44話
湾曲した海岸沿いに多くの船が並ぶ、入江のような港へ入って数時間。
昼が近づく頃になっても、アルギスとマリーの姿は護衛に囲まれた商人の並ぶ列の中にあった。
(……どうなっているんだ)
文句も言わず列へ並ぶ商人たちに、アルギスは苛立ちを抑えながら、前の集団が動き出すのを待つ。
しかし、いくら待っても動く気配すらない人混みに痺れを切らすと、隣へ並ぶマリーの肩を軽く叩いた。
「おい、この混みように心当たりはあるか……?」
「……いえ、残念ながら」
一度辺りを見回したマリーは、しょんぼりと肩を落としながら首を横へ振る。
理由すらわかならない混雑に辟易しつつも、アルギスはふらりとマリーから離れて、未だ人のごった返す前方を見やった。
(しかし、仮にも優先列でこの数だと?)
2人の並ぶ列は、足を縫い留められたように、一向に進む気配がない。
延々と時間だけが進む状況にアルギスが頭を悩ませていた時。
これまで囁くような会話だけが聞こえていた背後が、波の広がるようにざわつき始めた。
「ん?」
一斉に背後を気にしだした列の人々に、アルギスもまた、釣られてくるりと後ろを振り返る。
そのまま、しばし後方を眺めている内に、つばの広い帽子を覗かせた男が、人混みを掻き分ける様子が目に入った。
「――うわぁ!なんですか!?」
「――失敬。小生、少しばかり先を急いでおりまして……」
少し離れた列の後方では、ウェルギリウスが鷲掴みにした白金貨を手に、なにやら商人と交渉している。
そして、話が纏まるとすぐに、再び取り出した白金貨を配りながら、みるみるアルギス達との距離を縮めてきた。
(……何をしているんだ、何を)
平然と列へ割り込むウェルギリウスに額を押さえたアルギスは、われ関せずとばかりに前を向き直る。
しかし、程なくすぐ後ろで交渉する声が聞こえてくると、諦めたように再度背後へ目線を戻した。
「……こんなところで会えるとは思っていなかったな。ウェルギリウス」
「おお!やはり、そうでしたか!いやいや、お連れ様の顔に見覚えがあったもので、もしやと――」
うんざりとした表情で声をかけるアルギスに対し、ウェルギリウスは上機嫌に顔を綻ばせながら、商人の護衛を押しのける。
そして、そのままアルギスたちへと足を進めようとした時。
顔を真っ赤にした男が、肩を怒らせながら、マントを掴んで後ろへ引き戻した。
「おい!まだこっちの話が終わっていないぞ!」
「おや、これは申し訳ない。お詫びとして、こんな物は如何でしょう?」
周囲の護衛たちに睨まれながらも、ウェルギリウスは悪びれる様子もなく、どこからか小ぶりな金貨を取り出す。
陽光を受けてキラリと輝く八角形の金貨には、精悍な青年の横顔と8つの星の意匠が刻み込まれていた。
(なんだ?あれは……)
見覚えのない金貨の意匠に、アルギスは首を傾げながら、じっと目を凝らす。
他方、一転して血相を変えた男は、息を切らしながら、金貨を摘み上げるウェルギリウスの手に縋り付いた。
「こ、これはっ!偽物では無いだろうな!?」
「ええ、勿論ですよ。ぜひ、価値と、話のわかる方にお譲りしたいのですが……」
ギラギラと目を輝かせて顔を寄せる男に、ウェルギリウスは芝居がかった動きで金貨を差し出す。
嬉しげに上気した顔で唾を飲み込むと、男はひったくるようにウェルギリウスの手から金貨を奪い取った。
「ふん!まあ、いいだろう!」
「ご納得いただけたようで」
男が護衛と共にそそくさと背を向ける中、ウェルギリウスは顔を隠すように、つばの広い帽子を深く被り直す。
そして、すぐに2人の前までやってくると、動揺するマリーを尻目に、胸へ手を当てながら悠々と頭を下げた。
「さて、お待たせいたしました」
「今の、金貨はなんだ?」
黙って様子を眺めていたアルギスは、後ろへ並び直した男の喜びように、思わず疑問が口を衝いて出る。
なおも背後へ興味を惹かれるアルギスに対し、ウェルギリウスはクスクスと笑いながら、腰を折り曲げた。
「あれは、単なる”古金貨”ですよ。なんでも、今では好事家に大層人気だとか」
「……良かったのか?」
ウェルギリウスがこともなげに肩を竦める一方、アルギスは貴重な金貨の行方に眉を顰める。
しかし、一層笑みを深めたウェルギリウスは、前の閉じられたマントの中から、再び同じ金貨を取り出した。
「フフ、小生には価値などわかりませんから。よろしければ、一枚お持ち下さい」
(相変わらず、得体の知れないやつだ……)
差し出された金貨を受け取りつつも、アルギスは帽子のつばから覗く、吊り上がった口元に内心で舌打ちを零す。
金貨を仕舞い込んだアルギスの訝しげな視線をよそに、ウェルギリウスはチラリと前方の人混みを一瞥して、小首を傾げた。
「もし先を急ぐようであれば、小生が先導しますが?」
「……ああ、そうしてくれ」
しばしの沈黙の後、アルギスは、ウェルギリウスを遠ざけるように、投げやりな態度で手を払う。
一方、ため息をつくアルギスに微笑みを湛えたウェルギリウスは、手から零れ落ちそうな程の白金貨を取り出して、前の集団へ割り込んだ。
「失敬。代表に、少し話が――」
「……行くぞ。マリー」
「は、はい」
粛然と足を進めるアルギスに、マリーもまた、顔を強張らせながらウェルギリウスの後を追いかける。
