55話

 雲は風に流され、顔を覗かせた淡い月明かりが照らす中。


 混戦の様相を呈した岩場では、アルギスへ襲いかかる異形を、2体の死霊が打ち払っていた。



「――これなら、足だけでいい」



 襲いかかる岩の突き出した拳を、アルギスは獄門羅刹へ指示を出しながら避け続ける。


 ガチガチと顎を鳴らした幽闇百足が駆け回って牽制する一方。


 異形の1体を胴切りにした獄門羅刹は、続けざまに弯刀を振り上げながら、両手で柄を握りしめた。

 


「…………!」 

 


 ――グガァ”ァ”ァ”!――



 獄門羅刹が目にも留まらぬ速さで膝下から斬り飛ばすと、異形の人型は血を噴き出しながら、地面へ崩れ落ちる。


 残った力を振り絞るように這いずる異形をよそに、獄門羅刹は次なる獲物へと飛びかかっていった。


 

(だいぶ、ステータスの上下にも慣れてきたな) 



 幽闇百足と獄門羅刹が、絶え間なく動き回りながら異形の人型を減らす中。


 1人足を止めたアルギスは、目を落とした手のひらを開閉させながら、体の調子を確かめる。

 

 しかし、はたと顔を上げた時には、既に目の前へ短剣を構えたラゼンが迫っていた。


 

「ッ!」


 

「おっと、危ないじゃないか」


 

 首を横へ倒して短剣を躱すと、アルギスは飛び退こうとするラゼンの腹を、涼しい顔で殴りつける。


 予想以上の衝撃に体を仰け反らせつつも、ラゼンはすぐに姿勢を立て直して、アルギスを睨みつけた。



「……なぜ、俺のことが見えてやがる!」 



「ふむ?目の前に居るからだが?」



 忌々しげな声を上げるラゼンに対し、アルギスは落ち着き払った態度で首を傾げる。


 追撃すらしないアルギスに顔を歪めると、ラゼンは数の減り始めた異形を見回しながら、じりじりと後ずさった。



「くそ……一体、どうなって……」 



 ――ア”ァ”ァ”ァ”ァ”!――



 思わず溢れたラゼンの独り言を掻き消すように、周囲からは足を切り落とされた異形の苦しげな声が聞こえてくる。



「マット……!」 



 弾かれるように声の方向を振り向いたラゼンは、異形ののたうち回る地面へ影を作り出した。



「いいのか?1人になってしまうぞ?」



 悲しげにに異形の人型を影へと仕舞い込むラゼンを、アルギスはクスクスと笑いながら、さしたる警戒もなく死霊たちに囲ませる。


 やがて、獄門羅刹の弯刀が首筋へ当てられると、ラゼンは諦めたように顔を伏せて、持っていた短剣を落とした。



「……こうなりゃ仕方がねぇ。降参だ」



「なに……?」 



 項垂れながら小さく両手を挙げるラゼンに、アルギスは釈然としない様子で片眉を上げる。


 一方、背後の獄門羅刹を横目に見たラゼンは、纏っていた魔力を消して、挙げていた両手を下ろした。



「聞こえなかったか?俺は、もう手を引くと言ったんだ」



「私が、それを了承するとでも?」



 ラゼンが再び降伏の宣言をするが早いか、アルギスはフルフルと首を振りながら、獄門羅刹に弯刀を振り上げさせる。


 聞く耳を持たないアルギスに目を細めつつも、ラゼンは被っていたローブのフードを脱いで、地面へしゃがみ込んだ。


 

「……取引をしよう。お前が知りたいのは、例のエルフの居場所だろう?」



「命乞いのつもりか?だとしたら、お粗末だな」



 まじまじと顔を見上げるラゼンの提案を、アルギスは不快げに鼻を鳴らして跳ね除ける。


 取り付く島もないアルギスの返答に対し、ラゼンは包帯の下で穏やかな笑みを浮かべて、隣へ転がる短剣へ目線を下ろした。


 

「フッ、そんなんじゃない。……ただ、代わりに少しばかり手を貸して欲しいだけさ」



「貴様……!」


 

 意味深な呟きと共にラゼンが脇の短剣に飛びつくと、アルギスは鬼の形相で獄門羅刹に弯刀を振り下ろさせる。


 しかし、残像を残す弯刀が触れる直前、ラゼンの姿はたちまち影の奥へと消えていった。


 

 ◇



 獄門羅刹の斬撃に地面が切り裂かれてしばらく。


 全身をワナワナと震わせるアルギスの背後には、離れていたはずのマリーを捕らえたラゼンが姿を浮かび上がらせた。

 


