53話

 低い石造りの天井から鎖で吊られたランタンが、揺らめく光を放つ照明の下。


 古びたテーブルを挟んで向かい合った2人の間には、未だ痛いほどの沈黙が満ちていた。



「……さて、そろそろ始めようか」


 

 一向に口を開く気配のないラゼンに見切りをつけると、アルギスは前かがみになりながら、話を切り出す。


 足元のケースへ手を伸ばすアルギスに対し、ラゼンは背もたれに片肘をかけたまま、テーブルへ乗せていた踵を下ろした。



「待てよ。お前は、どう見てもエルフじゃねぇ。こりゃ、どういうわけだ?」



「どうもこうもない。私はそちらの要求に従って、ここへ来ただけだ」 



 横柄な態度に内心で顔を顰めながらも、アルギスはケースの取っ手から手を離して、ラゼンに向き直る。


 一方、アルギスへ値踏みするような視線を向けていたラゼンは、淡々とした返事に首を傾げた。



「あん?人族が首突っ込むようなことじゃないだろ」



「もっともな意見だが、私ならエルフには出来ないことができるからな」



 一層目つきを鋭くするラゼンに対し、アルギスは落ち着き払った態度で組んだ両手を膝の上へ重ねる。


 勿体ぶるような口ぶりに鼻を鳴らすと、ラゼンは目を細めながら、どこか楽しげに身を乗り出した。



「へぇ、そりゃ、一体なんだい?」



「迅速な交渉だよ。……我々と比べて彼らは、少々気が長すぎると思わないか?」



 悩む間もなく切り返したアルギスは、目を瞑りながら、ため息交じりに首を振って見せる。


 揃って黙り込んだ2人の間に再び沈黙が広がる中。


 口元を押さえたラゼンは、目を伏せながら、噛みしめるように幾度も頷いた。



「……フッフフ、違いない」



「だろう?その点、私なら、わざわざ時間をかけることも、掟に縛られることもない」 



 しみじみと呟きを漏らすラゼンに、アルギスは胸へ手を当てながら、滔々と語りかける。


 そして、組んでいた足をほどくと、僅かに腰を浮かせて、ソファーへ浅くかけ直した。


 

「そちらにとっても、そう悪い話じゃないと思うが?」



「ま、一応、話はわかった。そういうことなら、使いっ走り同士仲良くやろうや」 



 続くアルギスの問いかけに顔を上げたラゼンは、こみ上げる笑いを噛み殺しながら、手を振り返す。



(……思っていたより、数段物わかりがいいな)



 妙に砕けたラゼンの態度に内心で首を傾げつつも、アルギスは足元のケースを一瞥して、早々に口を開いた。



「では、取引に入っても?」

 


