54話

 月は雲に隠され、ゴツゴツとした岩場に冷たい風が吹きすさぶ暗闇の中。


 双方が次々と場所を変える2人は、息をつく暇もなく戦い続いていた。


 

(……妙だな。この状況じゃ、救援を呼んでも良さそうなもんだが)



 1人逃げ回るマリーを訝しみつつも、ラゼンは素早く距離を詰めて、二の腕を切りつける。


 

「くっ!」


 

 迫る刃へどうにか自身の短剣を割り込ませると、マリーは弾かれる勢いもそのままに影へと逃げ込んだ。


 

(見てんのは相も変わらず2人。どうなってやがんだ……?) 



 程なく、岩陰へ浮かび上がるマリーをよそに、ラゼンは足を止めて周囲を見回す。


 一方、機を逃すまいとポーションを飲み干したマリーは、動く素振りを見せないラゼンに首を傾げた。



「……どういう、つもりですか?」

 


「俺は、無駄が嫌いだ。単刀直入に聞くが、お前はルルカーニャの手のモンか?」



 うんざりとした口調で口を開くと、ラゼンは警戒心を露にするマリーへ剣先を差し向ける。


 唐突なラゼンの問いかけに、マリーは困惑の色を濃くしながら眉を顰めた。



「ルルカーニャ……?」



「助かったよ。答え合わせは、もう十分だ」 



 戸惑いを見せるマリーに肩の力を抜いたラゼンは、ニヤリと口元を歪めながら、短剣を持った手を下ろす。


 そして、羽織っていたローブの中から”灰色の魔導書”を取り出すと、周囲の地面へ、次々と巨大な影を作り出した。



「お前ら、仕事だぜ。出てこい」 


 

――アアアアアア!――



 ラゼンの声へ呼応するように、影からは鼻息を粗くして肩を上下させる人型が、苦しげな叫びと共に筋肉質な肢体を晒す。


 体の所々から岩の突き出した異形の人型たちは、見えない糸で引かれるように、ラゼンの背後へと集まった。



「なんで……そんなものが、影に……!」



 得体の知れないラゼンの術式に動揺しつつも、マリーは震える体で魂縛の短剣を構え直す。


 反撃の姿勢を取るマリーに対し、ラゼンは仁王立ちのまま、宙へ浮かんでいた魔導書をそっと手に取った。


 

「奥の手ってのは、こうやって使うもんだ」 



――ゴガァアアアア!―― 

 


 ラゼンの持つ魔導書がひとりでに開き始めると、異形の人型は丸めていた背中を伸ばして、怒声を上げる。


 

「そんじゃ、ぼちぼち終わらせよう――」



 魔導書をローブの中へ仕舞い込んだラゼンの姿は、不穏な言葉を最後に、たちまち暗闇の中へと溶けていった。

 


「”拘束”!」



 足音を立てて襲いかかる巨体に、マリーは手にした短剣の柄を白くなるほどに握りしめる。


 

――ガガァァァ!――


 

 しかし、七色の網が異形の人型を捕らえた時には、既にラゼンの姿がマリーの背後へと浮かび上がっていた。


 

「気ぃ取られ過ぎだぜ」



「な……」 



 ラゼンの短剣がマリーの首元を切り裂こうという刹那。


 決まりかけた勝負へ割り込むように、眩い雷光を纏った矢が、風をものともせず天高くから飛来した。



「新手か!?」



 いち早く矢の存在に気がつくと、ラゼンはマリーの持つ短剣を蹴り飛ばして、即座に姿を消す。



――ガアアアア!―― 



 拘束を解かれた異形の人型たちは、一斉に腰を上げて、しゃがみ込むマリーへ襲いかかる。


 しかし、マリーへの攻撃を遮るように矢が突き刺さると、先陣を切っていた2体は、身体中を駆け巡る稲妻に膝をついた。


 

――ア”ア”ァ”ァ”……!―― 

 


「ジル!ボルガ!……クソ!」


 

 短剣を拾い上げるマリーに険しい表情を浮かべたラゼンは、姿を現しながら、倒れ伏す異形を影に仕舞い込む。


 そして、すぐさま姿を消したラゼンが岩陰へ身を寄せた直後、立っていた地点からは目が眩む程の雷光が上空へと立ち昇った。

 


(どうなってやがる!奴がルルカーニャじゃねぇのは確かなはずだ) 

 


 岩陰から顔を覗かせてラゼンが隙を伺う間にも、雷を纏う矢は飛び回るマリーを守るように、辺り一帯へ降り注ぐ。


 取り囲むようにマリーへ襲いかかる異形たちを横目に見ると、ラゼンは奥歯を噛み締めながら、無言で動き出した。

 


(しかし、だとしたら、一体誰がこんな真似を……)



 姿を消したラゼンが、矢を避けながら弓手を探し回る中。


 異形の一体が、マリーの使用したスキルによって再び七色の網へ囚われる。



(好きにさせておけば……!)