「……敵は、私だったはずだろう?随分と薄汚い真似をするじゃないか」



 ゆっくりと後ろを振り返ったアルギスは、黒い魔力を揺らめかせながら、侮蔑交じりの言葉を吐き捨てる。


 急速に威圧感を増し始めるアルギスに対し、ラゼンはおどけた態度で、マリーへ短剣を突きつけた。


 

「悪いが、ちょっとばかしコイツを貸してもらうぜ?」


 

「絶対に逃さん。その愚行の対価は、必ず払わせてやる……!」 



 ゆらゆらと短剣を揺らすラゼンに一層眦を吊り上げると、アルギスは黒い鎖へと変わった魔力を、一斉にラゼンへ差し向ける。


 しかし、次の瞬間、ラゼンとマリーの姿は足元の影へと沈み、空をきった鎖は地面へと突き刺さった。



「大人しく捕まっておけば、楽に死ねたものを……」 



「――近づくな!……この期に及んで、逃げられるなんて思っちゃいねぇんだ」



 目を血走らせたアルギスが死霊を動かしだす中。


 わざとらしく声を荒げたラゼンは、弱々しい呟きを重ねながら、マリーを連れて後ろへ下がっていく。


 胸元へ押し当てられた短剣に目を落としつつも、マリーは違和感のあるラゼンの行動に、訝しげな表情を浮かべた。


 

「……これは、どういうことですか?」



「言ったろ?手を貸して欲しいってよ」



 囁き声で問いただすマリーに、ラゼンは睨みつけるアルギスへ目を留めたまま、ひそひそと言葉を返す。


 そして、僅かに短剣を胸元から遠ざけると、遠目に見えるひび割れた大岩へ柄頭を向けた。

 


「俺達の右手に、デカい岩が見えるだろ?……あそこの裏に、監視の密偵が残ってやがる」


 

「っ!」 



 何の変哲もない岩を見つめていたマリーの表情は、続くラゼンの説明にピシリと固まる。


 慌てて逃げ出そうとするマリーに対し、ラゼンは喉元へ向けた短剣の切っ先で動きを止めさせた。

 


「動くな。こうしてる間は、死んでもこっちに近づいてこねぇ」


 

「……なんですって?」


 

 確信めいたラゼンの口ぶりに眉を顰めると、マリーはすぐさま密偵の隠れるという大岩を凝視する。


 一方、切っ先をマリーの首元から離したラゼンは、背後に意識を向けながら、更に声のトーンを落とした。


 

「だが、厄介なのは、俺の後ろからも監視が見てるってことだ」



「何が、言いたいのですか?」


 

 要領を得ないラゼンの説明に、マリーは語気を強めながら、しかめっ面で質問を続ける。


 落ち着かない様子でマリーが返事を待つ中、ラゼンはなおも周囲を警戒しながら、小さく口を開いた。


 

「いいか?俺が合図をしたら、お前は前の監視を殺れ。後ろは俺が殺す」

 


「なにをっ……」

 


 突拍子もない提案に後ろを振り返ろうとしたマリーは、喉元へ触れた短剣に動きを止める。

 


「怪しまれたら終わりなんだ。あんまし、暴れないでくれ」


 

 ゴクリと息を呑むマリーに対し、ラゼンは刃の向きを変えながら、あくまで冷静に話を続けた。


 

「この状況で、そんなの信用できるわけ……」



 離された短剣に胸を撫で下ろしつつも、マリーは姿の見えない監視と遠ざかったアルギスに表情を曇らせる。


 しかし、大きく舌打ちを零したラゼンは、短剣の柄を握りしめながら、マリーの耳元へ顔を寄せた。

 


「信用なんざ、どうだっていい。ただ、どっちかの監視を逃がせば片方はすぐにでも報告へ戻るぞ」


 

「…………」


 

 矢継ぎ早に伝えられた情報に唇を引き結ぶと、マリーは目を伏せて黙りこくる。


 短い沈黙の後、ラゼンは痺れを切らしたように足元へ小さな影を作り出した。


 

「これ以上は不自然だ。今から10数えたら俺は後ろへ跳ぶ、お前は前に跳びな」



「……わかりました」 



 険しい表情で顔を上げたマリーは、前方の大岩を一瞥して、渋々提案を呑む。


 居心地が悪そうに身じろぎをするマリーをよそに、ラゼンは口角を上げながら、数を数え始めた。



「――2,1。今だ」



 ラゼンがマリーを前に突き飛ばすと、2人の姿は同時に影の中へと掻き消える。


 前方で叫び声が上がる一方、ラゼンは息を潜めていた密偵に切っ先を差し向けた。



「よお」 


 

