56話

 アルギスとマリーがミダスの娯楽街へと立ち戻っていた頃。


 遠く離れたエルドリアの森都では、家を出たエレンとメリンダが、隣並びで張り出した根の上に腰を下ろしていた。



「……なんだったんだ、あれは」

 


 片目を手で覆ったメリンダは、1人視えていた光景に、怪訝な顔で呟きを漏らす。


 しばし開いた目を忙しなく動かすメリンダに、エレンは眉尻を下げながら、顔を近づけた。


 

「どうしたの?アルギスたち、大丈夫だよね?」



「ああ。彼らは既に敵を倒し、移動している」



 矢継ぎ早な問いかけに頷き返すと、メリンダは片目を閉じたまま、ノソノソと立ち上がる。


 嬉しい報せに頬を緩めつつも、エレンは両目を瞑るメリンダの顔を見上げると、すぐに表情を曇らせた。



「じゃあ、なんでそんなに怖い顔してるの?」



「……ハンスの姿が、見えないんだよ」



 しばしの逡巡の後、低い声を上げたメリンダは、顔を俯かせながら、拳を固く握りしめる。


 以降、下唇を噛んだメリンダ口をも閉ざす中、エレンは真っ青な顔で木の根から腰を上げた。


 

「そんな、じゃあ……」 



「だが、彼らの移動速度を見るに、居場所はわかっているんだろう。きっと問題ない」



 フラフラと体を揺らしながら立ち上がるエレンに、メリンダは慌てて両目を開けながら、手を差し伸べる。


 遠慮がちにメリンダの手を取ると、エレンはぎこちない笑みを浮かべながら、隣へ立ち並んだ。



「そ、そうだよね」


 

「ああ、どうやら、ミダスへ戻っていったようだし……」



 程なく、再び目を閉じようとしたメリンダは、突如倒れ込むようにエレンへ寄りかかる。


 白い顔で呼吸を荒くするメリンダを、エレンは背中へ手を回しながら、受け止めた

 


「メリンダ!しっかりして!」 


 

「……すまない。でも、少し疲れただけだよ」



 苦笑交じりにエレンの肩へ手をつくと、メリンダは言い訳じみた言葉と共に後ろを振り返る。


 そのまま覚束ない足取りで歩き出すメリンダへ、エレンは抱きつきながら寄り添った。

 


「大丈夫?」


 

「フフ。今日は、久々に働き過ぎてしまった」


 

 気を揉むエレンに支えられつつも、メリンダは壁に手をついて、笑顔で家の中に入っていく。


 ややあって玄関を抜けると、エレンはよろめくメリンダの体を、背中へ回した手でぎゅっと抱きしめた。 

 


「ごめん、私が無理を言ったから……」 



「なに、一日も眠れば元へ戻るさ」



 沈痛な面持ちで顔を下向けるエレンに対し、メリンダは額に汗を滲ませながら、微笑みを浮かべる。


 しかし、メリンダの顔を覗き込んだエレンは、なおも不安げに瞳を揺らしながら首を傾げた。


 

「ほんとに?」



「ああ、言っただろう?これは、私が持つスキルのデメリットだ。気にすることはない」



 当然とばかりに肩を竦めると、メリンダは足を止めて、そっとエレンの頭を撫でる。


 優しげな笑みを湛えるメリンダに対し、エレンはしょんぼりと勢いを失ったまま頷いた。



「……うん。でも、そんなスキル聞いたこと無い」



「当たり前だよ。私も、話したのは君を含めて3人だけだからね」



 再びエレンの肩に手を置いたメリンダは、立っているのもやっとの状態から足を踏み出す。


 しかし、次の瞬間、力が抜けたように膝を折ると、ズルズルと壁伝いに倒れ伏していった。



「おっと、そろそろ、限界のようだ……」



「下の部屋まで連れて行く」



 廊下で寝そべるメリンダを、エレンは全身へ魔力を纏わせながら背中へ担ぎ上げる。 


 エレンに背負われながら地下に繋がる階段へと向かう中、メリンダは既に焦点の定まらない目で周囲を見回した。


 

