、そちらにしろ」
「ず、随分と詳しいのね」
確信めいた口ぶりで言い聞かせるアルギスに対し、レイチェルは戸惑いを滲ませながら、言葉を詰まらせる。
困惑の色を強めるレイチェルに失敗を悟ると、アルギスは腕を組みながら、逃げるように目を瞑った。
「……大したことはない。それに、半分は当てずっぽうだ」
「それじゃ、今度教会へ行って確認してくるわ」
未だ釈然としない気持ちを抱えながらも、レイチェルは表情を明るくしてアルギスへ笑いかける。
気を持ち直した様子のレイチェルに、アルギスは安堵の息をつきながら、首を縦に振った。
「それが、いいだろうな」
「その時は一緒に行きましょうね?」
腕を下ろしたアルギスが瞼を上げると、レイチェルはおどけ交じりの口調で探りを入れる。
しかし、不敵な笑みを浮かべたアルギスは、またもや鷹揚に頷いた。
「ああ、是非とも同行させてもらおう」
「ぇ……」
事もなげに首肯するアルギスに、レイチェルは目を見開いて呆気にとられる。
そのまま2人が揃って口を閉じると、室内には再び静かな時間が流れ始めた。
(教会についても、少し気になる事が出来たからな)
ややあって、落ち着きを失くしたレイチェルが、誤魔化すようにソーサーへ手を伸ばす中。
遠い目をしたアルギスは、1人ぼんやりと今回の旅路を思い返すのだった。
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