37話
レイチェルたちがソーンダイク領へと近づきだしていた頃。
交易街を出立したアルギス達の姿は、半球状に成形された地面の上に建つ木造家屋の一室にあった。
美術品の如く彫刻の散りばめられた家屋は、淡い燐光を漂わせながら、奥深い谷底を滑るように進んでいく。
そして、音もなく移動する家屋と呼応するように、居間へ集まった3人の間にもまた、重苦しい沈黙が続いていた。
(……こんなことなら、直接向かうべきだったな)
肘掛けに頬杖をついたアルギスは、向かいで黙り込むエレンとティファレトにため息をつく。
アルギスがうんざりとした表情を浮かべる一方。
背後に控えていたマリーは、両手を体の前に揃えて躊躇いがちに腰を折った。
「あの、そろそろお食事を摂られた方が……」
「もう交易街を出て2日だぞ?いい加減、干し魚に飽きないのか?」
おずおずと囁きかけるマリーに対し、アルギスは後ろを振り返って、不満げな声を上げる。
一層顔色を曇らせるアルギスに怯みつつも、マリーは目を伏せながら、首を横へ振った。
「いえ、決してそのようなことは……」
「……羨ましいことだ」
マリーへ皮肉げな言葉を返したアルギスが前を向き直る中。
これまで黙り込んでいたエレンが、ムッとした表情を浮かべながら口を開く。
「干し肉とかもある」
一方、棘のあるエレンの口調に疲れを滲ませたアルギスは、目頭を押さえながら、背もたれへ体を預けた。
「そういう意味ではない。私はキチンとした食事を摂りたいんだ」
「そもそも、アルギスが使用人をみんな置いてきたからこうなった。だから文句は自分に言うべき」
ややあって、ボソリとぼやきを零すアルギスへ、エレンは冷ややかな目線を向けながら、言葉を重ねる。
しかし、非難がましいエレンの物言いにアルギスが閉口すると、室内は再び水を打ったように静まり返った。
(はぁ……これでは、身も心も休まらん)
こっそりと息をついたアルギスは、裏目に出た気遣いを悔やみながら、天井を見上げる。
不安げに目線を行き来させるマリーをよそに、それからしばらく無言の時間が続いた頃。
はたと首をひねったアルギスが、天井上の2階を指さしながら顔を下ろした。
「食材も、無いのか?」
「……わからない。厨房なんて行ったこと無い」
「……少し様子を見てくる」
にべもないエレンの返事に眉を顰めつつも、アルギスは静かに腰を浮かせて、席から立ち上がる。
そして、凝り固まった肩を回すと、付き従おうとするマリーへ軽く手を振り返した。
「お前もここにいろ。何かあれば伝える」
「か、かしこまりました」
部屋の出口へと歩き出すアルギスに、マリーはその場で立ち止まって頭を下げる。
一方、そそくさと足を進めたアルギスは、振り返ることなく、1人居間を出ていった。
(何度見ても中は普通の家だな。これが移動しているとは、とても思えん)
アルギスが歩きだしても、揺れ一つ起きない廊下には、閉め切られた扉と2階へと繋がる階段しか見当たらない
しかし、ふと横を振り向くと、厚いガラスの嵌め込まれた窓からは、格子越しに一定の速度で流れていく岩壁が見えていた。
(……今は、とりあえず食事だ)
得体のしれない技術に興味を惹かれながらも、アルギスは腹を押さえて、鉱石の光に照らされる階段を駆け上がっていく。
やがて、不気味なほど静かな2階へ辿り着くと、すぐ右手に見える、重々しい扉へ足を進めた。
「ここだな。せめて、生の食材があればいいんだが……」
微かな希望を胸にアルギスが扉を開けた厨房には、小ぶりな壺の並ぶ調理台と、巨大な魔石の嵌め込まれたかまどが鎮座している。
また、いくつもの鉄鍋や木のヘラが整然とかけられた壁の奥には、簡素な木製の扉が佇んでいた。
「どうやら、期待が持てそうだな」
上機嫌に頬を緩めたアルギスは、辺りを見回しながら、調理台と炉の間を抜けていく。
ややあって、厨房の奥へ辿り着くと、鍵がかかっていない事を確認して、勢いよく扉を引き開けた。
「……ほう」
アルギスが扉を開けた途端、仄暗かった小部屋には、温かい明かりが灯りだす。
同時に、壁際へ寄せられた野菜の籠と、隅に置かれた巨大な金属製の箱が姿を現したのだ。
(これは、冷蔵庫だ。鮮度は……まあ、状態異常の耐性に賭けるしか――)
すぐさま部屋の隅へやってきたアルギスが、金属製の箱の中へ並ぶ生魚に複雑な表情を浮かべていた時。
ふと首を傾げた視界の端に、枝と葉が鷹を囲む紋章の刻まれた、蓋付きの木箱が映り込んだ。
「ん?」
腰ほどの高さがある重厚な木箱に向き直ると、アルギスは目を瞬かせながら興味本位で蓋へ押し上げる。
程なく外気にさらされた箱の中には、米を詰め込んだ織り袋が幾重にも重なって納められていた。
「……さて、何を作ろうか」
迷わず織り袋を取り出したアルギスは、満面の笑みを浮かべながら、両手をすり合わせる。
しばしの後、そっと箱の蓋を閉め直すと、そのまま残りの食材へ集め始めるのだった。
◇
アルギスが浮かれ調子で食材を選んでいた頃。
エレンと共に居間へ残ったマリーは、出口の扉へ視線を彷徨わせながら、じっと壁際に控えていた。
(アルギス様、大丈夫かなぁ……)
アルギスが去ってしばらく、1階の居間に未だ重苦しい沈黙が続く中。
中心の椅子から体を起こしたエレンが、抱えていたティファレトから手を離して、不意に横を振り向いた。
「ねえ」
