45話
傾いていた陽は沈み、真円の月が頂点へと昇る深夜。
アルギスとウェルギリウスだけを乗せた馬車は、表店の外装が淫靡な輝きを放つ大通りを、ゆったりと進んでいた。
「……どこまで、行く気だ?」
窓から覗く怪しげな光に眉を顰めると、アルギスは正面を向き直って、向かいのウェルギリウスへ声を掛ける。
胡乱な目を向けるアルギスに対し、ウェルギリウスは帽子のつばで顔を覆い隠しながら、手元の魔道具へ目を落とした。
「じきに……ああ、着いたようですね」
クスリと笑みを零したウェルギリウスが口を開いた直後、馬車は見計らったように動きを止める。
2人が馬車を降りた先には、飾り気のない石造りの建物が、入口を街灯に照らされながら佇んでいた。
(ここへ入るのか……?)
古めかしい風貌に首を傾げつつも、アルギスは何も言わず、ウェルギリウスの後について、脇の警備が開けた扉をくぐっていく。
そのまま2人ががらんとしたロビーを抜けると、薄暗い照明の照らす店内では、広いホールの中央舞台に立った踊り子たちが、扇情的な衣装を揺らしながら舞い踊っていた。
「おい。なんだ、ここは」
「ここは”ルルカーニャ”の拠点の一つですよ。どうです?華があるでしょう?」
くるりと体の向きを変えたウェルギリウスは、上機嫌に両手を広げながら、後ろ歩きで舞台の脇を進み始める。
時折、踊り子へ手を振り返すウェルギリウスに対し、アルギスはうんざりとした表情で、大きく肩を落とした。
「はぁ。どうにも、気乗りしないな……」
「おや?少しは、お喜び頂けると思っていたのですが」
不満げなアルギスの返答に目を瞬かせると、ウェルギリウスは期待外れとばかり前を向き直って、奥の通路へ足を進める。
しかし、早足でウェルギリウスの隣へ並んだアルギスは、額に青筋を浮かべながら、半分が帽子で隠れた顔を見上げた。
「……それは、どういう意味だ?」
「フフ。勿論、こういった話し合いに都合が良い、という意味ですよ」
アルギスの刺すような視線を尻目に、ウェルギリウスは薄い笑みを浮かべながら、通路の角を曲がっていく。
やがて、枝のように伸びた狭い通路の最奥で足を止めると、磨き上げられた銀製の扉を引き開けた。
「さ、どうぞ、お入り下さい」
「……ああ」
未だ苛立ちに顔を歪めながらも、アルギスは小さく頷いて、煌々とした明かりの漏れる部屋の中へ足を踏み入れる。
目の覚めるようなシャンデリアに照らされた室内には、豪奢なテーブルやベッドが置かれ、壁際にはバーのようなカウンターまでもが設置されていた。
「ふむ。思っていたより、小綺麗だな」
「そうですねぇ。ここ最近は、娼婦の受け入れに熱を上げていますから」
慣れた手つきで扉へ鍵をかけると、ウェルギリウスは僅かに顔を上向けながら、ボトルが置かれたカウンター脇の棚へ向かっていく。
程なく、飲み物を用意し始めるウェルギリウスをよそに、アルギスは中央に配置されたソファーへ腰を下ろして、肘掛けに頬杖をついた。
「随分と、親しいようだな」
「まあ、それなりに。一応、今代の総帥にも面識がありますしね」
ワイングラスを両手にテーブルへ近づいてきたウェルギリウスは、一方のグラスをアルギスの前に置いて、向かいの席へ腰掛ける。
ウェルギリウスが臆面もなくグラスを傾ける向かいで、アルギスはフルフルと首を振りながら、背もたれへ体を預けた。
「そう、か。……こんな時でもなければ、ゆっくりと話を聞きたいものだ」
「ええ、それは、またいずれ。本日の主題は”オークション”について、ですからね」
不快げに天井を見上げるアルギスへ頷きを返すと、ウェルギリウスは喜色を湛えながら、背中を丸めて前のめりになる。
音もなくグラスをテーブルへ戻すウェルギリウスに、アルギスはゆっくりと目線を下ろして、ソファーへ浅く座り直した。
「ああ、その通りだ」
「では、及ばずながら、ご説明を――」
静かに頭を下げたウェルギリウスは、アルギスへ顔を寄せながら、滑らかな口調で話し始める。
なんでも、ミダスにおけるオークションには、毎週のように開かれるものと、年に一度、不定期で開催されるものがあるというのだ。
しかし、不定期で開催されるオークションの参加者は、紹介状を持つものに限られ、情報の漏洩を固く禁じられていた。
(……会員制の”裏オークション”だと?)
