40話

 客室に置かれた魔道具が止まることなく時を刻む中。


 アルギスの腰掛けたソファーの側には、玄関で出迎えた壮年の使用人がやってきていた。



「お待たせ致しました。ご用意が整いましたので、お越し頂ければ」



(……やっとか。まったく) 



 恭しく呼びかける使用人の声に、アルギスは膝へ手をついて、ゆっくりとソファーから腰を浮かせる。


 しかし、背後に控えていたマリーが動き出すと、反射的に後ろを振り返った。



「お前は、大人しくここで待っていろ。すぐに戻る」



「かしこまりました……」 



 アルギスに押し止められたマリーは、悲しげに目を伏せて、元いた位置へ引き下がる。


 粛々と頭を下げるマリーを尻目に、アルギスは小さく息をつきながら、待たせていた使用人へと向き直った。



「失礼。行くとしよう」



「はい。では、ご案内いたします」 


 

 メイド服姿のマリーに目を眇めつつも、使用人は柔和な笑みを浮かべて、出口の扉へと歩き出す。


 程なく、並んで客室を出た2人は、格子窓から燐光の明かりが差し込む廊下を無言で進んでいった。


 

(エレンも詳細は伝えられていないと言っていたが、さてどうなるか……)



 使用人の後に続いて応接室へと向かう道中、アルギスは1人、今後の予定に考えを巡らせる。


 それから暫くの間、アルギスが悶々と考え込んでいる内に、気づけば廊下の突き当り近くまでやってきていた。



(……まあ、なるようにしかならないな)


 

 ややあって、前を歩いていた使用人が立ち止まると、アルギスもまた、答えの出ない思考を切り上げて足を止める。


 表情を引き締め直すアルギスを背に、使用人は小ぶりながら繊細な装飾のなされた扉をそっと叩いた。


 

「――どうぞ」


 

「失礼いたします」 


 

 奥から穏やかな声の響いた扉は、使用人によって音もなく引き開けられる。


 そのまま脇へ控える使用人をよそにアルギスが敷居を跨ぐと、部屋の中央へ置かれたテーブルの奥には、既にウィルヘルムが腰を下ろしていた。


 

(……随分と、若いな)



 青年とも空目するウィルヘルムの容貌に目を丸くしつつも、アルギスはそそくさと手前のソファーに近づいていく。


 しばしの後、テーブルを挟んで向かい合うアルギスに、ウィルヘルムは柔和な笑みを湛えながら、ゆっくりと席を立ち上がった。


 

「お初にお目にかかる。君が、アルギス君だね?」 



「ああ、私がアルギスだ。……家名を名乗れない無礼は許して頂きたい」 



 小首を傾げたウィルヘルムがしげしげと見つめる中、アルギスは口元のマスクを取り外して、神妙な面持ちで胸へ手を当てる。


 しかし、フルフルと首を振ったウィルヘルムは、微笑みを苦笑いに変えながら、そっと手を差し伸べた。


 

「なに、言わずともわかっている。この場では、私のこともウィルヘルムと呼んでくれ」



「そうか。ではウィルヘルム殿、最初に一つだけ、質問をしてもよろしいかな?」



 差し出された手を握り返すが早いか、アルギスは薄笑いを浮かべながら、ウィルヘルムの顔を見上げる。


 妙に畏まった様子のアルギスに対し、ウィルヘルムはキョトンとした顔で目を瞬かせた。


 

「おや?なんだい?」



「いや、大したことじゃ無いんだが、客室へ向かう道すがら、ここへやって来ていた……ハルディンの者たちと偶然すれ違ってね」



 ウィルヘルムの手を離したアルギスは、一層笑みを深めながら、持っていたマスクをテーブルへ置く。


 しかし、一度話を区切ると、ストンと顔から感情を失くして、テーブルから目線を上げた。



「参考までに、彼らがここへ来ていた理由をお聞かせ願いたい」



「……なぜ、君がそんな事を気にするんだい?」



 立ち姿勢のままテーブルへ両手をつくアルギスに対し、ウィルヘルムは猜疑の目を向けながら、浅くソファーへ掛け直す。


 一方、ウィルヘルムの動きを目で追いかけていたアルギスは、少し遅れて、どかりと背もたれへ体を預けた。



「どうにも、私の従者と多少の縁があるようだ。後々、”計画”に差し障る可能性は全て潰しておきたいだろう?」



「知ったところで何かが変わるとは思えないけど……まあいいよ」



 含みのある口ぶりを訝しみつつも、ウィルヘルムは軽く肩を竦めて話し出す。


 なんでも、績位の主座を預かるハミルトン家には、交易街を含む、エルドリア全土の流通生産に関する統括権がある。


 そして、この権能には生産物の輸出権限のみならず、渡航者の生殺与奪権までもが内包されているというのだ。


 それ故、ルルカーニャ構成員の聴取を拝命したエクアリタス家は、権限の一部を移譲するための手続きにやってきていた。



(思いの外、大事になっているな。つくづく、家名を伏せておいて良かった) 



 自身が発端となった事件の顛末を、アルギスは事も無げに涼しい顔で聞き流す。


 半ば興味を失うアルギスをよそに、ウィルヘルムの話の内容は次第に日頃の愚痴へと変わっていった。



「――と、まあ私の方は色々と立て込んでいるからね。あちらに出向いてもらったわけだ」



 ややあって、話を切り上げると、ウィルヘルムはくたびれた表情で、背もたれへ寄りかかる。


 すると、これまでつまらなそうに話を聞いていたアルギスは、左右へ首をひねって、入れ替わるように口を開いた。



「なるほど……私からは以上だ。もう話を進めて頂いて構わない」



「……そうしたら、交渉の進捗についてだけれど――」 


 