 

 両手に短剣を携えたマリーへラゼンが距離を詰めようとした時には、既に異形の体へ一本の矢が突き刺さっていた。


 

――ガア”ア”ァ”ァ”!―― 


 

「クソッタレ!どこから射ってやがんだ!?」


 

 雷に焼かれ黒煙を上げる異形の悲鳴に、ラゼンは声を荒げながら、姿を浮かび上がらせる。


 そのままラゼンが作り出した影へ異形が消えていく一方。


 同じく影へと沈み込んだマリーは、黒く染まった短刀を手に、ラゼンとの距離を詰めた。


 

「――シッ!」



「チッ!」 

 


 間近へ現れたマリーに舌打ちを零しつつも、ラゼンは咄嗟に作り出した不定形の障壁で、突き立てられた短刀を後ろへ逸らす。


 そして、包帯に覆われた顔を大きく歪めると、振り返りざまに、マリーをギロリと睨みつけた。

 


「……舐めたことを、してくれるじゃねぇか」 


 

「…………」

 


 殺気を迸らせるラゼンに、マリーは何も言わず腰を落として、短刀の柄を握りしめる。


 すると、向かい合ったラゼンもまた、右足を後ろへ下げながら、手にした短剣を引き絞った。


 

「こいつは、思ったより長くかかりそうだ……」


 

 距離を縮めた2人に、飛来する矢がピタリと降り止むと同時。


 睨み合っていたラゼンとマリーは、目まぐるしく位置を入れ替えながら、戦闘を再開するのだった。


 



 時は遡り、鳴り響く落雷の轟音に娯楽街の人々が屋内へと駆け込んでいた頃。


 人通りの減った通りでは、未だケースを手にしたアルギスが、1人隔壁を目指して駆けていた。

 


(最悪だ。胸騒ぎが止まらん……)



 次第に強くなる不快感に苛まれながらも、アルギスは突き動かさせるように、まばらな人の間を走り抜けていく。


 しかし、ややあってアルギスが隔壁近くまでやってくると、外へ繋がる扉の前には、幾人もの男たちが武器を手に巡回していた。



「――そこで止まれ!」



「……私は、今、非常に急いでいるんだ」



 制止の声に青筋を立てたアルギスは、黒い霧を噴き出しながら、止まることなく扉へと近づいていく。


 狼狽える警吏の男たちをよそに、噴き出した霧の中からは、数多の目で周囲を睥睨する巨大な百足が姿を現した。



「ギチチチィィ!」



 威嚇するように大きく顎を鳴らすと、幽闇百足は地面へ体を擦り付けながら身を低くする。


 ケースを持ち直したアルギスが幽闇百足を伴って歩き出す中。


 警吏の男たちは、持っていた武器を取り落として、ただただ様子を眺めていた。

 


「し、死霊……?」 



「ああ、その通りだ。……仲間になりたいヤツから前に出ろ」



 呆然と呟いた背年に言葉を返すと、アルギスは周りを囲む男たちをぐるりと見回す。


 たちどころに死霊を召喚したアルギスに、男たちは揃って顔を真っ青にしながら、深々と頭を下げた。



――申し訳ありませんでした!――



「……わかればいい」

 


 一転して手のひらを返す男たちに目を細めつつも、アルギスは再び霧を噴き出しながら、足早に扉へと向かっていく。


 そして、黒い霧を左手へ集めると、形を成した砕顎で扉の鍵を破壊して、外へと出ていった。


 

「あの雷は、こちらに落ちていたはずだが……」 


 

 幾条のも落雷があったはずの荒れ地は、しんと静まり、進んでも枯れ草とひび割れた岩しか見当たらない。



「……陥穽宿主」


 