ミダスの大商人から教会の司教まで幅広く参加するという”オークション”に、アルギスの胸中では、抑えきれない好奇心が燻りだす。
口元へ手を当てたアルギスが1人想像を巡らせる中、ウェルギリウスは流暢な口ぶりで説明を続けていった。
「――特に、今回はアルデンティアが同盟に加入してから初めての開催。皆、相当に意気込んでいるものかと」
「……なるほどな」
程なく、話を止めたウェルギリウスが体を起こすと、アルギスは手に入れた情報を噛み締めながら、しきりに頷く。
肘掛けを指で叩きながら考え込むアルギスに対し、ウェルギリウスは忍び笑いを零して、ゆっくりと足を組んだ。
「フフ。回答にご満足頂けましたか?」
「……それは、いつ開かれる?」
しばしの後、肘掛けを叩く手を止めたアルギスは、ソファーから身を乗り出して、ウェルギリウスをジロリと睨めつける。
詰問じみた物言いにスッと目を細めつつも、ウェルギリウスは腰をかがめながら、アルギスへ顔を近づけた。
「明後日……いえ、明日の日暮れより、娯楽街の端にて」
「私も、参加はできるな?」
ウェルギリウスが答えるが早いか、アルギスは息もつかせずに質問を重ねる。
有無を言わさぬアルギスの態度に、ウェルギリウスの口角は、これでもかと吊り上がった。
「ええ。小生と共にであれば、当然可能です」
「なら、お前も参加だ。任せたぞ」
悩む素振りも見せないウェルギリウスへ指示を伝えると、アルギスは不敵な笑みを浮かべながら、前に置かれたグラスへ手を伸ばす。
一方、ゆっくりと席を立ち上がったウェルギリウスは、仰々しく胸に手を当てて、深々と腰を折った。
「フフフフ、ご用意のほど委細お任せ下さい。この後にでも、手筈をご説明いたします」
(やっと、こんなところまで来た意味が出てきたな……)
背を向けてカウンターへ向かうウェルギリウスを尻目に、アルギスは堪えきれない嬉笑を浮かべながら、空になったグラスのステムを弄ぶ。
ややあって、ボトルを持ったウェルギリウスがアルギスの下へ戻ってくると、2人は声を潜めながら、”オークション”について話し出すのだった。
◇
登りかけた朝焼けが、静まり返った無人の通りを照らし始める頃。
物々しい警備に囲まれたクスタマージョの領主館では。
ソウェイルドとバルドフの2人が、精緻な彫像とソーンダイク家の使用人が脇へ立ち並ぶ廊下を抜けて、会議室の前へとやってきていた。
「お前は、外で待て」
「ですが……」
切り捨てるようなソウェイルドの指示に、バルドフは扉の取っ手を掴んでいた手を止めて、後ろを振り向く。
しかし、バルドフの背負う大剣を見やったソウェイルドは、呆れ顔で首を振りながら、着ていたローブを脱ぎ始めた。
「そんな物騒な物を背負っていては、通じる話も通じなくなる。これを持っていろ」
「……承知しました」
押し付けられたローブに眉根を寄せつつも、バルドフはガチャガチャと音を立てながら扉を引き開ける。
壁際へ身を寄せるバルドフを横目に、ソウェイルドは人の良い笑みを貼り付けながら、会議室へと入っていった。
「やあ、昨日は良く眠れたかね?私が、ソウェイルド・エンドワースだ」
長テーブルを中心にズラリと椅子の並ぶ室内へ、優しげなソウェイルドの声が響くと同時。
テーブルの前で一列に並んでいたクスタマージョのギルド長たちは、6人が全員、揃って肩を跳ね上げる。
しかし、チラチラと互いに目配せをすると、一際豪奢な衣装を身に纏う老人が、震える声で口を開いた。
「ほ、本日は栄光あるご拝謁の名誉を賜り、我ら一同……」
「ああ、止してくれ。これは、あくまで非公式の場だ」
一方、挨拶には目もくれず手を払ったソウェイルドは、早々に6人の前を通り過ぎていく。
そして、テーブルを挟んだ向かいの椅子に腰を下ろすと、頬杖をつきながら、全員の顔を見回した。
「なんなら、座ってくれても構わんよ?」
「いえ、我々は是非、このままで」
苦笑交じりで椅子を指差すソウェイルドに、ギルド長たちは椅子の横へ並び立って、頭を下げる。
満足げに頬を緩めたソウェイルドは、肘掛けに手をつきながら、ゆったりと椅子へもたれかかった。
「そうか、そうか。まあ、好きにしてくれたらいい」
――ありがとうございます――
未だ冷や汗を流しつつも、ギルド長たちはピンと背筋を伸ばして、顔を上げる。
僅かに安堵の表情を見せる6人に対し、ソウェイルドは長いため息をつきながら、テーブルへ肘をつく。
「……さて、それでは早速だが本題へ入らせてもらおう」
ソウェイルドが重々しい口調で口を開くと、ギルド長たちは再び身を固くして唾を飲み込む。
