14話
渦を巻くように枝を伸ばした大樹が天を貫く山頂、樹冠からこぼれ落ちる淡い燐光に照らされたエルドリア皇国の森都。
斜面へと下向きに伸びた巨大な枝へ並ぶ、背の高い楼閣の一つ――ハミルトン家の屋敷では、帰省したエレンが父ウィルヘルムの自室へとやってきていた。
「……遅い」
「エレン、カーラとお茶でも飲んできたらどうだい?」
ソワソワと忙しなく姿勢を変えるエレンに、ウィルヘルムは下がった眼鏡を押し上げて、困ったように笑う。
しかし、すぐさま首を振ったエレンは、唇を尖らせて、不貞腐れたように顔を逸した。
「いい。今行っても、母様を心配させるだけ」
「なら、少しは落ち着きなさい。焦っても、事は進まない」
落ち着きを無くしたエレンに顔を歪めつつも、ウィルヘルムは努めて冷静な口調で諫める。
パラパラと本をめくり出すウィルヘルムに、エレンは椅子から腰を上げて、距離を詰めた。
「でも、アルギスも急ぐって言ってた。だから、もう着いてるかも」
「言う通り、既に交易街のギルドには依頼を出ている。それに、動きがあればティファレトが駆けつけてくれるはずだよ」
エレンが必死で説得を試みる一方、椅子に腰を下ろしたままのウィルヘルムは、涼しい顔でページを捲っていく。
以降、ウィルヘルムがページを捲る音だけが響く中、エレンはしょんぼりと俯きながら言葉を続けた。
「でも、もしかしたら気づいてないだけかも……」
「協力してくれるのは、”あの”エンドワース家なんだろう?なら、着けばすぐにわかる」
尻すぼみに小さくなるエレンの声に本から顔を上げると、ウィルヘルムは呆れ交じりに肩を竦める。
僅かな不快感を滲ませるウィルヘルムに対し、エレンは目を点にして首を倒した。
「……?なんで?」
「彼らの行動様式は、非常に特徴的な上、似通っているからね」
思い出したように顔を顰めつつも、ウィルヘルムは持っていた本を置いて、穏やかな笑みを取り繕う。
しかし、ウィルヘルムに笑みを向けられたエレンは、はぐらかすような返答に、パチクリさせていた目をギュッと細めた。
「つまり?」
「……極少数で真ん中を突っ切ってくるか、周囲を威圧するように大量の騎士で囲まれているか。この二つに一つなんだ」
責めるようなエレンの視線に小さく息をつくと、ウィルヘルムは遠い目をしながら声のトーンを落とす。
幾分心当たりのあるウィルヘルムの言葉に、エレンはサッと目を逸らして、口を噤んだ。
「……わかりやすいね」
「うん、どちらにせよ、とても目立つ。代を経るごとに、大人しくなってはいるけどね」
少しの間感傷に浸っていたウィルヘルムは、エレンの呟きに、気を取り直してクスリと笑う。
そのまま2人の会話が途切れると、エレンは憂鬱な気持ちを湛えながら、元いた椅子へと戻っていった。
(……すぐに向かう、って言ったのに)
一向に姿を見せないアルギスにエレンが内心で愚痴を零していた時。
艶のある布地の奥、精緻な彫刻の木枠へ嵌め込まれた窓から、コツコツと音が響く。
ぼんやりと布地へ浮かび上がった影に、エレンはパッと表情を明るくして窓際へ駆け出した。
「ティファレトだ!」
「はぁ……」
声を張り上げるエレンにため息を漏らしつつも、ウィルヘルムもまた、ティファレトの待つ窓へと向かっていく。
ゆったりとした足取りで近づいてくるウィルヘルムを背に、エレンは急き込むように木枠を掴んで、上へ押し上げた。
「アルギス、来た?」
『アルギスという人物を私は知らないが、交易街に変わりはないよ。アランドールの元にも、依頼を受けたという連絡はない』
期待に満ちたエレンの眼差しに反して、ティファレトは詠うような返事と共に首を振る。
すると、これまで熱のこもっていたエレンの視線は、途端に輝きを失い、ユラユラと床へ落ちていった。
「そっか……ね、ほんとに何も起きてない?」
『……起きたことと言えば、せいぜい通関所でひと騒動あったくらいだ』
諦め半分で食い下がるエレンに首を振ると、ティファレトは皮肉げな口調で話を続ける。
冗談めかした軽口に、エレンは目線だけを上向けて、羽を広げるティファレトを見つめた。
「騒動?」
『ああ。血気盛んな者がいるようでね。通関待ちの行列で、若い商人と冒険者が騒ぎを起こしたんだよ』
大きく羽ばたいたティファレトは、カツカツと爪を鳴らして、窓際へ止まり直す。
一方、その場でピタリと足を止めたエレンは、目を泳がせながら、ぎこちない動きで顔を上げた。
「冒険者の、見た目は?」
『詳しいことはわからない。冒険者の方は、ローブに身を包んでいたからね』
慌てた様子のエレンに対し、ティファレトはあくまで冷静な態度を崩さず切り返す。
すると、見つめ合っていた2人の間に、側までやってきたウィルヘルムの声が割り込んだ。
「なんだ、探らなかったのかい?ティファレト」
『下手な冗談は止めてくれよ、ウィルヘルム。警備は”ロルク”の管轄だ、私とて手を出せばタダでは済まない』
おどけるウィルヘルムに気勢を削がれつつも、ティファレトは重苦しい口調で言葉を重ねる。