「ラゼン!なにをして――!?」


 

 突如姿を現したラゼンに、密偵は腰を抜かしながら、慌てふためく。


 

「フッ、見りゃわかんだろ」



 しかし、密偵を冷たい目で見下ろしたラゼンは、容赦なく短剣を喉元へ突き刺した。 


 

「なにが、どうなっているんだ……?」


 

 やがて、密偵を片付けたラゼンとマリーが合流する中。


 じっと隙を伺っていたアルギスは、目を白黒させながら、近づいてくる2人に首を傾げた。



「アルギス様。この者は、もしかすると……」


 

「おっと、少し黙っていてくれ。まだ、こっちの話は続いてんだ」


 

 戸惑いの滲んだマリーの声を遮ると、ラゼンは再び両手を挙げながらアルギスと向かい合う。


 どこか晴れ晴れとした様子のラゼンに対し、アルギスは苛立ち交じりに包帯で隠された顔を覗き込んだ。


 

「こっちの話だと?」


 

「ああ。取引の続きだ、俺の用は済んだからな……。まず、例のエルフの居場所だが――」


 

 気色ばむアルギスに肩を竦めたラゼンは、天を仰ぎ見ながら滔々と話し出す。


 ラゼンが言うには、ハンスは”ラゼンの主人”が潜伏するミダスの娼館で、売却を待つ他のエルフと共に囚われているというのだ。


 やがて、命令されていた内容と娼館の詳細な位置を伝えると、ラゼンは短剣を片手に、後ろ向きで数歩引き下がった。


 

「ま、そんなとこだ。急いだ方がいいぜ?密偵が戻らないと気がつきゃ、奴はすぐにでも逃げ出す」


 

「……それで、お前はどうする気だ?」


 

 ユラユラと短剣を弄ぶラゼンに対し、アルギスは警戒を解くことなく、厳しい目線を送る。


 しかし、チラリとマリーの姿を見やったラゼンは、どこ吹くとばかりに微笑みながら首を振り返した。


 

「そこの嬢ちゃんには言ったが、逃げる気なんてのは、とうに無い」



「……事実、のようだな」



 隣で頷くマリーへ流し目を向けると、アルギスは訝しみながらも、1人充足感に浸るラゼンへ目線を戻す。


 程なく、死霊を送還するアルギスに、ラゼンは手に持った短剣を握りしめながら、一層笑みを深めた。


 

「あのクソッタレの最期を見逃すのは惜しいが、やってきたことを考えれば贅沢も言えねえよな」


 

「おい。何をする気だ……?」

 


 含みのある言葉に眉間の皺を深めたアルギスは、未だ辺りを漂う霧を掻き分けて足を踏み出す。


 そのまま近づこうとするアルギスに手を突き出すと、ラゼンは立て続けに顔を覆う包帯を無理やり引き剥がして、古傷だらけの素顔を晒した。


 

「……散々、迷惑かけて悪かった。最後に信じてくれる奴らがいて、嬉しかったぜ」


 

「おい!待て!」


 

 首元へ短剣をあてがうラゼンに、アルギスは声を張り上げながら駆け寄る。


 しかし、アルギスの制止も虚しく、ラゼンは空色の瞳を瞼で覆って、躊躇いもなく首を掻き切った。

 


「……命令、なんざ、もう、まっぴらだ。俺は、俺の、意思で――」


 

「言っただろうが、楽には死なせんと。マリー、今すぐポーションを……」



 倒れ込むラゼンの脇へ膝をついたアルギスが、背後のマリーへ顔を向けたと同時。


 血の流れ続けるラゼンの体からは、淡く輝く灰色の魔導書がフワリと浮かび上がる。



 「なに!?これは……」



 ひとりでにパラパラとページを捲りだした”血統魔導書”に、アルギスは大きく目を見開いた。


 アルギスが魔導書へ手を伸ばしかけた直後、背から外れたページは、勢いよく広がって渦を巻き始める。



「くっ!」


 

 しばらくして、飛び散ったページが地面へと吸い込まれるように消える頃。


 既に力の抜けきっていたラゼンの体は、急速に朽ち果て、吹きつける風に攫われていった。

 


「……これほど、不愉快な気持ちになったのは久々だ。元凶を絶たねば気が済まん」


 

 パタパとはためく血まみれのローブに、アルギスは額に青筋を立てながら、黒幕への憎悪を募らせる。


 やがて、ローブの上に唯一残っていた短剣を拾い上げると、鬱屈とした思いを胸に、ミダスの娯楽街へと急ぐのだった。

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