16話
次第に日没も近づき、暗くなり始めた交易街に冷たい潮風が吹き抜ける中。
宿舎区画を抜けたアルギスとマリーの姿は、橋と水路で隔てられた交易外の端、パズルのように建物が積み重なる居住区にあった。
(これが、二等臣民の居住区画か……ぐちゃぐちゃだな)
渡りきった橋の先で足を止めたアルギスは、アーチのような門の奥に乱立する、増築を重ねたような建物群に眉を顰める。
一方、前を歩き続けていたマリーは、はたと後ろを振り返って、辺りを見回すアルギスに目を丸くした。
「あの……どうされました?」
「いや、随分面白い場所だと思ってな。宿舎のあった区画と比べると、こう……」
小走りで戻ってくるマリーをよそに、アルギスは背後の宿舎区画と居住区画へ視線を行き来させる。
歯切れの悪いアルギスに苦笑いを浮かべると、マリーは踵を返して、再び居住区画へと歩き出した。
「ここは他の区画と違って、家屋の建築に制限がありませんから」
「なるほど、それで」
マリーの返答に得心がいったアルギスは、満足気に石造りと木造の混在した建物を見上げながら、後を追いかけていく。
それから、足並みを揃えた2人が歩くこと30分あまり。
背の高い家が立ち並ぶ通りまでやってくると、マリーは小屋を積み重ねたような家の前で、後ろを振り向いた。
「お待たせ致しました。こちらになります」
「ほう。……民家に見えるが?」
看板すら出ていない家の周囲を見回したアルギスは、ピタリと閉め切られた扉に目を眇める。
腑に落ちない様子のアルギスを背に、マリーは、懐かしげに頬を緩めて、縦に伸びた家をぼんやりと見上げた。
「昔、母と来たことがあるんです。お家は変わっていないので、大丈夫だと……」
「……まあ、とりあえず伺いを立ててみようじゃないか」
しみじみとした呟きに気落ちしつつも、アルギスは簡素な木製の扉へと近づいていく。
程なく、アルギスが手招きをすると、立ち止まっていたマリーもまた、顔を強張らせながら扉へと歩み寄った。
「そ、そうですよね……」
(しかし、あの煙突といい。この辺りの家は、どういう構造なんだ?)
小さく扉をノックするマリーをよそに、アルギスは訝しげな表情で、屋根から生えたようなレンガの煙突に首を捻る。
しばしアルギスが奇妙な家の構造に目を奪われる中。
ゆっくりと開かれた扉の奥から、厚手のストールを纏った30代程の女性が半身を覗かせた。
「――悪いね、今日は休みで……」
「あ、あの……」
そそくさと扉を閉めようとする女性を、マリーは不安げに両手を握りしめながら、上目遣いに見上げる。
すると、マリーの顔をまじまじと見つめた女性は、記憶を漁るように、左右へ瞳を揺らし始めた。
「あなたは……ひょっとして、セイナのとこの……」
「は、はい!お久しぶりです、ナタリアさん!」
ゴシゴシと目元を擦る女性に、マリーは満面の笑みを浮かべて、小さく足を踏み出す。
しかし、大きく両手を広げたナタリアは、家を飛び出して、マリーを胸元へ抱き寄せた。
「やっぱり!いやぁ、また会えるなんて!こんなに大きくなって、もう!」
「わわ!」
突然の抱擁につんのめりつつも、マリーもまた、嬉しげにナタリアを抱き返す。
程なく、ナタリアが手を離すと、2人は声を弾ませながら、和気あいあいと談笑し始めた。
(……ここで夕食の話を出すのは、野暮か?)
