38話

 アルギス達が交易街を出て早くも4日が経とうという頃。


 3人を乗せた家屋は、トンネルのような長い洞窟を抜け、地上へ繋がる縦穴を垂直に浮かび上がっていた。

 


(やっと、着いたようだ……) 

 


 ふわりとした浮遊感の後、アルギスは大きく伸びをしてソファーから立ち上がる。


 続けざまに出口へと顔を向けるアルギスに対し、エレンは慌てて脇へ置いていた鞄を取り上げた。



「待って」



「む?なんだ?」



 呼び止めるエレンへ目線を落とすと、アルギスはキョトンとした顔で目を瞬かせる。


 一方、複雑な表情を浮かべたエレンは、躊躇いがちに、持っていた鞄をテーブルへ置き直した。


 

「……色々あって忘れてたけど、これあげる」



(ずっと持っていた鞄……私物じゃなかったのか?)

 


 むっつりと黙り込むエレンを訝しみつつも、アルギスは花の彫刻がなされた鞄へ手を伸ばす。


 しかし、蓋を閉じる金具へ触れると、上目遣いにエレンの表情を見つめた。


 

「今、開けても?」



「うん。いいよ」 



 膝の上へ飛び乗るティファレトを尻目に、エレンは小首を傾げるアルギスへ頷きを返す。


 しばしの逡巡の後、そっと蓋を開けたアルギスは、中身を確認して、すぐにエレンへ目線を戻した。

 


「……これは、一体なんだ?」



 アルギスが蓋を掴んだ鞄の中には、髑髏の口元を模した黒い金属製のマスクが、鮮やかなベルベットの裏地にすっぽりと収められている。


 不穏な見た目に眉を顰めるアルギスに対し、エレンはティファレトを抱き上げながら、得意げな顔を浮かべた。


 

「魔道具。森都に入るなら、あったほうが良い」 



 簡潔すぎる説明に眉間の皺を深めると、アルギスは再びソファーへ腰を下ろして、マスクを睨みつけた。



(《傲慢の瞳》よ、詳細を表示しろ)


 

――――――――



『喪失の仮面』:《傲慢の瞳》により、この喪失の仮面は魔道具であると判明。


 この魔道具は見た者の記憶を一時的に阻害し、装備者の容貌を忘却させる。


 エルドリア皇国ノルム工房にて作成。

 


――――――――

 


(いや、確かに性能は素晴らしいんだが……)

 


 願ってもない効果と気乗りしない外見にアルギスの気持ちが揺れ動く中。


 側に控えていたマリーが手鏡を取り出しながら、しずしずと床へ膝をついた。



「こちらを」 



「ああ……」 


 

 期待に満ちたマリーの眼差しに、アルギスは渋々マスクを取り上げて、鏡を見ながら口元へあてがう。


 すると、目元から下を覆い隠すマスクは、ピタリと吸い付くようにアルギスの顔へ固定された。


 

「……もう少し、違う意匠の物は無いのか?」



 ひんやりとしたマスクの表面を撫でると、アルギスは鏡へ映った自らの風体に眉を顰める。


 しかし、様子を眺めていたエレンは、不思議そうな顔で、コテンと首を倒した。



「なんで?似合ってるよ?」



「…………」 


 

「はい!とても良くお似合いです!」

 


 半目でエレンを睨むアルギスに対し、マリーは目を輝かせながら、パチパチと手を鳴らす。


 悪意のない賛辞に額を押さえつつも、アルギスは諦めたように、ゆっくりとソファーから立ち上がった。



「……ああ、わかった。もういい」 

 


「よし、じゃあ行こう」


 

 アルギスが肩を落としながら首を振ると、エレンはティファレトを抱きながら、そそくさと席を立ち上がる。


 一直線に出口へと歩き出すエレンに対し、アルギスとマリーは無言で後を追い掛けていった。


 

(……どうせ忘れるなら、もっとシンプルな物でも良いだろ) 



 スタスタと廊下を進むエレンを追う傍ら、アルギスは内心でやりきれない気持ちを燻らせる。


 しかし、ややあって開かれた扉を抜けると、鬱蒼と茂る巨大な木々に言葉も忘れて息を飲み込んだ。


 

(これが、森都……?人の気配すら無いが……)



 縦に並んで階段を降りる3人の周囲には、縦穴を塞ぐ地面と繋がるように、苔むした大地が延々広がっている。


 キョロキョロを辺りを見回すアルギスを背に、エレンは森の奥を見据えながら、そっとティファレトへ顔を寄せた。


 

「私が案内するから、ティファレトは父様に連絡をよろしくね」


 

『本当に、1人で大丈夫かい?』


 

 背中を撫でるエレンに不安げな声を掛けると、ティファレトは警戒交じりに左右へ首を振る。


 一方、ぎゅっと下唇を噛み締めたエレンは、ティファレトの体から手を離して、力強く頷いた。 


 

「うん。大丈夫」

 


『……まっすぐ、帰ってくるんだよ』


 

 ぼそりと呟いたティファレトは、躊躇いながらも、羽を広げて上空へと舞い上がる。

 

