15話

 森都のハミルトン邸で、ウィルヘルムがいそいそと手紙をしたため出していた頃。


 蒼色の瓦屋根がズラリと立ち並んだ宿場の一角では、アルギスとマリーの2人が、粗末な宿舎の2階へと足を踏み入れていた。


 

(……まったく、こんな所に寝泊まりしなければならないとは)



 土埃の目立つ床や薄汚れたベッドシーツに眉を顰めつつも、アルギスは何も言わず、背もたれのない丸椅子へ腰を下ろす。


 一方、おずおずとアルギスへ近づいたマリーは、眉尻を下げながら、遠慮がちに口を開いた。

 


「あの……本当によろしかったのですか?」



「ん?何がだ?」



 小さく腰を屈めるマリーに顔を向けると、アルギスはけろりとした表情で肩を竦める。


 落ち着き払った様子のアルギスに対し、マリーは一層背中を丸めながら、ため息をついた。


 

「……通関所で、冒険者たちが拘束された件です」



「ああなってしまった以上、出来ることなど無い。せいぜい、有効活用すべきだろう」



 難しい顔で足を組んだアルギスは、心苦しげなマリーへ淡々と言い聞かせる。


 しかし、アルギスの説得も虚しく、マリーはどんよりとした表情のまま、視線を彷徨わせた。


 

「ですが、あの商人は……」 



「……悪いことをしたとは思うが、騒ぎを無駄に広げたのも、また彼女だ」



 しばしの沈黙の後、アルギスは口元へ手を当てながら、言葉を選ぶように口を開く。


 物静かなアルギスの口調に戸惑いつつも、マリーはピンと背筋を伸ばして、大きく息を吸い込んだ。



「失礼ながら……ハミルトン様に、ご連絡をしても良かったのでは?」



「”すぐに向かう”と伝えたのに、このザマだぞ。注文までつけておいて、これ以上助けなど求められるか」



 緊張で声を震わせるマリーに対し、アルギスは苛立ちを滲ませながら、棘のある言葉を返す。



「お答え頂き、感謝致します」



 にべもないアルギスの態度に返答を飲み込むと、マリーは貼り付けたような笑みを浮かべて、静かに腰を折った。



「……何か機会があれば、彼女には補填を約束しよう。これで、お前の気は晴れるか?」



 ややあって、げんなりとした表情で足を崩したアルギスは、足跡の残る床板を見つめながら、マリーへ声を掛ける。


 諦観交じりで譲歩するアルギスに、マリーは途端にアワアワと口元を歪めて、勢いよく頭を下げ直した。



「で、出過ぎた真似を致しました!」



(……隠されるより、この方がずっといい)



 噛みしめるように内心で独りごちると、アルギスは顔を上げて、慌てふためくマリーへ柔らかい目線を送る。


 すると、恐る恐る顔を上げたマリーは、目を細めて黙りこくるアルギスに首を傾げた。



「あの?アルギス様?」 

 


「何でも無い。それよりも、少ししたら予定を纏めるとしよう」



 戸惑うマリーをよそに、アルギスは気持ちを切り替えるように手を叩いて、真顔へ戻る。


 程なく、アルギスが椅子から立ち上がると、マリーは入れ替えるように、影から豪奢な椅子を取り出した。


 

「かしこまりました。こちらを」



「……ただでなくとも狭いんだ、こんなもの出すな。それよりも、冒険者ギルドへ向かう用意をしておけ」


 

 通路を塞ぐ椅子へ目を落としたアルギスは、マリーへ向かって、邪魔くさそうに手を払う。


 眠たげに欠伸を噛み殺すアルギスに対し、マリーは表情を強張らせながら、椅子を影へと沈め始めた。



「交易街の、冒険者ギルド……」

 


「なに、そう気負う必要はない。単なる口実のために依頼を受けるだけだ」

 


 目元に溜まった涙を拭うと、アルギスは半身を振り返って、不安げなマリーへニヤリと笑いかける。


 不敵な笑みを浮かべるアルギスに、マリーもまた、表情を柔らかくして照れ笑いを見せた。



「は、はい!」



「……まあ、何をするにしても少し休もう。夜通し歩いて私は疲れた、お前も休め」

 


 マリーがたちまち元気を取り戻す一方、前を向き直ったアルギスは、着ていたローブを脱いで椅子へ放り投げる。


 そのままドサリとベッドへ横になるアルギスを、マリーは目を白黒させながら呆然と眺めていた。



「はぇ……?」 



(ソーンダイク領の視察は、レイチェルに任せて良かったかもしれんな……)



 とぼけた声を上げるマリーをよそに、アルギスは腕で目元を覆いながら、ソーンダイク領へと送り出したレイチェル達に思いを馳せる。


 しかし、既に2週間近く経過した休暇にまで考えが及ぶと、舌打ちを零してまどろみの中へと落ちていくのだった。



 ◇



 倒れ込んだアルギスが寝静まって早2時間あまり。


 傾いた日の差し込む宿の2階では、ようやっとローブを脱いだマリーが、うろうろとベッドの周りを歩き回っていた。

 


(……どうしよう)


 

 4メートル四方程しかない室内を、マリーはしきりに行ったり来たりしながら、チラチラと部屋の端に置かれたベッドを見やる。


 洗いざらしのシーツに包まれたベッドの上では、腕を組んで丸くなったアルギスが、すやすやと寝息をたてていた。

 


(私も、やっぱり休むべき?でも……)