「は、はい。お呼びでしょうか……?」
短く呼びかけるエレンの声に、マリーは身を固くしながら、恐る恐る近づいていく。
緊張した面持ちでマリーが後ろへ控える中、エレンは少しの間を置いて、小さく口を開いた。
「本当は、どうやって交易街へ入ったの?」
「え、そ、それは、アルギス様ご本人に……」
険しい表情で詰問するエレンに顔を伏せると、マリーは目を泳がせながら、しどろもどろに言葉を返す。
一方、体ごと後ろを向き直ったエレンは、静かな怒りを湛えながら、フルフルと首を振った。
「アルギスにも聞いたけど、時間の無駄だった」
「……私からでは全てをお伝えすることは出来ませんし、いくつかの行為に目を瞑って頂く必要があります。それでも、よろしければ」
棘のある口調で食い下がるエレンに、マリーはきっぱりと言い切った後、恭しく頭を下げる。
しかし、ややあって椅子へ座り直すと、エレンは気にした様子もなく、頷きを返した。
「いいよ」
「……元は、何事もなく交易街へ入れるはずだったんです――」
ゆっくりと顔を上げたマリーは、憂鬱な表情を浮かべながら、当時の状況を語りだす。
当初、交易街の埠頭へと降りてきた2人は、ルルカーニャと結託する商人に停泊する船の前で接触していた。
そして、金銭の提示によって、商人から証符を入手できるところまで話は進んでいたのだ。
「――ただ、交渉が纏まりかけた頃、冒険者が私の種族に気がついたようで”条件を変更する”と……」
続けてアルギスが身柄の要求を撥ねつけたことを伝えると、マリーは堪えきれなくなったように、一度話を区切る。
すると、はたと途切れた声に後ろを振り返ったエレンは、涙を滲ませるマリーをなじまじと見つめて、はたと目を見開いた。
「ハーフ、エルフ……?」
「……はい。結果、その場で交渉は決裂してしまいました」
エレンの呟きに顔を強張らせつつも、マリーは唇を引き結んで、震える声で話を再開する。
しかし、悲痛な表情を見せるマリーに眉尻を下げると、エレンはしょんぼりと項垂れながら、前を向き直った。
「もう、大丈夫。大体わかった」
「申し訳、ありません……」
話を遮られたマリーは、声に嗚咽を交えながらも、背筋を伸ばして深々と腰を折る。
必死で涙を堪らえようとするマリーに、エレンは振り返ることなく首を横へ振った。
「気にしてない。……むしろ、教えてくれてありがとう」
「いえ!そのような――」
憂いを帯びた声にマリーが慌てて顔を跳ね上げた時。
おもむろに席を立ったエレンは、鼻をひくつかせながら、フラフラと出口の扉へ向かっていった。
「んん?」
「な、なにか?」
「……料理の匂いがする。1人だけで、美味しいものを食べる気だ」
戸惑うマリーをよそにエレンが扉を開けると、廊下には既に芳しい香辛料の匂いが広がっている。
空腹を刺激する香りに、エレンは振り返りざま、マリーの腕をがっしりと掴んで歩き出した。
「無くなる前に、早く行こう」
「え?あっ……」
グイグイと手を引かれたマリーは、つんのめるようにして、階段へと足を進める。
そのまま匂いを追って2階へ上がると、2人は顔を見合わせて、風の抜ける音が響く厨房へと向かっていった。
「何か、作ってる?」
「……目ざといやつだ」
扉の隙間から顔を覗かせるエレンに、アルギスはげんなりとした表情で、持っていた鍋を調理台へ置く。
一方、鍋の中で湯気を立てる黄色い米と色とりどりの食材を見たエレンは、唇を尖らせながら、扉を開け放った。
「やっぱり、抜け駆けしてた。ズルい」
「抜け駆けとは聞き捨てならんな。海産物を使用したから、安全か確認ようと思っていたんだ」
咎めるような目線を軽く受け流すと、アルギスは走り寄ってくるエレンをよそに、慣れた手つきで料理を盛り付けていく。
悪びれることもなく肩を竦めるアルギスに対し、エレンは口をへの字に曲げながら、完成した料理の皿を取り上げた。
「エルドリアの魔道具は、そんなにチャチじゃない。時属性の付与だってついてる」
「……では、好きにしてくれ。マリー、お前も食べるか?」
落胆交じりにスプーンを差し出したアルギスは、厨房の入口で立ち尽くすマリーへ声を掛ける。
あっけらかんとした提案に正気を取り戻すと、マリーは息を呑んでアルギスの下へと近づいていった。
「これを、アルギス様が……?」
「ああ。私の趣味であり、数少ない息抜きの一つだ」
まじまじと鍋を覗き込むマリーをよそに、アルギスは戸棚の並ぶ壁際へ、そそくさと足を向ける。
程なく、新たな皿を取り出したアルギスが調理台へと戻る中。
こそこそと出口へ向かっていたエレンは、思い出したように後ろを振り返った。
「お茶もちょうだい」
「はぁ……お茶くらい、自分で淹れろ」
マイペースなエレンにため息を零しつつも、アルギスは調理台へ皿を置いて、足早に保存庫へと向かっていく。
やがて、アルギスの姿が扉の奥に隠れると、静かになった厨房には、さざなみのように風の抜ける音だけが響き始めた。
(私も、少しは練習したほうが良いのかな……)
落ち着きなく体を揺らすエレンと対照的に、マリーはぼんやりと具沢山の鍋を見つめたまま、1人肩を縮こまらせる。
悶々としたマリーの焦りは、アルギスが厨房へ戻ってくるまで残り続けるのだった。
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