 瞬く間にティファレトの姿が木々の奥へと消える中。


 後ろを振り返ったエレンは、未だ家屋の壁際で立ち止まるマリーに胡乱な目を向けた。


 

「何してるの?」



「いえ、その……」


 

 踵を返して近づいてくるエレンに、マリーは顔を強張らせながら、家屋の横手に目線を向ける。


 

「……?」 


 

 マリーの視線に釣られてエレンが壁際を覗き込むと、瓦屋根の影には、壁面の彫刻へと触れるアルギスの姿があった。

 


「初めて見る魔道具だ。今一度、よく見ておこうと思ってな」



「そんなの、もういいから――」 



 上機嫌な笑みを浮かべるアルギスにエレンが手を伸ばそうとした瞬間。


 はたと血相を変えたアルギスは、身を低くして駆け出すと、勢いもそのままにマリーへ抱きついた。


 

「マリー!今すぐ木の上に飛べ!」



「は、はい!」 


 

 マリーとアルギスの姿が影に沈むが早いか、無数の矢が2人の後を追いかけるように木々の隙間から降り注ぐ。


 動揺するエレンをよそに、矢は地面へと突き刺さったそばから、けたたましい雷撃を立ち昇らせ始めた。


 

(……やはり、再臨祭で見たものと同じだ。矢を起点に術式が使用されている)



 マリーと並んで木の枝へ降り立ったアルギスは、口元へ手を当てながら、次々に迸る閃光をじっと観察する。


 やがて、轟音と閃光が収まったかに思えた時。


 再びどこからともなく飛来した矢が、風を切る音と共に、地面へ降りようとする2人の側を掠めていった。


 

「っ!これは、一体……!」



「お前は敵を見つけることに専念しろ。矢は私が引きつける」



 慌てて身を低くするマリーを尻目に、アルギスは魔力で体を覆いながら、1人木の上から飛び降りる。


 しかし、黒い霧を揺らめかせ始めたアルギスの下へ、たエレンが顔を青くしながら駆け寄ってきた。



「――だめ!あの人とまともに戦うのは無理!アルギス、止めて!」



「なに……?」 


 

 必死なエレンの叫びにアルギスが魔力を抑え込むと同時、周囲に突き刺さった矢もまた、次第にその輝きを失っていく。


 

 焼け焦げていた木々の葉がみるみる再生する中。


 樹上のマリーを呼びつけたアルギスは、振り返りざまに、息を整えるエレンへ険しい視線を投げかけた。



「……当然、説明はしてもらえるんだろうな?」



「う、うん。……とりあえず、少し落ち着こう」 



 射竦めるような視線を避けるように、エレンは額の汗を拭いながら、家屋の階段へと歩き出す。


 程なく、家屋の近くまで戻って来ると、アルギスとマリーは難しい顔でエレンの話に耳を傾けるのだった。


 



 アルギスとマリーの2人がエレンの話を聞き終えてしばらく。


 家屋の階段に腰掛けたアルギスは、痺れを切らしたように、隣へ座るエレンに流し目を向けた。


 

「それで?いつになったら来るんだ?」


 

「もうすぐ……来るはず、たぶん」



 成り行き任せの言葉を最後に、エレンはじっと森の奥を眺めながら黙り込む。


 要領を得ない回答にため息をつきつつも、アルギスはエレンから目線を外して、ぼんやりと空を見上げた。



(しかし、あれだけの攻撃を1人で?どんな奴が……)


 

「――これは、どういう了見だい?エレン・シェラー・ハミルトン」


 

 アルギスが周囲に残る無数の矢に目線を落とした直後。


 深緑色のローブに身を包む妙齢の女が、不快感を滲ませた声と共に大樹の影から姿を現す。


 重たい足取りで3人の側へと近づいてきた女に、アルギスは訝しげな表情を浮かべながら立ち上がった。



(こいつは……エルフなのか?いや、それとも……) 



 ゆるく右肩の前で纏められた髪からは、確かにエルフであることを示すピンと尖った耳が飛び出している。


 しかし、陽光の下に晒された肌は、まるで魔族を思わせるような浅黒い色をしていたのだ。

 


(《傲慢の瞳》よ――)


 

 無言で睨みつけるアルギスに対し、女は金色の両目を細めながら、ゆっくりと耳元へ顔を寄せた。



「それ以上は止めておいたほうがいい。妙な動きをすると、痛い目を見ることになる」 



(……やはり、そう簡単に正体は掴めないか) 



 含みのある囁きに舌打ちを零すと、アルギスは苛立ちを抑え込むように瞼を閉じる。


 一方、アルギスの肩を軽く叩いた女は、途端に顔から笑みを消して、隣へ立つエレンに向き直った。

 


「それにしても、まさかこの私が姿を晒す羽目になるとはねぇ」 


 

「ごめんなさい……」 


 

 不満げに腕を組んで見下ろす女に、エレンは項垂れながら頭を下げる。


 バツの悪そうなエレンに口元を歪めつつも、女はふぅと息をついて、僅かに腰を屈めた。



「そうだな。じゃあ、この状況は……」

 