 アルギスの指示を思い出すと、マリーはそっとベッドの上へ目線を滑らせる。


 しかし、アルギスが中心へ寝転がるベッドには、1人が横になるのがやっとの隙間しか空いていなかった。


 

(でもでも、体を休めるのは大事だし……)



 ややあって、内心で自分へ言い聞かせたマリーは、そろそろと忍び足でベットへ歩み寄る。


 そして、忙しなく辺りを見回すと、息を呑んでアルギスの隣へ手をついた。



「……少しだけ」



「――ん?なんだ、随分と起きるのが早いな」



 マリーがモゾモゾと横になろうとした直後、アルギスが目を擦りながら、上体を起こす。


 欠伸を噛み殺すアルギスに対し、石のように固まったマリーは、ぎくしゃくとした動きで、ベットから立ち上がった。



「……おはようございます」



「もう、夕方だぞ……?」



 オレンジ色に染まった窓の外を横目に見ると、アルギスは心配そうに眉を下げる。


 下から顔を覗き込むアルギスに、マリーは笑みを取り繕いながら腰を折った。


 

「大変失礼いたしました。少々、寝ぼけていたようです」



「いや、休めたようで何よりだ。食事にしよう」



 満足気に大きく伸びをしたアルギスは、勢いよくベットから降りて、部屋の出口へと歩き出す。


 気まぐれなアルギスに狼狽えつつも、マリーは椅子へ置かれていたローブを手に取って、後を追いかけた。



「……ご夕食は、いかがされますか?」



「せっかくだ。夕食の内容は、お前が決めろ」



 マリーがローブを渡しながら声を掛けると、アルギスは気楽な返事と共に、ギィギィと軋む階段を降りていく。


 やがて2人がガヤガヤと冒険者で賑わう受付フロントを抜ける中、マリーは指示の意図にぐるぐると考えを巡らせていた。



「あの、それは、どういった……?」



「曲がりなりにも、住んでいた街だろう?よそ者の私より、色々と詳しいはずだ」



 簡素な木製の引き戸を引いたアルギスは、口元を吊り上げながら、宿場前を流れる水路へ目を留める。


 一方、アルギスの後を追って宿を出たマリーは、表情へ影を落として目を伏せた。



「いえ、しかし。アルギス様のお口に合うようなものは……」

 

 

「冒険者として行動するんだ。どこだって構わん」


 

 ボソボソと声を小さくするマリーをよそに、アルギスはどこか嬉しげな表情で後ろを振り返る。


 しかし、必死で記憶を掘り下げていたマリーは、宿舎区画を見渡して、がっくりと肩を落とした。


 

(はぁ……私、居住区画の周りしかわからないや……) 



「なんなら、露店の串焼きでも良いんだぞ?」



 悲しげに頭を下げようとするマリーを、アルギスはニコリと笑いながら押し止める。


 程なく、ポケットの硬貨を漁り出すアルギスに、マリーは一瞬で顔を青くして、小刻みに首を振った。



「わ、私がいながら、アルギス様にそのようなものをお召し上がり頂くわけにはいきません」 

 


「む?そうか……。まあ、その程度のもので構わないという意味だ」



 マリーの囁きに銀貨を仕舞い直すと、アルギスは呆れ交じりに肩を竦める。


 ややあって、拳を固めたマリーは、姿勢を正して、宿舎に囲まれた通りへ足を踏み出した。


 

「……わかりました。では、ご案内させていただきます」



「はぁ、やっとマトモな食事がとれるな」



 しずしずと前を歩くマリーの後を追いつつも、アルギスは寒色で統一された宿舎に目を配りながら、上機嫌な声を上げる。


 期待に満ちたアルギスの声色に、マリーはドッと冷や汗を流して、早々に足を止めた。



「ですが、立地は”二等臣民”の居住区画なので……」 



「クク、声に出ていたか?柄にもなく、浮かれてしまったようだな」



 マリーが恐る恐る後ろを振り返ると、アルギスはクツクツと声を上げながら肩を竦める。


 すると、キッと表情を引き締めたマリーは、姿勢を正して、両手を前に合わせた。



「いえ、お気持ちを察せず、申し訳ございません」



「……気軽に頭を下げようとするな。不自然だ」



 すかさず頭を下げようとするマリーに、アルギスは一転して不快げに手を払う。


 続けざまにアルギスがため息をつくと、マリーは涙目になりながら、しょんぼりと肩をすぼめた。



(あぁ……また、この時間だぁ) 

 


「指示を聞けないなら、街中では話しかけるな」



 一方、仏頂面で腕を組んだアルギスは、重たい口調で、黙り込むマリーへ指示を続ける。


 やがて、首を傾げて返事を待ち始めるアルギスに、マリーはピシャリと両頬を叩いて、真剣な目を向けた。



「いえ、大丈夫です。いけます」



「……ブラッドの馬鹿には、染まってくれるなよ?」



 マリーがぎこちない笑みと共に親指を立てると、アルギスは毒気を抜かれたように腕を下ろす。


 慣れない笑みに頬を引きつらせていたマリーは、不思議そうに目をパチクリさせた。

 

「え?あ!はははは……」 



「……わかればいい。行くぞ」 


 

 手を後ろへ隠しながら笑って誤魔化すマリーに、アルギスは再び手を振って先を促す。


 小さく頷いたマリーが前を向き直ると、2人は水路に跨がる長い橋へと足を進めるのだった。

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