17話
アルギスとマリーの2人が店へと足を踏み入れて数時間が過ぎる頃。
料理を平らげたアルギスは、パンパンに張った腹を、満足気に撫でていた。
「……ふぅ」
「いやぁ、よく食べたねぇ。料理人として、鼻が高い」
息苦しそうに息を吐くアルギスに、ナタリアは笑みを零しながら、しきりに頷く。
相好を崩すナタリアに顔向けると、アルギスもまた、空になった皿を見渡して、ニコリと微笑み返した。
「久々に、満足のいく食事ができた。いくらだ?言い値で払おう」
「何いってんの。この子のお連れから、金は取れないよ」
チラリとマリーを横目に見たナタリアは、ムッとした顔で手を振る。
途端に不満げな表情を見せるナタリアに対し、アルギスは再びテーブルを見回して、困ったように頭を掻いた。
「いや、しかしだな……」
「それに、食うにも困ってるのに、言い値も何もないでしょ」
言い募るアルギスにピシャリと言い放つと、ナタリアはなおも眉間に皺を寄せながら腕を組む。
有無を言わさぬ態度に目を白黒させつつも、アルギスは諦めたように肩を竦めた。
「……ご好意、痛みいるよ」
「はい。じゃあ、この話はもう終わり。お茶を淹れてくるから待ってて」
アルギスが答えるが早いか、ナタリアはパンと両手を合わせて、テーブルから遠ざかっていく。
一方、アルギスの隣に座っていたマリーは、ナタリアの態度に顔を青くしていた。
「申し訳ございません……」
「いや、これでいい。それよりも、この料理は何だったんだ?」
フラフラと頭を下げるマリーを尻目に、アルギスは端に避けていた食器を指差す。
しかし、アルギスの問いかけに目線を彷徨わせたマリーは、一層顔色を悪くして頭を下げた。
「……お料理は、全てナタリアさんの創作なので何とも」
「なら、使われている食材はわかるか?」
落ち込むマリーに不思議そうな顔を向けると、アルギスは矢継ぎ早に質問を重ねる。
変わらずアルギスの指差す食器を、マリーはまじまじと見つめて目を丸くした。
「ひょっとして、”コメ”……?」
(”コメ”?やはり、米があるのか?)
マリーの口から溢れた呟きに、アルギスはひっそりと胸を高鳴らせる。
釣り上がりそうになる口元を抑えつつも、隣に座るマリーの肩を叩いた。
「これは、どこで手に入る?」
「えっと、どこでも手に入りますけど……」
ビクリと肩を跳ねさせたマリーは、浮かない顔で躊躇いがちに口を開く。
一方、すっかり躍起になっていたアルギスは、予想外の返答に、気の抜けた表情で頭を捻った。
「……なに?」
「二等臣民ですら、申請するだけで支給されるものですから。一等臣民の方は、余り好まれないようですが……」
寂しげに目を伏せつつも、マリーは記憶を振り返りながら、淡々とした口調で説明を始める。
マリーから聞く情報によれば、”コメ”は二等臣民の主食であり、エルドリアの備蓄食糧だというのだ。
やがて、東部で大量生産されていることを聞いたアルギスは、抑えきれなくなったように口元を吊り上げた。
(どうやら、大した扱いじゃないらしいな。……都合がいいぞ)
「あのー……?」
ニヤニヤと顔を歪めるアルギスに、マリーは頬を引きつらせながら声を掛ける。
しかし、アルギスが口を開くのを待たず、トレイにカップとポットを並べたナタリアが、テーブルへと戻ってきた。
「何の話をしてるの?」
「料理の感想だよ。素晴らしかったと話していたところだ」
ナタリアがカップへとお茶を注ぐ中、アルギスは薄い笑みを湛えながら、1人悦に入る。
手放しの賛辞に笑みを零すと、ナタリアは上機嫌なアルギスへカップを差し出した。
「お世辞がうまいねぇ。……いい男捕まえたじゃない」
「な、ナタリアさん!」
近づきざまに肘打ちをするナタリアの言葉に、マリーは顔を赤くして、大慌てで口を押さえる。
わいわいと騒ぎ出す2人に居た堪れなくなったアルギスは、残っていたお茶を飲み干して、椅子から立ち上がった。
「……さて、長居してしまったな。そろそろ失礼させてもらおう」
「あ、もう帰るの……?」
じゃれあっていた手を止めつつも、ナタリアは名残惜しそうにマリーへ背後から抱きつく。
そのまま離れようとしないマリーを一瞥すると、アルギスは眉尻を下げながら首を振った。
「……いや。できれば、マリーはここへ置いていきたい」