 いけしゃあしゃあと言い放つアルギスに対し、ウィルヘルムは呆れ顔で広がった袖元へ手を差し入れる。


 そして、艶のある便箋を取り出すと、ぱらりと開きながら話を続けていくのだった。

 


 ◇



 不快げに手紙へ目を落としたウィルヘルムが、滔々と語り始めてしばらく。


 黙って耳を傾けていたアルギスは、堪えきれなくなったように片手を挙げて、話を遮った。


 

「……待ってくれ。ということはだ、私はまた交易街へ戻り、挙げ句ミダスにまで渡らなければならないのか?」


 

「私に詰め寄られても困るよ。場所の指定は、向こうからしてきたんだ」


 

 向かいに座ったアルギスが額に青筋を立てる一方、ウィルヘルムは素知らぬ顔で持っていた手紙をひらひらと煽る。


 取り付く島もない返答に、アルギスは目頭を押さえて、ぐったりと後ろへ倒れ込んだ。

 


(気軽に言いやがって……往復だけで何日かかると思っているんだ)



「まあ、幸い日時はいくらでも延ばせる。我々を急かしても意味がないことは、向こうも理解しているだろうからね」



 1人怒りを募らせるアルギスに苦笑しつつも、ウィルヘルムは眼鏡のつるを押し上げて、再び手紙へ目線を落とす。


 しかし、ゆっくりと目元から手を離したアルギスは、ウィルヘルムの注意を引き付けるように身を乗りだした。


 

「申し訳ないが、私はそう悠長にもしていられない。厄介事は、一刻も早く処理してしまいたいんだ」



「……あの子が頼った理由は、これか」 



 強硬なアルギスの態度に頬を引きつらせると、ウィルヘルムは消え入りそうな声で呟きを漏らす。


 警戒心を覗かせるウィルヘルムに対し、アルギスは目を糸のように細めながら首を傾げた。



「なにか?」



「はぁ……そうは言うけどね。正直、禄に交渉材料も集まっていないのが現状なんだよ」 



 わざとらしくため息をついたウィルヘルムは、再三目を通した手紙を軽く叩きながら、アルギスへ言い聞かせる。


 しかし、ウィルヘルムがチラリと目線を送ると、アルギスは腑に落ちない様子で考え込んでいた。



「一体、何の話をしているんだ?交渉材料などいらんだろう」

 


「はあ?」



 不思議そうな声を上げるアルギスに、ウィルヘルムはポカンと口を開けて言葉を失う。


 一方、大仰に首を振ったアルギスは、目つきを鋭くしながら、怒りに震える手を握りしめた。


 

「私は交渉をする気など毛頭ない。ハンスの生存を確認した瞬間、賊どもはその場で皆殺しだ」 



「……少し、頭を整理する時間が欲しいかな」 



 不敵なアルギスの物言いに目を瞑ると、ウィルヘルムは眼鏡を手紙と共にテーブルへ置いて黙り込む。


 カチカチと進み続ける針の音を残して、互いに口を噤んだ2人の間には重苦しい沈黙が広がっていった。


 

(……待てよ?ミダスから向かえば、ソーンダイク領はそう遠くないぞ?)



 難しい顔で考え込むウィルヘルムに対し、アルギスははたと思いついた良案に口元を吊り上げる。

 

 視線を上向けたアルギスがホクホク顔で日程を計算する中。


 大きく胸を膨らませていたウィルヘルムは、長い吐息を漏らしながら、静かに瞼を上げた。


 

「――わかった、私も覚悟を決めよう。……聞いているかい?」



「ああ、失礼。それで、どうするんだ?」



 不満げなウィルヘルムの声で我に返ると、アルギスは何事もなかったかのように話を続ける。


 あっけらかんとした態度で返事を待つアルギスに対し、ウィルヘルムはムッとした表情で、外していた眼鏡をかけ直した。


 

「……”胎樹の玉枝”を貸すよ」 



「胎樹の、玉枝?なんだ、それは」



 耳慣れない単語を噛みしめたアルギスは、ソファーから腰を浮かせて身を乗り出す。


 浮足立つアルギスに微笑みを返すと、ウィルヘルムはテーブルへ置かれたままの手紙を指さした。


 

「要求にある言い方をすれば、世界樹の枝だよ。気を引くものくらい、あったほうが良いだろう?」



(まさか、こんな形で目にするとは……いや、だが返却の手間と休暇の残りを考えると――) 


 

 思いがけない提案に瞠目しつつも、アルギスは内心でとうに2ヶ月を切った休暇と好奇心の間を揺れ動く。



 やがて、泣く泣く断ろうとアルギスが口を開きかけた時。


 そっと手紙を取り上げたウィルヘルムが、覆いかぶせるように声を上げた。


 

「ただ、胎樹の玉枝はあくまでシェラーの所蔵品だ。もし奪われると思うなら、断って欲しい」 



「……傷一つつけずに、返却することを約束しよう」 



 哀れみの籠もった声色に動きを止めると、アルギスはギロリとウィルヘルムを睨みつける。


 我を忘れて気色ばむアルギスに対し、ウィルヘルムはニンマリと笑いながら、手紙を袖元へ仕舞い直した。



「よし。では、話はこれで終わりだ。今日のところは、ゆっくりと寛いでいてくれ」



「ああ。是非とも、そうさせて頂くよ……」 



 テーブルのマスクを手に取ったアルギスは、歪みそうになる口元を覆って、そそくさと席を立つ。


 しばしの後、覚束ない足取りで応接室を出ると、臍を噛みながら、使用人の案内する客室へと戻っていくのだった。

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