39話
メリンダとの邂逅から数時間。
鬱蒼とした森へ足を踏み入れたアルギス達の前には、山の裏手へ回り込む巨大な枝が、城壁の如く立ち塞がっていた。
また、降り注ぐ燐光に空を見上げれば、大小無数の逆巻く枝葉に包みこまれた大樹の樹冠が、波打つように明滅を繰り返している。
空を覆い尽くす樹冠の下、3人は辺りを見回しながら、垂れ下がる段状の分枝を登っていった。
(……これが、エルドリアの中枢か。森都の名も頷ける)
未だ全貌の見えない世界樹に圧倒されつつも、アルギスは何も言わず、エレンに続いて分枝を登りきる。
それから、次第に幅を広げだした枝の上を黙々と歩き続けること数十分。
山の裏手で大地と見紛う程に奥行きを広げた枝には、色とりどりの楼閣が整然と立ち並んでいた。
(しかし、これほどのものが遠目から見えなかったのは、一体……)
ふと海上からの光景を思い返したアルギスは、山の形を変えて張り出す巨大な枝に、怪訝な表情で首を捻る。
ぼんやりと世界樹を見上げるアルギスに対し、エレンは通路のように成形された樹皮の間を足早に進んでいった。
「……近づきすぎると処刑されるから、気をつけて」
「近づくわけが無いだろう」
物騒な忠告に眉を顰めると、アルギスは世界樹から目線を外して、前を歩くエレンの隣へ並ぶ。
しかし、アルギスの姿を横目に見たエレンは、げんなりとした表情を浮かべながら、楼閣を囲む梢の間を抜けていった。
「ちゃんと言っておかないと、アルギスは……あれ?」
「今度はなんだ?」
駆け足で楼閣へ向かい出すエレンに、アルギスとマリーもまた、釣られて歩く速度を上げながら、後を追いかけていく。
ややあって、3人がいそいそと近づいていった楼閣の階段脇には、前後の湾曲した大振りな木造の帆船が、どっしりと鎮座していた。
「これは……」
「樹上船。誰か来てるみたい」
訝しむアルギスの言葉を引き継ぎつつも、エレンはそっと手を触れながら、靡くような雲の彫刻が刻まれた船体をまじまじと見渡す。
しばしの後、釈然としない様子で船から離れるエレンに、アルギスは探るような目線を投げかけた。
「来客は珍しいのか?」
「うん。それに、船で来るなんて誰だろ?」
アルギスの問いかけにコクリと頷いたエレンは、不思議そうな顔で横を振り向く。
揃って首を捻った2人が船から目を離す一方、マリーだけは折り畳まれた帆に隠れる紋章を、不安げな表情でじっと見つめていた。
「…………」
「まあ、いいや。行こ」
身を縮こまらせるマリーに気づく様子もなく、エレンは早々に船へ背を向けて、楼閣に繋がる階段へと足を向ける。
そのままスタスタと歩きだすエレンをよそに、アルギスは複雑な表情で燐光の降り続ける上空へ目線を向けた。
(また、時間が掛かるなんてことにならなければいいがな)
樹冠で覆われた森都に昼とも夜とも知れない時間が流れる中。
幅の広い石造りの階段を登った3人は、淡黄色の屋根が層状に重なるハミルトン家の屋敷へと入っていった。
(これは……)
しばらくして、3人が大きなアーチ型の扉をくぐった先では、天井に吊るされた透し彫りの灯籠が、玄関を柔らかく照らしている。
また、奥の廊下へと繋がる通路の左右には、ゆったりとした衣服に身を包んだ使用人が一列に並んでいた。
――おかえりなさいませ、お嬢様――
「ただいま。ティファレトも、戻ってるよね」
深々と頭を下げる使用人たちに対し、エレンは素っ気ない返事と共に首を傾げる。
一方、ゆっくりと前に進み出た男性の使用人は、小さく頷きながらも、エレンの後ろで辺りを見回すアルギスとマリーに訝しげな表情を浮かべた。
「はい。ですが、そちらの方々は……」
「私の友達。それより、父様のところへ行かないと」
2人から注意を逸らすように声を上げると、エレンは焦れた様子で再び歩き出す。
気忙しく先を急ぐエレンに、使用人は列から飛び出して、後を追いかけた。
「か、かしこまりました。ですが、旦那様は現在、応接室にてご歓談中でして……」
「来てるのは、誰?」
背後から上がった声に足を止めたエレンは、ムッとした表情で後ろを振り返る。