「……悪い、ね」



「今度、どこでも眠れるベッドを作ろう」



 程なく、階段の前へとやってきたエレンは、メリンダの足を引きずりながら、一段一段慎重に下へ降りていく。 


 息を切らしながら地下室へと足を進めるエレンに対し、メリンダは静かに瞼を閉じて、クスクスと笑い声を漏らした。


 

「フフフ、それはいい案だ。私も、また何か考えて……」 


 

「……おやすみ、メリンダ」



 すうすうと聞こえだす寝息を背に、エレンは小さな声を掛けながら、乱雑に物が置かれた地下室へと入っていく。


 やがて、部屋の片隅に置かれた天蓋の脇までやってくると、艶のある布地の掻き分けて、メリンダをそっとベッドへ寝かせるのだった。





 鳴り響いていた雷鳴が途絶え、娯楽街の賑わいもすっかり元へ戻る中。


 娯楽街へと戻ってきたアルギスとマリーは、ラゼンの言葉に従い、出入り口近くの娼館の前へと辿り着いていた。

 


(また、こんな場所へ来る羽目になるとはな……)



 飾り気のない石造りの建物に辟易しつつも、アルギスは短く息を吐いて、脇に警備の立つ扉へ目線を落とす。


 躊躇なく娼館へ歩き出すアルギスに対し、マリーは困惑した表情で、後を追い掛けた。


 

「あの、ここが……?」



「ああ。恐らく、ルルカーニャの娼館だ」



 そっと囁きかけるマリーへ頷き返したアルギスは、真っ直ぐに入口の扉へと向かっていく。


 しかし、程なく扉の前まで近づいた2人へ、警備の男は腰へ佩いた剣の柄に手を掛けながら、もう一方の手を突き出した。


 

「――本日、当店は貸し切りとなっております。どうか、お引き取り下さい」



「邪魔立てするか?この私の」



 警備の男が淡々とした口調で突き返そうとする一方、アルギスは底冷えするような声と共に、体から溢れ出した黒い霧を右腕へ纏わせる。


 たちまち、アルギスの腕へ絡みつく異形の剣が姿を現すと、警備の男はピクリと肩を上げて、柄から手を離した。



「……大変失礼ながら、ご来店の目的を、お伺いしても?」



「ここにいる奴が、あるモノを奪った。私は、それを返して貰いに来たんだ」



 両手を脇へ揃えて腰を低くする男の胸元へ、アルギスは眉一つ動かさずに僭躯の切っ先を突きつける。


 しかし、アルギスの返答に顔を歪めた男は、刃へ触れんばかりに、深々と頭を下げた。



「大変、ご無礼を致しました。直ちに、こちらでもご準備を」 



「ああ、傷つけたくないものは運び出しておけ」



 一変した態度に眉を顰めつつも、アルギスは男の胸元から腕を下ろして、扉へ手を掛ける。


 そして、勢いよく引き開けると、人気もなく静まり返ったロビーへズカズカと踏み込んでいった。

 


「行くぞ、マリー。一先ずは殺すな、情報がいる」



「承知致しました」 



 軽い足取りでホールを目指すアルギスに、マリーは取り出した短剣を両手に後ろへ付き従う。


 

 ややあって、ロビーを抜けた2人がホールの扉を開けると同時。


 舞台の脇を巡回していた騎士たちが、血相を変えながら、一斉に剣を引き抜いた。



「何者だ!」



「黙れ」



 影へと沈み込むマリーを尻目に、アルギスは奥の通路へと後ずさる騎士へ、一瞬で距離を詰める


 そして、続けざまに騎士の足を踏みつけると、血走った目で僭躯を振り上げた。


 

「エルフを、どこへやった?」


 

「っ!」



 ピタリと動きを止めるアルギスへ、騎士は息を呑みながら、すかさず剣を突き立てる。


 しかし、胴体へ刺さるかに思えた剣先は、アルギスの纏う黒い魔力に阻まれ、あっけなく弾き返された。



「その程度の攻撃など、通じるワケがないだろう」



「ぎゃあぁぁ!」 



 アルギスが僭躯を振り下ろすと、騎士は失った片腕を押さえながら、崩れ落ちる。


 のたうち回る騎士をよそに、アルギスは噴き出した血を避けながら、ぐるりと辺りを見回した。



(……随分、張り切っているな) 