「いや、悪いが、そいつはまた話が別だ。俺は、モノを渡せる奴としか取引はしねぇ」 



 足元のケースへ手を伸ばすアルギスに対し、ラゼンは再び声色を固くしながら、背もたれへ寄りかかる。


 一方、これ見よがしにケースをテーブルへ置いたアルギスは、手早く錠前を外して、くるりと向きを変えた。



「これなら、どうだ?」



 アルギスが重たい蓋を持ち上げると、中からはポゥと淡い燐光が溢れ出す。


 釣られてラゼンの覗き込んだケースには、未だ瑞々しい葉と花をつける枝先が、透明な円筒状の結晶に収められていたのだ。



「……おい、冗談だろ」



 ケースの中央へ鎮座した世界樹の枝に、ラゼンは呆然としながら、アルギスの顔と視線を行き来させる。


 ラゼンが狼狽えた様子でケースを覗き込む一方、アルギスは上機嫌な笑みを浮かべながら首を振った。



「いいや、正真正銘そちらの要求した世界樹の枝だよ。見ての通り、既に用意が済んでいる」



「こんなもんを、本気で外へ持ち出すとは……」 



 震える声で呟いたラゼンが、世界樹の枝を包む結晶へ、おずおずと手を伸ばそうとした瞬間。


 ケースの蓋が、ガタンと音を立てて勢いよく閉じられた。



「……なにを、しやがる」



「それはこちらの台詞だ。私は、お前らが奪ったものを確認していないぞ」



 殺気の籠もった声色で凄むラゼンを、アルギスは眦を吊り上げながら睨み返す。


 蓋を押さえつけるアルギスに瞼をひくつかせつつも、ラゼンはふぅと息を吐いて、体を起こした。



「……悪いなぁ。今日は、急いでて家に忘れてきちまった」



「それでは、私もモノがなければ取引はしないことにしよう」



 白々しい言い訳に鼻を鳴らすと、アルギスは再びケースをくるりと回して、錠前をかけ直す。


 あっさりと引き下がるアルギスに、ラゼンは顎を撫でながら、どこか探るような目線を向けた。



「……なるほどな。なら、こちらに何を望む?」



「無事な姿を、この眼で見せろ。今度はそちらが誠意を見せる番だ」



 ケースを足元へ置き直したアルギスは、自身の目を指さして、続けざまにラゼンへ指先を突きつける。


 しかし、程なく両手を広げると、足を組みながら、ゆったりとソファーへもたれかかった。

 


「幸い、私もしばらくこの街にいる。連絡を頂ければ、すぐにでも出向こう」 



「連絡なんざいらねぇよ。明日、ここで、同じ時間だ」


 

 穏やかな口調で話を続けるアルギスに対し、ラゼンはぶっきらぼうな返事と共に席を立ち上がる。


 そのまま、ラゼンが出口の扉へと足を向ける中、アルギスは満足げな笑みを浮かべながら、首を縦に振った。


 

「ふむ。いいだろう」



「モノの用意をキッチリ整えとけ。……次は、遅れるんじゃねぇぞ」



 アルギスへ流し目を向けると、ラゼンは指示を吐き捨てて、ズカズカとテーブルから離れていく。


 苛立ち交じりに部屋を出ていくラゼンを、アルギスは振り返りながら、冷たい目で見送った。



「ああ。……もう、次など無いがね」



 ボソリとこぼれ落ちたアルギスの呟きは、たちまち陰気な静寂の中へと消えていく。


 やがて、ケースを手にソファーから立ち上がると、アルギスもまた、静まり返った部屋を後にするのだった。


 



 一方その頃、交渉の行われていた店の外では。


 身を低くしたマリーが、隣へ並び立った屋根の上で、じっと店の出入り口を見張っていた。


 

(あの中に、”包帯の男”は……)



 裏口を開けて出てきた男たちの中に、マリーはアルギスから聞かされていたラゼンの風貌を探す。


 すると程なく、開け放たれた扉の奥から、フードを取り払ったラゼンが、包帯で覆われた顔を晒しながら店の外へ姿を現した。


 

(っ!来た!) 


 

 油断なく周囲を警戒するラゼンに息を呑みつつも、マリーは一層身を低くして、動きを追いかける。



 暗闇に身を潜めたマリーが様子を見つめる中。


 見送りへ出た若い男たちを背に、ラゼンは緩慢な足取りで狭い通りを歩き出した。

 


(よし……) 

 


 じっと様子を眺めていたマリーは、決心を新たに、路地裏へと向かうラゼンの後を追いかける。


 

 それから、ラゼンの行き先を探るマリーが、次々と屋根を飛び移ること数十分。


 一度開けた通りへ出たラゼンは、下ろしていたフードを被って、再び暗がりの小道へと入っていった。



(……一体、どこまで)



 入り組んだ道をフラフラと歩き回るラゼンを、マリーは訝しげな表情を浮かべながら、必死で追い回す。


 しかし、ややあって狭かった通路を抜けると、ラゼンは見回りの男たちに手を振りながら、扉の備え付けられた隔壁へ向かい出したのだ。



(マズイ!)