不快感を滲ませるエレンに顔を強張らせつつも、使用人は居住まいを正して、静かに口を開いた。
「戒二位”エクアリタス家”の方々です」
「っ!」
(ここで、エクアリタスの名が出るか……)
隣で息を呑むマリーへ流し目を向けると、アルギスは胸中へ沸き上がる嫌悪感に、マスクで隠れた口元を歪める。
揃って表情を曇らせるアルギスとマリーに対し、エレンは吹っ切れたように前を向き直った。
「そっか。じゃあ、とりあえず部屋で休む」
「かしこまりました」
恭しく腰を折った使用人は、こっそりと息をつきながら、遠ざかっていくエレンの背中を見送る。
しかし、アルギスがエレンの後を追いかけようと足を進めると、すかさず顔を上げて、前に立ち塞がった。
「……失礼ながら、お連れの方々はあちらの者が」
(……少し、時間がかかるやもしれんな)
警戒心を露わにする使用人に、アルギスはため息をつきながら、後ろへ引き下がる。
ややあって、集まっていた使用人たちがぞろぞろと立ち去る中。
若い使用人に案内されたアルギスとマリーの2人は、左右へ分かれた廊下をエレンと反対の方向へ進んでいくのだった。
◇
先頭を歩く使用人が1つ目の曲がり角へ差し掛かろうという頃。
アルギスの後ろへ並んだマリーは、汗の滲んだ手を握りしめながら、キョロキョロと周囲を警戒していた。
(あの人に見つかったら、どうしよう……)
青い顔で身を震わせるマリーをよそに、使用人とアルギスは歩みを止めることなく、曲がり角の奥へと消えていく。
しかし、遠ざかる足音にマリーが慌てて駆け寄った廊下の先では、アルギスが待ち構えるように立ち止まっていた。
「おい」
「は、はい」
険のある声色に足を止めると、マリーは緊張を湛えながら、ぎこちない動きで腰をかがめる。
一方、疑わしげに目を細めたアルギスは、首を傾げるようにマリーの顔を覗き込んだ。
「顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「申し訳ありません。見苦しいところを、お見せいたしました」
胡乱な目を向けるアルギスに対し、マリーは重々しい返事と共に、一層深く腰を折る。
目線の合わないマリーに眉を顰めつつも、アルギスは顔を上げて、前方で振り返る使用人へと足を向けた。
「……問題があれば、すぐに言え」
(はぁ、これじゃ役に立つどころか足手まといだ……)
アルギスに遅れて顔を上げたマリーは、しょんぼりと肩を落としながら、廊下を進んでいく。
やがて、使用人が2つ目の曲がり角を曲がろうとした時。
すれ違うように、奥からカッチリとした黒い革のコートを身に纏う2人組が姿を現した。
(……え)
白くなった金髪を結い上げる老エルフと、その後ろへ付き従う壮年のエルフに、マリーは汗を吹き出しながら、その場で立ち竦む。
すると直後、怖気立つマリーに気がついた壮年のエルフは、大きく目を見開きながら、体を仰け反らせた。
「な……」
「失礼。少しばかり、お時間を頂きたい」
壮年のエルフが唸り声を漏らすが早いか、老エルフは穏やかな口調で、2人を案内していた使用人へ声を掛ける。
音もなくマリーへ近づいていく老エルフに、使用人は目を泳がせながらも、深々と頭を下げた。
「承知いたしました」
「君に話がある。こちらへ、来てもらおう」
なおも穏やかな声を上げつつも、老エルフは途端に顔から表情を失くして、マリーの腕を握りしめる。
そして、言葉を失っていた壮年のエルフを一瞥すると、有無を言わさず壁際へと引っ張っていった。
(な、なんで……。なんで、お祖父様まで……)
祖父――”サニステリオ”に壁際へ叩きつけられながらも、マリーは溢れそうになる涙を堪えて、ぎゅっと唇を引き結ぶ。
しかし、眦を吊り上げたサニステリオは、俯くマリーの顎を掴んで、強引に顔を上げさせた。
「なぜ、貴様がここにいる?とうに死んだはずだろうが」
「…………」
「ぁ、ぃえ、その……」
高圧的な詰問に言葉を詰まらせると、マリーは無表情で様子を眺める父――”リミナリオ”へ、助けを求めるように目線を揺れ動かす。
黙り込むリミナリオを横目に、サニステリオはポゥと魔力を宿した指先を、マリーの喉元へ突きつけた。