 

――ぐぁァ!――


 

 目を細めたアルギスが襲いかかる騎士へ僭躯を突き刺す中。


 影への浮き沈みを繰り返すマリーは、ホール内を跳び回りながら、次々と騎士たちを切り裂いていく。



 やがて、壁際へ追い詰められた騎士が七色の網へ囚われると、アルギスは悠々とマリーの下へ近づいていった。


 

「ほう。その短剣のスキルは、こうなるのか」 


 

「……申し訳ありません。お返し、すべきでした」


 

 どこか楽しげな声を上げるアルギスに対し、マリーは乱れた息を整えながら、悔しげな表情で腰を折る。


 しかし、マリーの横を通り抜けたアルギスは、動きを止める騎士たちの姿に満足げな笑みを浮かべた。

 


「いや、これでいい。素晴らしい働きだ」



「ありがとうございます!」 


 

 弾かれたように後ろを向き直ると、マリーは勢いよく頭を下げ直す。


 和やかな雰囲気に包まれる2人に対し、網に囚われた騎士たちは地面へと倒れ込んだまま、くぐもった呻きを上げていた。


 

「助け……」 


 

「ああ、エルフの居場所を知っている奴だけは助けてやる。ただし、最初の1人だけだ」



 ゆっくりとその場でしゃがみ込んだアルギスは、人差し指を揺らしながら、騎士たちの顔を睥睨する。


 すると程なく、傷の浅かった騎士の1人が、目を泳がせながら、恐る恐る片手を上げた。


 

「おお、一番は貴様だな。おめでとう」



「は、はひぃ……」


 

 場に似合わない拍手と共に、騎士たちを包んでいた網が消え去っていく中。


 すっくと立ち上がったアルギスは、狼狽える騎士たちの中から手を上げた者を引きずり出した。



「ご苦労。残りは不要だ」

 


「かしこまりました。そのように」 



 再び七色の網で残った騎士たちを捕えると、マリーは黒く染まった短刀を手に、深々と腰を折る。


 喉が裂けるような懇願の声を背に、アルギスは1人網の外に出た騎士へ、僭躯の剣先を突きつけた。



「さっさと行け」



「ひぃ!」



 首筋から一筋の血を流した騎士は、つんのめるように、アルギスの前を歩き出す。


 ホール内に断末魔の叫びが響き渡る一方、怯える騎士とアルギスは仄暗い奥の通路へと入っていった。



(一先ず、これでハンスは手に入ったな)



 前でビクビクと肩を揺らす騎士に対し、アルギスは内心で安堵の息をきながら、通路を進んでいく。


 やがて、半ばで枝分かれした道の角を曲がると、騎士は数ある扉の中から、そそくさと手前の1つへ手を掛けた。



「こ、こちらです」 



(これは……)

 


 騎士に先立って部屋の中を覗き込んだアルギスは、目に飛び込んできた光景に言葉を失う。


 というのも、家具の取り払われた部屋の中では、10人を超えるエルフたちが、檻に嵌められた鉄格子の奥ですすり泣いていたのだ。



「あ、あの……」


 

「……エルドリアとの交渉材料は、どこかな?」

 


 オドオドと声を上げる騎士に、アルギスは首を捻りながら、優しげな口調で尋ねかける。


 感情の読み取れないアルギスに戸惑いつつも、騎士は冷や汗を拭って、頭を下げた。



「そ、それでしたら、最奥の部屋で旦那様が――」

 


「なるほど」


 騎士が話しきるのも待たず、アルギスは無表情のまま、僭躯を装備した腕をゆっくりと掲げる。


 直後、目にも留まらぬ速さで振り下ろされた刃は、さしたる抵抗もなく、騎士の首を刈り取った。


 

「……もうすぐだ。待っていろよ」 


 

 突然の惨劇に息を呑んだエルフたちが静まり返る中。


 誰にともなく独りごちたアルギスは、首を失った騎士を残して、マリーの待つホールへと戻っていくのだった。

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