13話

 交易街のほど近くへとやってきて2時間あまりが経ち、既に陽も高くなりつつある中。


 未だ関所の手前で足を止めたアルギスとマリーは、交易街へと向かう行列を無言で見つめていた。


 

(さて、どうしたものか)


 

 防壁へ沿うように並ぶ倉庫へ目線を滑らせたアルギスは、難しい顔で交易街への侵入に頭を悩ませる。


 隣で1人考え込むアルギスに対し、マリーは小刻みに体を震わせながら背中を丸めた。

 


「申し訳ございません……私のせいで」



「やめろ。済んだ話だ」



 鬱々とした声に倉庫から顔を逸らすと、アルギスは頭を下げ続けるマリーへ向き直る。


 しかし、おずおずと頭を上げたマリーは、なおも目を伏せたまま、小さく口を開いた。

 


「ですが……」 



「確かに、先程の計画は失敗に終わった。だが、同時に収穫もあったんだ」



 落ち込んだ様子のマリーに対し、アルギスは声のトーンを落としながら話し出す。


 程なく、どことなく上機嫌な声色に目を丸くしつつも、マリーは躊躇いがちにアルギスへ歩み寄った。


 

「収穫、ですか?」



「ああ、商人の護衛に混じっていた女を覚えているか?」



 一度視線を上向けたアルギスは、マリーへ顔を寄せながら、問いかける。


 小さな声で耳打ちをするアルギスに、マリーは緊張した面持ちで、コクリと頷き返した。

 


「は、はい」



「あの女と隣にいた男は、地下組織の手先だった」



 じっとマリーが耳をそばだてる傍ら、アルギスは不敵な笑みを浮かべながら、両手をすり合わせる。


 あっさりと伝えられた内容に、これまで唇を引き結んでいたマリーは、ポカンと口を開けて固まった。


 

「え……」



「そこで、奴らの証符を頂いてしまおうというわけだ。そうすれば、我々が代わりに交易街へ入れる」



 狼狽えるマリーをよそに一層笑みを深めると、アルギスは矢継ぎ早に話を続ける。


 耳を疑うような計画に頬を引き攣らせたマリーは、珍しく饒舌なアルギスを上目遣いに見やった。

 


「そ、それは流石に……」



「なに、あの商人共々、どうせ碌な連中ではない。警備を呼ぶことも出来んだろう」 

 


 どうにか食い下がろうとするマリーに対し、アルギスは行列の周囲を巡回する兵士を横目に見ながら、淡々と言葉を返す。


 程なく、埠頭へズラリと停泊する船を見回すと、そのうち、大ぶりな帆船の一隻に目を留めた



「ここを通り抜けていないということは、まだ埠頭にいるはずだ。一先ず、お前は待機しておけ」



「……かしこまりました。そのように」



 緊張に声を震わせつつも、マリーは表情を引き締め直して、深々と腰を折る。


 覚悟を決めた様子のマリーを尻目に、アルギスは満足げな表情で再び関所へ並ぶ行列を見据えた。

 


「奴らがこちらへやってきたら、少々騒ぎが起こる。その隙に、取り落とした証符を影へ回収しろ。いいな?」



「委細、承知致しました」



 有無を言わさぬアルギスの指示に背筋を伸ばすと、マリーは強張った顔をローブのフードで覆い隠す。


 そして、次々と商人や冒険者の一団が前を通り過ぎていく様子に、その場で目を凝らし始めた。


 

(……これで、なんとかなるだろう)



 こっそりと息をついたアルギスは、自分へ言い聞かせるように内心で独りごちる。


 程なく、マリーと同様にフードで顔を隠すと、俄に魔力を漂わせながら、人の減った埠頭の奥へと向かっていくのだった。


 

 

 ◇


 

 それから、関所の手前に1人残ったマリーが待つこと数十分。


 既に数え切れないほどの人数が前を通り過ぎ、関所へ向かう行列へと並んでいた。

 


(大丈夫かなぁ……)

 


 次々と通る集団に不安げな表情を浮かべつつも、マリーは目を皿のようにして視線を彷徨わせる。


 

 それから暫くして、見逃したかと不安を覚え始めた頃。


 顔を青くしたマリーの目の前を、護衛を連れた商人と共に、ローブに身を包む男女が横切った。

 


「……見つけた」


 

 見覚えのある一団を、マリーは息を顰めながら追いかける。


 やがて、人混みをすり抜けながら後ろへ張り付くと、楽しげな笑い声が聞こえてきた。

 


「――それにしても、さっきのは惜しいことをしましたわ」



 一団が揃って行列の最後尾へと並ぶ中。


 派手な化粧をした女が、前を歩く商人へヒソヒソと声をかける。

 

 どこか嘲るような女の囁きに、商人は鼻下の髭をねじりながら、苛立たしげに口を開いた。


 

「まったくだ。あのガキさえいなければ、商品が増えたものを」



「ですが、アイツらは少しおかしかった。引き入れないで正解ですよ」



 眉を顰めた吐き捨てる商人へ、今度は女の隣に立っていた男が、頭を指でつつきながら野太い声を上げる。


 すると、男へ顔を向けた商人は、キョロキョロと周囲を見回して、小さく首を縦に振った。


 