「間違っても誤魔化そうなどと考えるなよ?言え。なぜ、ここにいる」
「ぅぁ、はぁ、はぁ……」
怯え交じりに胸を掻き抱いたマリーは、息を切らしながら、頬に涙を伝わせる。
マリーの吐息だけが小さく響く中、剣呑な雰囲気に包まれる3人の間へ黒い影が割り込んだ。
「黙って見ていれば……いい加減にしろ。不愉快だ」
マリーを掴んでいた腕を払いのけると、アルギスは苛立ちを隠すことなく、サニステリオの前に立ちはだかる。
憤慨した様子のアルギスに対し、サニステリオは殺気を抑え込みながら、貼り付けたような笑みを浮かべた。
「部外者は口を挟まないで貰えるかな?これは我々の問題だ」
「こいつの身柄は今、私のモノだ。まず、私に話を通すのが筋だろう」
しかし、背後のマリーを指さしたアルギスは、一歩も引かず、続けざまに自身の胸を叩いて見せる。
居丈高なアルギスに青筋を浮かべつつも、サニステリオは奥歯を食いしばって、ゆっくりと体を捻った。
『こやつは何者だ?もしや、お前がなにか隠しているのか?』
『……いえ。まさか、そのようなことは』
矢継ぎ早に問い詰めるサニステリオへ、リミナリオは眉一つ動かさずに首を振り返す。
相対する2人が重々しい声色で言葉を交わす一方で、アルギスは忍び笑いを漏らしながら肩を竦めた。
『おや、おや。人前で密談とは、いただけないな』
『貴様、本当に何者だ!?どこで”古代語”を知った……!』
平然と会話へ割って入る声に血相を変えたサニステリオは、掴みかからんばかりにアルギスへと詰め寄る。
鋭い視線で睨めつけるサニステリオに対し、アルギスは冷ややかな笑みを湛えたまま、口元を覆うマスクへ触れた。
『我々は冒険者として、個人的な依頼のためにここへ来た。それ以上を貴様らに伝える義理はない』
『依頼だと?冒険者風情に、何を――』
アルギスの返答に鼻を鳴らしたサニステリオが嘲り交じりの口調で質問を重ねようとした直後。
サニステリオの顔を見つめたアルギスが、小首を傾げながら口を開いた。
『ふむ。断りもなくシェラーの私情へ立ち入るとは。少々、ハルディンの権能を見縊っていたかな?』
「っ!」
『……父上、ここは一旦引きましょう。如何せん、場が悪い』
目を剥いて絶句するサニステリオに、リミナリオはすかさず顔を寄せて耳打ちをする。
忠告じみた囁きに怒りを募らせながらも、サニステリオは周囲を見回して、引きつった笑みを浮かべた。
「も、申し訳ない事をしたね。少しばかり、見間違いをしてしまったようだ」
「いやいや、納得出来たようでなによりだよ。それに、不幸な行き違いというのは誰にでもある」
一方、上機嫌に両手をすり合わせたアルギスは、皮肉げな返事と共に2人の姿を見比べる。
怒りを再燃させるサニステリオを尻目に、リミナリオは壁際で縮こまるマリーを一瞥して、くるりと踵を返した。
「……それでは、我々はこれで失敬」
『おのれ……』
リミナリオが会話を切り上げる傍ら、サニステリオはなおも怒りに満ちた目線をアルギスへ投げかける。
しかし、二の足を踏む使用人を横目に見やると、逃げるようにアルギスとマリーの下を離れていった。
(な、何が起きたの……?)
アルギスの背後に隠れていたマリーは、慌ただしく去っていく父と祖父の姿に目を白黒させる。
状況の飲み込めないマリーに対し、アルギスは早々に2人から目線を外して、後ろを振り向いた。
「おい」
「ひゃい!」
アルギスが低い声で話しかけると、マリーは我に返ったようにビクリと肩を跳ねさせる。
気の抜けた返事に肩を落としつつも、アルギスは真剣な表情でマリーの目をじっと見つめた。
「……エルドリアでは、しばらく大人しくしていろ。いいな?」
「か、かしこまりました」
声のトーンを落として釘を刺すアルギスに、マリーは涙の跡が残る頬を赤く染めながら、深々と頭を下げる。
しかし、ややあって案内の使用人が遠慮がちに近づいてくると、顔を上げてアルギスへ静かに付き従うのだった。
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