しかし、悲しげに眉根を寄せたエレンは、焦燥感に駆られて、ティファレトの顔をグイと向き直らせた。
「それで、冒険者はどうなったの?」
『おそらく警備に連行されただろうが……なぜ、そんなことを気にするんだい?』
焦れた様子のエレンに、ティファレトは目を瞬かせながら首を傾げる。
ティファレトの疑問にウィルヘルムも耳を傾ける中、エレンは肩を落として、小さく口を開いた。
「アルギス、護衛つけないって言ってたから。もしかしたら……」
「……んん!?ちょ、ちょっと待ってくれ、エレン。エンドワースに護衛がいないだって?」
しばし無言で固まっていたウィルヘルムは、咄嗟に床へ膝をついて、震えるエレンの両肩を掴む。
目を剥いて浮き足立つウィルヘルムに、エレンは王都での会話を思い出しながら頷いた。
「うん。”家としては協力できないから要らない”って」
「どうやら、世代の揺り返しが起きたみたいだ……」
耳を疑うような理由に額を押さえると、ウィルヘルムは呆然とした表情で中空を仰ぐ。
エレンとウィルヘルムが揃って黙り込む中、ティファレトは注意を引き付けるように羽を羽ばたかせた。
『2人とも、そう落ち込む事もないだろう。幸い、騒ぎの規模は小さい、いくらかの罰金で解放されるはずだ』
「そ、そっか……!」
初めての明るい情報に、エレンは頬を緩めて、ホッと胸を撫で下ろす。
一方、大きく息を吐き出したウィルヘルムは、床へ手をついて、ゆっくりと立ち上がった。
「妙な注文だとは思っていたけど、まさかエンドワースが冒険者とは……時代は、変わるなぁ」
「……よし」
ウィルヘルムの呟きをよそに拳を固く握り締めると、エレンはそそくさと出口の扉へ足を向ける。
早々に部屋を出ようとするエレンを、背後から伸びたウィルヘルムの手が、がっしりと引き留めた。
「エレン?どこへ、行く気だい?」
「交易街」
後ろを振り返らせるウィルヘルムに、エレンはきっぱりと言い切って、前を向き直ろうとする。
しかし、エレンの肩を掴んだウィルヘルムは、眉間に皺を寄せながら、語気と共に握る力を強めた。
「駄目に、決まっているだろう?」
「私は謝らないといけない。恩を仇で返すことは出来ない、掟でもそうなってる」
静止するウィルヘルムの手をそっと下ろすと、エレンは迷いなく扉を見据える。
堂々と胸を張るエレンに対し、ウィルヘルムは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
「……掟は、我々エルフのためのものだ。違うかい?」
「なら、叔父様は?関係ない……?」
ウィルヘルムへ向き直ったエレンは、目元を潤ませながら、祈るように顔を見上げる。
しばしの沈黙の後、ウィルヘルムはガックリと肩を落として、エレンへ背を向けた。
「こんなことになるなら、アレのことも黙っておくべきだったよ……」
「そんな……」
ボソリと溢れたウィルヘルムの呟きに、エレンは顔を青ざめさせて、逃げるように後ずさる。
一方、窓際へと向き直ったウィルヘルムは、背中を丸めて、ティファレトの羽をそっと撫でた。
「……ティファレト」
『なんだい?ウィルヘルム』
心地よさげに目を細めると、ティファレトは首を傾げて返事を待つ。
なおもティファレトを撫でつつも、ウィルヘルムは未練を振り払うように目を瞑った。
「今一度、”制約”を緩める。申し訳ないが、エレンを交易街まで送ってくれ」
『掟を、破ることになるぞ?』
ウィルヘルムの言葉に身を固くしたティファレトは、一転して重苦しい口調で問い返す。
しかし静かに瞼を上げると、ウィルヘルムは弱々しい微笑みと共に首を振った。
「僕の方で交易街へ都合をつける。先にエレンが向かう手続きを踏めれば問題ない」
『そこまでして……君も、良い父親になったものだな』
甲斐甲斐しいウィルヘルムの態度に対し、ティファレトは嬉しげに喉を鳴らす。
キーキーと特徴的な笑いが響く中、ウィルヘルムはポカンと口を開けて放心した。
「……君は、僕をいくつだと思っているんだ?」
『……だから、だよ』
ウィルヘルムの顔に目を細めたティファレトは、消え入るほど小さな声で独りごちる。
そのままくちばしを閉じるティファレトに、ウィルヘルムは訝しげな表情で顔を近づけた。
「なにか、言ったかい?」
『なに、大した事じゃない』
「父様?ティファレト……?」
ヒソヒソと交わされる2人の会話を、いつの間にか近づいていたエレンの不安げな声が遮る。
揺れ動く視線にティファレトとの会話を打ち切ると、ウィルヘルムは優しくエレンの頭を撫でた。
「もう少しだけ、待ちなさい。そうすればティファレトが交易街まで送ってくれる」
「うん!」
いつも通りの笑みを見せるウィルヘルムに、エレンは目を輝かせて大きく頷く。
程なく、2人の去った部屋の窓から、父娘のやり取りを見届けたティファレトが、上機嫌に飛び立っていくのだった。
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