「――お前が、門番とやらでいいんだな?」 


 

 仕切り直すように女が上げた声を、ふてぶてしい問いかけが遮る。


 すると、一度口を閉じた女は、皮肉げな笑みを浮かべながら後ろを振り返った。

 


「……態度と言葉遣いには、もう少し気をつけるべきだね。それとも、まだ弁え方もわからないのかな?」



「ほう?」 


 

「ま、待って。アルギス、落ち着いて。メリンダも」 



 睨み合ったまま気色ばむ2人を、エレンは間へ割り込みながら慌てて宥める。


 エレンがどうにか2人を引き離そうとする中、アルギスは片眉を上げながら、後ろへ引き下がった。


 

(ん?メリンダ……?) 


 

「アルギス……あの馬鹿げた依頼をしてくれたのは、お前だな!」


 

 はたと首を傾げるアルギスに対し、メリンダは沸き上がる怒りに任せて声を張り上げる。


 しかし、一度視線を上向けたアルギスは、心当たりのない非難に、ため息をつきながら肩を竦めた。



「誰かと、間違えているんじゃないか?」


 

「とぼけるんじゃない。散々働かされた屈辱を、私は今でも確かに覚えている」



 気のない返事に一層眦を吊り上げると、メリンダはアルギスの胸を指でつつきながら責め立てる。


 というのも、アルギスがハンスにした依頼は、到底1週間で終えられるものではない。


 しかし、ハンスに頼み込まれたメリンダが無理を押して素材やアイテムを集めたことで、どうにか間に合わせたというのだ。



「――おかげで、あの時は酷い有り様だった。まったく、思い出しただけでも腹が立つ」 



(……あの依頼一つで、ここまでの目に遭うとは) 


 

 聞きたくもなかった事実に内心で頭を抱えつつも、アルギスは階段脇へ控えるマリーを横目に見て、遠ざけるように手を払う。


 フードで顔を隠しながら離れていくマリーをよそに、メリンダは顎に手を当てながら、じっと一点を見つめていた。


 

「大体、アレはどこで何をして……素材の手配も……」



「ハンスの奴は、今行方不明だぞ」



 ブツブツと呟きを漏らすメリンダに対し、アルギスはマリーから目線を外して、臆面もなく言い放つ。


 しかし、隣で2人の様子を伺っていたエレンは、無遠慮な言葉に大きく目を見開いた。



「っ!アルギス!」 



「なに!?どういうことだ……」



「……そのままの意味だ。何者かに誘拐され、行方すらわからない」 



 口を塞ごうとするエレンの腕を払うと、アルギスは呆れ顔で軽く首を振って見せる。


 あけすけなアルギスの返答に、メリンダはワナワナと体を震わせながら、エレンの肩を掴んだ。

 


「事実、なのかい?エレン」



「……うん」 

 


 しばしの沈黙の後、メリンダから顔を逸したエレンは、眉尻を下げながらコクリと頷く。


 力なくエレンの肩から手を落とすと、メリンダは苦々しい表情を隠すように片手で顔を覆った。



「なぜ、どうして今更になって……」



「落ち込んでいるところ悪いが、私はその件でエレンに呼ばれて遥々ここまで来たんだ。通っても良いかな?」



 なおも混乱した様子のメリンダに対し、アルギスは森を指さして、涼しい顔で首を傾ける。


 すると直後、ピタリと動きを止めたメリンダは、手で顔を覆ったまま、鬱陶しげに口を開いた。


 

「……シェラーの客人であれば、私に引き止める権限は無い。勝手にしたらいいさ」



「ふむ、そうか。では、失礼」



 メリンダの返事ににこやかな笑みを浮かべると、アルギスは形ばかりの会釈と共に2人の側を離れていく。


 階段の影へと消えるアルギスを尻目に、エレンはメリンダのローブを掴みながら顔を見上げた。


 

「ねぇ、メリンダ。もし良ければ、一緒に……」 



「いや、私はもう疲れた。帰って、ゆっくりと休ませてもらうよ」 


 

 にべもなくエレンの手を振り払ったメリンダは、覚束ない足取りでフラフラと家屋を離れていく。


 そのまま陽光を遮る木々の下へ辿り着くと、眩いばかりの落雷に包まれて消えていった。

 


「あの方は、一体……?」



 一瞬にして森を染めた閃光に、マリーは隠れていた事も忘れて、家屋の影から顔を出す。


 すると、直ぐ近くの壁際には、不満げに顔を歪めたアルギスが寄りかかっていた。

 


「そんなことは今どうでもいい。気にしても無駄だ」 



「かしこまりました」 



(……ハンスにも、会ったら色々と聞くべきことが増えたな) 

 


 傍に控えたマリーが粛々と頭を下げる一方、アルギスはローブの隙間から覗くメイド服の襟に眉間の皺を深める。


 しかし、気を取り直すように首を捻ると、未だ階段で項垂れるエレンの下へ向かっていくのだった。

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