「え!?」
ぼんやりとナタリアに抱きつかれていたマリーは、口をあんぐりと開けて言葉を失う。
落ち着きを失くすマリーを尻目に、アルギスは弱々しい笑みを浮かべて、わざとらしく目を伏せた。
「宿代も馬鹿にならない。1人でも置いてもらえると嬉しいんだが……」
「そういうことなら仕方ない!すぐに用意してくるから!」
目に見えて勢いを取り戻すと、ナタリアはトレイへカップを載せて、鼻歌交じりに去っていく。
すると、2人のやり取りに目を回していたマリーが、油の切れた機械のように、ぎこちない動きで顔を上げた。
「アルギス様……これは、一体?」
「お前に指示を出す。今日はここへ泊まれ」
釈然としない様子のマリーに対し、アルギスは先程までのしおらしさが嘘のように、はっきりと言い切る。
願ってもいない指示に目を輝かせつつも、マリーはゴクリと唾を飲み込んで口を開いた。
「よ、よろしいのですか……?」
「ああ。そして、私では手に入れられない情報を聞き出してこい。これは命令だぞ」
不安げなマリーに鼻を鳴らしたアルギスは、穏やかな笑みと共に指示を付け加える。
人差し指で返事を促すアルギスに、マリーは椅子を倒す勢いで立ち上がって、腰を折った。
「かしこまりました!必ずや!」
「騒ぐな……集合は明日の昼、冒険者ギルドだ。忘れるなよ」
声を張り上げるマリーにため息をつくと、アルギスはげんなりとした表情で後ろを振り返る。
軽い足取りで離れていくアルギスを、マリーは深々と頭を下げたまま、静かに見送った。
「おやすみなさいませ、アルギス様」
「お前も、ゆっくり休め」
マリーへ軽く手を振ったアルギスは、重たくなった体で細い階段を降りていく。
ややあって、小さな壺の並んだ棚の前を通り抜けると、簡素な木製の扉を押し開けた。
(実に良い時間だった。これで、後はハンスが戻ってくれば言うことは無いな)
頬を撫でる冷たい風に、アルギスの表情は、我知らず柔らかいものになる。
しばし余韻に浸った後、歩き出したアルギスの姿は、奇妙な建物に囲まれた居住区画の影へと消えていくのだった。
◇
アルギスとマリーが交易街へとやって来た翌日の昼下り。
人もまばらになった冒険者ギルドの受付では、アルギスが額に青筋を浮かべながら、エルフの職員と堂々巡りの口論を繰り広げていた。
「……もう一度だけ、聞いてやるぞ?指名依頼を受注できないとは、どういう了見だ?」
「ご依頼人のアランドール・エローナ・テアーズ様は植物学の大家。身分の不確かな方には紹介できかねます」
カツカツとカウンターを指で叩くアルギスに対し、職員は軽蔑の視線と共に首を横へ振る。
けんもほろろの回答にカウンターへ拳を叩きつけると、アルギスはワナワナと肩を震わせながら、目の前に置かれた冒険者証を指さした。
「貴様の、目と頭はどうなっている?身分はここに開示してる。そして、貴様が偉そうに握っているのは我々への依頼だ」
「冒険者証以外に身分を証明出来るものをお持ちで?失礼ですが、テアーズ様の助手として選ばれたにしては、なんというか……」
目の奥に疑念を湛えた職員は、向かいに座るアルギスとマリーの顔を、まじまじと見比べる。
冒険者ギルドへとやってきて早数十分。
一向に進まない状況にカウンターから身を引くと、アルギスは俯きながら額を押さえた。
(……冒険者の扱いとは、ここまでヒドイのか)
「やはり、一度退きますか……?」
冷たい目で値踏みする職員を警戒しつつも、マリーはアルギスの耳元へ、そっと囁きかける。
しかし、額から手を下ろしたアルギスは、苛立ち交じりに首を振って受付の職員を睨みつけた。
「駄目だ。依頼が無ければ森都に近づけん」
「ですが……」
アルギスを止めようとマリーが口を開いた時。
静まり返っていたギルドホールに、カランカランと扉の開閉を報せるベルの音が響く。
アルギスの体越しに新たな来客を悟ると、職員は笑顔で出口へ手を差し向けた。
「お引取りは、あちらから」
(……エレンのやつめ、どういう依頼を用意したんだ)
ギリギリと奥歯を噛み締めたアルギスは、予定の変更を考えながら、カウンターの冒険者証を拾い上げる。
しかし、諦めきれずアルギスが再びカウンターへと手をついた直後。