 先の見えない暗闇に痺れを切らしたアルギスは、砕顎を霧へと戻して、新たな死霊を召喚した。



「この周辺で、戦闘の起こっている場所があれば教えろ」 



――ヴ、ヴ、ヴォ”ェ”ェ”ェ”……――


 大雑把なアルギスの命令に、陥穽宿主は爛れた表皮を一層膨張させて、全ての口から蟲を吐き出し始める。


 やがて、周囲に煩いほどの羽音が響き始めると、吐き出された蟲は、束になって方々へ散っていった。



(戦闘が起こっていないなら、ゆっくりと探せばいい) 

 


 幽闇百足へ寄りかかったアルギスが、落ち着かない気持ちを抑え込みながら待つこと数分。


 早くも静まり返った荒れ地に、再び無数の羽音が聞こえてくる。


 しかし、視界を覆うほどの蟲が表皮へ止まっても、陥穽宿主はふわふわと浮いたまま、口を開こうとしない。


 やがて、遅れて戻ってきたものだけを陥穽宿主が飲み込むと、アルギスは残った蟲に顔を顰めながら、幽闇百足へと飛び乗った。



「……見つけたようだな」



 苦々しいアルギスの呟きと共に、幽闇百足は残像を残して荒れ地を突き進みだす。

 

 しばしの後、蟲たちに誘導されてアルギスがやってきた岩場では、マリーとラゼンが飛び回る蟲に戦いの手を止めていた。



「無事か?」 



「っ!あ、アルギス様……申し訳ございません……」 



 2人の前を横切るように幽闇百足が動きを止めると、マリーは傷だらけの体で頭を下げる。


 しかし、幽闇百足から飛び降りたアルギスは、こっそりと息をつきながら、陥穽宿主へ残っていた蟲を飲み込ませた。



「いや、よくやった。これを持って休んでいろ」



「か、かしこまりました」 



 どこか上機嫌なアルギスに目を白黒させつつも、マリーは受け取ったケースを影へ仕舞い込んで、すごすごと引き下がる。


 程なく、幽闇百足が音もなく背後へ回ると、アルギスは胸に手を当てながら、ラゼンの前へ立ち塞がった。


 

「やあ、すまないことをした。どうやら、また遅刻のようだ」 



「……なるほど、テメェの差し金か」



 気楽な態度で軽口を叩くアルギスに、ラゼンは全身を怒りに震わせながら、くぐもった声を上げる。


 一方、陥穽宿主を送還したアルギスは、ぐるりと周囲を見回して、矢の刺さった地面に肩を竦めた。



「思い描いていた状況とは、些か異なるがね」 



「まさか、やる気か?」



 アルギスの体から漏れ出す黒い霧に目を見開くと、ラゼンは後ろへ飛び退いて、半身になる。


 ラゼンが短剣を手に身構える中、アルギスは首を横へ振りながら、首のない甲冑を背後へ呼び出した。



「いいや、殺しはしない。少なくとも、ハンスの居場所を聞き出すまではな」



「……まあ、例の物を持ち帰るには逆に都合がいいか」


 

 臆面もなく宣言するアルギスに対し、ラゼンはボソボソと独りごちながら、構えを解く。


 しかし、同時に陽炎のような魔力を身体中へ纏うと、周りの地面に巨大な影を作り出し始めた。


 

「こうなったら、もう制限はいらねぇ」



――グゥゥ……――



 10個にまで増えた影の中からは、唸り声を上げる異形の人型が腕を振り回しながら姿を現す。


 そして足元の影が消え去ると、異形の人型は大きく一歩を踏み出して、振り上げた拳を地面へ叩きつけた。


 

――オオオオオ!――

 


(ふむ。使役系統、というわけでは無さそうだな) 


 

 獄門羅刹を前に動かしながらも、アルギスは口元へ手を添えながら、雄叫びを上げる異形たちへ目線を滑らせる。


 しげしげと様子を眺めるアルギスに対し、ラゼンは前だけを見据えて、短剣を構え直した。



「悪いが、少し時間を稼いでくれ。そうりゃ、俺達で金も命も総取りだ――」



「ククク、私から、これ以上何かを奪おうとは。……いい度胸をしている」 



 ラゼンの輪郭がぼやけ始める傍ら、アルギスは2体の死霊に囲まれながら、クツクツと忍び笑いを漏らす。


 やがて、薄くなっていたラゼンの姿が完全に消え去ると、襲いかかる異形に獄門羅刹を差し向けるのだった。

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