室内へピリピリとした緊張が走る中。
途端に深刻な表情を浮かべたソウェイルドは、唇を引き結びながら、テーブルへ目を落とした。
「ともすれば、気が付いていた者もいるやもしれんが……先日、ソーンダイク卿の逝去が確認された」
悔しげに呟かれたソウェイルドの言葉に、ギルド長たちは戻りかけていた顔色を一層悪くする。
全員から声にならないうめきが漏れる傍ら、大柄な壮年の男が、倒れ込むように椅子の背もたれへ寄りかかった。
「な、なぜ……」
「これは、余り公にできないことだが……諸君らを信用して話そう――」
再度全員の顔をぐるりと見渡すと、ソウェイルドは眉間に深い皺を寄せながら語り始める。
ソウェイルドが曰く、ヴィクターは長年ソーンダイク領を悩ませる”レトム山の魔物”の討伐に、騎士を率いて乗り出した。
そして、大地を割るような激闘に騎士たちが次々と命を落とす戦いの最中。
致命傷を負ったヴィクターが、魔物の情報を伝えるため、貴族派への伝令を送ってきたというのだ。
「――ソーンダイク卿は、あまり荒事を好まない方だった。もっと早く我々に相談してくれればと、今でも慙愧に堪えない」
涙交じりに語り終えると、ソウェイルドはテーブルについていた手を、白くなるほど握りしめる。
疑いようもないヴィクターの最期に、ギルド長たちは一様に沈痛な面持ちで俯いた。
「なんという……」
「これから、我々はどうしていけば……」
「無論、私の方でソーンダイク家の分家筋へあたった。……しかし、誰一人として名乗りを上げる者はいなかったよ」
ギルド長たち同様、悲しげに目を伏せたソウェイルドは、力なく肩を落としながら、首を振って見せる。
しかし、室内に落胆の雰囲気が広がると、固く奥歯を噛み締めて、ゆっくりと顔を上げた。
「だが、先代ソーンダイク伯は我が父の”良き友人”でもあった。私個人としても、このような事態は非常に遺憾だ」
険しい表情で口を開くソウェイルドに対し、ギルド長たちは固唾をのんで続く言葉を待つ。
息遣いすら聞こえそうな静寂の中、ソウェイルドは不敵な笑みを浮かべながら、自らの胸に手を当てた。
「ソーンダイク卿の残したこの地は、エンドワース家が責任をもって引き受けよう」
「宜しいのですか!?」
力強くソウェイルドが宣言すると、恰幅の良い女が思わずテーブルへ手をつきながら、声を張り上げる。
詰め寄らんばかりに身を乗り出す女に、壮年の男は慌ててテーブルから引き剥がした。
「おい!」
「し、失礼致しました……」
男の声でハッと我に返った女は、脂汗を浮かべながら、震える足で後ずさる。
狼狽えるギルド長たちに目を細めつつも、ソウェイルドはすぐに穏やかな笑みを浮かべて手を振った。
「いや、いいんだ。君たちの暮らしは、これまで通り続くとこの私が約束する」
――おぉ……!――
毅然とした態度でソウェイルドが言い切ると、ギルド長たちは目を見開きながら感嘆の声を漏らす。
直後、キッと目つきを鋭くしたソウェイルドは、大きく手を振り払って、更に語気を強めた。
「鉱山へ巣食う魔物も、必ずや解決して見せる。……ただ、少々騎士の出入りは増えるやもしれんが、そこは大目に見てくれ」
「何をおっしゃいますか!当然でございます!」
「我らに協力できることがあれば、なんなりと!」
クスリと苦笑いを零すソウェイルドに、ギルド長たちは目を輝かせながら、腰をかがめる。
に笑みを上機嫌なものへ変えると、ソウェイルドは静かに椅子を引いて、席から立ち上がった。
「ああ、何かあれば遠慮なく力を貸してもらう。……では、私はこれで失礼」
「何卒、よろしくお願いいたします!」
カツカツと踵を鳴らして去っていくソウェイルドを、ギルド長たちは頭が膝へつくほど腰を折り曲げて見送る。
一方、後ろ手に扉を閉めたソウェイルドは、首をひねりながら、脇へ控えていたバルドフに片手を差し出した。
「話は済んだ。万事、問題ない」
「ご苦労様でございました」
ニヤリと笑いかけるソウェイルドに、バルドフもまた、口元を緩めながらローブを渡す。
再び壁際へ寄った使用人たちが頭を下げる始める中、ソウェイルドは受け取ったローブを羽織って、元来た道へと足を向けた。
「ククク、これで憂いなく会合へ臨めるというものだ。行くぞ、バルドフ」
「はっ」
哄笑を上げたソウェイルドが前を歩き出すと、バルドフは油断なく周囲を警戒しながら、後へ付き従う。
呼吸を荒くしながら震える使用人たちをよそに、2人の姿は静まり返った通路の奥へ消えていくのだった。
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