ふわりと背後へ現れた気配と共に、鮮やかな蒼色の衣服を身に纏う、壮年のエルフが姿を現した。
「――少し、よろしいですかな?」
「こ、これは!テアーズ様!このような場所まで、如何されましたか!?」
問題になっていた当の本人――アランドール・エローナ・テアーズの登場に狼狽えつつも、職員はアルギスたちを遠ざけるように手を払う。
壁際へと追いやられる2人を尻目に、アランドールは柔和な微笑みを湛えながら、綺麗に生え揃った口ひげを撫でた。
「私の方で、少々事情が変わりましてね。出していた依頼を取り下げようと、散歩がてらに」
「それは、それは!」
アランドールにペコペコと頭を下げた職員は、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、即座に依頼書をカウンターへ置く。
程なく、アランドールが懐からペンを取り出すと、アルギスは職員の顔をジロリと確認して、後ろを振り返った。
「チッ」
「……おや?貴方がたは?」
立ち去ろうとするアルギスとマリーに、アランドールはペンを持った手を止めて、半身を向ける。
すると、表情を明るくした職員は、我が意を得たりとばかりに、鼻息あらく2人を指さした。
「その者たちは、名を騙りテアーズ様に取り入ろうとした不届き者です!ご要望とあらば、警備に突き出しますが!?」
「ほう……?大変失礼ですが、お名前を頂戴しても?」
いきり立つ職員を背に、アランドールはアルギスへと向き直って、小さく腰を折る。
慇懃なアランドールの態度を訝しみつつも、アルギスは観念したように自らを指さした。
「……アルギスと、マリーだ」
「君」
アルギスが続けざまにマリーを指差すと、アランドールは背を向けたまま、職員へ重たい声を掛ける。
威圧感の増したアランドールの背中に、職員は浮足立ちながら、カウンターへ身を乗り出した。
「はい!」
「取り下げの件は無しです。彼らへ依頼を」
しかし、なおも職員に背を向けたアランドールは、背筋を伸ばして、持っていたペンを懐へ仕舞い直す。
先程までと異なり、明らかな不快感を滲ませる背中を、職員は冷や汗を流しながら見つめていた。
「……なぜ、でしょうか?」
「……私は確かに、”お願い”を、しましたよ?」
怯えの混じった職員の声に、アランドールはようやっとカウンターを向き直って、満面の笑みを浮かべる。
一方、アランドールの表情を見た職員は、青かった顔を土気色に変えて、カウンターへ額をつけた。
「っ!はい!急がせて頂きます!」
(……これは、チャンスか?)
一変した状況に目を丸くしつつも、アルギスはここぞとばかりに冒険者証をカウンターへ置く。
ややあって、依頼の処理を終えると、職員は小刻みに震える手で、依頼書と冒険者証を差し出した。
「大変、申し訳ございませんでした……」
「……ああ」
力なく項垂れる職員をよそに、アルギスは依頼書を小脇に抱えながら、冒険者証の一方をマリーへと渡す。
程なくカウンターから離れた2人の下へ、背中を丸めたアランドールが、苦笑いを浮かべながら再び近づいてきた。
「いやはや、ご迷惑をおかけしたようで」
「いや、困っていたところだったんだ。こちらが礼をしても、謝罪される謂れはない」
ため息交じりに肩を竦めたアルギスは、チラリと背後を見やって首を振る。
しかし、アルギスの抱えた依頼書に眉を顰めると、アランドールもまた、ため息をつきながら首を振った。
「いえ、私の方でも、少々勘違いをしておりまして……」
「勘違い?」
どんよりと気を落とすアランドールに対し、アルギスは目を瞬かせて、呆けたように聞き返す。
すると、ぐるりとギルドホールを見渡したアランドールは、困ったように笑いながら、静かに出口を指さした。
「その辺りについては、屋敷でゆっくり話しましょう。幸いというべきか、ご歓待の用意は整えてございますので」
「……ああ。そうだな」
小さくお辞儀をしたアランドールが前を歩き出すと、アルギスはマリーへ目配せをして後を追いかける。
職員たちがギョッとした顔を見せる中、3人は何事のなかったかのように冒険者ギルドを後にするのだった。
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