涙すら浮かべている様子の2人に、アルギスは何も言えず、遠目に立ち尽くす。
一方、ナタリアへアルギスの紹介を終えたマリーは、小屋が積み重ねられたような家を、懐かしげに見つめた。
「――それで、私が1番記憶に残っているお店に来たんです」
「もっといい店もあるでしょうに、わざわざ、こんなしょぼくれたババアの店まで……」
微笑みを湛えたマリーが顔を向けると、ナタリアは声を震わせながら、赤くなった鼻をすする。
憂鬱な表情で家を見上げるナタリアに、マリーは苦笑いを浮かべて、頬を掻いた。
「そんな、しょぼくれただなんて。ここは、昔の私が安心できた数少ない場所なんですから」
「……今すぐ買い出しに行ってくるから、中で待ってて!もちろん、お連れさんも一緒に!」
マリーの言葉にハッと息を呑んだナタリアは、扉を開いたまま、暗くなった通りを走り出す。
段々と小さくなるナタリアの姿を、マリーは頬を赤らめながら見つめていた。
「ナタリアさん……」
「……この状況では帰る事も出来ん。一先ず、中へ入らせてもらおう」
ぼーっと遠くを眺め続けるマリーをよそに、アルギスは開け放たれたままの扉へ足を向ける。
未だ見えなくなったナタリアを気にかけつつも、マリーはアルギスを案内するように前へと進み出た。
「そう、ですね」
(……そもそも、俺は邪魔だったかも知れないな)
のろのろとマリーが扉をくぐる中、アルギスは後ろを振り返って、ため息をつく。
しかし、気を取り直して前を向き直ると、小ぶりな壺が棚に並ぶ店内へと入っていくのだった。
◇
落ちかけていた日も隠れ、居住区画の人通りがめっきり減った頃。
階段を上がった2階のテーブルには、色とりどりの皿が次々と載せられていた。
(なんということだ……。米が、あるのか)
並べられたドリアのような料理に、アルギスは目を輝かせながら顔を寄せる。
そして、逸る気持ちを抑えてスプーンを手に取ると、湯気を立てる米を口へ放り込んだ。
「……美味いな」
「よかった!まだまだあるから、どんどん食べてね!」
舌鼓を打つアルギスに笑顔を見せつつも、ナタリアはテーブルの中心へ大皿を置いて、3階へと戻っていく。
一方、アルギスの隣に座るマリーは、料理へ手もつけず、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「お気に召したようで、なによりです」
「ああ」
マリーへの返事もそこそこに、アルギスは無言で料理を食べ進めていく。
しかし、湯気と共に舞い上がる香りに鼻をひくつかせると、手を止めて、並べられた大皿へ目を落とした。
(王国とは香辛料も違うな。……米だけでも、どうにか輸入出来ないものか)
野菜炒めのような大皿を尻目に、アルギスが再び元の料理へ手をつける中。
スープの入った鍋を大皿の隣へ並べたナタリアは、テーブルを片付けながら、マリーの向かいへ腰を下ろした。
「さて、とりあえずは、こんなもんかな」
「すみません。買い物にまで行かせてしまって……」
ナタリアが小さく息をつくと、マリーは食事を止めて、気まずそうに頭を下げる。
身を縮こまらせるマリーに対し、ナタリアは人好きのする笑みを浮かべながら手を振った。
「いいんだよ!それに、今日はウチの目玉も用意できないんだから」
「あれ?そういえば……」
投げやりなナタリアの返答に、マリーはテーブルの料理を見回して、パチパチと目を瞬かせる。
すると、身を乗り出してマリーへ顔を寄せたナタリアは、険しい表情で、口元へ手を添えた。
「どうにも、港の方でなんかあったみたいでさ。今日の市場は、ろくな商品が入ってないんだ」
「そ、そうですか……ちなみに、何が起きたんです?」
フラフラと目を泳がせつつも、マリーは声のトーンを落として言葉を続ける。
落ち着き無く返事を待つマリーに、ナタリアは瞼を閉じながら、首を横へ振った。
「さあね。ただ、噂じゃまた妙なものでも持ち込んだんだろうって」
「それは……怖いですね」
しばしの沈黙の後、マリーは言いかけた言葉を飲み込んで目を伏せる。
一方、大きなため息をついたナタリアは、疲れを滲ませながら、椅子へ寄りかかった。
「ああ、こっちまで、”戒位”の方々に目をつけられるんじゃないかと皆気が気じゃない」
「っ!」
不安げに続いたナタリアの嘆きに、マリーは目を見開いて、身を固くする。
しかし、程なく再びため息をつくと、ナタリアは穏やかな笑みを浮かべて、テーブルへ両肘をついた。
「っと、せっかく会えたってのに、こんな暗い話は止そっか。料理も、冷える前に食べて欲しいしね」
「……ええ、そうですよね」
しばし考え込んでいたマリーは、咄嗟に笑顔を取り戻して、そっとスプーンを手に取る。
噛みしめるように料理を味わうマリーに対し、アルギスはスープの入ったカップを手に、上機嫌な声を上げた。
「ふむ。では、話も終わったところで追加注文だが……」
「あなた、細いのに意外と食べるねぇ!」
アルギスの声に横を振り向くと、ナタリアは綺麗に食べ切られた食器に、うきうきと声を弾ませる。
小鼻を膨らませるナタリアに身を引きつつも、アルギスは遠い目をしながら明後日の方向を見上げた。
「……この数日、マトモな食事をとれていなくてね」
「ハハハ!冒険者も世知辛い。いいよ、ちょっと待ってて!」
しばし腹を抱えて笑ったナタリアは、はつらつとした表情で、勢いよく席を立つ。
そして、呆然とするアルギスとマリーに親指を立てると、小躍りで去っていった。
(……注文は、聞かないスタイルか)
ナタリアの姿が3階へと消える中、アルギスはしょんぼりと肩を落として、目の前の皿を横へ退ける。
それから暫くの間、涙ながらに食事を楽しむマリーと共に、ナタリアが戻ってくるのを待つのだった。
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