 

 悠々と警吏を素通りして街の外へ出ていくラゼンに対し、マリーは顔を青くしながら、慌てて影の中に沈み込む。


 

 そして、地面へと浮かび上がったマリーがラゼンに続いて扉へ足を進めようとした時。


 そっぽを向いていた警吏の青年が、途端に表情を険しくしながら、佩いていた剣の柄に手を掛けた。


 

「何ものだ……!?」



「あの、外へ出たいのですが」



 ため息交じりに肩を落とすと、マリーは距離を詰めることなく、青年に声を掛ける。


 しかし、側で様子を見ていた中年の男は、小馬鹿にした表情で、ラゼンの出ていった扉を指さした。



「おいおい、嬢ちゃん。まさか、閉まってる扉が見えないのか?」



「では……」



 敵意を見せる男たちに、マリーが顔を顰めながら口を開きかけた直後。


 3人の周りへ吹き付けた冷たい風が、マリーの被っていたローブのフードをパサリと下ろした。



「っ!なんだか、あっちの方が怪しくないか……?」



「え、ええ。そうですね」



「……どうも?」 



 唐突に去っていく2人を訝しみつつも、マリーはフードを被り直して、好機とばかりに娯楽街の外へ出ていく。


 しかし、マリーが飛び出した娯楽街の裏には、岩の転がった荒れ地が広がるばかりで、ラゼンの姿どころか人影すら見当たらない。



(ど、どうしよう……)



 頭をよぎる計画の失敗に、マリーがへたり込みそうになった次の瞬間。


 暗闇へ溶け込んでいた姿を浮かび上がらせたラゼンが、逆手に持った短剣を、マリーの脇腹へと突きつけた。



「――お前だな?俺の後をうろちょろしてたのは」


 

「くっ!」 

 


 突如背後から聞こえた声に尾行の失敗を悟ったマリーは、腕を切り裂かれながらも、短剣を跳ね除けて影の中に飛び込む。


 しかし、短剣を順手に持ち替えると、ラゼンもまた、同様に仄暗い足元の影へと沈み込んだ。


 

「逃がすかよ」



「なっ!?」



 先立って姿を現すラゼンに動揺しながらも、マリーはどうにか突きを避けて、足元へ影を作り出す。

 


 青白い顔でマリーが逃げ回る一方。


 こともなげに追い上げたラゼンは、握りしめた短剣を、倒れ込むマリーの首元へ差し向けた。

 


「死んどけ」



「”拘束”!」

 


 投げ捨てるように短剣を鞘から抜いたマリーが叫ぶと、2人の頭上には、包み込むように七色の網が浮き上がる。



「チッ!」 

 


 目線を跳ね上げたラゼンが影へ沈み込むと同時。


 七色の網はマリーだけが残る地面へ叩きつけるように覆いかぶさった。



「なに?」



 すかさず追撃を仕掛けようとしていたラゼンは、土と汗に塗れたマリーの姿に、ピタリと足を止める。


 平然と様子を眺めるラゼンに対し、マリーは血の流れる片腕を庇いながら、”魂縛の短剣”を突きつけた。


 

「はぁはぁはぁ……」

 


「物騒なモン携えたハーフエルフの女……まさか、野郎が金でも出し渋ったのか?」 



 じりじりと後ろへ下がるマリーをよそに、ラゼンは周囲を見回しながら、嫌悪の滲んだ呟きを零す。


 

 これまでの猛攻が嘘のように静かな時間が流れる中。


 背後の岩場まで下がりきったマリーは、苦々しい表情でラゼンを睨みつけた。

 


(跳ぶ速度が違いすぎる……このままじゃ……)  


 

「一旦、殺しは無しだ。ただ、もう少し痛い目は見てもらうぜ」 



 諦めたように首を左右へ振ると、ラゼンは徐々に足元へ影を広げていく。


 程なく、不穏な言葉を最後に、ラゼンの姿は影へと沈み込むのだった。

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