「ああ。まさか、ロルクの警備する埠頭で交渉を持ちかけてくるとはな」



「大方、あの子たちもミダスから来たんでしょう。まあ、正式なルートかはわかりませんけど」



 商人がヒソヒソと声を押し殺す一方、女はあっけらかんとした口調のまま、言葉を続ける。


 薄く嘲笑を浮かべる女に、男は前後へ並ぶ団体を流し見ながら、眉を顰めた。



「おい、そろそろ止めとけ」 


 

「はぁ?」


 

「……それにしても――」 



 不穏な雰囲気を醸し出す2人に商人が話題を変えようと声を上げた直後。


 ビクリと肩を跳ね上げた男が、顔を歪めながら、ローブの中へ手を突っ込んだ。

 


「くそ!」 



「どうした?」 



 突然、落ち着きをなくしだす男に、商人は不思議そうな顔で首を傾げる。


 一方、体中をまさぐっていた男は、固く握りしめた手を服の中から取り出した。

 


「み、妙な虫が服に……」 



 男がゆっくりと手を開くと、掌には握り潰された小さな蟲が乗っている。

 

 見覚えの無い蟲にその場の全員が目を丸くする中。


 男に続くように、周囲を見回していた女が身に纏っていたローブの前を開けて、服へ手を差し込んだ。

 


「こっちにも!」



「うわぁ!」



 服の中から這い出す蟲に鳥肌を立てると、商人の一団は目を逸らしながら一斉に後ずさる。


 叫びを上げてざわめき出す商人たちに、側にいた人々は中心で慌てる男女に厳しい目線を送った。


 

 ――おい!列を乱すなよ!――


 

「うるせぇ!黙ってろ!」 


 

 方々から聞こえてくる罵り声に顔を赤くしつつも、男は必死の形相で服へ紛れ込んだ蟲をつまみ出す。


 しかし、2人の体を這いずり回る蟲たちは、飛び立つことなく、次々と服の中へ入っていった。


 

「急に、どこから……!」 


 

「くそ、こんなもの、潰しちまえば……」



 ローブを脱ぎ捨てて喚く女をよそに、男はポケットを裏返して、蠢く蟲たちを叩き潰していく。


 

 ポロポロと荷物を落としながらも2人が息を切らして蟲と格闘をしていた時。


 迷惑そうに後ろを振り返った獣人の女が、目を見開いて、猫のような耳をピンと立てた。

 


「ギニャァアア!虫ィィィ!」



 2人の服から湧き出す蟲に、獣人の女は列をかき乱しながら、悲鳴を上げる。


 そして、どよめく周囲には見向きもせず、辺りを巡回するエルフの兵士に向かって、大きく片手を振り始めた。



「警備、警備ぃ!」

 


「馬鹿が……騒ぎやがって……!」



 獣人の女が兵士を呼びつけると、男は苦々しい顔で地面へしゃがみ込む。


 しかし、拾い上げようとした荷物の大半は、混み合った群衆に蹴飛ばされ、散り散りになっていた。

 


「何か、ありましたか?」



「変な虫がぁぁあ!」



 近づいてきた兵士の2人組へ、獣人の女は人混みを掻き分けて縋り付く。


 しかし、乱れきった行列に目つきを鋭くした兵士たちは、持っていた槍の石突きを地面へ叩きつけて、辺りの人々を睥睨した。


 

「そんなもの、どこにいる?」 



「あっちの方から、出てきてますぅ!」



 若いエルフの兵士が問いかけるが早いか、獣人の女は混雑の中へぽっかりと空いた男女の周りを指さす。


 涙ながらの訴えに壮年の兵士と顔を見合わせると、若い兵士はすぐに後を振り返った。



「応援を呼んでまいります」



「ああ、俺が身柄を押さえておく」 



 頭を下げた若い兵士が関所へと駆けていく一方。


 残った壮年の兵士は、側で様子を眺めていた商人の下へと向かっていった。



「失礼。ここで、一体なにが?」



「申し訳ないが、この通り我々は別の団体だ。話は、そちらの方々へあたって頂きたい」 



 壮年の兵士に話しかけられた商人は、慌てることなく懐から取り出した細長い金属製の板を見せる。


 商人の手が指し示す先へ体を向けると、兵士は蟲を潰していた男女を、ギロリと睨みつけた。



「では、貴方がたに詰め所まで来てもらおう」



「っ!そんな、俺たちだって、被害者で……!」


 

 差し向けられた槍の穂先に息を呑みつつも、男は血相を変えて言い募る。


 しかし、男の抗議も虚しく、壮年の兵士は腰元へ結んでいた金属製の枷を、2人の手首へはめ込んだ。



「話は、詰め所でゆっくりと聞く」 


 

「こんなの、絶対に間違っているわ!」


 

「ふぅ……」


 

 女の叫びを最後に2人が連行されていく中、獣人の女は1人安堵の息をつく。


 しかし、そのまま列へ並び直そうとすると、背後からがっしりと肩を掴まれた。

 


「え?ちょ……」


 

「失礼ながら、列を乱した件で貴女にもご同行を願います」



 目を丸くして困惑する獣人の女を、若い兵士は腕を掴んで、列から引っ張っり出す。


 程なく、壮年の兵士が捕らえた2人に続いて、獣人の女もまた、関所の奥へと連行されていった。



(……ごめんなさい)



 ぞろぞろと集まりだす応援の兵士たちをよそに、マリーは獣人の女へ内心で頭を下げて歩き出す。


 やがて、 わざと弾き出されるように最後尾へ向かうと、踵を返して埠頭へと戻っていくのだった。

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