程なく、困惑する護衛たちの間を抜けた2人は、白金貨を配り歩くウェルギリウスと共に、人混みの中を進んでいくのだった。
◇
日はとうに傾き始め、夕暮れも近づき始めた昼下がり。
馬車の席へ腰を下ろしたアルギスとマリーの2人は、未だウェルギリウスを伴いながら、寂れた大通りを移動していた。
「いやはや、まさか徒歩で移動しようとしていたとは思いませんでしたよ。これは、お会いできたことに感謝しなくては」
向かいで退屈そうに頬杖をつくアルギスに対し、ウェルギリウスは声を弾ませながら、天へ祈るように両手を組んで見せる。
大げさな身振りに呆れつつも、アルギスは組んでいた足を下ろして、背もたれから体を浮かせた。
「ここは、それほど危険なのか?」
「然程、危険というわけでもありませんが……まあ、御覧になった方が早いかと」
一方、アルギスと入れ替わるように足を組んだウェルギリウスは、興味なさげに、窓を覆うカーテンへ手をかける。
そのままウェルギリウスがカーテンを開くと、馬車の通り抜ける通路脇には、様々な種族の老若男女が、擦り切れた衣服で蹲っていたのだ。
全員が地べたで顔を伏せる異様な光景に、アルギスは目を見開きながら言葉を失った。
(なんというところだ、ここは……)
「あそこに寝そべる女、あれは昔、名の知れた踊り子でした」
アルギスが呆然と流れていく景色を眺める中、ウェルギリウスは淡々とした説明と共に、痩せ細った猫人族の女を指さす。
そして、ゆっくりと前へ進む馬車に合わせて指を滑らせると、あばら家の前で膝を抱える人族の男に指先を向けた。
「それに、あちらの男も、昨年の今頃までは”娯楽街”の名士だったのですよ」
「なら、アイツはどうだ?」
涼しい顔で話し続けるウェルギリウスに対し、アルギスはしかめっ面で、通路脇へ集まった人々の中心へ立つ男を指さす。
しかし、横目に男の姿を確認したウェルギリウスは、すっかりしらけた様子で、背もたれへ体を預け直した。
「あれは、元からただの貧民です」
「……そうか」
けんもほろろの返答に肩を竦めると、アルギスは不満げに窓から目を逸して、再び頬杖をつく。
苦々しい表情で黙り込むアルギスをよそに、ウェルギリウスはあっさりと窓のカーテンを閉め直した。
「と、まあこのように、アルギス様が闊歩するような場所ではないのです」
「聞いていた話と随分違うな。それに、あの人混みはどこへ消えた?」
ぼんやりと天井を見上げたアルギスは、散々足止めされた行列を思い出して、訝しげに目を細める。
アルギスが腕を組んで首を捻る傍ら、ウェルギリウスは口角を上げながら得意げな口調で口を開いた。
「彼らは、きっとテジル運河の船着き場を目指していることでしょう。本来”娯楽街”までは、そちらから向かうべきですので」
「……今は、違うと?」
含みのあるウェルギリウスの口ぶりに片眉を上げると、アルギスはコツコツと人差し指でマスクを叩きながら問いただす。
探るような目線を向けるアルギスに対し、飄々と足を組み直したウェルギリウスは、続けざまに小さく首を縦に振った。
「ええ。この時期は”オークション”が開かれますから。きっと、運河は貴族たちの船で混み合っていますよ」
「ミダスならば、オークションなどいつでもやっているだろう」
確信めいたウェルギリウスの返答に、アルギスは釈然としない様子で、苛立ち交じりの質問を重ねる。
しかし、これまでの態度が嘘のように口を噤んだウェルギリウスは、帽子のつばで顔を隠しながら、アルギスの隣で黙りこくるマリーへ流し目を向けた。
「……ここで話すには些か時間が足りませんね。ご興味がお有りなら、明日の晩にでも説明の席を設けますが?」
(わざわざ、場所を変えるだと……?)
ややあって、ウェルギリウスが言葉を選ぶように声を上げる一方、アルギスは黙り込んだまま、皺の寄った眉間を押さえる。
そして、ウィルヘルムからの伝言を思い返すと、大きく息を吐きながら、膝の上へ手を下ろした。
「……いや、せっかくだ。今晩、話を聞かせてもらおう」
「フフ、かしこまりました。では本日、日の変わる頃、送迎に向かいますので”お一人で”おいで下さい」
強引に予定を早めるアルギスに、ウェルギリウスは相好を崩しながら、嬉々として頭を下げる。
しかし、これまで微動だにせず黙りこくっていたマリーは、ウェルギリウスの提案に目を剥いて、席から飛び上がった。
「なっ!?」
「聞いていたな?お前は、宿でゆっくりと休んでいろ」
ワナワナと震えるマリーへ顔を向けると、アルギスはそっと腕を掴んで、隣へ引き戻す。
にべもない指示に奥歯を噛み締めつつも、マリーは席へ座り直して、項垂れるように頭を下げた。
「……かしこまりました。そのように」
(取引までは、もう少し時間がある。その間くらい好きにやらせて貰おう)
嬉しげなウェルギリウスと落ち込むマリーをよそに、アルギスは1人、難しい顔で目を瞑る。
静まり返った車内に車輪の音が響く中、3人を乗せた馬車は、きらびやかな建物が軒を並べるミダスの娯楽街へと向かっていくのだった。
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